たからしげるブログ

たからしげるブログ

つれづれ思うことどもを不定期で発信しています。

 酷暑の日中、クーラーの涼しい空気を求めて書店に飛び込んだ。


 読みたい本が山ほどあっても、財布がなかなかその気になってくれない。


 おもしろそう、買いたいなあと思う一冊を次々と手にとって、しばらく立ち読みを続けた末、まあいいかと書棚に戻す。


 そんな行為を繰り返していくうちに、本書に出会い、財布もその気になってくれた。


 奥野修司著『死者の告白』(講談社・1600円+税)だ。


 副題が「30人に憑依された女性の記録」とあって、とっさに思い浮かべたのはダニエル・キイスの『24人のビリー・ミリガン』のような多重人格ものだった。


 奥付を見ると「二〇二一年七月一三日 第一刷発行」だから、まだ出たばかりだ。

 

 ページをぱらぱらとくってみると、多重人格とは少し違って、除霊の記録らしい。


 世の中には、死者の霊魂をみたり、話をしたり、自分の肉体に憑依させたりできる、いわゆる超能力者がいるという。


 科学的には何一つ証明されてはいないものの、人は死ぬと肉体は滅びても、そこから霊魂が抜けだして、あの世をめざす……?


 しかし、この世に強い未練を残した死者の霊魂は、あの世にいくのをためらって、そうした超能力がある相手の肉体に憑依することが、よくあるそうだ。


 本書には東日本大震災後、30人以上の死者の霊魂に憑依された宮城県の20代の女性・高村英(たかむら・えい)さんが、同県栗原市にある曹洞宗の古刹・通大寺の金田諦應(かねた・たいおう)住職に依頼して、さまざまな死に方をした相手の「除霊」を実施した記録のうち13例が記されている。


 多くが、震災で命を失った者たちだった。


 信じる、信じないは別にして、世の中には実際にこうした異様な現象が起きているのだという事実には心底、瞠目させられる。

 

 

 

 

 海にいってきた。

 

 最初は、いくつもりがなかった。


 この猛暑日に、紫外線が注ぎまくる日中の海辺になんかいけば、たちまち熱中症にかかって倒れそうな気がした。


 でも、娘の夫・Kくんに誘われると、断る理由が見つからなかった。


 4歳の子(孫娘)を連れていくのに、二人だけでいかせるのは、少しかわいそうだ。


 娘は、二人目の子の予定日を過ぎている。


 いっしょにいきたくても、いけない。


 すると、本当に久しぶりに夏の海辺を歩いてみたい、という気がしてきた。


 海にいくなんて、何年ぶりだろう。


 この機会を逸したらもう、いけないかもしれない。


 車に乗せて連れていってくれるという。


 ただ、いくだけでよかった。


 で、朝5時半に起きて、6時半にKくんの車に乗せてもらって出発した。


 コロナ禍の影響で、房総半島の多くの海岸が遊泳禁止、進入禁止となっていたが、Kくんがめざした海岸は車が止められた。


 海辺に降りて、波と戯れることができた。


 寄せては返す波の音が現実になった。


 Kくんは日焼け止めクリームも、紫外線よけの簡易テントも、休憩用の折りたたみ椅子も、帽子も、着替え用の服も、つまりその、海へいくために必要なほとんどすべての用具を用意してくれていた。


 初めは海は見るだけにして、海水には浸からないつもりだったけれど、実際に海を間近に見ると、そういうわけにもいかなかった。


 顔と首と腕は、日焼け止めクリームを何重にも塗りたくったので、無事だった。


 サンダルをはいていた両足の甲にクリームを塗り忘れていた。


 耳なし芳一の、お経の書き忘れじゃないけど、いまや、立って歩けないほどの重度な日焼けに苦悶している。

 

 


 
 

 フカシギ(不可思議)について考える。


 1999年12月、ポプラ社という版元から「フカシギ系。」シリーズの第一巻『しゃべる犬』(東菜奈・絵)を出していただき、児童書界のデビューとなった。


 当時は新聞社の文化部記者としての日々を送っていたが、休日ともなると、家にこもって、子どもたちに向けてのお話を勝手気ままに書くのが、何よりの楽しみだった。


 自分で書いたお話が一般読者に向けて活字になった最初は、1966年の春だった。


 高校生だったぼくは、兄の影響もあって、早川書房が出している空想科学小説誌「SFマガジン」を毎月愛読していた。


 その裏表紙に「パイロットSFコーナー」という企画があって、800字以内のSFショート・ショート作品を公募していた。


 毎月1篇、選ばれた作品が活字となって掲載され、スポンサーのパイロットからはノック式万年筆と薄謝がもらえる。


 応募したのは、そのとき1回だけだった。


 選ばれるわけもないと期待すらしていなかったが、ある日、銭湯帰りに立ち寄った書店で「SFマガジン」の最新号を買おうと手にとり、無意識に裏を返して驚いた。


 自分の書いた作品が活字になっていた。


 しかも、大好きな「星新一氏 選」で。


 後日、星さんとぼくは誕生日が同じだと判明して、ますますのファンになっていく。


 その後、長い間、書くより読むほうが夢中の時期があったが、新聞記者になってから物語を書く楽しみがよみがえったのは、記事(実際の出来事、ニュース)ばかりを書かされてきた反動かもしれない。


『しゃべる犬』のそでには、こう書いた。


〈フカシギ(不可思議)とは、①10を64回かけた数 ②考えれば考えるほどわからなくなって、夜も眠れなくなってしまうくらい不思議な事件 ③言葉でいえないくらい怪しくて、想像できないくらい異様な出来事〉と。

 

 

 

 

 

 ナイトメアとは「悪夢」のこと。


 悪夢それ自体のほかに、悪夢のような出来事、体験、人などにも応用される。


 子どものころ、怖い夢をみたり、実際に怖い目にあったりした記憶は、いまでもいくつか鮮明に覚えているものがある。


 正体不明の、毛むくじゃらの怪物に追いかけ回されて、逃げ場がなくなってしまう。


 学校の帰りに、いつも通る神社の境内までやってくると、社務所の屋根に煙突が突き出ていて、中から白い手がにゅーっとのびてくると、どんどん長くなって追いかけてくる。


 でも、よく考えると、学校帰りに神社の境内なんか通ることはなかった(汗)。


 知らない街にやってきていて、家に帰る道がぜんぜんわからない。


 実際に体験した悪夢では、遠足で満員電車に乗っていて腹痛に襲われ、少しのがまんと思っていると、いきなり信号停止する。


 いくらたっても、動き始める気配がない。


 銭湯にいって体を洗っていると、となりに知らないおじさんがやってきて、気持ちの悪い目でじろじろながめながら、背中を流してあげるよなどといいだす。


 進入禁止の広場で野球をしていると、狂暴そうなシェパードを連れた守衛が自転車に乗って見回りにきて、こら、おまえたち! と怒鳴りながら近づいてくる。


 全員、蜘蛛の子を散らすような逃亡態勢に入るが、守衛とシェパードは自分ひとりに的をしぼって、一直線に追いかけてくる。


 バスに酔って、下車したとたん、道路に吐瀉物をぶちまける。


 車に何度も挽かれてぐちゃぐちゃの毛皮ミンチになった猫の死体をみつける。


 え、東京五輪の強行と無観客も?


 まあね、どれもこれもナイトメアだ。


 そうした怖い夢をみたり体験したりしたことがない子どもなんて、いやしない。


 ナイトメアは生きる起爆剤なんだろうな。

 

 

 

 中国の武漢で発生した新型コロナウイルス感染症(COVIT-19)が、あっという間に世界各地に広まってから、もうどれくらいがたっただろう。


 その感染力、株の変異力はすさまじく、待望のワクチンはできたものの、いまだに終息のめどがたっていない。


 3月に上梓した『伝記を読もう 北里柴三郎』(立花まこと画・あかね書房・税込1650円)は、江戸時代に生まれて、明治から大正にかけて活躍し(昭和の初めに没)、後に「近代日本医学の父」と呼ばれるようになった一細菌学者の生涯を追っている。


 児童向きではあるが、一般の方々が手にしても、柴三郎という人がどんな学者で、わが国ばかりではなく世界の医学界に対してどのような業績を残したかが、ざっとわかるような構成になっている。


 本を出すきっかけは、2024年の上半期から刷新されることになっている千円札の肖像画が、従来の野口英世から柴三郎へ変わることが決まったからだ(同様にして五千円札は樋口一葉から津田梅子に、一万円札は福沢諭吉から渋沢栄一に変更となる)。


 しかし、副題「伝染病とたたかった不屈の細菌学者」が示す通り、本書は新型コロナウイルス感染症という伝染病が猛威を振るう現在、多くの方々に興味を持って読んでもらえる内容ではないかと自負する。


 もし、柴三郎のような人がいまの日本にいたなら、どんな行動を起こしただろう?


 最後の切り札といわれる非常事態宣言を何度もくり返して発出し、国民の半数以上が反対したにもかかわらずオリンピックの開催を強行しようとしている政府に対して、どのような態度で臨んだか。


 一私人の力が国を動かすことなどできるわけがない、と肩を竦める人は多いだろう。


 本書を一読すれば、果たしてそうだろうかと、思い直す人が出てくるかもしれない。

 

 

 この世に生きている限り、不可思議体験をしたことがない人なんて、いるわけがない。

 

 そもそもの不可思議体験の始まりは、たったいま、自分が「この世に存在している」という事実ではないだろうか?


 なぜ、この父親だったのだろう。


 なぜ、この母親だったのか。


 自分が自分であるという意識は、いったいどこからやってきたものなのか。


 いくら考えても、理路整然とした正解を得ることなんて、できやしない。


 だが、人生最大の不可思議体験といえば、忘却ではないか。


 それが何か特別の時間だったのではない限り、例えば1年前の今日の午後2時15分から20分のあいだ、自分はどこにいて、どのような行動をとっていたか、ビデオが再現するように、瞬時に詳細に記憶をよみがえらせることのできる人なんか、いやしない。


 人は息を吸って吐くように、次々とものを忘れていく。


 これほど自然な不可思議体験はない。


〈忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ……〉


 1950(昭和二十五)年、こんなナレーションで始まる菊田一夫原作のラジオドラマ「君の名は」が大ヒットした(という)。


 いまでは、顔をよく知っている相手に対しても、ときどきこのタイトル+「?」がでてきてしまう人は少なくないのでは?


 痴呆、認知症、アルツハイマーなど、度を超えた忘却を病気と断じるのは、それによって日常生活や健康に新たな被害がもたらされる危険性が生じるからだろう。


 それさえなければ、忘却は心を正常に保つ自然現象だといっていい。


 それにしても、忘却によって記憶から抜けだした意識は、どこへいったのだろう。


 宇宙のどこかに、人々が忘却した意識を蓄積・貯蔵している星があるかもしれない。

 

 

 怖い夢をみてうなされた。


 目がさめると、うなされたことは覚えていても、夢の中身は雲散霧消している。


 家人が、どんな夢だったの? と訊いてくるが、うまく答えられない。


 ただ、怖くて不可思議だったという思いだけが、いまも心臓をふるわせている。


 どんな夢だったか、あえて具体的に答えてみせるのは、作家の仕事かもしれない。


 そうだ、これは作家の仕事だよね。


 ナイトメア(悪夢)を、眠っているときだけの世界から解放してやろう。


 フカシギの要素をいくつも、いくつもまとわりつかせながら。


 子どもたちは、怖い話が大好きだから。


 夜、夢の中でうごめく恐怖(ナイトメア)には、どうしてそうなるんだろうという不可思議(フカシギ)が欠かせない。


 これまでにいくつもの、そんな物語を、自分勝手に書き溜めてきた。


 出版社がほしがるかどうかは別として。


 書くのは自由だからね。


 すると、そんな話が大好きな、お世話になりっぱなしの編集者さんに思いが通じた。


「同好会を作りましょう」


「同好会って?」


「子どもたちに向けた、怖くて不可思議な世界の発表、披露、展示、展覧、朗読、実演、疑似体験、そしてもしかしたら実体験も……」


「悪夢の不可思議同好会」


「うん。もっとスマートにいうと?」


「ナイトメアのフカシギクラブ」


「それ、それ、それ」


 で、出し物の選択と吟味と補修に入った。


 新作もずいぶん生まれた。


 一篇一篇、怖さに磨きをかけ、不可思議さに張りと光沢を与える作業が続いた。


 出品作が決まったら、会員を募集しよう。


 現在、クラブの立ち上げ準備中。


 9月になったら、オープンの予定だ。

 政府はオリンピックを強行するという。


 コロナ禍でのオリンピック開催を、国民の過半数、医療従事者の大多数が反対しているにも関わらず、だ。


 一度、政権をとってしまえば、選挙民や専門家の意見など踏みにじってでも、自分たちのやりたいようにやろうとする。


 自分たちの利権こそが最優先される。


 この醜悪さは、どこから生まれてきているのだろう。


 人の顔をとやかくいいたくはないのだが、若いころの菅義偉の顔は、好きでも嫌いでもなかった。


 世の中にいくつもある顔の一つだった。


 面識がないから、それ以上のことも、以下のこともいえない。


 ところが、安倍政権の官房長官になってから、その顔にだんだん不快さを漂わせるような要素が加わってきた。


 飽くまでも主観の問題ではある。


 長かった安倍政権が終わりを告げて、新総裁に菅さんがなると決まったとき、正直いって、こんな顔の男が日本のリーダーになっていいのだろうかと、不安と疑念を抱いた。


 人の顔は心を映すという。


 心とは、その人自身のものと、それを見る人のもの、両方にかかっている。


 好きになった相手の顔は、美しく快い。


 嫌いになった相手の顔は、急に醜くなる。


 人は大人になったら、自分の顔は自分で作るものだ、とよくいわれてきた。


 たどってきた人生の苦楽の跡が、そこに刻まれている。


 犯罪者の顔は醜くても、罪を悔いて更生した者の顔は爽やかだ、ともいう。


 顔の構造自体に変わりはないのに。


 その第六感的指摘は、結構当たっている。


 ここにきて菅総理の顔からは、譬えようのない醜悪のオーラが放たれている。


 人としての愛しさが、あまり感じられない。


 

 5月28日(金)午後4時20分ごろ、愛鳥・ちゅんぎーが静かに、青空の彼方へとび去った。


 2014年末ごろ、長く続けていたひとり暮らしはずいぶん寂しいからと、横浜のアパートに別れを告げてわが家にもどるつもりになっていた娘が、発作的に買ってきたコザクラインコのオスだ。


 当初は横浜からの「通い飼い主」だった娘は、その幼鳥に「ヨモ」というしゃれた名前をつけてかわいがり始めた。


 ところが、それからまもなく、千葉出身、神奈川在住の「逃しちゃいけない」貴公子をみつけて同棲を始めた娘は、わが家にもどる計画をあっさりと放棄した。


 こんな言葉をあとに残して。


「ヨモちゃんは連れていけないので、お父さん、あとはよろしく面倒をみてね」


 急遽、義父となったぼくは、かごの中で毎日ちゅんちゅん、ぎーぎーと鳴きわめくその小鳥から「ヨモ」を剥ぎ取り、新たに「ちゅんぎー」と命名してやった。


 2015年11月、わが家の飼い犬でパピヨンのメス、メルが、歳を重ねてあっちの世界へ逃走していった。


 後に残されて唯一のペットとなったちゅんぎーは、すくすくと育ったが、その鳴き声のやかましさは天下一品だった。


 さらに、目にする異物には徹底的にクチバシ攻撃を加えて、容赦なく破壊、撃退しようとする獰猛性が日々、増してきた。


 ただし、毎朝鳥かごをきれいにして、エサを与え、水を取り替え、遊びや水浴びや運動のお手伝いを続けているぼくには、決して攻撃のクチバシを向けなかった。


 終始べたべたとまとわりついて、ときには胃で消化したエサを口からもどして、ぼくの手になすりつけて、食べろといった。


 容体は一日で悪化して、車が病院についたときには、あの世のトリになっていた。

 

 

 何だかおかしな夢をみた。


 どこかの街の商業施設らしいビルの中を、友人数人と歩いている。


 高校時代の友人たちで、バンド仲間の志村くん、菅沼くん、猪俣くんの3人だ。


 気がつくと、自分は胸に1ぴきの猫を抱いている。


 白くて、丸っこくて、毛並みがふさふさしていて、ちょっと愛嬌のある顔をしている。


 けっこうの大きさだ。


 不思議な温もりが伝わってくる。


 素性はまるでわからない。


 でも、そいつは自分にとても慣れていて、胸の中でゆったりとくつろいでいる。


「早くいこうぜ」


 ひとりがいって、みんなでエスカレーターにとび乗る。


 3人が駆け上っていく。


 自分は猫を抱いているので、駆け上るつもりがない。

 

「先にいってろよー」
 

 みんな、何を急いでいるんだろう。
 

 ゆっくりと上に移動していく。
 

 猫といっしょにエスカレーターを上り切ったところで、女性数人と遭遇する。
 

 高校時代の友人の池田さん、丹尾さん、バンド歌手のみずのさん、森さんらがいる。
 

 みんな、ぼくたちのバンドを盛り立ててくれる数少ない人たちだ。
 

 いきなり場面が変わって、ぼくは車いすを押している。

 

 そこに座っている肩幅の広い男は、肺気腫を患っているバンド仲間の上田くんだ。


 どうやら、これからスタジオ練習が始まるらしい。


 みんなが寄ってきて、車いすを囲むと、そこに座っているのは上田くんではなくて、さっきの白い猫になっている。


 上田くんは、猫になってしまった。


 5月31日は、彼の一周忌だ。

こんな感じの猫ちゃんでした。