Book 044 - ヨハン・クライフ「美しく勝利せよ」 | 午前零時零分零秒に発信するアンチ文学

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■概要

優雅で攻撃的でかつインテリジェンスあふれるプレーで観客を魅了し、引退後は監督としてヨーロッパサッカー界に君臨する今世紀最高のスター、ヨハン・クライフ。彼のインタビューからサッカーの、そして人生の指標を学ぶ。

私は攻撃型のフットボール(サッカー)を愛している。常に個性的でありたいと思う。美しいフットボールで結果を出すこと。その信念は時を経ても変わっていなことを本書で理解していただければ幸いである。
――ヨハン・クライフ

フリーツ・バーランド(著)
ヘンク・ファンドープ(著)
金子達仁(監訳)



■解説

サッカーそのものに興味はなかった。理由は単純、面白くないからだ。

野球のように間(ま)があり、その間のあいだに考え準備することによって試合が二転三転することが極めて少ないからだ。とにかくファールが多い訳であり、その度に試合が止まる。途中でピッピピッピ吹かれる審判の笛が不快に聞こえる。ゴール前の決定的な場面でも、何度もシュートミスして頭を抱えるFW選手がいる。

「あそこは決めてくれないと~!」という甲高い声の解説が聞こえてくる。
何で日本サッカー界のOBって、どいつもこいつも声が高くて早口なんだ?

ということを、サッカー通の知人に直接言ってやったことがある。
あれは、2002年のことだった。

彼は全く否定しなかった。

だが――。

「それは日本のサッカーですよ。ヨーロッパのサッカーは違います」なんて言いやがる。

嘘をつけ、ヨーロッパ最強のセリエAでも反則が多いじゃないか。中田英寿が出ていたASローマの試合を見たが、ちっとも面白くなかったぞ。「いいえ、マスコミに騙されてはいけません。セリエAなんか大したことないですよ。強いのはスペインのリーガ・エスパニョーラです。ヨーロッパどころか世界最強リーグですよ」なんて返してきた。

僕「んな訳ねえだろ。なら、スペイン代表は何で一度もW杯で優勝してないんだ?(2002年現在) 強いのは南米だ。ブラジルとかアルゼンチンなんだよ」
知人「南米のクラブは若い選手を育てて、ヨーロッパのビッグクラブへ高値で輸出しているんです。その選手を売った金で自クラブを運営して、また若い選手を育てる。だから、必然とヨーロッパのクラブのほうが強力になるんです。ブラジル代表選手の殆どはヨーロッパのリーグで活躍しているんですよ」
僕「…」
知人「どうかスペインのサッカーを観て下さい。FCバルセロナのサッカーを。サッカーに興味のない人ほど観てほしいんです。とてもファンタジックで美しい、本物のサッカーを魅せてくれますよ」
僕「バルセロナ?」
知人「クライフが名門に育てたクラブです」
僕「クライフ?」
知人「神ですよ。彼はジーザス・クライフ」

そいつは、バルサ(FCバルセロナ)の試合を録画したビデオを貸してくれた。結構な量だったが一通り観させてもらった。クライフに関しては、DVDをレンタルした。

なるほど、彼が世界のサッカー史上最高のプレーヤーであり、同時に最高の監督だということが何となく解ってきた。技術だけなら他にも選手がいるだろうが、クライフの場合は監督と選手の両方をこなし、74年には無名だったオランダ代表をW杯準優勝まで導いている。準優勝なのに優勝した西ドイツの主将フランツ・ベッケンバウアーを押し退けてバロンドールを受賞したところに価値がある。

一方で、バルサのサッカーを観たのだが、一言でいってしまえば「楽しくてスペクタクルなサッカー」だった。全員が有機的に機能する華麗なるサッカー。

グラウンドを真上から見た場合、まるでサッカーボールがピンボールのように軽快に動くのだ。そのフリッパーの役割をするのがバルサの選手な訳だが、GKを除く全員が一ヶ所にじっとすることなく計算された精密機械のように動く。相手チームは支配され、体力だけが消費されていく。

これらが見ていて面白い。パスだけではなく、敵のペナルティーエリアでは南米顔負けの個人技も披露してくれる。どの選手もシュートならいつでも打てるよ、といっているかのような余裕がある。ボールが止まらないから、試合も止まることが少ないのだ。

1点取って逃げ切ろうなんてつまらんサッカーではない。超攻撃的な美しいサッカー、「フィールドを支配する」だった。

ビデオを一通り見た後は、W杯なんて色褪せて見える。どこの国の代表が優勝しようが所詮はお祭りだ。クラブチームの世界一こそ、真の世界一だ。このクラブには単なる勝敗では語れない大事なものがありそうだ。確かに、ソシオのせいでサポーターが厳しいというのもあるが、選手個々が強い誇りみたいなものを持っている。ライバルクラブのレアル・マドリードとの試合(エル・クラシコ)では特にそう感じさせる。

本書は、74年にオランダ代表を率いたミケルス監督が提唱する「トータルフットボール」を体現したヨハン・クライフのインタビューを集めたものだ。トータルフットボールという組織的な戦術は、これまで個人技主体の南米スタイルのサッカーに牛耳られてきたことを思えば革命であり、間違いなく近代サッカーの源流になっている。本書で解説されている部分だ。

それを思えば、近代化したとはいっても日本のサッカーがいかにダメなのかが解る。

2010年のW杯では、ボールを持った日本代表のサイドバックが、マラソン選手並みに長い距離をドリブルしたことが注目されていた。ある海外のスポーツ番組では「ヨーロッパでは、あそこまで長い距離を走る選手は見たことがない」と言っていたようだ。

果たして、これは海外からの褒め言葉なのだろうか?

とんでもない。寧ろ「ダメな奴ほど走るのだ、だから相手を走らせろ」というクライフの言葉を思い出したのだ。

「長い距離を走る必要はない。フットボールにおいて大切なことは、短い距離をいかに速く走るかだ。しかし、もっと重要なのは「いつ走るか?」だ」

サッカーの話だけではなく、彼がいかにしてオランダ代表を纏め上げ、又、同国のクラブチーム・アヤックスを経由し、スペインのFCバルセロナを名門クラブにしていったのか。その経緯がわかるようになっている。

哲学にも長けており、クライフの思想はその尊大な態度に裏付けられている。スポーツに限らず非常に参考になる一冊ではないかと思う。

少しだけだが、その一部を以下に抜粋しておきたい。



1.監督術と育成法

私がアヤックスの指導者に就任した頃の若手にキーフトがいた。ミスはあったが、普通と違う何かを持っていたし、学ぼうという姿勢があった。堅実さが求められるポジションでは落とされる可能性があったので、あえてセンター・フォワードとして残した。

同様にライカールトを見た時も途方も無い可能性を秘めていることを感じた。ミスは多いが、彼は私のかつての役回りを演じているかのようだった。そんなことを言ってもあなたは初期の頃、ライカールトをあまり試合に使わなかったじゃないかと思われる方もいるだろう。何故だと思う?

純金は大切に守らなきゃならないからだ。

いずれにしろ私のチームにいる以上、守備的なプレーは許されない。他を圧倒するサッカーをしたいんだ。フィールドを支配する、ナンバーワンのチームを作りたい。そのためには、プレーヤーのポテンシャルを存分に引き出してやらなければならないんだ。


私はオランダで初めての、資格試験を受けていない監督だった。しかしそんなものは必要でないと思う。

私は戦術の天才と呼ばれていた。一軍、二軍、そしてユースチームと指導してきたが、資格なんで重要じゃないと実践を通してはっきりとわかった。私はテクニックと戦術の話しかしない。これが体力トレーニングを課す役割なら、私は戻ってこなかった。私も若い頃、森をランニングするなんてまっぴらだったからね。

(体力トレーニングは個人で準備するものだ)


チームは人間の集団だから、どうしても波がある。チーム状態が悪い時に指揮官は、あらゆる雑音から選手を守り、すぐに調子は戻るという印象を植え付けなければならない。

だからそういう時こそインタビューの回数を増やすんだ。

「調子はどうだい」って聞かれたら「好調さ」と答える。チーム成績が悪いことにプレッシャーを感じているそぶりを見せてはいけない。それは必ず選手に伝染する。逆にチームが好調な時は、わざわざ公の場に出る必要はない。じっとしていればいいんだ。余計なことを喋らずにね。


アヤックスの教育システムには不満がある。個性を育てようとしないからだ。その結果、似たような選手ばかりになる。まず、教育する側が個性に気づいてやること、それが肝心なんだ。監督が型に嵌めてしまってはならない。

例えばファンバステンやビチュへのような選手が成長するには、屈辱や敗北感を味あわせる必要がある。昔はジュニア選手を年長チームと対戦させたり、レベルの高いチームに混ぜたりした。ハイレベルな試合の中で、少年たちはしごかれ、身体で学んでいく。これほど厳しい学校はない。

才能ある若手にこそ、挫折を経験させなければならない。挫折は、その選手を成長させる最大の良薬だからである。次のステップは勝利への執念をつちかうことだ。志なかばで挫折する選手が後を絶たないのはなぜか。才能を生かす方法を誰も教えてやらないからだ。サッカーには才能も必要だ。しかし、それを最大限に生かしてこそ素晴らしいプレーヤーになれる。もし、実力を出し切れていないと思ったら、理由は二つしかない。それだけの実力だからか、あるいは力を発揮できるポジションを見つけていないからだ。


2.クライフの戦術論

サッカーのプレーは三つの異なる要素から成り立っている。テクニックと戦術とスタミナだ。私はスタミナはあるほうだし、テクニックも常に磨いてきた。それでも私よりスタミナのあるプレーヤーは大勢いるし、テクニックにおいても優れているプレーヤーはいた。しかし、真に重要なのは戦術だ。たいがいのプレーヤーに欠けているのは戦術なんだ。戦術とは、洞察力と信頼と勇気だ。


ボールを簡単に相手に奪われたり、当たり弱かったりする選手は体重が少なすぎることが問題とされることがある。私もプロの中では充分軽すぎるプレーヤーだが、ボールを取られるのは、実は戦術的な洞察力がないからなんだよ。


本当は戦術についての考えはあまり明かしたくないんだ。なんといっても私の企業秘密だからね。しかし絶対に言えることはフィールドではどの選手もすべてのポジションでプレーできる力を身につけるべきだということだ。これは、頭で考えたわけじゃなくて、実戦から学んだことだ。


現在、よく走るプレーヤーがもてはやされる風潮にあるが、本当にそれでいいのだろうか? 守備型のチームの場合、フォワードは相手ゴールから50メートルも離れてしまう。ディフェンダーの負担は勿論軽くなるが、そのぶんフォワードは長い距離を走らなければならない。そんなところでエネルギーを使ってしまっては、ゴール前にたどり着いた時、創造性のあるプレーなんて出来やしない。しかし攻撃的サッカーでは、よほどの能無しでもない限り、フォワードの走る距離は15メートルで充分なんだ。


続きは本書を読んでからのお楽しみ。

ヨハン・クライフ「美しく勝利せよ」/フリーツ バーラント

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