本日(3/26)はベートーヴェンがウィーンで亡くなった日。
彼に想いを寄せて書いてみます。
※ネタバレ有り
 
 
雪組公演、観てきました。
fffに、ほぼ持っていかれました。
一幕が終わってボーーーゼンとしたまま、シルクロードの旅へ・・・。
 
終わった後、精神的にも衝撃を受けたのか
ワタシ発熱してる?って思うぐらい、身体が熱く感じました😂
 
fffを観終わってみて、すでにご覧になった方が
難解だとおっしゃる理由がよく分かりました。
 
fffの演出は宝塚が誇る演出家、上田久美子先生。
 
私の家族は、ウエクミは素晴らしい、自分はウエクミの最大の理解者だと豪語するのですが(笑)
fffの後、“哲学書の古典を読んでいるような舞台だった、
こういう作品を作るウエクミは頭でっかちではないか”と言うのです。  ※個人の感想です。
普段はウエクミ作品が大好きな家族なのに…。
 
この難解な作品を読み解き、舞台として成立させた
雪組の皆様の頑張りに、拍手を贈りたい。
 
 
ワタシはウエクミの頭の中は理解できないので
ひたすら "自分" に引き寄せて観ました。
 
fffの主人公ベートーヴェンといえば、耳が聞こえなくなった音楽家。
彼の苦悩もそこから来ていることが多く、
劇中には、難聴ネタがあちこちに出てきます。
 
・障害を隠して振る舞う
・大勢の人と交流する場に出られなくなる(聞こえないことがバレたくない)
・最大の理解者からも遠ざかり孤立する
・言いようもなく不快な耳鳴り
 
偉大な音楽家に対して、
そうなのよ!わかる!わかるよー!って
共感しまくる私😅💦笑
 
壁に投影されている物体がゆがんで震える演出は、
耳鳴りの不快感がよく伝わってくる表現方法でした。
 
 
この舞台の最大のキーマンである謎の女
 
謎の女は、実はベートーヴェンが子供の頃からそばにいます。
ベートーヴェンは、他の人の声はよく聞こえないのに、
謎の女の声だけは聞こえるという、とてもミステリアスな設定。
 
普通の宝塚の舞台では、トップスターとトップ娘役の間に
恋愛要素がある設定が多いけれど、
この舞台はそういう雰囲気ではありません。
 
ベートーヴェンが謎の女と交流する場面もありますが恋愛とは程遠い。
退団公演だというのに、珍しい設定だなぁ・・・と思って観ていました。
 
最後に、謎の女とは人間の不幸の概念であったということが、
彼女のセリフから分かります。
 
ベートーヴェンは、もともと快活であった自分が
聞こえないことで孤立していく中で、
「幸せは芸術の中でしか得られない」ということを、日記に書いています。
 
彼が聴覚障害という不幸を背負ったことは、
芸術的な音楽を創作するうえで原動力となっていた、
だから謎の女は(恋愛要素はないけど)
ベートーヴェンにとってのヒロインなんだろうな・・・と、最後に実感しました。
 
 
障害を受け入れ、障害とともに生きるようになることを
障害受容と言います。
この受容というのが、ラストシーンに至るうえでの
一つのキーワードではないでしょうか。
 
障害があることで新たな生き方が出来るようになったと、
価値観を変えることが出来るようになるのは、すごく難しいこと。
 
彼は人生の途中で失聴しているので、
当然なかなか障害受容ができません。
苦しみ抜き、自殺も考えます。
 
しかし最後に、謎の女を受け入れ、
この苦しい状況も自分の運命だと受け入れて(障害受容)
歓喜の歌を作るに至る。
 
ここでワタシ、涙腺崩壊・・・。
ベートーヴェン、よく頑張ったね・・・!
えーんえーんえーんえーんえーん
恐れ多くも偉大なる音楽家に対して、
難聴というキーワード一つだけで、共感しまくる私。
 
 
この少し前のシーンになりますが
ゲーテから、大嫌いなナポレオンによって
自分が間接的に生かされていたことを知って、
ショックを受けるベートーヴェン。
 
その後、精神世界(夢?)の中でナポレオンと語り合うシーンは
とても不思議な雰囲気に包まれていました。
 
かつてナポレオンに捧げる曲を作るほどに
彼を尊敬していたベートーヴェン。
その後彼の行動に失望してしまいますが、
そのナポレオンとの対話は、傷つきながら生きてきた自分を
回復させようとする行為のように感じました。
それはきっと、自らの不幸を、障害を、受容していくうえで、
必要な過程であったのでしょう。
 
 
 
ただ・・・その後が怒涛のラストだというのに
ここに入り込めなかった・・・。
 
舞台がまばゆい光に包まれ、
白衣装で組子に囲まれるだいもん。
いきなりショーが始まったのかと思いました(笑)
 
ウエクミと、その後のショーを担当する生田先生が相談して、
ここで退団公演のお約束をやることにしたんですかね・・・。
 
もちろん、ベートーヴェンが悩み苦しんできた自分自身を受け入れて、
昇華したという感じは伝わってきます。
しかし、これが退団公演でなければ
ラストはどんな描かれ方だったんだろう。。
 
すーっと引いていく涙、
わきあがってくる雑念…
 
超チケ難公演、最初で最後の観劇でしたのに、
まさかラストで舞台に入り込めなくなるとは・・・(´;ω;`)
 
 
ただ、舞台の観方は人それぞれ。
fffのような舞台もあるから、宝塚は面白い。
 
聞こえない私は、当日は劇場でタブレットをお借りして
セリフや歌詞を理解して観ることができました🥰
 
聞こえなくても舞台を楽しむことができる、
そのことに感謝の気持ちで一杯ですラブラブ
 
1度といわず、何度も観たい作品でした。
2度目は印象も変わってくるかもしれません。
配信は字幕がないので、
1年後にスカステで放送されるのを楽しみにしています。
 
最後に。
モーツァルトが可愛すぎました。
演じたのは彩みちるさん。今後チェックします💕
  
 
 
* * * * *

 

ベートーヴェンと障害受容。

同じことを感じた人はいないかな・・・と思って調べたら、なんと論文になっていた。

そりゃそうか。

ベートーヴェンを語るうえで、かなり大きなキーワードですものね。

 

ベートーヴェンの『ハイリゲンシュタットの遺書』―『運命』と障害受容

 

『1802年10月,ベートーヴェン(1770~1827)が32歳の時に書いた『ハイリゲンシュタットの遺書』(大築邦雄訳,『ベートーヴェン』,音楽之友社)には,聴覚障害ゆえに一時は死をも思いつめたベートーヴェンの苦悩が綴られている. ~中略~

 「生まれつき情熱あり快活で,交際も楽しむ自分が,若くして退き,孤独な生活を送ることになったのだ.時にはすべてを乗りこえようとしたが,おお,耳が悪いことから,いつも二重の悲しい思いではね返されてきた」

 だが,べートーヴェンはその直後,「ただ芸術だけが僕を連れもどした」と語る.彼は,「自分に課せられた創造をすべてやりとげるまでは,この世を棄てることなどできぬと考えたのだ」として,聴覚障害に伴う心理的な危機を芸術に対する使命感によって乗り越えたと言うのである.』

 

 

 

CiNii 論文 -  大作曲家における聴覚障害の受容--ベートーヴェン、スメタナ、フォーレの場合

『ベートーヴェン、スメタナ、フォーレという3人の大作曲家(3人とも名演奏家でもあった)における聴覚障害の創造への影響を検討した。ベートーヴェンの場合、聴覚障害は名ピアニストとして社交界での寵児でもあった青年期に発症したこともあり、遺書を書くほどの衝撃をもたらしたが、その不屈の精神により、主題の徹底的展開によるソナタ形式の完成をもたらした。~中略~ 3人に共通しているのは、音楽の深化、凝集化、内省化であった。』

 

 

 

 

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