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夕菜の宝箱

~がん(私)でも発達障害(息子)でも上手くつきあって幸せに暮らすことを目標にする毎日~



訪問ありがとうございます。

 

 今回は2013年3月1日自家移植のあとのお話。

 

私43歳、夫43歳、長男17歳、次男13歳。

結婚10周年頃の話。

 

え?子どもの年齢と合いませ

んか?(笑)

 そんな方は

ひとまず夕菜のプロフィールはこちら

 

当時は自家移植のあとは地固め

抗がん剤を続ける~と調べていたので(笑)

抗がん剤を再開すると聞いても

地固めだと思ってました。

 

たまたま主治医じゃないちょっと偉い先生の診察の時に、しびれがあまりにひどいので減薬してもらおう!と言ってみたところ、

 

「やめるとすぐ再発ですよ!」と、

あまりいい感じで寛解していないと知る(笑)

 

 それで自家移植後に4ヶ月ほど続けていたベルケイドですが、進展がなく5か月目の9月から次の薬に期待することになりました。

 
当時はこれらが画期的な新薬!と言われていて、
ベルケイドや、レブラミドが使えるようになって、だいぶ余命が伸びたと言われていた薬。
 
レブラミドは飲み薬なので、週に2回のベルケイドの注射に行かなくてよくなり、かなり楽チン。
週に1回でいいなんて!と喜びました♪
 
それでも、これもたいそうなお薬で、
妊娠の可能性がある人はいろいろ誓約書を書く。
胎児に影響があるので、服薬中は妊娠しないようにしないといけなかったんじゃないかな。
 
で、年齢的には私はあてはまるから
主治医が、おそるおそる?!(笑)この話をし、

もう最初の抗がん剤の後に生理あったのが最後で、ずっと無いですけど?と言うと、
 
なんか楽な手続きに変わった(笑)
 
値段はお高い。
 
一粒、薬価10000円ほどで、1日5錠。
毎日服用。
 
専用の緑のケースに入れてもらい、
持ち歩くときはひと財産ですよね。
 
飲んだ後の空袋も見せないといけなくて、
管理はしっかり!と言われていたお薬です。
 
で、飲み始めたのですが、
骨髄抑制がかなりひどくてね~

すぐに好中球が減ってしまい、
ノイトロジンを打ちながらなんとか続けていたけど、帯状疱疹が、できてしまった~。
 
すぐに病院で飲み薬をもらうも、ひどくなり~

ひどくなりました~

と次の診察の日に見せると、
先生は絶句して、
入院して点滴しないと~と言う。
 
なんかそんな予感がしたよ(笑)
 
で、2週間点滴のため入院。
 
退院後落ち着いてから、レブラミドを個数を2個に減らして再開するも、すぐに骨髄抑制が!

てことで、打つ手がなくなり、
同種移植の話が具体化してきました。
 
現在ならもう少し薬増えたからね、
それで様子見たのかもしれないね。
 
当時は使える薬がもう無かったので、
再び自家移植する人が多かった。

たまに同種移植をする人がいたけど、
あまり前例がなく少ない件数だから

画期的!!と注目されたけれど、
合併症がひどすぎてどっちがよかったんだろう?という人も出てきたという。
 
チームで何度も話し合いが続いた末に、

4月に同種移植することに決定しました。
 
2011.11に病気発覚し
2012.11~治療開始で

同種移植が2014.4です。

話が決まったら
今のうちにお刺身食べとかなきゃ!!
と食べることに大忙し。

同窓会に頻繁に参加したり、
両親とご飯食べに行ったりもしてたな。


私は2014年4月に骨髄移植をやりました。

自家移植をした1年後で、同種移植といいます。

 

 

これは白血病の標準治療で

私の多発性骨髄腫では標準治療ではないから

あんまり例がなかったですね。

 

2012年ごろ、使うかどうかわからないけれど

ひょっとして使えるかどうか一応調べておこうか?と、

治療が始まるより前に妹と私のHLAが合うかどうか検査に出していました。

 

棒を舌にこすりつけてHLA研究所に送ったのですが…

おひとり様3万円なり。

 

たしか至急コースは2割増し

ゆとりコースは2割引きでしたな。

 

移植をすればこの金額は保険適応になって、その月には

他に絶対に大きい治療をしているから、全額戻る計算。

 

でも、移植に至らなければ保険適応外という手厳しさ。

 

だから、ドナーを!!とやみくもに友人たちが誰かのために検査してみるというものではないんだね。

 

兄弟でも合う確率は1/4と言われていたから

4人兄弟ならだれかと合うかな?という確率。

 

ドナーには年齢制限もあるから、若い患者さんの場合でなければ親は対象にならないしね、私には兄弟姉妹が妹1人しかいなかったから、フルマッチっていうのはものすごくラッキーでした。

 

ところで、今、娘に骨髄移植をするために2週間逃亡を続けているドラマがあります(笑)

 

まぁ、ありえないの連続のドラマだから細かいことはいいんですけどね、いいんだけど、まず「手術の日に」と当日に行くことになっているけど、無理ですからっ!

 

白内障の手術じゃあるまいし~前日夜から絶食ですし~

検査もいっぱいあるんだけどな。

 

当日に自己血を戻すために前もって献血のように自分の血液を貯めていたけどな。若い男の人だから血液足りるのか?いいのか?

 

ま、そこはいいとしてもですね~

 

患者の方ですよ。

移植するXデーにむけて前処置に入るんだけど、入っちゃったらもう絶対に移植しないと死んじゃうんですよ。

 

自家移植のときは白血球が100を切りました~って<100という数字だったけど、同種移植はホントに0にするんですよ~。

 

私の前処置は致死量大量抗がん剤を2日間のあと、

全身照射の放射線を朝夕毎日2回、3日間の5日間かけました。

 

そして移植当日。

 

だから逃亡犯でなくても、ちょっとした緊張感はある。

ドナーが交通事故にあうとか、可能性は0ではないからね。

 

ドナー保険というものに2万円で入ったりもしたよ(笑)

 

前処置はおそらく私は最大にきついものをやっているから

抗がん剤1日だったり、放射線も一日1回だったり

人によって違うとは思うんだけど、気になるわぁ~。

 

訪問ありがとうございます。

 

 今回は2013年3月1日に自家移植

3月21日退院

私43歳、夫43歳、長男17歳、次男13歳。

結婚10周年頃の話。

 

え?子どもの年齢と合いませんか?(笑)

 そんな方は

ひとまず夕菜のプロフィールはこちら

 

知らぬが仏っていう言葉…

案外大事ですよね~。

 

今はインターネットで

なんでも調べられる世の中。


自分で探して読むだけでなく

質問をしたり答えてもらったりまで

簡単にできるから、病気のこと、治療のことなどもすごい調べがち。

 

そういう私も

自分の健康診断の結果がおかしくて

「Mたんぱく検出」というのが問題だと思い

 

なんですか?Mたんぱくって?と検索。


は?多発性骨髄腫って?

それって血液がん??


は?


どこも何も今までと変化ないですけど??

というところから始まりました。

調べまくりました(笑)


若い人の標準治療は

抗がん剤→自家移植→メンテナンスの抗がん剤。

 

そう調べていたから、自分もそうだと思ってた。

 

自家移植後外来での採血の結果 IgG 1328

 

当時の日記では勝手に成功を喜んでいます(笑)

 

基準値870-1700 治療前6047あった悪者が
なんと!!  1328!!!!!

今回の骨髄移植の治療…成功です。

あとはメンテナンスで週に1回か2週間に1回か…

くらいのペースで抗がん剤を1本打ちに通院するだけですね。

ひとまず

やったぁ!!!!

 

これで、あまり効果が出ていなかったら
また続けて自家移植か同種移植か?と

入院しないといけなかったんだけど

やりました。

今後は気合で数値を保ち続けましょう。

 

問題は「しびれ」です。
ものすごくひどくなっちゃってるので
もしかしたらメンテナンスの抗がん剤がいいペースで打てないかも?くらいなんだけど、先生と相談しながらあと、自己流でしびれを改善できるように工夫しながら生活していかなくちゃね。

 

~と続きます。


うん。楽天的すぎる性格は

ここではいかされてますね~。

 

算数が苦手というか数字の羅列の文献とか検査結果とかを流し読みしかできない(笑)私なので、この治療を行った何パーセントの人がこういう結果になっていて~みたいなのを見るのは苦手なんですよ。

 

だから、最初の抗がん剤のときに90%の人がぐんと下がるはず...なんだけどあんまり~と言われてもちょっとでも下がっていたら「下がってますよね♪」と嬉しかったし、正常値の範囲に入っているものを見ても「わぁ!正常値」と単純に嬉しかった。

 

あんまり詳しく知っておかないっていうことも案外大事なのかもしれませんよ。

疑わないと小さく喜べる。

 

自家移植後の抗がん剤がメンテナンスではないと知るのは、たまたま主治医ではないちょっと偉い先生の受診日のことでした。

 

しびれがひどい~と訴えたのだと思う。

すると、ここでやめたらまたすぐ再発すること、深い寛解になっていないことを聞いて、

まじか~!!と(笑)


そこで、ベルケイドからレブラミドに変えて様子をみるも骨髄抑制がひどくて、ノイトロジンを打ちに通いながら、飲み続けるも、帯状疱疹になりひどくて入院点滴。


減薬して続けるも効果出ず

後がなくなりました。


今はまだまだお薬増えてるけどね!


そこで自家移植再びより、せっかく妹とHLAがフルマッチなんだから同種移植を!と決まったのです。


かなりのリスクに親は心配していました。


でも、この治療しなければどうなります?の質問に、1年ももたないと答えを聞いて覚悟を決めたもよう。


決まると動き出すのは早かったです。