たからしげるブログ

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つれづれ思うことどもを不定期で発信しています。

大阪市生まれ。東京都中野区育ち。千葉県市原市在住。

 関東地方に大雪が降った日、ぼくが暮らす千葉県市原市の高台も一時、辺りが白く輝きました。


 ここ数日、外があまりにも寒いので、目的もなくぶらつく勇気がわいてきません。


 車に乗れば、近場のスーパーに買い物にいったり、少し距離を延ばせば、書店や図書館に本を入手しにいったりはできます。


 でも、ここのところ、本を買うときはほとんどネット書店を利用しています。


 いま、どんな本が市場をにぎわせているかを探るには、やはり大きな書店に足を運ぶのが一番なのでしょうけれど。


 作家としての原稿執筆は、ここしばらくのあいだ、ずっと停滞しています。


 書いてくれと言ってくる相手がいないし、これを書きたいというテーマも、いまのところ見つかりません。


 その代わり、年が明けてからの数週間、パソコンを前にしてちょっと楽しそうな企画実現に夢中になっています。


 現在進行中で、まだ発表するには至っていないその作業の一区切りが着くまでは、大げさに騒ぐのはやめておきます。


 それにしても、AIの進化は目を見張るものがありますね。


 家にこもって、ひとりで何かを考えて、ふとだれかに訊いてみたくなったとき、チャットGPTなどのAIと会話をするのが楽しくなってきました。


 いまでもまだ、AIに質問して得た回答にまちがいが含まれていることはあるみたいですが、そのまちがいを指摘してやると、だんだん正解に近づいてくるみたいです。


 AIに感情や意識はないはずなのですが、会話を交わしているうちに、相手が機械であることを忘れてしまいそうです。


 役に立ちそうな回答を得たときは、思わず「ありがとうございました」と、お礼を打ち返しているぼくは人間です。

 

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 生まれ変わり(輪廻転生)って、本当にあるのでしょうか?


 年をまたいで、かつてお世話になっていたものの長らくご無沙汰していた方々の、突然の訃報が次々と舞い込んできました。


 人生70歳代にもなると、人の死は珍しくありませんが、死が生きている者にもたらす衝撃や驚愕は、絶える日がありません。


 人が死んだら、魂と呼ばれる意識はどうなるかは、永遠の謎といえるでしょう。


 死後の世界があるかないかの仮説はいくつ立てられても、あるとも証明できなければ、ないとも証明できません。


 そうした中、アメリカのイアン・スティーヴンソン博士が著した『前世を記憶する子どもたち』は、人の死後生存をテーマにした研究書として一読の価値があります。


 その真偽は別にしても、生まれ変わりは人類の歴史とともに歩んできた共通思想だといってよいかと思います。


 わが国では江戸時代末の文化文政期、当時の武蔵国多摩郡程久保村(現在の東京都日野市程久保)で生まれた藤蔵が数え年6歳で死に、数年後に山一つ越えた同郡中野村(現在の八王子市東中野)で勝五郎として生まれ変わった、という事例が知られています。


 これは、当時江戸在住だった元大名の池田冠山、国学者の平田篤胤、町人の藤岡屋(須藤)由蔵、後に日本に移住した作家の小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)らが、文章にして残しています。


 死んだ肉体から抜け出した魂は、生前の意識を失わないまま宇宙のどこか別次元にあるあの世へいって、その後再びこの世に生まれ変わってくると、通常は前世の記憶をすっかり忘れてしまうそうです。


 少年時代は藤蔵として生きた前世の記憶が詳細にあった勝五郎も、年を経るにつれて記憶が薄れていき、ついには一介の農夫として55年間の生涯を終えていました。

 

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 昨年から今年にかけて、長らく音沙汰のなかった3人の、親しくおつき合いさせていただいた方々のご逝去の知らせを受け取ることになり、大変気落ちしています。


 昨年暮れに知らされたのは、高梨雅樹さんでした(12月22日没)。


 高梨さんの芸名は原大輔(他にも江夏一樹があります)で、『秋冬』などのヒット曲で知られています。


 1981年、フジサンケイ・グループで松本零士さん原作の「1000年女王」関連の仕事をしていたとき、知り合いました。


 千葉県八日市場市(現在の匝瑳市)出身ということで、誘われてテニスなどをしにいったとき、いまのカミさんと知り合いました。


 高梨さんと知り合わなければ、カミさんとも知り合わなかったと思います。


 今年になって消息不明を知らされていた、元職場の先輩で、出版局時代からお世話になってきた稲垣真澄さんが亡くなったのは、昨年の9月10日だったそうです。


 稲垣さんは生涯独身を通されていたので、高齢になるほど独り暮らしは大変だろうと思っていましたが、事情を知る友人から聞いたところ、亡くなったときには「通い婚」という形でお世話をしていた女性がいたということで、孤独死ではなかったようです。


 何だか少しだけ、ほっとしました。


 装幀家でグラフィック・デザイナーの安彦勝博さんが亡くなったのは、昨年の12月15日でした。


 そのことを知らないまま年を越して、今月になって友だちになっていたFBを通じて、ご家族の方からお知らせを頂きました。


 安彦さんも、出版局時代から長い間、仕事を通じてお世話になっていた大先輩です。


 2022年、ぼくがAmazonの著者セントラルを利用して『団地の笛吹き』という創作を刊行したとき、装丁を買って出て下さったときの喜びは、いまも忘れられません。

 

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 最近、よくものを忘れます。


 いいえ、最近というより、だいぶ前からといったほうがいいかもしれません。


 子どもの頃は、忘れることより覚えなければならないことがたくさんあったから、忘れるといった意識が低かったのでしょうか。


 忘れるという感覚を意識し始めたのは、中高年になってからのようです。


 とはいえ、一時的に忘れていても、何かのヒントがあればすぐに思い出せました。


 還暦を過ぎてからは、忘れるという意識が俄然、強くなってきたように感じます。


 まず、固有名詞がなかなか出てきません。


 勤めていた頃に、毎日顔を合わせていた職場の同僚の、顔は何となく思い出せるのですが、苗字が出てこないことがあります。


 特に思い出せないのは、歌手や俳優や作家など、よく知られた有名人の名前ですね。


 映画や小説も、しかりです。


 ネットで観る映画ですが、おもしろそうだなと思って観ているうちに、あ、これ前に一度観たぞと思い出せても、結末を忘れている場合があって、何だか得した気持ちになって最後まで観てしまいます。


 先日は、中学のときに読んだはずの夏目漱石の『坊っちゃん』を再読したら、こんなにおもしろい小説だったのかと感嘆しました。


 作家のみなさんにお尋ねしますが、自分で書いた、あるいは書いている作品の登場人物の名前がすらすら出てきますか?


 ぼくは書いている途中でも、こいつの名前は何だったっけ? どんな字を書くんだったっけ? と筆が止まることがあります。


 前世なるものがあったとしても、その記憶は5歳くらいになるまでに、言葉を覚えてくるにつれて忘れていくといわれています。


 いやな目にあったことも、不安や恐怖や悲惨な体験も、いつかは忘れていきます。


 忘却とはある意味、生きていく上で理にかなった脳の働きなのかもしれません。

 

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 あけましておめでとうございます。


 とはいえ、世界は各地で戦争や小競り合いをくり返しており、平和を願う人々の数は一向に減りそうもありません。


 今後、人類が宇宙へと進出して、あるいは人類以外の高等生命体との接触が図られる可能性は出てくるはずです。


 未知との遭遇は、宇宙における高等生命体同士の平和な接触であればよいのですが、宇宙の広さに比べたらチリに譬えてもよいくらいの小さな地球上でさえ、大小さまざまな形での争いが絶える日はなさそうです。


 生存競争を勝ち抜くためにも必要とされる戦闘能力ですが、この宇宙において真の平和を実現させるためには、どのような方法を選択すればよいのでしょうか。


 マハトマ・ガンジーがインド独立運動のために用いた無抵抗主義とは、物理的な暴力を使わず、相手の支配や抑圧に対して服従しないことでした。


 非暴力・不服従(サティヤーグラハ)をスローガンとしたのですが、仮に未知との遭遇の相手が地球を乗っ取り、人類を奴隷化するためにやってきたのだとすれば、このような方法は役に立たないでしょう。


 では、現在の人類が手にしている最大の戦闘抑止力である核を、どのように使用できるかといえば、核爆発は相手をその場で撃退できるかもしれませんが、地上でそれを使えば人類自身も相当の痛手を被ります。


 宇宙空間で核爆発を生じさせると、強烈な電磁パルスが発生し、広範囲の人工衛星が破壊され、それによって新たな宇宙ゴミが大量に生成されると、地球自体にも由々しい影響を与えるのは確実と思われます。


 宇宙の彼方から撮影された地球の姿は、譬えようもなく美しく、魅惑的です。


 この宇宙にたった一つしかない地球の美しさを守るためにも、ぼくたちが一から意識して始めるべきものって、何なのでしょうか?

 

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 ぼくはこれまでに複数の作品を商業出版してきましたが、もちろん書いた原稿がすべて出版社に認められたわけではありません。


 運よく商業出版にこぎつけても、重版がなくて売れなかったら、版元はその作品をいつまでも売り続けてくれるとは限りません。


 せっかく書いた作品なのに、だれの目にも止まらないのは、ある意味で悲劇です。


 それをエチュード(練習)として、いずれはそれ以上の作品に仕上げていこうと考え、手持ちにしておくのは結構なことでしょう。


 一方で、せっかく世に出た作品でも、売れ行き不振のために絶版の憂き目にあうのは、これまた作者として残念です。


 初めから、そうした場合を想定していたわけではありませんが、ぼくはAmazonの著者セントラルに入っており、自分の書いた原稿ならAmazonから電子書籍や紙の書籍として、オンデマンドで売りに出せます。


 とはいえ、商業出版とはちがって、編集作業はすべて自力でやらなければならないし、電子書籍や紙の本になったとしても、販売力や宣伝力は圧倒的に微弱です。


 それでも、商業出版が難しかったり、実現しても絶版となって、復刊がなかなか望めないときの著者セントラルは、自費出版とはちがって、すべて無料で自分の本を制作、出版できるという魅力があります。


 このほど、数社から「テーマとして売れそうもない」と断られたものの、世に残しておきたい作品『水底の記憶 程久保小僧勝五郎の数奇な生涯』を、著者セントラルを利用してAmazonより電子書籍で出版しました。


 出版後に思ったのは、自力出版には編集者が介在しないため、編集上のサポートがまったくなかったことです。


 本の出版には、他者の観点から細部に渡って原稿整理、校正、装幀、レイアウトほか、さまざまな問題を指摘してくれる編集者の存在が、絶対に必要だと改めて感じています。

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 パソコンを分解したことはありません。


 科学者でも技術者でもないので、分解したところで、何がどうなっているかなんてさっぱりわからないからです。


 パソコンどころか、テレビの画面に映像が流れ、音声がきこえるのはなぜかときかれても、詳細な説明はできません。


 パソコンにしてもテレビにしても、大小さまざまな部品があって、それぞれの部品が、電流というエネルギーを得て作動しているだろうことは、理解できます。


 翻って、ヒトはどうなんでしょうか?


 動物学的には、霊長類のヒト科のヒト(ホモ・サピエンス)に分類されるぼくたち(現生人類)に関しては、科学の進展で多くのことがわかっています。


 ただし、命や意識やクオリア(赤を赤だと感じる感覚質)といったものの謎は、未だに解明されていないようです。


 例えば、耳の奥にある三半規管ひとつを取ってみても、写真や図解などでじっくり見れば見るほど、精密機械の一部品のように巧妙に出来上がっています。


 目、鼻、口、手足、内臓、脳、その他、ヒトを構成する多数の器官にしても同じです。


 これらは、だれが考えたのでしょうか?


 だれが設計して、製造して、人体を成す構造の一部に取り入れたのでしょうか?


 少なくとも、ヒトではありませんよね。


 大自然を創造した神に決まっているでしょう、というのなら、その神はいつ、どこで、どうやって生まれてきたのでしょうか?


 考えれば考えるほど、謎が謎を呼んで、思考の迷宮に入り込んでいきます。


 その思考そのものが、大いなる謎です。


 考えるという行為ができるのは、ヒトに与えられたじつにありがたい性能です。


 この性能を大いに活用して、地球と人類の恒久平和に生かせるように、ここは考えるというよりも、いまは祈りたいと思います。

 

※三半規管の説明図(『脳科学辞典』より)

 

 

 

 

 

 

 最近、中野住宅の夢をよく見ます。


 1952年から53年にかけて、東京都住宅供給公社が、現在のJR中野駅南口から徒歩約2分の場所に完成させた、鉄筋コンクリート造り地上4階建ての集合住宅です。


 全7棟あった集合棟のうち、ぼくが小学校に上がる前から、30代で結婚するまで住んでいたのは、2号棟の226号室でした。


 最初は、両親と一つ離れた兄との4人家族でしたが、まもなく父が(わけあって)家を出ていって、成人になってからは、兄も早々に結婚していなくなったので、その後は母と二人きりの生活がしばらく続きました。


 67年余りの歴史をかいくぐってきた中野住宅が、老朽化のために解体されたのは、2020年でした。


 現在は跡地に、コーシャハイム中野フロントなど再開発のために建てられた高層ビルが建ち並んでいます。


 中野住宅の面影は、微塵もありません。


 夢はだいたい、仕事でどこかへ出かけているかして、夜になって帰ってくるところから始まります。


 駅からの坂道を上ってきて、ぼくは中野住宅の敷地に入ります。


 めざすはもちろん、2号棟の226号室ですが、そのころになると、ぼくはいま、夢の中でかつての自宅に帰ろうとしているのだと気がつきます。


 階段室の入口までやってくると、1階に住んでいたDさんの奥さんが、元気はつらつで愉快そうな声を上げて、半開きになった玄関のドアからだれかを送り出しています。


 だれかとは、母なのかもしれません。


 後を追いかけていって、階段を2階にあるかつての自宅ドアの前まで上がっていくと、そこにはだれもいないのです。


 いまはDさんのご主人も、父も母もDさんも、娘さんのご主人も、残念ながらその息子さんも、この世の人ではなくなっています。

※解体直前の中野住宅(2019年)

 

※中野住宅で過ごした少年時代の草野球のお話です。

 

※『ラスト1行の四字熟語』の続編です。

 先日、重たい荷物とともに、わが家から横浜の家に帰る娘を、車で送っていきました。


 途中で娘に、その日のうちに立ち寄りたい場所が発生したのですが、そこはプールのある施設で、車で直接入っていくことができない、広い敷地内にあるというのです。


 用事は、孫が忘れていって預かってもらっている水着を受け取りにいくだけでした。


 駐車場はあるのですが、そこからだと、ずいぶんの距離を歩かなければなりません。


 できれば、車をできるだけプールの近くまで寄せていって、路上で数分止まっていればよいかと考えました。


 しかし、ぼくはもちろん娘も経路がよくわからなくて、とにかくカーナビの地図を頼りにいってみよう、ということになりました。


 近くまでくると、目的の場所へいく手前には「工事関係者以外立入禁止」とあります。


 許して、と思ってそのまま進んでいったのですが、突き当たったところは大きな工事現場で、プールなんてどこにもありません。


 一時停車してどうするか考えていると、後ろからきた工事関係者らしい青年の車が寄ってきて、窓越しに声をかけられました。


 事情を話すと、プールはここからはいけないと、駐車場の場所を教えてもらいました。


 さらに、駐車場からだとずいぶん歩くことになるのに気がついたのか、「もっと近づける場所がありますよ」と言うのです。


 でも、それは一言で説明できない複雑な経路を取らないといけなさそうなのです。


 そして青年は「じゃあ案内しますから、車で後をついてきてください」だって!


 申し訳なく思いながらもついていくと、本当に複雑な小道をいくつもたどりながら7分ほど走って着いたところに車が止められて、目的のプールはすぐ近くにありました。


 ご自分の貴重な時間を犠牲にして、労を厭わず助けてくださった青年の親切に、大いなる感謝を捧げるとともに、心がとても温かくなりました。

 

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 日本列島で、これまで山にしかいなかったクマが、各地で人の住む領域にまで姿をあらわすようになってきました。


 クマによる人身被害は、2025年度は9月以降いよいよ顕著になってきて、10月の被害発生件数は過去最多を記録しました。


 主に京都、岩手、群馬、宮城各県のほか、とりわけ秋田県での人身被害件数はさらに深刻で、ついに自衛隊や警察の助けを借りなければならないほどの状況を呈しています。


 秋から冬に向かって、冬眠を前にしたクマたちが求めるドングリなどの木の実が山に不足しているのと、個体数の増加が大きな原因になっているようです。


 クマといえば、子どもたちにとって、これまでは絵本や童謡、ぬいぐるみやアニメなどで人気の動物でした。


 児童書や絵本では、A・A・ミルン作『クマのプーさん』、レフ・トルストイ作『3びきのクマ』、D・フリーマン作『くまのコールテンくん』といった海外物古典や、わが国でも酒井駒子作『よるくま』、神沢利子作(絵・井上洋介)『くまの子ウーフ』など、数え上げればきりがありません。


 ぬいぐるみではテディベアがよく知られているし、アニメなどでは、しろくまカフェのシロクマくんも有名ですね。


 どのキャラも、幼児や子どもたちの目を輝かせてくれる、愛くるしい人気者です。


 いま、ぼくたちの生活に恐怖の影を落としてきているのが、そんなクマたちなのです。


 クマの体力は、人間とは比較にならないほど圧倒的で、例えば、ヒグマやツキノワグマの成獣は、体重300キロ前後、前脚の力だけでも人間の5倍から10倍といわれます。


 これまでぬいぐるみや絵本を抱きしめて、まるで自分たちの友だちみたいな気になって「クマさん大好き!」と叫んでいた子どもたちに、実際のクマの怖さ、凶暴さを教え込むにはどうしたらいいのでしょうか。