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移ろい行く日々の中で思ったことを心のままに描いていこうと思います
presented by takashings since May 19th 2006

地震が発生してからもう1週間経ちました。

かなり長い時間を過ごした気がする。
個人的には、あっという間のような、
果てない時間を泳いできた感じがする。



その中で時間が経つにつれ、あれ?と思ってきたことがある。




それは「募金」ついて。




災害発生から1週間経ち、
世の中は芸能人、企業の募金合戦のような感じになってきている。



最初にとある有名人が募金を募れば、はたまた芸能人も募る。
さらに拍車をかけたように企業も自身のサイトで募金を募る。
はたまた海外の有名人も日本のために募金を…という風になっている。



ここまで募金が集まれば、
(極端な言い方だが)復興の時間をかなり短縮できるような気さえする。



しかし、しかしだ。


気味が悪い。
この募金合戦。


しかも、しかもだ。



額が大きすぎて、怖すぎる。
芸能人は万単位…数十万単位。
果ては百万単位で寄付するという人も現れてきている。
中には東北出身の人がいて、思い入れが強いのか、巨額を寄付する人もいる。

もちろん、企業としては、金額を好評することで
株主や社会への示しだったり、
いろんな事情があるかもしれない。



もちろん、募金は悪いことではない。
確かに募金されたお金は恵まれない人達のために使われ(今回は災害に遭われた人達に)、
強力な手助けになることは間違いない。


しかし、芸能人に関しては額を公表する必要があるのか?という気がした。
ただ募金した。という事実のみでもいい気がするのだが、
多くの芸能人はいくら募金した、ということを言っているのはなぜだろうか?



そして、(特に)芸能人の方々、そこまでの額を募金をしたいのですか?



善意で行うはずの募金が、
いつの間にか募金をしなくちゃいけない空気になって、蔓延している。
前にも書いたが、善意の強制は善意ではないはずだ。




募金をした人の中でも、
少額の募金をした人は申し訳ない…というような人まで出てきている。


まるでオークションのように額が釣り上がっていくような雰囲気。





確かに今はこの国、日本の危機だ。未曽有のことである。
地震、津波、原発、寒さ、空腹…など被害に合われた方々は
様々な被害や大変なことと戦って、耐え忍んでいる。



だが、1年後も同じスタンスでいられますか?
1年後もこの状況が続いていた場合、同じく募金をしますか?



募金は「救済」の手段の1つだ。



救済とは一時的では何の意味もない。
特に今回のような場合、継続しないと意味が無いはずだ。



今、手元にあるお金を募金しただけで終わっていませんか?

募金したことで自分の善意を満たしていないだろうか。



想像してほしい。


被災に遭われた方々は
今は一時的に救われても、
これから何も無いところからまたスタートして、
生き続けていくのだ。


そのためには一時的な手を差し伸べただけでは足りないはずなのだ。

災害によって胸に傷を負い、中には大切な人と別れをした人もいる。


完治とはいかなくても、
前と同じような生活に戻るには
たくさんの時間がかかるのだ。




本当に救済、復興を願っている人がいるのであれば、
その胸にある善意を今回の募金だけで終わらせてほしくない。
ずっととは言わない。少しでも長く想い続けていてほしい、と思う。



芸能人の方々もどうかその思いをイメージアップや
周りの空気を読んでやったこと、という風にしてほしくない。

もし、そういうことでされたのであれば、非常に残念だ。



自分も数日前に募金をした。
募金をするということは、希望を見出して欲しい、
少しでも助かってほしいという思いのもとに行うものだろう。


未来へ希望のバトンを渡し続けなくちゃいけない。
募金は一時的に加熱したような雰囲気でするようなものではないはずだ。
shadow and my light

少しずつ引越しまでの日が近付いてきた。


生活が変わるのだ。
それに対してはわくわくする部分もあるけど、
もちろん、不安も徐々に増えていっている。


例えば、新しいところでちゃんといつもの生活ができるか?とか。
ネットとかも自由に最初はできないだろうし、
部屋の片付けもちゃんと済むまで時間がかかるかも…なんて。


==========

人間が変わる方法は3つしかない。

1番目は、時間配分を変える。
2番目は、住む場所を変える。
3番目は、付き合う人を変える。

もっとも無意味なのは、『決意を新たにする』ことだ。
行動を具体的に変えない限り、決意だけでは何も変わらない。


==========

※引用:Twitter / 大前研一 BOT


きっと新生活、社会人になる時には3つとも変わるでしょう。
しかし、それは変わることを余儀なくされたもの。



自分はきっと住む場所は簡単に変えられても、
何かを大きく変えることに対して恐怖心をいただいている。

何かがガラッと変わることに対しての恐怖。


胸の奥にいる何かが震えてます。




いつものオレだったら、
「いや、そんなことねぇ。
いつだってこういうことを思いながら生きて、
いつだって自分自身を変える自分でありたいよ。」
…なんて言うんでしょうけど、
今はそんな心を持てない自分がおります。




新たな船出は今までいた場所との別れでもあります。

それはきっと必然であり、宿命なのです。
自分が前にいた会社を辞める時にも思ったけど、
「全てを引き連れて未来には行けない」のだ。


全て引き連れていけるのは、自分の過去だけ。


マイナスながらも、
少し前向きに考えてみた。




新たな船出のためには別れは付きもの。

そうなのであれば、
もしかしたら、
いま付き合っている人達とも
お別れになることも考えておかないといけないのかもしれない。


もちろん、そういうことを簡単にできる自分ではないけど、
なんとなく、そんな覚悟はしておかないといけないのかもしれない。



今回の東北地方太平洋沖地震でも同じことだ。
昨日まで笑顔だった人が明日も笑顔だとは限らない。

もちろん、日々も同じだ。
自分の歩んできている道の中で、
自分の知らないところで、
誰かがオレのことを呼び止めたり、
誰かはオレの元を離れていったり。



他人の人生だ。
何も言えるまい。


それは自分にも同じことが言えるはず。



震える心のまま明日へ。
震える身体のまま明日へ。
little cloud and blue sky

空は青かった。

東京の風は強くて、
セットしたはずの髪の毛が一気にぼさぼさ。

洗濯物は地面に落ちていて、また洗濯しなくちゃいけなくなった。


今日は市役所に行って、住民票を取りに行った。
引越し先に住む際に必要な書類のためだ。


お昼頃に行ったからか、
市役所にはあまり人がいなくて、
対応してくれたおじさんがとても親切で嬉しかった。


だけど、帰り際にそのおじさんのほうを見ると、
クレーマーのようなおばさんの対応をしていて、大変そうだった。



帰り道、相変わらず風は強かった。
風はオレに吹いていた。


なんてね。




市役所にはバスで行ったほうが楽チンだったから、
行きはバスで来たけど、帰り道は歩いて家に帰ることにした。


距離を計算してみると、市役所から家まで2.5kmほど。
いつもは市役所まで近い駅まで行って、駅からバスというルートなのだが、
意外にも家から歩いていける距離で驚いた。


風の強い中、歩く。
音楽を聞きながら歩く。

空は青かった。
ちょっと小さい雲が空を泳いでいた。

遠くに流されていく雲。



誰も外を歩いていないから、
歌いながら帰った。


気持ちがちょっとだけ晴れた。



空は青い。
本当にこの空は遠くまで続いているのかな。
いつまでもこの空が未来永劫続くのかな。




帰り道にあった大きなスーパーでオレンジジュースと豆乳と
夜ご飯と明日の朝ご飯のためにタマゴサラダを買った。

スーパーの中は人は少ないけど、
ニュースで報道されているとおり、
水やインスタント食品、あらゆるものが空っぽになっていた。

コンビニの規模以上の場所で
空っぽの棚が続いているのを見ると、
またちょっと切なくなった。




空は青いよ。
いつもと変わらない空がそこにはある。

きっと明日もこんな空が広がっているんだろうな。


これがどっかでは日常であって、
どっかでは非日常なんだろう。


これが平和であり、異常であり、
穏やかであり、慌ただしいんだろう。



日々は表裏一体でどっか静かに何かが僕らの目の前をいつもかすめていく。
今日の起床時間、AM6:00ぐらいだったか。

いや、その前にも揺れで起きた気がするが時間は見てない。
なんか揺れているけど、このまま収まりそうな雰囲気だったから、
しばらく待っていたら、収まったので再び寝た。

そしてAM6:00ぐらい。

最寄り駅の電車は動いているけど、全部の駅を通らないとか。

本当は市役所に行きたかったけど、
市役所に行くために行かなくちゃいけない駅までは行けないため、
今日は行くことを断念。

午前中に行われる計画停電は、どうやら実施されたみたいだけど、
オレの家は停電になることはなかった。
よくわからないけど、除外されたのか、オレの家は。


そんなこんなで、内定先の会社からの電話があったりとか、
近所のコンビニのものの少なさに切なくなったり(きっとまた買いだめしている人がいるんだろうなってこと)とか、
iTunesで募金をしたりとか、
今回の地震があって、地元の警察の人が安全の確認のために訪問してくれて、
すごく心配してくれていたことに感動したこととか、
深夜の静岡の地震があったりと、1日の間にトピックは意外にもたくさんあった。


しかし、ここ最近のことで気疲れをしていたのだろうか。
すごく身体が疲れを感じている。


軽く昼寝をしたりしても、
どうにも全快には程遠い感じの体調。


昼寝をしたから、生活リズムがずれてしまっている。

明日も早起きして、1日のスケジュールを組み立てなくちゃいけない。
明日はさすがに電車が動いてくれないとちょっとだけ困る。

いろんなものを後回しにしてきているから、
ちょっとはこなしていきたいな、と。



とりあえず、今日はやらなくちゃいけないこともこなしてきたから、
また明日に持込してがんばろう。


あくまでも今日は普通の日常。
こんな自分の日常でもいいじゃないか。
今日は月曜日。
平日が始まりました。

朝起きてみれば、目を背けたくなる情報ばかり。
ですが、自分がこの情報を背負って潰れてはいけません。

確かに被災地の方々は大変な思いをされています。
しかし、自分はそこにはいません。
あくまでも自分はここ、東京にいます。

問題なく、食事をとれて、水を飲むこともできるし、
暖かい毛布もあり、それこそ不自由なものなんてありません。
強いて言えば、自分の住んでいる地域の電車が運休ということぐらいでしょうか。

鉄道各社の運行状況が変わって、
「仕事を休まずにいつも通り必ず来い!」という会社は少ないでしょう。
やむを得ない事情があるならともかく。
twitterを見ている限り、家で仕事をしている人もいれば、
遅くなってもいいから会社には来てほしい、とか。

人には人それぞれの生活があります。

だから、なるべく自分は自分。他人は他人。といい意味で思うようにしました。

自分は自分であって、他人ではありません。
なので、自分ができることであったり、
日々の生活プロセスをこなさなくてはいけません。
はたまた運がいいのかわかりませんが、学校は卒業式までお休み。

なので、今日は引越しの準備だったり、いろんなことをしておりました。



しかし、そんな自分の思い、考えとは裏腹に世間は全くの真逆。


コンビニやスーパーに行ったら、そこらじゅうの食料品がなくなっている。
特にインスタント食品や水、ティッシュペーパーなんかは空っぽの棚。

やっぱりみんな買い占めているようで。


その様子を見ていると、すごく切なくなってきた。

この日本の何処かでは買いたくても買えない食料品を求める人達がいるのに、
そこまで生活に支障が出ていない地域の人達が不要不急なはずなのに、
その食料品を買い漁っている。



そのぐらい、みんな不安でしょうがないんだろうな。
何か準備をしていないと不安でどうしようもないんだろうな。


そんな人を尻目にオレはホワイトデーのお祝い。

ささやかながらお祝い。


どっかで不安と希望の入り交じっているこの日本で
少しでも自分は自分を生きて行くしかないんだろうな。

その中で自分は少しでも自分以外の人に何かの思いとか優しさとか
そういうもののベクトルを向けられたらな、とか思ったりするわけでございます。