たからしげるブログ

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つれづれ思うことどもを不定期で発信しています。

 森絵都さんのロングセラー『カラフル』を26年ぶりに再読しました。


 この作品が単行本となって理論社から刊行されたのは1998年7月でした。


 当時、ぼくは新聞社の文化部で編集委員をしており、読書欄を担当していました。


 読書欄の中でも、児童書を中心に動きまわっていたのは、娘が小学生から中学生になるころだったので、その年代の子どもたちが読む本に関心があったからかもしれません。


 また、余談ですが、前年7月に日本児童文学者協会と偕成社が共催で、一般公募して入選した短編をまとめて単行本にする「みんなこわい話」というシリーズの第4巻『図工室・うわさのミステリー』に、初めて自分の作品「墓地でひろった携帯電話」が掲載されたよろこびを引きずっていたころでもあります。


 1990年に講談社児童文学新人賞を受賞して作家デビューした森さんは、その後も椋鳩十児童文学賞や野間児童文芸賞など、児童書界の大賞を次々と射止めて、二度目の産経児童出版文化賞に輝いた『カラフル』を出したときは、すっかり第一線で活躍する売れっ子作家になっていました。


 今回、この作品を再読したのは、累計120万部突破の同作品が今月、文庫版を出していた文藝春秋から装いも新たにジュニア版として刊行されたのを機に、某夕刊紙から森さんのインタビューを依頼されたからです。


 魂、前世、自殺、生まれ変わり、人生、修行、家族、友人、青春……。


 物語を彩どるいくつものテーマが、それこそカラフルに塗り分けられて全体の創作世界を構築している本作品は、長い歳月を経て再読しても、初めて読んだ時と少しも変わらない感慨をもたらしてくれました。


 これまでに本作品を原作としたアニメや実写映画が数本作られていますが、本書未読の人たちは、まず原作を読んでから観るべし、と願う気持ちが一層強くなりました。

 

 

 高校時代、エレキバンドを組んだばかりの頃ですが、ある休日、学校の近くに住んでいたメンバーのひとり、上田益義の家に全員が集まって音出しの練習をしました。


 小さなギター用アンプに3人分のギターを突っ込んで、ぼくは買ったばかりのスネアドラムとハイハット(どちらもスタンド付きの新品)を持参しました。


 庭に面した縁側を演奏のステージに見立てて、アンプやドラム類をセットすると、かっこよく音をかき鳴らしたのです。


 今思うに、休日の閑静な住宅街に突然、エレキギターと太鼓を打ち鳴らす騒音隊が降り立ったかのようなご近所迷惑の所業でした。


 何曲目だったか忘れましたが、覚え始めている〈ブルドッグ〉のイントロ部分で、ぼくが叩こうとしたスネアドラムがスタンドから外れると、縁側から落ちてそのまま庭の向こうまでころころ転がっていったのです。


 日を浴びて銀色のフレームをきらめかせながら遠ざかっていったスネアドラムは、何と優雅でスリリングだったことでしょう。


 それから半世紀近くがたって、バンドを再結成する日がやってくるなんて、当時のだれひとり思ってはいなかったはずです。


 オリジナルメンバーだった4人のうち、古川光二は2015年4月3日、上田益義は2020年5月31日、それぞれ次の人生に備えるためにあの世へ戻っていきました。


 2019年7月13日、アローファイブの8回目の荻窪ライブが行われました。


 メンバーはリードギター・菅沼雅明、ベースギター・志村徳幸、リズムギター・吉良友孝、サイドギター・香川雅俊(やはり同級生で、このライブからの新登場です)、ドラムス・宝田茂樹と、MC・猪俣寛でした。


 編集者・森彩子、作家・みずのまい、同級生・天野輝夫らが熱唱、〈キャラバン〉では、画家・池田あきこ、みずのまいが、圧巻の華麗なる乱舞を披露してくれました。(敬称略・了)

 

CARAVAN by THE ARROW FIVE (youtube.com)

 

写真:上段左から、天野、猪俣、宝田、菅沼、吉良、下段左から、香川、みずの、森、志村、の各氏。

撮影:益永葉

 

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 一つのライブが無事に終わると、しばらくは放心状態に陥るものの、やがてメンバーのだれかがだれかに連絡を入れて、次の練習はどうしようか? という話になります。


 練習とは、メンバー全員がスタジオに集まって音を合わせることです。


 それまでは、メンバー各自が自宅でCDやユーチューブなどで聴ける課題曲に合わせて個人練習に精を出す日々です。


 それが最近、自分も含めてどんどんサボり勝ちになってきているようでした。


 2017年7月2日、久々に晴海のスタジオに集合したメンバーは、菅沼雅明、志村徳幸、吉良友孝、宝田茂樹の4人でした。


 上田益義は参加しないというか、体力的に相当きつくなってきていました。


 その日、4人でどんな曲を練習したかは忘れましたが、最後に〈Wipe Out〉を叩いたことを憶えています。


 その後も上田は、練習に参加したりしなかったりをくり返しましたが、年が明けた2018年になると、ほとんどスタジオに姿を見せなくなりました。


 同年6月のブログには「これで、さよならライブ?」として、7月21日に通算7回目のライブを行います、と書きました。


 ライブでは、ゲストシンガーの編集者・森彩子がビートルズを数曲歌ってくれました。


 ライブが終わると、近くの居酒屋で恒例の打ち上げのようなものを開きました。


 その後、ライブの会場にくることが叶わなかった上田の自宅を訪ねました。


 上田は思っていたより元気そうでしたが、家の中でもベッドに横になっている時間が多いようで、鼻に酸素ボンベから延びているカニューラを、ずっと付けていました。


 ずいぶんうれしそうな声で、ライブの動画を観るのが楽しみだ、といっていました。


 後日、1部と2部に分けて行ったこの日のライブのすべてを、ユーチューブに(前後2本にして)収録しました。(敬称略・続く)

 

2018 7 21 1 (youtube.com)

 

2018 7 21 2 (youtube.com)


JR荻窪駅からライブハウスのある方向へ(青梅街道)歩く。

自宅でライブの録画を愉しみにしていた上田くん。

 

 ライブが終わって、暑い夏も過ぎると、ぼくたちは性懲りもなく光が丘のスタジオに集まって練習を再開することになりました。


 POCD(肺気腫)を患う上田益義は、徐々に体力を弱らせていきますが、それでも気力を振り絞って携帯用酸素ボンベを転がしながらスタジオにやってきていました。


 年が明けて2017年、ベースを担当する志村徳幸が中央区晴海の自宅近くに見つけた音楽スタジオは、そこに人を集めてライブができそうなほど広い空間が魅力的でした。


 第6回目のライブを〈New Spring Party〉と題して4月15日に開催することになりましたが、晴海のスタジオでは飲食が禁じられているので、場所はやはり、長年お世話になってきた荻窪のライブハウスになりました。


 上田の迎え送りは、リズムギターの吉良友孝がほぼ毎回、車を出してくれました。


 ライブ当日、上田は携帯用酸素ボンベとともに舞台に上がり、椅子に座ってギターを抱えて演奏に参加しました。


 当日は、おなじみの編集者・森彩子と、イラストレーター・カタノトモコが組む即席デュオ〈ブルードラゴン・ネアリーデッド〉が、歌と踊りで盛り上げてくれました。

 

バラバラ  アローファイブ&ブルードラゴン・ネアリーデッド (youtube.com)

 

Venus(ビーナス) アローファイブ&ブルードラゴン・ネアリーデッド (youtube.com)

 

春一番 アローファイブ&ブルードラゴン・ネアリーデッド (youtube.com)


 これにてアローファイブのライブは最終となり、バンドは解散ということになるかもしれないな、という懸念がよぎりました。


 ある意味、上田の持つ音楽的センスと、演奏に対する真摯な向上心の発揮が、アローファイブを支えてきたのかもしれません。


 正直、セミプロの域にも達していないぼくたちの演奏力を今後の練習で磨き上げていこうとするには、メンバー全員のたゆまぬ努力が必要なのでしょうが、歳には勝てません。


 書くことが好きな人が、だれでも本を出せる作家にはなれないのと同じです。


 書くことも演奏も「楽しければそれ以上は望まない」で納得できれば、それはそれで幸せなんだとは思いますが。(敬称略・続く)

アローファイブのメンバー6人:左から猪俣寛(MC)、上田益義(SG)、菅沼雅明(LG)、吉良友孝(RG)、宝田茂樹(DS)、志村徳幸(BG)と、ブルードラゴン・ネアリーデッドの2人:森彩子、カタノトモコ 写真:益永葉

 

 2016年の夏7月30日までに、アローファイブは光が丘のスタジオで通算11回の練習を重ねました。


 その日行われた第5回荻窪ライブのテーマは〈Let's Have A Summer Party〉でした。


 COPD(肺気腫)を患っている上田益義の体調は、日々、深刻なものになってきていました。


 喫煙は完全にご法度になりました。


 遠くへ外出するときには、鼻カニューラの付いた携帯用酸素ボンベを転がして移動しなければなりませんでした。


 上田の自宅から光が丘のスタジオまで、徒歩と電車で往復するのがだいぶきつくなってきていたので、そのうち吉良友孝が車で迎え送りをするようになりました。


 吉良が都合の悪い日は、猫のダヤンの池田あきこが車を出して迎え送りを代行してくれる日もありました。


 いつも電車を乗り継いで参加していたぼくも、何度か市原市の自宅から車を走らせて、代行を務めた日がありました。


 延々と、遠い道の往復でした。


 上田はアローファイブのサイドギターでしたが、そのピッキングには定評があり、音楽センスも歌もとても上手でした。

🎉
 当日、ライブのゲストとして歌と踊りを披露してくれたのは児童書作家・みずのまい、編集者・森彩子の二人でした。


 みずのには〈ヴァケーション〉を邦訳で、森にはキーボードを叩きながらの〈渚のバルコニー〉と、英語で〈マイ・ボニー〉をそれぞれ熱唱してもらいました。


 また、アローファイブのメンバーの同級生で、その後全国に名が知られるようになった人物は、画家で文筆家・池田あきこの他にもうひとり、俳優・木場勝己がいます。


 木場がライブを観にきたので、舞台に上げて、上田とデュオで〈想い出の渚〉を歌ってもらいました。(敬称略・続く)

ヴァケーション Vacation アローファイブ+森彩子、歌 みずのまい (youtube.com)

 

My Bonnie アローファイブ 歌 森彩子 (youtube.com)

 

想い出の渚 アローファイブ 歌 木場克己、上田益義 (youtube.com)

 

写真:左から猪俣寛、みずのまい、上田益義、菅沼雅明、森彩子、吉良友孝、志村徳幸、宝田茂樹の面々 撮影:益永葉

写真:〈想い出の渚〉を歌う木場勝己(中央)と、ギターを弾きながらデュオする上田益義(中央の左奥)、合わせて踊る池田あきこ(左) 撮影:益永葉

 

 2015年の3月になってまもなくのある日だったと思います。


 ぼくはリードギターの菅沼雅明と誘い合って、杉並区梅里に住むサイドギターの上田益義の家に遊びにいきました。


 3年前にバンドを再結成した頃の上田は、練馬区光が丘のスタジオでの練習後、打ち合わせの店に向かう途中で、ぼくに「ギター持って歩くのきついからタバコ買ってきてくれよ」と頼むほどのヘビースモーカーでした。


 当時の上田は、激しい運動をすると呼吸が苦しくなるCOPD(肺気腫)が進んできていたのですが、それに関してはずっとポーカーフェイスを貫いていました。


 まもなく、みんなにバレましたけれど。


 3人で顔を寄せ合って話しているうちに、大阪で暮らしている旧メンバーの古川光二がいま、何をしているかが気になりました。


 上田がスマホを取り出して連絡しました。


 電話に出てきた古川は、懐かしい声で元気を装っていましたが、終始少し苦しそうに咳込みながら、自分はいま肺がんの末期にあることを、ぼくたちに告げました。


 3人は交代で、旧友とのさりげない会話を交わし合いましたが、電話を切った後の余韻はずいぶん暗いものになりました。


 1か月後の4月3日早朝、目が覚めたときに、古川はもうこの世にはいませんでした。


 あっというまの旅立ちでした。


 この年の11月28日、アローファイブは通算4回目のライブを荻窪のライブハウスで行うことになりました。


 このライブから、やはり同級生の吉良友孝(サイドギター)がメンバーに加わり、編集者の森彩子とイラストレーターのカタノトモコが〈ブルードラゴン・ネアリーデッド〉というデュオを組んで出演してくれました。

 

 カタノにベースを弾かせてマイクを手にした志村徳幸の歌を含めたビートルズ・ナンバーを2曲お届けします。(敬称略・続く)

All My Loving (youtube.com)

 

Please Please Me (youtube.com)


写真 左から吉良友孝、宝田茂樹、上田益義、猪俣寛、志村徳幸、菅沼雅明、手前は左からカタノトモコ、森彩子(敬称略)

撮影 益永葉

 

 

 都立杉並高校の同級生同士で組んでいたエレキバンド、アローファイブを半世紀近くぶりに再結成した2014年は、ライブが爆発した年にもなりました。


 4月の初回、7月の2回目に続いて、クリスマス間近の12月23日には、早くも3回目のライブを行うことになったのです。


 この日、〈Let's have a X'mas party〉と題して歌と踊りの主役を務めてくれたのは、前回同様に児童書界の第一線で活躍中の作家や編集者の人たちでした。


 前回のライブでお世話になった編集者・森彩子、作家・たけたにちほみに加えて、今回は新たに、作家・みずのまい、イラストレーター・カタノトモコ、画家・サトウユカの3人が加わり、その名もBCG(ビューティフル・コーラス・ガールズ)となりました。


 今回は歌より楽器で、とキーボードを弾いてくれたたけたにと、残る4人は歌と踊りでめっちゃ楽しいクリスマス・パーティーが盛り上がりました。


 還暦をはるかに超えたじいさまバンドとBCGは父と娘ほどの年齢差があって、観にきてくれた人たちも驚いたかもしれませんね。


 その中からクリスマスには欠かせない一曲〈サンタが街にやってくる〉を、演奏はベンチャーズ・バージョンでお届けします。

Santa Claus Is Coming to Town by The Arrow Five and BCG (youtube.com)

 改めて鑑賞したこちらも、思わず手拍子が出てきそうな楽しいノリでした。


 ところで、アローファイブの初ライブのときから毎回、陰になり日向になって応援団的存在を発揮してくれている同級生のひとりに池田晶子がいます。


「猫のダヤン」の画家であり文筆家・池田あきこ、といえばご存じの方も多いでしょう。


 ライブを行うたびに、同じ同級生の丹尾雪江とツルんで(笑)、さまざまな助言や励ましなどの応援をいただいています。


 卒業はしたけれど、高校時代がいつまでも続いているみたいです。(敬称略・続く)

写真は中列から志村徳幸、宝田茂樹、猪俣寛、みずのまい、サトウユカ、前列は左からカタノトモコ、森彩子、後列は左から上田益義、菅沼雅明、たけたにちほみ(敬称略)

写真:益永葉

 

 

 復活アローファイブの初ライブが終わってまもなく、決まったことがありました。


 思っていたよりうまくいったから、今度はもっとたくさん人を集めてパーティー形式のライブをやろうよ、って。


 メンバーたちは、初ライブで予想以上に拍手喝采を得た高揚感をもう一度味わいたい、という思いに酔っていたのかもしれません。


 まあ、そうした激励のほとんどが、集まってきてくれた友情熱き同級生たちによるフラタリーだったには違いないのですけれど。


 ライブのテーマをどうするかは、初めは何も決まっていませんでした。


 そこでぼくは、同じ釜のご飯を頂戴している児童書界の、いつもなかよくしてもらっている作家や編集者さんに声をかけました。


 あっというまに、歌も踊りも器用にこなせる作家&編集者5人による、絶世の美声美女軍団「まりちゃんず」の結成となりました。


 いずれも児童書界の第一線で活躍中の作家陣、金治直美、たけたにちほみ、光丘真理、森川成美(五十音順)と、お世話になりっぱなしの編集者・森彩子という顔ぶれです。


 全員が、貴重な仕事時間を割いて、バンドの定期練習にもつき合ってくれました。


 主題曲は、ワンダ・ジャクソンのヒット曲〈Let's have a party〉になりました。


 こうして、同じ2014年の7月26日に、早くも第2回目のライブを、同じ荻窪のライブハウスで開くことになったのです。


 ♪踊ろうよ 歌おうよ 体を震わせ ソウルを呼び出せ パーティー ウー パーティー/コンビニ走って たっぷり買い出し 今夜は騒ごう/いつだって その気だよ くるやつだれでも 一緒に踊ろう パーティー ウー パーティー/コンビニ走って たっぷり買い出し 今夜は騒ごう……。


 ステージの記録はしっかり録画されて、DVDになって残っています。

Let's have a party by The Arrow Five & Mari-chans (youtube.com)


 ノリノリでしたね。(敬称略・続く)


 

 わがアローファイブのクラス会を兼ねた初ライブは、同級生の全員が満64歳になっている2014年4月5日に行いました。


 JR荻窪駅近くにある〈ルースター・ノースサイド〉というライブハウスでした。


 以下は、参加希望者に宛てて配ったチラシから、メンバー全員が集まった初期の練習風景を活写した一文です。


〈リードギターの菅沼雅明は、質屋から取り戻してきたばかりのギターの塵と埃を払うのに大忙しでした。サイドギターの上田益義はこだわりのチューニングに力を入れ過ぎて、弦を次々とぶち切っては溜息をついていました。ベースギターの志村徳幸は、ベースギターの弦が何本あったか忘れていました(三味線は3本だけどね)。ドラムスの宝田茂樹は大きな音を立てるのが嫌いだったので、シンバルをたたくたびにのけぞっていました。MC&ボーカルの猪俣寛は、口は達者でしたがいざマイクを握るといきなり恥じ入って、声が裏返ってばかりでした〉


 当日は、同級生の女性即席グループ〈SKB64〉が華麗な歌と踊りを披露してくれました。

 

 

京都の恋 (youtube.com)

 

 また、MCの猪俣寛は〈When I'm 64〉の日本語バージョン(たからしげる超訳)を朗々と歌い上げました。


 ♪年をとって髪の毛 薄くなっても 誕生日やバレンタイン 祝ってくれますか/真夜中の帰宅も 気にしないで 変わらぬ愛を下さい When I'm 64/だれだって 年をとるのは同じ ずっと一緒だよ/ぼくはきみのために 役立つよ 明かりが消えてもヒューズを 取り替えられます/できること何でも してあげる 変わらぬ愛を下さい When I'm 64/毎年夏には泊りがけで 遊びにいこう そのときは きみの膝には孫が すわってる/はがきに書いて送って くれますか 季節の挨拶抜きで 伝えて欲しい/ぼくのことずっと 忘れないで 変わらぬ愛を下さい When I'm 64!!(敬称略・続く)


ライブ終了後の〈アローファイブとSKB64〉集合写真。左から加藤津代美、森地由美子、菅沼雅明、池田晶子、上田益義、宝田茂樹、猪俣寛、尾花晴美、志村徳幸、丹尾雪江の各氏。

写真:益永葉
 

 高校時代のバンド活動は、あっというまに過ぎ去った熱病のようなものでした。


 メンバー全員は一浪した後、そろって無事に大学生になりましたが、その先は各自、歩む道が異なっていたのです。


 社会人になってからは、お互いに年賀状のやりとりをしたり、個人対個人でたまに会って旧交を温めたりはしましたが、バンドを再結成しようなどといった声は、どこからもきこえてきませんでした。


 だれもが日々の仕事に追われていました。


 全員同年齢ですから、2009年にはそろって還暦を迎えました。


 2011年の暮れに催された同窓会と、翌年1月に開かれたミーティングによって、その月末に菅沼の地元、都内練馬区光が丘の小さなスタジオに菅沼、上田、志村、宝田が集結して、初めての音合わせを行いました。


 最初に演奏した曲が〈パイプライン〉だったか〈ブルドッグ〉だったか忘れましたが、そのテンポの遅さを譬えるなら、あくびをしながら歩むカタツムリでしょうか。


 やがて、楽器演奏ではなくMC&音楽コーチとして猪俣寛の参加を得て、本来のアローファイブは形を整えていきました。


 1年ほどの練習を経て、どうにか人にも聴いてもらえそうな音が出始めた頃、だれからともなくライブの話がとび出しました。


 メンバー全員が64歳になる年を狙って、ビートルズの名曲〈When I'm sixty-four〉をテーマに同窓会を兼ねよう、というのです。


 その頃に光が丘のスタジオで練習していた一曲〈アパッチ〉の動画を紹介しましょう。

 


 なお、オリジナルメンバーの古川光二は、大阪でバンドの再結成を慶んでくれながら、後述する初ライブにも上京できず、2015年4月3日に病没しました。


 動画で曲を紹介している上田益義は、2020年5月31日(このブログを投稿したきょうが、奇しくも命日になります)に、古川の後を追うように鬼籍に入ります。(敬称略・続く)

練馬区光が丘のスタジオで、メンバーの菅沼雅明(左)と上田益義(右)。2014年10月

※文中の動画がつながらない方は、you-tubeで「たからしげる」を検索してみて下さい。