まだ若くて、小説の書き方も何も分からなかったころ、といっても、いまなお、小説の上手な書き方を身につけているわけではないのだが、何も書いていない原稿用紙に向かって、何かおもしろい話を書いてみようと、手にした鉛筆を何度もくるくると回しては、何を書こうかと呻吟することがよくあった。
そんなときは、一度原稿用紙から目をそらして、机の前を離れ、紅茶かコーヒーでも淹れてみるとか、掃除機を持ち出して家の中の気になる場所を清掃するとかしてみると、夢を孕んだ卵の殻が自然に割れるみたいに、何か斬新なアイデアが霧の彼方から湧き出してくるかもしれない、という期待が持てた。
おまえは別に、だれかに依頼されて原稿を書こうとしているわけでもなければ、どうしても書きたいことがあって原稿用紙を前にしているわけでもないのだから、書くなんていう非生産的な行為はもうやめにして、ほかのもっと楽しいことに時間を費やせばいいんじゃないのか、というだれとも分からない者の声が聞こえるときもあった。
そういわれても、もっと楽しいことなんてあったのかどうか、あったとしたら、自分がいま書きたいと思っていながらなかなか書けない小説を見事に書き上げた後、それを上回るほどおもしろい作品を見つけて読みふけるといった行為だったかもしれない。
そんな作品は、広い読書世界にはごろごろ転がっているだろうことはよく分かっていても、そんな現実の壁を打ち砕いてやるんだ、みたいな心意気で原稿用紙に向かっているわけだから、そう簡単に理想への旗を降ろすわけにはいかなかった。
台所で淹れた紅茶の湯気の立つカップを手に部屋に戻ってきて、ふと気がついたのは、机の前にあるだれも座っていないはずの椅子に、どこからどこまで瓜二つのもうひとりの自分が座っていて、原稿用紙に向かって懸命に鉛筆を動かしている姿だった。
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