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(本好きな)かめのあゆみ

かしこいカシオペイアになってモモを手助けしたい。

昨年

おそらくロシアによるウクライナへの軍事侵攻をきっかけに

話題になっていたが

読んだことがなかったので読んでみた。

 

絵本と思っていたが

まあまあがっつり文章があって

意外だった。

 

もっとも

繰り返しの多い平易な文章なので

子ども向けであるとは思う。

 

Eテレの番組で

高橋源一郎さんとかが

動物たちは子どもたちのためになんて言いながら

実際のところ子どもたちのためなのかどうか怪しい

みたいなことを言っていたけど

さすがにこれは

子どもたちのために

でいいと思う。

 

なんでそういうことを高橋さんらが言っていたのか

気になる。

ぼくが気づかない深い意味があるのかな。

 

ルール無用

あるいは

じぶんとはまったく異なるルール

で行動している他人が存在するのはどうしようもないから

国境をなくせば平和が訪れるとは

とうてい思えないけど

それでも人間の知恵は

戦争をしないために使われるのがもっとも良い。

 

戦争は積み重ねてきた人生をいきなり台無しにするからね。

 

 

 

--動物会議--

エーリヒ・ケストナー作

ヴァルター・トリアー絵

池田香代子訳

今村翔吾さんが

こどものころの弟さんとのエピソードを絡めて

紹介していて

読みたくなったので読んだ。

 

本人の意に反して

からだがどんどん大きくなってしまい

そのことで周囲からからかわれ

悲しい思いをするけれども

やがてその大きなからだがみんなの役に立つ

みたいな話を想像して読み始めた。

 

まず目に飛び込んでくる

滝平二郎さんの画の力強さとかっこよさに

しびれる。

 

--むかしな、秋田のくにに、八郎って山男が住んでいたっけもの。

 

秋田の話か。

そういえば八郎潟ってあったような気がするけど

どこだったかな。

 

読み進めていくと

思っていたのと違って

八郎はみずからまだまだどんどん大きくなりたがっていた。

 

こころも優しい。

 

そしてこの斎藤隆介さんの文章のリズムと響きの心地よさ。

 

この文章が秋田弁かどうかはわからないけど

ぼくなりに秋田弁をイメージしながら読んでみる。

 

文章も画もダイナミックで鷹揚で

まわりの空気があたたかくふくらんでいくような感じ。

 

やがて海が出てくる。

 

これはもしや

と思い

そこからはぼくにとっては土地の神話めいて見えてくる。

 

かつてのぼくは

自己犠牲によって多くのひとを守る

という物語が無条件で好きだったけど

いつの頃からか

自己犠牲は安易な解決法だと考えるようになり

いまでは

できるだけ自己犠牲は避ける方法で対策を練り

それでもどうしても自己犠牲しか手段がないときに限って

みずからの決断で自己犠牲を選択する

という物語を求めるようになった。

 

だからこの話の結末は

ぼくのいまの考え方には少しそぐわないかもしれないけど

神話だと考えるとそれでいいとも思う。

 

それにしても

この物語では

海辺の田を持つ農民にとって

命が助かるだけでは十分ではなく

じぶんの田が塩水をかぶってだめにならないように

ということも望むというところが

より現実的な気がした。

 

命あってのものだねとはいうが

命だけではだめで

やっぱり生活のよりどころとなる生産手段も残らないといけない。

 

その視点をいまは軽視し過ぎているのではないか

というようなことも

物語の本質とはずれるだろうけど考えた。

 

 

 

 

--八郎--

斎藤隆介作/滝平二郎画

2022年が終わろうとしている。

 

コロナ禍はまだ続いている。

というかどうやらまだ何年も続く感じなので

ウィズコロナの生活様式が定着してきた。

 

感染症に怯えながらも

ぼくたちは日々の暮らしを続けていかずには

いられない。

 

感染症に対する考え方もひとそれぞれで

噛み合わないまま進んでいくんだろう。

 

コロナを乗り越えるまでは新しい問題は起こらないだろうと

どこかで思っていたが

思いもしない戦争が始まって

世界中が巻き込まれている。

 

ロシアの暴挙。

プーチンの暴挙。

まさか2022年にこのような直接的な戦争が起こるなんて

思いもしなかった。

 

戦争がいかにして始まり

いかに終わらせるのが困難かが

これではっきりとわかったし

日本が日本とはちがうルールの国にいきなり攻撃されないとは

いえないこともはっきりとした。

 

コロナと戦争で

食料やエネルギーの価格が高騰し

世界中に影響を及ぼしている。

 

10月には32年ぶりに一時1ドルが151円台を記録。

物価高に追い打ちをかけている。

 

この物価高の影響をもろに受けるひとと

それほど影響を受けないひとの二極化もはっきりしている。

 

選挙の応援演説中に

元首相が3Dプリンタによる手製銃での銃撃により

殺害されるという事件が起こった。

 

それをきっかけに宗教団体による被害と

政治家との癒着が社会的問題として認知された。

 

問題は追及されなければならないが

きっかけが暴力だったという点が

今後の社会にとって大きな傷になりそうで

警戒しなければならない。

 

暴力による主張の実現を許容する

社会になってはいけない。

 

知床観光船や梨泰院での残酷な事故も起こった。

 

コロナ禍で停滞していたひとの動きが急に活発になると

こういう事故は起こりやすいかもしれない。

 

出掛ける際には危機管理の意識を持ちたい。

 

今年印象に残った本を記録しておく。

 

 

 

ことばがことばのままで美しい

二人の稚児 谷崎潤一郎

 

今ヤ不幸ニシテ米英兩國ト釁端ヲ開クニ至ル洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ

じぶんの意思とは無関係になるべくしてそうなるんだから抵抗してもしようがない

ってそれでいいのか?

養老先生の思考はニュートラルで好き

ヒトの壁 養老孟司

 

ふつうに人間ってこわい

娘について

がいちばんこわかった

他人が努力せずに得た幸運に対する努力してきたひとの悪意

そういうのってある

春のこわいもの 川上未映子

 

人生が片付くときめきの魔法

死の匂いがする

とことこ公太郎

たしかに縦書きにしたら

100万回死んだねこ 覚え違いタイトル集 福井県立図書館

 

パン屋さんやさしい

無知と環境によって犯罪に手を染めた若者の更生

おいしいパンはしあわせを連れてくる

パンどろぼう 柴田ケイコ

 

島田雅彦流 斜に構えた青春小説

絶望キャラメル 島田雅彦

 

生まれつきの上流中流下流の階級格差は残酷だけど

女性たちはみな魅力的

それぞれの暮らしぶりが谷崎潤一郎の細雪的に文化史

男たちは無邪気にだらしがない

あのこは貴族 山内マリコ

 

いまどきの男子として育てられた男たちの残酷な無邪気さが際立つ

育ってきた環境によって見えている世界がまったく別物

女性を責められないけど危機管理はもうちょっとあってもいい

まずは男性への教育からだな

彼女は頭が悪いから 姫野カオルコ

 

ぼくからすると無軌道で非常識な生き方

でも納得性はある

見えている世界はほんとうにひとそれぞれというのがよくわかる

常識なんて他人の基準だからじぶんはじぶんの基準でいい

はい、こんにちは Chim↑Pom エリイの生活と意見 エリイ

 

志賀直哉はこんな作品も書くのか

赤西蠣太 志賀直哉

 

いったいだれがどうなるの

マリアビートル 伊坂幸太郎

 

なぜいまこれを読んだのか

失楽園(上)(下) 渡辺淳一

 

この素材をこんなに爽やかに描けるなんて

夏の靴 川端康成

 

読みながら夢うつつに

遠野物語 柳田国男

 

 

 

 

今年も去年に引き続き

どういうわけか過去に読んだ作品を

再読したい気分が強かった。

 

 

 

 

海外の読者にも読まれたらしい

すべて真夜中の恋人たち 川上未映子

 

これもまた島田雅彦流斜に構えた青春小説

やけっぱちのアリス 島田雅彦

 

これもまた海外の読者に読まれたらしい

ヘヴン 川上未映子

 

ロシアがウクライナの東部を独立国家として承認した

っていう2月の侵攻前の事案を受けて読み返したけど

その後事態はより深刻に

吉里吉里人(上)(中)(下) 井上ひさし

 

戦後すぐのひとびとの感覚

堕落論 坂口安吾

 

人類の走馬灯

午後の恐竜 星新一

 

いつのまにかじぶんの脳内で勝手に続きをつくってしまっていた

中年のひとり者ブルームフェルト カフカ

 

高村光太郎は思っていたほどわるくなかった

売り言葉 野田秀樹

 

懐かしい青春小説

NHKにようこそ! 滝本竜彦

 

思弁的

とどのつまりはじぶんのことにしか関心がない

告白 町田康

 

イモリの印象が強かったけど蜂とか鼠とかの死もあった

城の崎にて 志賀直哉

 

福田恆存さんの翻訳がまじでかっこいい

マクベス シェイクスピア

 

10代の頃のような爽快な読後感がなかったのは

ぼくが退屈な体制をつくる側の人間になっているからだろう

コインロッカーベイビーズ 村上龍

 

 

 

 

一昨日の徹子の部屋で

タモリさんが言っていたように

来年は新しい戦前

になるかもしれない。

 

というかすでに戦前は始まっているかもしれない。

 

今後二度と戦争がなくならない限り

いつも戦前だともいえる。

 

戦争を回避する知恵を磨かなければならないのは

いまを生きるひとたちだ。

 

というかそもそもいまは戦時中なので

まずはロシアのひとびとが

新しいロシアをつくるために立ち上がってほしい。

 

ロシアを壊すということはやめておいた方がいい。

 

ウィズコロナの暮らしも洗練させていかなければならない。

なんとなく場当たり的に必要に迫られた対応をして

ぐずぐずになりそうな気がしている。

 

個人的には

去年の苦境を乗り越えて

幾分ましな1年になったと思う。

 

耐え忍んだ先に

すこしましになった未来があった。

 

だからといって気をゆるめると

すぐに脱落するという恐怖はあいかわらず常にある。

 

他人の決めた幸福の基準に縛られずに

じぶんの幸福は自分で決める。

 

そういうあり方を忘れないでいたい。

 

来年は何が起こるだろう。

 

去年のいまごろにロシアの暴挙なんて想像もしていなかったけど

鋭いひとはそこに至る状況を観察していたかもしれない。

 

いまもおもてだってはいないものの

来年に起こり得る大きな事件の芽は育っているかもしれない。

 

願わくはその事件は

良い事件であってほしい。