217号室のドアの直前で足音がやんだとき、Sはすでに玄関に向かっていた。ノブを回して開けてやると、目の前に五、六歳くらいの男の子が立っていた。Sの顔を見上げて「あそんでよ」と黄色い声を弾ませた。
Dのたった一人の孫・Yは、Sが高校を卒業した年、Dの一人娘の一人息子として生まれていた。以後、Dの溺愛の対象になった。
Sが自分よりずっと年下のYと接触があったのは、社会人になってまもなくのころだった。数年たってからは、その成長をDやその娘(Yの母)からきくだけで、顔を合わせる機会は次第に失われていった。だからこそ、Yが成人になって、社会で活躍を始めた矢先に不慮の事故で亡くなったという知らせを耳にしたときのSは、衝撃が大きかった。
「ねえ、おさんぽしようよ」
まだ幼さの残る言葉遣いの幼年Yは、階段室に出てきたSの手を引っぱった。外が不意にほの明るくなった。夜が明けたという感じではなかった。夕暮れとも違う。世界がいきなり簿明に包まれたような不思議さだった。空全体に厚い雲がかかっていた。
まだ幼児だったころのYしか記憶にないSは、一挙に再び二十代半ばに戻ったような体感を得ていた。ぐいぐいと手を引かれながら外に出て、辺りに人の気配がまるでない団地の全貌を見渡した。静けさが際立った。
団地の北側には駅のホームと線路が位置していた。線路と並行して走っている車道は、いつも人や車の往来が頻繁だった。ところがいま、その辺りはどこもかしこも無人で、街が立てる喧騒一つ流れてこなかった。
幼年Yと並んでSは、団地の北西にある出入口に近づいていった。そうだ、このまま歩いていって団地の外に出てみよう。街がどうなっているか、Sは強い興味を引かれた。
不思議が起きた。いくら歩いても鉄道のホームと線路を背景にした団地の出入口まで、二人はたどり着けないのだった。(続く)




