松文館裁判を再度考察する(3) | オタクフラクタル次元

松文館裁判を再度考察する(3)

松文館裁判は結果的に言うと、山口貴士 さんの言うとおり、具体的な説明もなく従前の最高裁判例に追随するだけの残念なものでした。

しかしですね、前回述べたように四畳半襖の下張事件の判例に追随しているのならば、

春本、すなわちエロ本の社会的価値とそれが存在することの社会的害悪の蓋然性の有無、

社会通念の変遷を認めているのだから、現在の社会通念はどうなっているかの証明が必要なわけです。

もう一度推敲して書きます。

※四畳半襖の下張事件の判例 [10][11][12]

エロ漫画の「わいせつ性」の判断に過去の、四畳半襖の下張事件の最高裁判例を持ち出すなら、

そこで言及されていたエロ漫画の頒布販売をも処罰する刑法175条の合憲性判断の基準を証明しなければならない。

それはいわゆる明白かつ現在の危険テストではなく、いわゆる合理的関連性テストで足りると解されるので、

・風俗あるいは秩序に対して長期的にみて何らかの有害な影響を及ぼす蓋然性があるという事実命題

・日常生活の質の向上、社会の品格の維持、わいせつ物の未成年者からの隔離などの国民的利益に対しても長期的にみて何らかの有害な影響を及ぼす蓋然性があるという事実命題

この2つの命題については、未だ利用に値する実証的長期的な観察調査結果は見当らず、この命題は、実証されていないがさりとて否定もされてはいないものの、不合理なものとはいまだ認められない。従つて、現時点ではこれらのかなり広く信じられている命題と刑法175条の規定とが合理的関連性を有しないものと断ずるわけにはいかず、それゆえ刑法175条は憲法21条に反するとはいえないものであり、この種文書の入手を欲する成人に頒布販売することを刑法175条により規制しても、これまた憲法21条に反するものではない。

に着目しなければならないのです。

ここに対して何の証明もせずに、エロ漫画をエロ小説と同じように裁いたのが松文館裁判ですよ。

というのが前回までの流れです。

そして、何の証明もないので全ての命題を私が調べて証明しましょう。というのが今回の更新ですね。

■風俗あるいは秩序に対して長期的にみて何らかの有害な影響を及ぼす蓋然性があるという事実命題の証明

ここからしてもう難解なんですが、まず最高裁判決の下った昭和55年から現在の平成19年で風俗の変化があったかということを考えます。

この場合風俗が「社会の風俗」を指しているのは間違いないです。

後の文に秩序が来ますので、風俗が秩序と同等の位置で語られているということです。

するとやはり問題になるのが平成10年以降の「インターネットの爆発的普及」で、ここを避けて通れないはずです。







誰でも、無条件でアダルトビデオが見られる環境になったことにより社会の風俗観念というものは、未だ性行為非公然の原則は持つものの、敷居は低くなったと考えて良いはずです。

今までは雑誌等でしか見ることが出来なかったものが、実写として簡単に見ることが出来ることの衝撃は計り知れません。


また悪影響論を語る際にもこの点は無視できず、

一般人と言われる漫画に欲情しない人々が、影響される、されないを論じると「実写>漫画」なのは当然です。

そうすると長期的に、という中にネット普及以降の年を含めるのは不当と言わざるを得ません。

悪影響の前提がこういう状況を想定していなかったからです。

児童ポルノの問題がありますが、現在ネットで実写の児童ポルノ画像が氾濫している事実がある状況で漫画の影響論を語るのはやはり不当です。ちょっと調べれば実写の児童の性的表現が見られます。


ですので、秩序に対して長期的にみて何らかの有害な影響を及ぼす蓋然性があるという事実命題は昭和55年~平成10年という17年の限られた中で性犯罪が増加したか否かで決まります。


これを踏まえた上で以下の資料の、昭和55年~平成10年までの認知件数を見てください。






強制わいせつは約1000件ほど増加していると言え、

強姦は約1000件ほど減少していると言えます。


犯罪の凶悪性を論じるなら、凶悪な犯罪とは警察白書では殺人、強盗、強姦、放火を指しますので、凶悪性は減少しているといえますが、事件の凶悪性は被害女性からすれば関係ないです。


結果、総合的に観て昭和55年から児童ポルノなどあらゆるジャンルの性的描写を含むエロ雑誌・漫画が発行されてきたのにも関わらず「何の影響もない」ということが言えます。


・風俗あるいは秩序に対して長期的にみて何らかの有害な影響を及ぼす蓋然性があるという事実命題



よってこの事実命題は、



蓋 然 性 な し。

加えるならネット社会となることを(出来るわけないが)想定しなかった頃の判例で、

ネット社会の現代にこの判例を使うこと自体噴飯ものである。

「本」の悪影響の前提は「成熟していない情報社会」だからである。



―次回は「日常生活の質の向上、社会の品格の維持、わいせつ物の未成年者からの隔離などの国民的利益に対しても長期的にみて何らかの有害な影響を及ぼす蓋然性があるという事実命題」

の検証です。