あと3か月少しで今年が終わります。
時がたつのは早いといいますが、これは単に、生きている人間の感覚の問題でしょう。
夜、夢も見ずに眠っていると、時が過ぎていく感覚はどこにもありません。
熟睡して、気がつくと朝を迎えているというのは、気分のよいものです。
事故にあったり、手術で全身麻酔をかけられたりして意識を失い、次に目をあけたら翌日の病室のベッドの中だった、という経験を持っている人は少なくないでしょう。
その瞬間に至るまでの時の経過が、5時間だろうと10時間だろうと、あるいは3日だろうと1週間だろうと、意識がなければあっというまでカウントできません。
記憶がないから、その外側で進んでいた時の経過も認識できないのでしょう。
人は死んだら意識を失い、したがって時の経過どころか、あらゆる感覚が無に帰するのだから、その境地に入るのを恐れる必要は何もない、とはよく言われてきました。
一方で、死後は意識が魂となって肉体を抜け出し、いわゆる「あの世」へ旅立っていくのだから、その先には輪廻転生もあるはずだという考え方も、昨今では科学的に検証されるようになってきています。
どちらが正しいかは、たとえ完全に死んだところで分からないでしょう。
あらゆる感覚が無に帰したのでは、分かるわけもありませんし、「あの世」があることを当人が知っても、その事実をまだ生きている人たちに1から10まで完璧に報告することは、まず不可能と思われます。
あるいは、そうした現象はすべて実にうまくできた完全な錯覚かもしれません。
ただしぼくは、人間が想像できることのすべては、その存在に根拠のあるものばかりだと、微塵の疑いもなく信じているのです。