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藤巻隆(ふじまき・たかし)オフィシャルブログ

私のテーマは6つあります。
(1)ビジネス書の紹介(2)医療問題 (3)自分ブランド力
(4)名言 (5)ランキング (6)ICT(情報通信技術)
このブログでは、主に(1)~(4)を扱っています。
(5)と(6)はそれぞれ別のタイトルで運営しています。

🔷 「私の想い」の中の「涙はどれだけ出てくるのでしょうか?」の後半を掲載します。 🔷

 

タイトルは『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』

(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)です。

2016年1月25日 発行  

著者   藤巻 隆  

発行所  ブイツーソリューション

 

✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第12回)✍

 

「私の想い」の中の「涙はどれだけ出てくるのでしょうか?」の後半を掲載します。

 

私の想い(2)

 

 涙はどれだけ出てくるのでしょうか?

 この原稿を書きながら泣いたことも、数え切れないほどあります。泣き出すと、文章が書けなくなります。しばらく時間をおかないと、再開できませんでした。「自分はなんて弱い人間なんだ。情けない男なんだ」、とつくづく思います。自己嫌悪に陥っています。

 

 でも、一度考えてみてください。最愛の妻を失っても「平常心」を保っていられる夫が、いったいどれだけいるでしょうか? もし、そのような状態にあっても「平常心」を保っていられるとしたら、人間ではありません。もしくは、それほど愛情を感じていなかったためでしょう。どんな時でも平常心を保っていられるのは神か仏しかいない、と考えてしまいます。普通の人間が、如何なる場合でも平常心を保っていられる(ように見える)のだとしたら、人知れず耐え忍んでいるか、あるいは演技をしているのか、のどちらかでしょう。今の私には、とても平常心を保つことはできません。

 

 人間の弱さを実感したのは初めてのことかもしれません。自分自身のことであれば、どんなに苦しく、つらくても耐えることはできるかもしれませんが、最愛の妻を亡くした(死なせた)という罪悪感が、私を苦しめます。心の葛藤とどう向き合っていくかが今後の大きな課題となります。

 

 五木寛之さんは『生かされる命をみつめて 見えない風編』(実業之日本社 二〇一五年一〇月十五日 初版第一刷発行)の中で、日本人が泣かなくなったことについて語っています。

 

 「がんの患者さんたちに落語や漫談を聴かせることによって、自然治癒力を活性化させようという試みがあると聞きます。笑うことは大切ですし、ユーモアは人間の精神に弾力性を与える、不可欠の精神です。『笑う門には福来る』というのも本当のことなのです。

 本当のことではありますが、じゃあ、泣けば不幸になるのか。悲しむことによって人間はマイナスを受けるか。憂(うれ)いを感じ、暗い気持ちになり、絶望を噛(か)みしめるということによって、人生というものはそのように悪化していくのか、ということを考えますと、かならずしもそうではないように思います。

 というより、悲しむということを忘れた人間に、本当の意味での喜びなどというものがあるのだろうか」(前掲書 七八~七九ページ) 

 (PP.36-38)

 

 

➳ 編集後記

第12回は「私の想い」の中の「涙はどれだけ出てくるのでしょうか?」の後半を書きました。

平常心を保つことは難しいことですし、悲しむことを忘れないことが、喜びを実感できるのではないかと感じ入りました。今回の内容を振り返ってみますと、悲しみと喜びは感情の両端にあり分離された感情ではなく、併存する感情ではないかと考えています。

 

 

 

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🔷 「私の想い」の中の「由美子に感謝していること」と「涙はどれだけ出てくるのでしょうか?」の前半を掲載します。 🔷

 

タイトルは『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』

(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)です。

2016年1月25日 発行  

著者   藤巻 隆  

発行所  ブイツーソリューション

 

✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第11回)✍

 

「私の想い」の中の「由美子に感謝していること」と「涙はどれだけ出てくるのでしょうか?」の前半を掲載します。

 

私の想い(1)

 

 由美子に感謝していること

 なんと言いましても、可奈を産んでくれ、二十一歳まで育ててくれたことと、ダメ亭主の私に愚痴一つ言わず、最後までついてきてくれたことです。

 

 近所のコンビニでパートすることになったのは、私に代わって働こうとした由美子の責任感の強さを示すものです。私のあまりの不甲斐なさに、業を煮やしたのかもしれません。さらに、預金や保険などのお金に関する重要なことをきちんと整理しておいてくれました。どこを見てどのような手続きをしたらよいか、分かるようにしておいてくれました。いくら感謝しても感謝しきれません。

 

 面会に行った時、ただそばにいるだけで何もできない私を気遣い、「タカシにはタカシの良いところがあるからいいよ」という優しい言葉をかけてくれました。その言葉が今でも耳の中でこだましています。この言葉で、由美子にどれだけ救われたことでしょう。思いやりのある優しい妻であり、女性であり、良き理解者でした。その一方で、私は、妻を護ることができなかった情けない夫です。

 

 

 涙はどれだけ出てくるのでしょうか?

 涙はいったいどれだけ出てくるのでしょうか? 由美子が不憫で、悲しくて、毎日、泣いています。満五十二歳でした。あまりにも早すぎました。

 

 実話に基づいて、映画化やテレビドラマ化された『1リットルの涙』をご存じでしょうか? 難病と闘った少女の日記が元になっています。二十五歳で亡くなったことが原作本に記されています。早逝でした。

 

 原作『ラスト・レター「1リットルの涙」亜也の58通の手紙』の中からいくつか引用します。由美子の気持ちを推しはかると、亜也さんの言葉は、由美子が言おうとした言葉と二重写しになります。深く考えさせられました。

 

 「ようこちゃん、逃げないで!

 つらいことや苦しいことから。

 楽しいこともなくなってくよ。

 めんどくさいなんていわないで下さい。

 以上、おしつけがましいかもしれんけど、わたしからのお願いです(きっと九日の私のダラケた気分が移ったんだねゴメンよ)。」(前掲書 六二ページ)

 

 「病気が進行して いつの日か書くことも話すこともできなくなることが怖いけど自分にはわかっている・・・・・・それもあまり遠くない日に・・・・・・」(前掲書 一七一ページ)

 

 実際に1リットルの涙が流れるのかどうかは分かりませんが、私にとって、由美子がこの世から去ったことは、それ以上の悲しみです。

 

 何度号泣したことでしょう。慟哭したこともあります。泣いても、泣いても、泣いても、涙が溢れてきて止まりません。由美子がいなくなって、胸の中にポッカリと大きな空洞ができてしまったようです。その空洞が、日増しに大きくなっていく気がします。それだけ由美子の存在は、とても大きく、重く、重要なことだったのです。由美子がいなくなって、嫌というほど思い知らされました。

 

 (PP.34-36)

 

 

➳ 編集後記

第11回は「私の想い」の中の「由美子に感謝していること」と「涙はどれだけ出てくるのでしょうか?」の前半を書きました。

 


目をつぶって当時のことを思い出そうとすると、つぶったまぶたの間から涙が溢れ出してきます。悲しませてしまい申し訳ございません。

 

 

 

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🔷 「由美子が遺してくれた大切なもの」の中の「一人娘の可奈」を掲載します。 🔷

 

タイトルは『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』

(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)です。

2016年1月25日 発行  

著者   藤巻 隆  

発行所  ブイツーソリューション

 

✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第10回)✍

 

「由美子が遺してくれた大切なもの」の中の「一人娘の可奈」を掲載します。

 

由美子が遺してくれた大切なもの(3)

 

 一人娘の可奈

 由美子は可奈を産み、二十一歳までしっかり育ててくれました。一人っ子のため、多少わがままで、内弁慶のところがありますが、ある程度は仕方がないでしょう。前向きで頑張り屋なところは由美子譲りです。由美子は、可奈に料理を教えてこなかったのですが、可奈は「豚肉の生姜焼き」には自信があるようです。どなたかに召し上がっていただいた際、好評だったとか。私はまだ食べたことはありません。

 

 「自家製クッキー」を作ってくれたことがありました。見た目が美味しそうで、実際口にすると、甘く、香ばしく、お世辞抜きに美味しかったですね。お菓子屋さんで働いてみたいという希望を持っていて、自分で勉強しています。

 

 平成二十七(二〇一五)年四月一日から、⚪⚪⚪警察署で遺失物を担当する警察事務職員(地方公務員)として勤務しています。

 

 職場に恵まれ、上司や同僚に可愛がられ、またしごかれているかもしれません。母親がいなくなり、家庭内で煩雑な家事を教える者がいなくなりましたが、職場で「社会のルール」を教えられ、鍛え抜かれ、あらゆることを身につけていくことでしょう。

 

 可奈が幼少の頃の写真を見ますと、由美子によく似ていると感じますし、成人後も膝から下は、よく似ていると思います。「やはり、母娘(おやこ)だな」と思います。それだけでなく、最近、「顔つきや表情がいっそう由美子に似てきたな」と感じています。私も嬉しく思います。由美子の高校時代のクラスメートの方たちからも「似てる!」と言われ、本人もまんざらではない様子が窺われます。

 

 由美子の長所を引き継ぎ、伸ばしていって欲しい、と願っています。他人(ひと)と比較するのではなく、「過去の自分」と「現在の自分」、「現在の自分」と「未来の自分」を比較し、成長していくことが大切と考えています。個性を大事にしつつ、「守破離」によって、自己を確立していって欲しいと願っています。きっと、私が望む以上に成長してくれると信じています。

 (PP.32-33)

 

 

➳ 編集後記

第10回は「由美子が遺してくれた大切なもの」の中の「一人娘の可奈」を書きました。

可奈は、由美子が他界してしばらく経ってから警察を辞め、IT企業に転職しました。

 

可奈には「お前の人生だからお前の好きなようにしろよ。お前が選んだ人なら一切反対しないぞ」と言ってありました。

可奈は去年(2021年)12月後半に入籍し、家を出ました。

 

 

 

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🔷 「由美子が遺してくれた大切なもの」のうち「決して忘れることのできない思い出」の後半を掲載します。 🔷

 

タイトルは『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』

(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)です。

2016年1月25日 発行  

著者   藤巻 隆  

発行所  ブイツーソリューション

 

✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第9回)✍

 

「由美子が遺してくれた大切なもの」のうち「決して忘れることのできない思い出」の後半を掲載します。

 

由美子が遺してくれた大切なもの(2)

 

 決して忘れることのできない思い出(2)

 以前から、由美子と二人で、もう一度、旅がしたいという夢を持っていました。その夢は儚(はかな)く潰(つい)えました。永遠に叶えられなくなりました。

 

 いえ、そうではありません。一つだけ可能性があります。私があの世に行き、由美子と再会できれば、時空を超越して旅を続けることが可能です。肉体は滅んでも、魂は永遠に生き続ける、と信じています。

 

 由美子の実体はもはやこの世にありませんが、仏となった由美子の魂は、私の心の中でずっと生き続けています。できることなら、今すぐ、夢の中で逢いたい! 話したい! 夢がいつまでも覚めないことを願いつつ–––––。

 

 そうした意味で、写真はいつまでも当時のことを鮮やかに思い出させてくれるものです。写真の中で人間は生きています。由美子と可奈、そして私の思い出がいっぱい詰まったアルバムを三冊作りました。このアルバムを一ページずつゆっくりめくりながら、当時を懐かしんでいます。しかし、由美子のことを思うと、つらくなって泣いてしまいます。新婚時代の数々の写真、可奈が生まれてから成長する過程を撮った写真、が大半を占めています。残念なことは、近影がなかったことです。由美子は写真を撮らせてくれなかったのです。入院する以前の、健康で、はつらつとした表情の由美子を撮ることができなかったことは、とても残念に思っています。

 

 入院中の由美子を撮影するつもりはありませんでした。点滴チューブや、腹水を抜くためのチューブを、腕や腹部に挿している姿を撮られたくないと思うのは当然のことだからです。私が由美子と同じ状況にあったら、断固として拒否します。ましてや、女性であれば嫌悪感を抱くのは言うまでもありません。

 

 「己の欲せざることは人に施すことなかれと」「己の欲することを人に施せ」という言葉があります。自分がされて嫌なことは他人(ひと)にしてはいけないのは当然のことですし、自分がして欲しいことを他人(ひと)にしてあげることも大事でしょう。ただし、自然体であることが重要ですね。

 

 (PP.30-32)

 

 

➳ 編集後記

第9回は「由美子が遺してくれた大切なもの」のうち「決して忘れることのできない思い出」の後半を書きました。

 

アルバムを見ると、当時のことが映像とともに音声まで聞こえてくると感じることがあります。スティール写真ですが、動画のような映像となって蘇ってくるという感覚はご理解できますか?

 

 

 

 

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🔷 「由美子が遺してくれた大切なもの」のうち「決して忘れることのできない思い出」の前半を掲載します。 🔷

 

タイトルは『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』

(ハードカバー 四六版 モノクロ264ページ)です。

2016年1月25日 発行

著者   藤巻 隆

発行所  ブイツーソリューション

 

 

✍『由美子のいなくなった夏 亡き最愛の妻への想い』(第8回)✍

 

「由美子が遺してくれた大切なもの」のうち「決して忘れることのできない思い出」の前半を掲載します。

 

由美子が遺してくれた大切なもの(1)

 

 決して忘れることのできない思い出 前半

 宮部みゆきさんの『火車(かしゃ)』に次の一節があります。

 

「死者は生者のなかに足跡を残していく。

 人間は痕跡(こんせき)をつけずに生きてゆくことはできない。脱ぎ捨てた上着に体温が残っているように。櫛(くし)の目の間に髪の毛がはさまっているように。どこかに何かが残っている」(『火車』 新潮文庫 平成十年二月一日発行 平成十一年一月三十日 十一刷 二六五ページ)

 

 病室で、由美子がベッドで、長時間同じ体勢でいたため、お尻が床ずれを起こしたことがありました。とても痛がり、お尻の下にクッションを敷いてあげたのですが、それでもつらいらしく、体勢を変えて欲しくて、私に声をかけました。

 

 「看護師さんのやっているところを見て、同じようにしてくれないかな」

 

 もちろん、私は一般人ですから、医療スタッフのようにうまくやれるはずがありません。それでも、なんとか由美子を抱き起こし、少しでも痛みが和らぐように由美子を少し持ち上げ、由美子の身体の位置をずらしました。持ち上げた時の由美子の重みが両腕に残っています。うなじから漂う、芳香が鼻腔に残っています。

 

 由美子が入院した日(二〇一五年七月二十一日)から毎日、私は面会の最終時刻、午後八時になると、由美子のベッドの横に立ち、由美子の目の高さに視線を合わせるため中腰になり、由美子の左手を両手で優しく握りました。由美子の手の柔らかさと温もりが両手に伝わってきました。今でも、由美子の左手の柔らかく、温もりのある感触が両手に残っています。由美子の元を去りがたく、両足は鉛をつけたかのように重く感じられ、歩くのがつらかったことを思い出します。退室する前に、「明日も、また来るからね!」と声をかけることを忘れませんでした。そして、病室を後にしました。

 

 由美子が遺してくれたものは、「いつまでも心に残る、非常に多くの思い出」です。

 

 この本を書こうと思い立ったのは、由美子との「決して忘れることのできない思い出」を、書き残そうと思ったからです。

 

 由美子がいてくれたから、私は安心して、家事一切を由美子に任せることができました。由美子は外で仕事をしながら、きちんとやってくれました。私が文句を挟む余地はまったくありません。由美子がいてくれたから、私は頑張ることができました。由美子がいなくなって、これから先、どうしたら良いのか、途方に暮れています。 

(PP.28-30)

 

次回に続きます。

 

 

➳ 編集後記

第8回は「由美子が遺してくれた大切なもの」のうち「決して忘れることのできない思い出」の前半を書きました。

このシーンを思い出すと涙が自然に流れてきます・・・。

 

 

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