オタクフラクタル次元 -14ページ目

松文館裁判を再度考察する(3)

松文館裁判は結果的に言うと、山口貴士 さんの言うとおり、具体的な説明もなく従前の最高裁判例に追随するだけの残念なものでした。

しかしですね、前回述べたように四畳半襖の下張事件の判例に追随しているのならば、

春本、すなわちエロ本の社会的価値とそれが存在することの社会的害悪の蓋然性の有無、

社会通念の変遷を認めているのだから、現在の社会通念はどうなっているかの証明が必要なわけです。

もう一度推敲して書きます。

※四畳半襖の下張事件の判例 [10][11][12]

エロ漫画の「わいせつ性」の判断に過去の、四畳半襖の下張事件の最高裁判例を持ち出すなら、

そこで言及されていたエロ漫画の頒布販売をも処罰する刑法175条の合憲性判断の基準を証明しなければならない。

それはいわゆる明白かつ現在の危険テストではなく、いわゆる合理的関連性テストで足りると解されるので、

・風俗あるいは秩序に対して長期的にみて何らかの有害な影響を及ぼす蓋然性があるという事実命題

・日常生活の質の向上、社会の品格の維持、わいせつ物の未成年者からの隔離などの国民的利益に対しても長期的にみて何らかの有害な影響を及ぼす蓋然性があるという事実命題

この2つの命題については、未だ利用に値する実証的長期的な観察調査結果は見当らず、この命題は、実証されていないがさりとて否定もされてはいないものの、不合理なものとはいまだ認められない。従つて、現時点ではこれらのかなり広く信じられている命題と刑法175条の規定とが合理的関連性を有しないものと断ずるわけにはいかず、それゆえ刑法175条は憲法21条に反するとはいえないものであり、この種文書の入手を欲する成人に頒布販売することを刑法175条により規制しても、これまた憲法21条に反するものではない。

に着目しなければならないのです。

ここに対して何の証明もせずに、エロ漫画をエロ小説と同じように裁いたのが松文館裁判ですよ。

というのが前回までの流れです。

そして、何の証明もないので全ての命題を私が調べて証明しましょう。というのが今回の更新ですね。

■風俗あるいは秩序に対して長期的にみて何らかの有害な影響を及ぼす蓋然性があるという事実命題の証明

ここからしてもう難解なんですが、まず最高裁判決の下った昭和55年から現在の平成19年で風俗の変化があったかということを考えます。

この場合風俗が「社会の風俗」を指しているのは間違いないです。

後の文に秩序が来ますので、風俗が秩序と同等の位置で語られているということです。

するとやはり問題になるのが平成10年以降の「インターネットの爆発的普及」で、ここを避けて通れないはずです。







誰でも、無条件でアダルトビデオが見られる環境になったことにより社会の風俗観念というものは、未だ性行為非公然の原則は持つものの、敷居は低くなったと考えて良いはずです。

今までは雑誌等でしか見ることが出来なかったものが、実写として簡単に見ることが出来ることの衝撃は計り知れません。


また悪影響論を語る際にもこの点は無視できず、

一般人と言われる漫画に欲情しない人々が、影響される、されないを論じると「実写>漫画」なのは当然です。

そうすると長期的に、という中にネット普及以降の年を含めるのは不当と言わざるを得ません。

悪影響の前提がこういう状況を想定していなかったからです。

児童ポルノの問題がありますが、現在ネットで実写の児童ポルノ画像が氾濫している事実がある状況で漫画の影響論を語るのはやはり不当です。ちょっと調べれば実写の児童の性的表現が見られます。


ですので、秩序に対して長期的にみて何らかの有害な影響を及ぼす蓋然性があるという事実命題は昭和55年~平成10年という17年の限られた中で性犯罪が増加したか否かで決まります。


これを踏まえた上で以下の資料の、昭和55年~平成10年までの認知件数を見てください。






強制わいせつは約1000件ほど増加していると言え、

強姦は約1000件ほど減少していると言えます。


犯罪の凶悪性を論じるなら、凶悪な犯罪とは警察白書では殺人、強盗、強姦、放火を指しますので、凶悪性は減少しているといえますが、事件の凶悪性は被害女性からすれば関係ないです。


結果、総合的に観て昭和55年から児童ポルノなどあらゆるジャンルの性的描写を含むエロ雑誌・漫画が発行されてきたのにも関わらず「何の影響もない」ということが言えます。


・風俗あるいは秩序に対して長期的にみて何らかの有害な影響を及ぼす蓋然性があるという事実命題



よってこの事実命題は、



蓋 然 性 な し。

加えるならネット社会となることを(出来るわけないが)想定しなかった頃の判例で、

ネット社会の現代にこの判例を使うこと自体噴飯ものである。

「本」の悪影響の前提は「成熟していない情報社会」だからである。



―次回は「日常生活の質の向上、社会の品格の維持、わいせつ物の未成年者からの隔離などの国民的利益に対しても長期的にみて何らかの有害な影響を及ぼす蓋然性があるという事実命題」

の検証です。

松文館裁判を再度考察する(2)

前回の考察の際、「わいせつ」とは何か?という投げかけをしました。

曖昧な法的概念で


いたずらに性欲を興奮又は刺激させ、かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する


と言っても何を指すのか、社会通念とはどうやってわかるのか?


現実ではないヴァーチャルな漫画すらこれに反して「わいせつ」なのは何故なのか?

貴方の中で答えはもう見つかったでしょうか?

それでは答えと言いたい所ですが、先に注意事項です。


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■この裁判で最も重要なこと


わいせつのことについて具体的に述べる前に、この裁判で最も重要なこと、そして複雑かつ突っ込み所満載の中で私がこのブログで取り上げるのは唯一つ。


「わいせつ」というものは一体どうして決まるのか。

に始まる「わいせつ」の考察です。


1.松文館裁判は「わいせつ図画頒布」で起訴されている

2.頒布はわいせつという前提があって成立する

3.わいせつ故に有害図書でなく発禁となる


以上3点のことから「わいせつ」でないことを証明・ないし密室に関して証拠がない、説得力がないことを示せば良いわけであって、そこに至る過程など些細なことと認識します。


この点を踏まえて、申し訳ないのですが、松文館裁判 の全文を読んでから以下の文章を見ていただくことを推奨します。

見てない方のためにリンクを貼るなど理解しやすくするのですが、理解度という点でやはり一度は全文に目を通すことを勧めます。

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控訴審判決文  より引用。 具体的な「わいせつ」とは


当該文書の性に関する露骨出詳細な描写叙述の過程とその手法、描写叙述の文書全体に占める比重、文書に表現された思想等と描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、主として、読者の好色的興味に訴えるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し、その時代の健全な社会通念に照らして、それが『徒らに性欲を興奮又は刺激せしめ、かつ、普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するもの』といえるか否かを決すべきである。」と解するものである。そして、この判断基準・方法は、文書だけでなく、本件のような漫画本を含め図画にも妥当する(なお、写真誌のわいせつ性の判断基準・方法について、上記四畳半襖の下張事件判決の示した判断基準・方法を踏襲した前記昭和58年3月8日第3小法廷判決参照。)

引用終わり。


赤文字が具体的なわいせつの定義です。

ですが、これは昭和55年の古い時代に定義された、「小説」に対するわいせつ性の定義です。

まず疑問に思うのが、この定義が漫画本を含む理由ですよね。


仮に野球漫画があるとしまして、作者が野球の楽しさ、素晴らしさを漫画によって伝えたいという思想を持って描きます。

すると当然「野球漫画」なんだから野球のことしか描きません。何気ない物語だと思っても次のペナントレースの伏線だった。とか、主人公が修行に旅立つとか何でもいいですw

メインは野球の思想の伝達なので至極当然のことです。


ではこれをエロ漫画に置き換えまして、作者がこんな妄想はエロくて面白いんじゃないか。というのを漫画によって伝えたいと描きます。

すると当然「エロ漫画」なんだからエロしか描きません。何気ない物語だと思ってもエロシーンを盛り上げるシチュエーションだった。とか、主人公がインポテンツとか何でもいいですw

メインは自分が面白いと考えついた(つまり思想)エロの伝達なので、至極当然のことです。


そして両者ともジャンル分けをされて「野球」と「エロ」に分類されるわけです。


しかしエロスというものは人間にある純粋な欲求なので、性に対する風俗が乱れないように社会が容認してくれないといけない制約があります。同時に国がそれを保護する必要性もあります。

これの考えが保護法益なのですが、また後で詳しく説明します。

だったらその線引きをどうしようか? と考えた末に出てきたのが既述した具体的法的概念としてのわいせつの定義です。


するとどうでしょう。







エロ漫画は存在が否定されてます。


エロに関する思想を描くのがエロ漫画なのに、わいせつかどうかの判断に

「思想性等による性的刺激の緩和の程度」と言われても、緩和どころか助長してますよ。

こんな新しい体位はどうだろうか? と思想を盛り込んだところで緩和になるわけがない。


「描写叙述の文書全体に占める比重」だってエロ漫画というジャンルなんだからエロに比重が傾くのは当然だし、


「全体としてみたときに、主として、読者の好色的興味に訴えるものと認められるか否か」だってエロ漫画なんだから好色的興味に訴えるに決まってるでしょう。


こんな最初からエロ漫画なんて認めねーよという定義を何故漫画に適用するのか。

その答えが松文館裁判の判決でも引用した四畳半襖の下張事件 控訴審  に載ってます。


四畳半襖の下張事件控訴審より引用


その文書の支配的効果が専ら読者の好色的興味にうつたえ、普通人の性欲を著しく刺戟興奮させ性的羞恥心を害するいやらしいものがいわゆる春本である。そして、春本は精神的自由として憲法の価値体系上高位の価値を認められている思想、信条、信教、学問などの表明とは明らかに無関係のものであるから、事前の検閲に服さないという限りで憲法上の保障をうけるとしても憲法21条1項の表現の自由の保障をうけるものではなく、その頒布販売を処罰の対象とするか解禁放任して自然淘汰に委ねるかは立法政策の問題であるにとどまる。


(中略)


いうまでもなく、自由主義的憲法原理の基礎は、すべての国民が個人として尊重され、生命、自由及び幸福追求の権利について最大の尊重をうけるということにある。わいせつ文書の公表が、右の憲法的価値の実現に資するゆえに善良なものと観念される性の道徳、風俗あるいは秩序に対して長期的にみて何らかの有害な影響を及ぼす蓋然性があるという事実命題並びに日常生活の質の向上、社会の品格の維持、わいせつ物の未成年者からの隔離などの国民的利益に対しても長期的にみて何らかの有害な影響を及ぼす蓋然性があるという事実命題は、我が国を含む自由主義的憲法原理を採る諸国家において識者の間にかなり広く信じられている。そしてこれらの命題については、未だ利用に値する実証的長期的な観察調査結果は見当らず、右の命題は、実証されていないがさりとて否定もされてはいないものの、不合理なものとはいまだ認められない。従つて、現時点ではこれらのかなり広く信じられている命題と刑法175条の規定とが合理的関連性を有しないものと断ずるわけにはいかず、それゆえ刑法175条は憲法21条に反するとはいえないものであり、この種文書の入手を欲する成人に頒布販売することを刑法175条により規制しても、これまた憲法21条に反するものではない。

引用終わり。


要約しますと、


情操的でないエロ本は表現の自由等憲法で保障されることはなく、その存在を規制するか否かは保護法益との天秤にかけての法律の問題に帰結する


ということで良いと思います。よって最初からエロ本の社会的価値など「無」なのです。

だから憲法なんて関係ない。エロ本の氾濫を規制するには刑法175条で合憲、つまりわいせつの法的概念で裁け、わいせつ図画頒布罪で摘発できるという理論です。


でもこれでは明らかに暴論なので、適当な理由としてつけたのが後半部分の「長期的に社会にとって有益か否か」という命題、つまりその有益さの真意を問う形になりました。

そしてその結果、昭和55年の時点でその社会的に無価値である物が長期的に有効かどうかの観察調査結果は見当たらず、何らかの有害性があるのではないか。と、日本は性行為非公然なので蓋然性の意見が重視されたのです。


これが「エロ本」に対する「わいせつ」の判断です。

これを松文館裁判の判決で引用したと明言している


(そして、この判断基準・方法は、文書だけでなく、本件のような漫画本を含め図画にも妥当する(なお、写真誌のわいせつ性の判断基準・方法について、上記四畳半襖の下張事件判決の示した判断基準・方法を踏襲した前記昭和58年3月8日第3小法廷判決参照。)


のですから、本に対する「現在の評価」というものが松文館裁判ではわいせつ判断の基準とならなければならないのは明らかですよね?


そして良く考えてください。お気づきの方がいられると思います。

この判決が下ったのは昭和55年のことです。

昭和55年。どこかで聞いたことないでしょうか?


筆者の書いた 麻薬等から創作物児童ポルノの単純所持の考察(3)  を観てもらえば解ります。



ロリコンを初めとしてポルノ雑誌が大量に発行された年なんです。


歴史が語る真実なので疑問の余地すらありません。

確かに昭和55年からエロ本文化は発展して今に至ります。


ということは、現在においてエロ本の社会的価値を、松文館裁判と同じく四畳半襖の下張事件から引用して考えると、「長期的に有効かどうかの観察調査結果」と「有害な影響を及ぼす蓋然性の命題」と「社会の品格の維持、わいせつ物の未成年者からの隔離などの国民的利益」など全てのことに対して有効性を示し無価値から有価値にすれば、わいせつ本の指定がなくなるわけではないが、成年には販売して良いことになるのではないでしょうか?


また社会通念にしても松文館裁判では四畳半襖の下張事件から以下のように引用しているので、


またその変遷もそれほど急激なものではありえないから、裁判官によると同様一般人によつても捕捉が可能なものである。してみると、裁判所の主観により法が変動するのではなく、社会通念の変遷により法の適用の範囲が変動するにすぎない


この時代と現在とを比較してどのように通念が変遷しているのかの「証明」も必要ではないでしょうか。


松文館裁判の判決 を見る限り、利用できるものは判例として利用して、

それ以外のものは判例から引用しているくせに何も証明、ないし証拠として採用していない印象を受けます。

ですので、引用元に従い私がエロ本の現在の社会的価値を証明したいと思います。



次回【エロ本の価値の変遷】

松文館裁判を再度考察する(1)


松文館裁判というものをご存知でしょうか?

初めて成年コミックである「密室」という本が刑法175条


わいせつな文書、図画、その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらを所持した者も、同様とする


という罪を問われて裁判にまで発展した刑事事件です。

この「わいせつ」認定を受けてしまうと、有害図書とは違い事実上の発禁処分になります。

これは私達オタクにとって死活問題と言えます。


正直言って「エロ本がにゃいぃから死んに゛ゃううぅううぅう!!」なんてみさくらなんこつ先生のように狂った人も居るわけですよ。





……私ですがw   2次元至上主義なんでエロ本ないと困る……ゲフンゲフウンッ!


今は松文館裁判を取り上げて意見を言いますが、別に筆者は最初こそ表現の自由は考えていませんでした。

そもそも「わいせつ」の意味すら知らずに、世の中にあるエロ本全部が「わいせつ」だと認識していたくらいです。

しかしこの裁判のやりとりの全てを何度も観る限り、私の思う「わいせつ」と刑法上の「わいせつ」は違うと気付くのです。さらに裁判の流れも異常性を感じられずにはいられない。


では警察は何をもってして「密室」を「わいせつ」と断定したのか?

「わいせつ」とは何なのか? ここがおかしいんじゃないか? ここは正論じゃないか?


そんな筆者が感じた松文館裁判を、裁判が終わって判決が出てしまったが再度考察してみたいと思います。



■事件の発端

それは一枚の投書から始まりました。

自民党議員で警察庁OBの平沢勝栄を経由して警察に届いた一通の手紙 です。

そこで警察が「姫盗人」を捜査。

さらに日付は定かではないが、代々木警察署にも匿名の電話で「密室」という本がわいせつ性が強いという連絡が入る。

―結果として「姫盗人」の中に掲載されていた「密室」が検分を受けるのです。


その検分結果、「わいせつ」という判断が下され家宅捜索→任意取調べ→一斉逮捕というのが一連の流れです。




■検察の指摘した「わいせつ」


警察が2人の有識者と共に「1時間以上半日に満たない」時間をかけて慎重に検分した結果、

以下の画像が黒ベタではなく網掛け40%の状態で検察によって指摘されました。







これを見て普段エロ本を読む人、読まない人はどんな風に感じましたか?
私は「普通」という言葉しか出てこなかったです。

次にアニメ絵より少々リアル傾向が高くて私の好みじゃねぇなーという本当にどうでもいい感想でしたw


しかし普段からエロ本を見る習慣、あるいは過去に数度見たことのあるような人にはこれが「わいせつ」であると思ったらしいです。


では何度も何度も飽きるほど出てきた「わいせつ」って何でしょうか。

この裁判で最も重要な要素となる言葉なので良く考えてみてください。






■「わいせつ」とは

松文館裁判でも過去の判例を用い判決を下した結果が出たので、それを引用しますと






いたずらに性欲を興奮又は刺激させ、

かつ普通人の正常な性的羞恥心を害し、

善良な性的道義観念に反する


これが法的概念としてのわいせつです。

これに則してわいせつか否かを判断するのですが、みなさんこれがどういうものを指すのか解りましたか?


一体「何」が、あるいは「どういう状況が」徒に性欲を興奮又は刺激させ、

普通人とは何なのか、正常な性的羞恥心とは何か。

善良な性的道義観念とは何なのか?


私は全て理解できませんでした。

法律の定義が曖昧では困ります。はっきり言ってこんな定義だと全てのポルノ商品が摘発対象です。

まだこの裁判の発端となった平沢勝栄氏のわいせつ物の取り締まりについての著書「警察官僚が書いた日本の警察(講談社1999年刊)」


>>「私の警視庁防犯部長時代に、篠山紀信撮影の樋口可南子のヘア・ヌード写真集が出版され、これが日本におけるヘア論争のきっかけになった。それまでの警察の見解は、【ヘアの露出はわいせつ】というもので……


というほうがしっくり来ます。というよりこれが定義じゃないでしょうか。

しかし定義とは何か? 定義とは普遍であるのかと言えばそうではなく、一概にそうとは言えません。

ですが、法律というものは定義が曖昧だと無意味になる場合があるのです。

「物事の本質をとらえるための思考が曖昧」ということは本質をとらえていないと同じですよね。

そんなレベルで刑を言い渡されるなんて法治国家にあって無法です。


ですので、何が「わいせつ」かを問う時に何かしらの明確な基準が存在しなければなりません。


先ほど法的概念としてのわいせつが「徒に性欲を~」と書きましたが、本来、事実として社会通念に照らして性的に逸脱した状態のことを言うのですが、これも困難です。


どちらにしても明確ではないですよね。


法的概念としても社会通念としても、例えば乳首を露出しているから「わいせつ」だと断言できないからです。


これは漫画、絵という表現で乳首が描かれていても、人によって感じ方がそれこそ万に分かれるからです。

ある人は性的興奮を覚えるかもしれない。ある人はバカバカしいと思うかもしれない。

かつての警察のようにヘアが見えるからわいせつというわけではありません。

このインターネットが普及した時代に何がわいせつであるか。何を基準にするか。

この文を読んでいる貴方は何を基準にするか考えられるでしょうか?



今回はそんな宿題を残して終わりにしたいと思います。

法的概念としても社会通念としても具体的なことを述べていないのに、どういう表現がわいせつに該当するのか。



次回よりこの「わいせつ」を念頭に置いて話が進みます。

よろしければしっかり考えてみてください。