私がはじめて”ことば”と深く関係性をもったのは、かれこれ10年前のこと。

ある人との劇的な出会いがきっかけだった。

それまでなんとなく書いていた文章を見せる機会、

いや、正確にいうと「見せざるをえない」状況に追い込まれて、

しぶしぶ提出したのだった。

だから、いってみれば、その「しぶしぶ」から始まった人生の一大転機

だったわけだけれども。

人生には誰もが数奇な出会いによって動かされるものだと思うけれど、

私の場合も同様で、そこには必ず「ある人物」が介在している。

そしてそれはいつも、劇的な出会いによって始まる。

(これはおそらく、私自身がドラマティックで情熱的な人生を歩みたい

という潜在欲求があるから、そうした状況を自ら引き寄せているのだろう)

ただ、私の場合、「人」だけではないのだ。

正確にいうと、「人×情熱×ことば」この3つの超ミラクルな錬金術によって

私のこころはどこまでもかき乱され、揺さぶられ、

そしてふるいにかけられた情熱の結晶が、自分の魂をもうどうにもならない

くらいに突き動かしていく。

そう。ここだけの話、私は「人×情熱×ことば」を

人生における「三種の神器」と呼んでいるのだけれど、

天皇家の三種の神器がそうであるように、

どれが一つ欠けてもダメなのだ。

三つ揃ってはじめて、エネルギー値は最大値になって、

そこにはじめて予想をはるかにこえた、ミラクルが起こるのだから。

閑話休題。

つまり私は今からかれこれ10年前に、

そのような決定的な出会いを果たしてしまったのだ。@東京銀座

もう決してもとの道には戻れないくらいにーー。

長く人生を続けていると、いろいろな経験が積み重なっていくけれども、

この三つが揃うなんてことは、そうそうないということに気づいている。

それはとてもとてもかけがえのない、まるでアラビアンナイトに登場する

きらめく宝石のように、美しくて愛おしい唯一無二の、時と時のあいだの

わずかな隙間をかいくぐって。

けれどもそのチャンスの扉は、一度はやってきてくれるかもしれないけれど、それをつかまえなかったら二度と開かないとうことも、直感でわかっていた。

だから私は、迷わずその隙間にサッと入って、するりと「向こう」へ

わたったのだ。

そう、自分自身の意志で。

かくして、チャンスの扉は開かれ、それを境にかたく閉ざされた。

ここから先は立ち入り禁止、もしくは危険区域ともいわんばかりに、

あとに続く者は、そのあと数年あらわれなかったといってもいい。

ただ、そのあとは危険区域とだけあって、さんざんな目にも遭うことになるのだけれど(笑)。

でもただ一ついえることは、あの時、決してたじろがず、

逃げもせず、隠れもせず、無垢な心をあの場所に思いっきり放り込んで

本当によかったと思っている。

人生に正解はないけれど、それは自分が決めたことだし、

なによりも三種の神器が、まるで降ってわいたようにやってきたのだから

それをつかまない理由なんて何もなかった。

人、情熱、そして「ことば」。それが何一つかけることなく

揃ったのだから。

そしてその人はいった。

「あなたは、”ことばに惚れてしまった”のね」と。

その時の私の文章といえば、ズタズタのぐっちゃぐちゃで

見られたものではなかったけれど、

その人はきっと、私の情熱を、今にも噴火しそうなほどの熱量を、

おそらく、とても大切に尊重してくれたのだとおもう。

私のその後あゆむ人生を大きく変えたのは、

だからその人のおかげ。

その決定的なコピーに、メロメロになって、

私はひょっとしたらできるんじゃないか、なんて思って、

リスキーな道を一直線に歩むことになった。

そう考えると、ことばの力ってものすごい。

空恐ろしくもある。

でもその分、人生を決定的に変えてしまうような

ものすごいエネルギーとパワーをもっていて、

それは時に、あらかじめ決まった運命さえも乗り越えてしまいそうな勢いがある。

おそらくあの時、才能なんてこれっぽっちもなかった私が、

とんだ大博打を打ったのだから、それはもともとの筋書きにはなかったのでは?

と思ってしまう。

でもそれでいいのだ。

ことばってそういうものだから。

ことばって、それくらいの力をもつのだから。

人生はことばによってできている、ことばの総体によって人生が成る。

ことばによって世界は織り成され、歴史や文化ができあがる。

人と人とのあいだの営みでさえも、ことばなくしては成り立たない。

しかし、たくさんのことばが溢れ、乱暴に扱われることもある今の時代に、

いったいどれだけのことばが、自分の人生を支え、

また人生を変える指針となるだろうか。

それははっきりいって未知数である。

しかしだからこそ、よいことばを紡いでいきたい。

世界の片隅、この小さな日本という国の果てから、

それがたとえ、ささやき、や、つぶやき、たわごとであっても、

私は自分自身のことばで語り始めたい。

そして、できることならば、たくさんの人に届けたい。

それが私にとっての生きる道で、

言葉で魔法をかけてくれた、恩師への報いでもある。

言葉にもっと惚れていこう。

そんな照れくさい、ちょっとキザな決意をした、

1月10日。蟹座満月。