藤巻隆(ふじまき・たかし)オフィシャルブログ -5ページ目

藤巻隆(ふじまき・たかし)オフィシャルブログ

私のテーマは6つあります。
(1)ビジネス書の紹介(2)医療問題 (3)自分ブランド力
(4)名言 (5)ランキング (6)ICT(情報通信技術)
このブログでは、主に(1)~(4)を扱っています。
(5)と(6)はそれぞれ別のタイトルで運営しています。

🔷 「結婚前」の中の「出逢い」を掲載します。🔷

 

タイトルは『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』

(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)です。

2016年1月25日 発行  

著者   藤巻 隆  

発行所  ブイツーソリューション

 

✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第17回)✍

 

「結婚前」の中の「出逢い」を掲載します。

 

 

結婚前(2)

 

 出逢い

 由美子との出逢いは偶然でした。平成二年(一九九〇)頃、私は東京都新宿区に本社があった洋販(日本洋書販売配給、後に日本洋書販売に改称)という、外国の書籍・雑誌の輸入卸会社で経理部員として勤務していました。当時の洋販は業績好調で、売り上げは右肩上がりで推移していました。このまま推移すると、現状の経理部員だけでは、業務に支障をきたしかねない状況でした。テンポラリーセンター(既出)に連絡し、経理を任せられる女性を派遣してもらいました。

 

 最初に来てもらった女性は能力が高かったのですが、当社のやり方に何かとケチをつけ「やり方が違います!」と指摘するばかりでした。これでは周囲の人間とうまくやっていくことはできない、と経理部長と私が判断し、テンポラリーセンターに連絡し、他の人に代えてもらいました。二人目の経理担当の女性が、由美子だったのです。もし、最初の女性ですんでいたら、由美子と私の出逢いは永遠になかったかもしれません。まさに偶然でした。いえ、後から考えると必然だったのかもしれません。

 

 由美子は、膝上一〇センチ程のミニスカートをはいて出社してきました。由美子は脚線美の持ち主でした。経営者(創業者のうちの二人の副社長)は、由美子が毎日ミニスカートをはいて出社してくることに好感(?)を抱き、いつもニコニコしていたことが思い出されます。目の保養になっていたのでしょうね(笑)

 

 由美子は、私にとっても大いに気になる存在でした。由美子が近くにいるだけで職場が華やかになりましたから。徐々に、仕事を通じて話す機会が増えてきました。私が何か訊(たず)ねると、由美子はいつもにこやかに、ハキハキと答えてくれました。

 

やがて、気になる存在から、運命の出逢いを感じるようになりました。私はこの女性(ひと)と結婚するだろうと。偶然は必然だったのかもしれません。由美子と私はこの世で出逢うように運命づけられていたのでしょう。

 

私は決して、運命論者でもなければ、占いを信じる人間ではありません。それでもこの時は運命を感じました。由美子と結婚して、幸せな家庭を築いている自分たちを、外部から眺めている自分がいました。そうした想像の世界で戯れていました。幽体離脱ではありませんが、客観視していたのでしょうか? いいえ、そんなことはありません。

 

 やがて、私は想像の世界から現実の世界へ引き戻されました。

 (PP.46-48)

 

 

➳ 編集後記

第17回は「結婚前」の中の「出逢い」を書きました。

偶然がいくつも重なると、偶然はやがて必然になると体験を通じて考えるようになりました。

あなたは同様な体験をしたことはありませんか?

 

 

🔷 「結婚前」の中の「出逢うまで」を掲載します。🔷

 

タイトルは『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』

(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)です。

2016年1月25日 発行  

著者   藤巻 隆  

発行所  ブイツーソリューション

 

✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第16回)✍

 

「結婚前」の中の「出逢うまで」を掲載します。

 

 

結婚前(1)

 

 出逢うまで

 藤巻(旧姓鈴木)由美子は、昭和三十八年一月二日、東京都北多摩郡田無町(現・西東京市)で生まれました。当時は中野区(東京)に住んでいました。父・眞、母・マツエの長女です。兄は正彦です。東京都立久留米西高等学校を卒業後、大原簿記専門学校(現・大原)に通学し、日本商工会議所簿記2級(この資格は私と同じ)を取得しています。

 

 私も東京都立日比谷高等学校を卒業していますので、二人とも都立高校出身で、経理の資格も同じという共通点がありました。実はもう一つ共通点があります。血液型がO型です。血液型ですべてが決まるわけではありませんが、性格が似ていたとは言えるでしょう。O型は、良く言えば「おおらか」で、悪く言えば「大雑把」だそうです。

 

 由美子は、アパレル会社に勤務後、人材派遣会社テンポラリーセンター(現・パソナグループ)に登録し、派遣社員として働いていました。

 

 由美子は高校時代から「すずこ」と呼ばれていたそうです。旧姓が鈴木だったからです。最近になって分かったことがあります。由美子が大切に使っていたスマホ(スマートホン)を見て気づいたのですが、由美子自身が「すずこ」をハンドルネームに使っていたことです。本人も「すずこ」がとても気に入っていたことが分かります。

 

 由美子が使っていたスマホを名義変更し、現在私が使っています。由美子とのつながりを絶ちたくないと思ったからです。

 (PP.45-46)

 

 

➳ 編集後記

第16回は「結婚前」の中の「出逢うまで」を書きました。

 

由美子との共通点がいくつかありました。こじつけな点は否めませんが😁

今でも由美子が使っていたスマホの電話番号を継続して使っています。
とても記憶しやすく、良い番号だったことも理由です。

スマホの待受画面には由美子の若かりし頃の画像と、由美子と可奈が1歳になった時に一緒に撮った画像も使っています。

 

 

 

白黒素材【シルエットAC】

 

🔷 「私の想い」の中の「私にとって由美子はどのような存在だったのか」の後半を掲載します。🔷

 

タイトルは『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』

(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)です。

2016年1月25日 発行  

著者   藤巻 隆  

発行所  ブイツーソリューション

 

✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第15回)✍

 

「私の想い」の中の「私にとって由美子はどのような存在だったのか」の後半を掲載します。

 

 

私の想い(5)

 

 私にとって由美子はどのような存在だったのか

 経済評論家の勝間和代さんは(今までの話とは文脈が異なりますが)、与え続けることの例えとして、「giveの五乗」と言っています。Give, give, give, give and give.

 

 ひたすら与えなさい。いわゆる「Give & take」(持ちつ持たれつ)ではないと。

 

 私は、愛も同じではないか、と考えました。受ける愛ではなく、与え続ける愛が素晴らしい、と思います。愛し続けることが尊いのです。

 

 昔、『ある愛の詩(うた)』という映画が全世界で大ヒットしました。その映画の中に、こんな素敵な言葉がありました。

 

 Love means never having to say you’re sorry.

(愛とは決して後悔しないこと)

 

 直訳すれば、愛とは決して「ごめんなさい」と言う必要がないこと。人を愛するということは、見返りを求めないこと、一途であること、相手に引け目を感じないこと、支配しようとしないことではないか、と考えています。

 (PP.43-44)

 

🌟 「ある愛の詩」

https://eiga.com/movie/42233/

 

 

➳ 編集後記

第15回は「私の想い」の中の「私にとって由美子はどのような存在だったのか」の後半を書きました。

 

『ある愛の詩』の原題はLove Storyです。
ライアン・オニールとアリ・マッグロー主演の映画でした。泣けますよ。

「裕福で代々ハーバード大学出身という家柄であるオリバーは、家柄違いのラドクリフ大学(ハーバード大学関連の女子大学)のジェニーと恋に落ち、オリバーの父親の反対を押し切り結婚する。

2人が24歳になったある日、ジェニーの命が白血病で残り少ないことが判明し闘病生活に入る。オリバーは高額の医療費を自分の父親に求めるが、彼女の病状は好転せず亡くなってしまう。

オリバーと和解した父親との短い会話の中で「愛とは決して後悔しないこと」(Love means never having to say you're sorry)という生前ジェニーがオリバーに残した言葉をオリバーが語り、オリバーは2人の思い出の場所に行き、その場所を眺める」

(Wikipedia から)

 

 

 

白黒素材【シルエットAC】

 

 

🔷 「私の想い」の中の「私にとって由美子はどのような存在だったのか」の前半を掲載します。🔷

 

タイトルは『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』

(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)です。

2016年1月25日 発行  

著者   藤巻 隆  

発行所  ブイツーソリューション

 

✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第14回)✍

 

「私の想い」の中の「私にとって由美子はどのような存在だったのか」の前半を掲載します。

 

 

私の想い(4)

 

 私にとって由美子はどのような存在だったのか

 最愛の妻であったことは言うまでもありませんが、私の良き理解者であり、「唯一無二」の存在でした。そして、現在も未来もずっと「唯一無二」の存在です。なぜなら、由美子は一人娘の可奈を産んでくれ、二十一歳まで育ててくれた、この世で、いやあの世も含め、たった一人の女性だからです。私には、由美子の代わりはいません。私が本気で愛した女性は、由美子ただ一人だからです。

 

 誰がなんと言おうと、私にとって、由美子は最高の妻であり、最高の女性であり、最良の理解者です。過去形ではありません。永遠にそうです。今、一番逢って話したい人です。

 

 「永遠の愛なんてあるのかな?」と考えたことがあります。

 今なら言えます! 断言できます! 永遠の愛は存在する!

 

 「愛」という字の中には、「心」が真ん中にあるので真心で、「恋」という字の中には、「心」が下にあるから下心だ、と言った人がいます。由美子への想いは、もちろん「愛」です。

 

 永遠の愛は存在する! ダサいと言われそうですが、そう固く信じています。

 

 愛には、「夫婦愛」「親子愛」「家族愛」「異性愛」「同性愛」「動物への愛」「植物への愛」があります。他にはモノに対する愛もあるかもしれません。見返りを求めないことが真の愛だ、と考えています。見返りを求めるということは打算です。打算はすべてが計算の上に成り立っています。それは、愛ではありません。自己都合を第一とした考え方です。「利己」です。「利他」ではありません。ただひたすらに、相手のことを思いやり、見返りを一切求めず、与え続けることです。与え続けるのは、モノではありません。心です。愛です。

 

 瀬戸内寂聴さんは、『生きることは愛すること』(講談社文庫 二〇一〇年七月一五日第一刷発行)の中で仏教における二種類の愛について語っています。

 

 「愛は、仏教では『渇愛(かつあい)』と『慈悲』にわかれます。

 『渇愛』というのは、煩悩(ぼんのう)の中に入ります。これはいくら愛してもらっても、いくら愛してもらっても足りないのです。(中略)『渇愛』は見返りを要求します。わたしはこれだけ愛しているのだから、あなたはそれに利息をつけて返してちょうだいという愛です。だから、つねに満足していない。もっともっと愛してという思いがつきまといます。

 『慈悲』のほうは、まったく無償の愛です。自分はその人を愛するけれども、相手からその見返りを要求しない。期待もしない。これは人間にはできないですよね。それは仏の愛とか神の愛になります。だけど、そういうものがあるということを知って、それに近づこうと努力することはできます」(前掲書 一一四~一一五ページ)

 (PP.41-43)

 

<次回に続きます>

 

 

➳ 編集後記

第14回は「私の想い」の中の「私にとって由美子はどのような存在だったのか」の前半を書きました。

永遠の愛は存在するのか? そんな哲学的な命題を考える機会を得ました。結論は出ないですね。「渇愛」と「慈悲」という二項対立は永久に交わることはないでしょう。

 

 

 

写真素材素材【写真AC】

 

 

🔷 「私の想い」の中の「口ずさんでいる歌」を掲載します。 🔷

 

タイトルは『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』

(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)です。

2016年1月25日 発行  

著者   藤巻 隆  

発行所  ブイツーソリューション

 

✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第13回)✍

 

「私の想い」の中の「口ずさんでいる歌」を掲載します。

 

私の想い(3)

 

 口ずさんでいる歌

 私が毎日、口ずさんでいる歌があります。大瀧詠一さんが作詞、作曲した『夢で逢えたら』です。歌詞がとても良いです。私の現在の心境を語っているように感じました。ただ、この曲をどのような経緯で知ったのか、記憶が定かではありません。

 

 病室で由美子と私が一緒にテレビを観ていたときに、このメロディーがかかり、私が「いい歌だな」と思ったのか、あるいはYouTubeで偶然見つけたのか、今となっては思い出せません。経緯がどうであれ、私にとって『夢で逢えたら』は、現在の私のナンバー1ソングです。

 

 いろいろな人がカバーしていますが、私は元ラッツ&スターのヴォーカルだった鈴木雅之さんが一番いい、と思っています。この歌を知るまでは、ラッツ&スターにも鈴木雅之さんにも関心がありませんでした。ところが、YouTubeで聴いてみたら、心の中にスーッと入ってきたのです。歌詞が心の中に沁(し)みこんできたのです。メロディーも自然な感じで、良かったですね。この歌を知ることも運命だったのかもしれません。こんな体験は初めてのことでした。初めての経験を短期間で幾度もしました。

 

 

 とりわけ、入院七日目(二〇一五年七月二十七日)に、主治医から由美子の病状の説明を受けた後だっただけに、より強烈な印象を持ったのでしょう。主治医からの重大な説明は後述します。

 

 『夢で逢えたら』は名曲です。

 一度お聴きになれば、きっと心の底で何かを感じることができると思います。この曲を口ずさむと、涙がこぼれ出し、なかなか止まりません。娘の可奈に「いつまでも、めそめそしていてはダメだよ。ママがかわいそうだよ」とよく叱られます。しかし,この曲を聴き、口ずさむと、自然と涙がこぼれ始めるのです。自分の意思ではどうすることもできません。自分がこんなにも弱い人間であったことに気づき、正直、驚きました。一言で表現することは難しいですが、“慟哭”が近いかもしれません。

 

 かわいそうだ。 哀しい。 淋しい。 つらい。 胸が張り裂けそうだ。

 

 私の気持ちとは対照的に、由美子は不治の病と対峙し、心の苦しみとも闘っていました。それを思うと、私のつらさなど比べものになりません。ちっぽけなものです。それでも、深い悲しみは、そうたやすく癒やされるものではありません。

 

 Time is the great healer. (時が癒してくれる)という諺があります。時間が解決してくれる、と言い換えてもよいでしょう。しかし、事によりけりです。もしかしたら時間に解決させてはいけない、風化させてはいけない、という強い気持ちが私を突き動かし、この本を書かせたのかもしれません。いや、そうとばかりは言えません。由美子が私に書かせたと言うべきでしょう。そう考える方が自然です。由美子の魂が私に憑依(ひょうい)し、由美子が書いたのかもしれません。私は、むしろそのように考えています。

 

 この本は、間違いなく、由美子と私の共著です。

 

 (PP.38-41)

 

 

➳ 編集後記

第13回は「私の想い」の中の「口ずさんでいる歌」を書きました。

『夢で逢えたら』は歌詞がとても良いです。目を閉じて聴くと、想像の世界でその状況を実体験できます。頭の中でVRのような体験をしてみてください。

 

 

 

写真素材素材【写真AC】