木曜日の5限は、学校教育基礎研究の授業。この日のゲスト講師はWさん。
教師になって22年(…でしたっけ)。特別支援の教室で担任をしている。
一緒に本を作ったりした尊敬する仲間だ。
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Wさんは、一人の発達障害を抱える2年生のA君との1年間にわたる日々を丁寧に語ってくれた。
A君との出会いは強烈だ。Wさんも学校が変わったばかりの四月の始業式にA君が、前の学校にいられず転校してきた。
WさんはA君の隣に立つ。新しい環境にしばらく呆然としていたA君が、ふとつぶやく。
「お母さんは…」
Wさんが答える。
「お母さんは、帰ったよ」
それを聞いたとたん、A君は激しく叫ぶ。
「お母さんのところに行きたい。お前なんか友だちでもなんでもない!」
「…!」
壇上の校長先生はじめ、周りの子どもたちが、A君のあまりの剣幕に驚いてしまう。
「帰りたい、帰りたい、帰りたい!」
Wさんは、答える。
「A君、時計を見てごらん。あの長い針がね、6のところ(9時半)に行ったら帰れるよ」
A君は、すこし泣きやむ。ところが教室には向かわない。
そこでWさんは、壁にかかっていた時計を外してしまい、A君に持たせる。するとA君は、落ち着いて教室に向かったという。9時半までずっと教室で時計を抱き続けたとのこと。
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こんなお話から始まって、学校への恐怖、否定的感情を持っていたA君が、大好きなことを続けながらWさんに励まされ、少しずつ変わっていく様子が語られる。
このお話の中には、教育の本質をめぐって考えるべき点が数数ある。
子どもが学校で生きることの意味、安心や居場所の力、子ども自身の中にある快さの実現や好奇心、こだわりの物語ストーリーというものの力。寄り添うことの意味。教師が働きかけるとはどういうことか。カリキュラムを含めて、たくさん、たくさん、考えさせられることがある。
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講義のあと、4人で居酒屋に行き、労をねぎらいながらお話をする。M君が来るまで大月まで送ってくれて、佐藤先生とWさんと帰る。
「外は、もう氷点下になっているんじゃないの」とぼく。
M君が車の示す数値をみながら言った。
「わあ、すごいですよ。外は、氷点下6度になっています!」