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takacciの「見た・観た・聴いた・読んだ」

音楽に関すること、観たこと、読んだことへの感想などを書いていきます。(文中敬称略) 2019年4月より別サイトで掲載していた写真の記事も同居させましたが、20年7月に元に戻しました。

本ブログの無断転載はお断り致します。

とても満たされた気持ちで会場をあとにした演奏会だった。

演目は前半が「運命」、後半は「コーロ・オルフィーネの合唱と巡る楽しい世界」。

 

特に後半のステージでゲスト出演の合唱団と共演した演奏が良かった。

前半の「運命」では、力及ばずながら熱気の持続で大きな拍手をとった印象だった。

私が数年前まで抱いていたアマオケに対する印象通りの出来で、危なっかしさの連続に「頑張れ、頑張れ」と念じながら聴く。特に一カ所リズムがバラバラになった時はもう駄目かと目を瞑りかけた。しかし指揮者の大きなゼスチャーにより空中分解を免れ、楽員の熱気の継続は終盤の盛り上がりを支え、無事にエンディングを迎えた。大きな拍手はそれこそ「よくやった!」と歓声を上げているように聞こえた。

 

後半のステージで「ペルシャの市場にて」が始まると、ぱあーっと舞台が輝き始めたように感じた。それからオペラの合唱名曲が2曲演奏され、その後クリスマス音楽となる。その中で1曲だけ別格の光を放ったのがメサイアのハレルヤコーラスだった。何という輝かしさ! 思わずほろっときてしまった。アンコールで演奏された威風堂々(合唱付き)でも感激が繰り返され、それですっかり満たされて会場をあとにした、というわけである。

 

こういうオケと合唱の合同ステージってのは誠に羨ましい。私が合唱をしていた当時だとこういう設定は考えられなかった。ベートーベンのハ長調ミサもモーツアルトのレクイエムもピアノ伴奏だった。身近にあったオーケストラは下手で下手で、合同で演奏したら歌いにくくて仕方なかったに違いない。(オケの方でも私たちをそう思っていた、と後日聞き及ぶ) オケの水準がかなり上がった今なら、合唱との共演も定期的にやるべきだ。例えばこの組み合わせでベートーベンのハ長調ミサが演奏されたら、私は絶対聴きに行く。

 

合唱といえばこの日の合唱団。高い音が続く場面ではソプラノが一人か二人で歌っているように聞こえ、びっくりした。他の人も歌っていたのだろうが、あの音域になると出る人と出ない人の差が大きくなるのだろう。また、盛り上がる部分でテナーの数人が飛び出した。リズムも音程も狂ったとは思えないけれど、乗りに乗るとこうなるのだろう。これはたまにレコードやCDの合唱でもあることだと思う。私はとても人間的でいいのではないかと思う。

昨晩は武蔵小金井へ東京五美術大学管弦楽団の2017年冬のコンサートを聴きに行った。演目が「後宮からの逃走」序曲、サティーのバレエ音楽「本日休業」、シベリウスのアンダンテ・フェスティーヴォ、ドボルザークの8番ト長調、と何か面白そうだった。当日券600円也。

 

会場の小金井宮地楽器ホール大ホールは駅のロータリーを越えたところにあり、足の便がとても良かった。ホールは600席足らずの規模ながら、ステージにはフルオーケストラが上がっても余裕のスペースであり、音響反射板は可動式で調節が効くようだ。この日は多少デッドな反響だったと思う。

観客は少なめだった。遅れて来ても好きなゾーンの良い席に座れるくらい。

 

オーケストラはムサビ、タマビ、東京造形大、女子美、日大芸術学部から集まった学生を中心とするオケとのこと。プログラムによると、最近は団員不足で大変苦労しながら活動を続けてるらしい。メンバー表を見ても弦の3~4割は賛助出演者だった。そういうので普段の練習は楽しめるのかなあ。

 

演奏は最初のモーツアルトが鳴り始めて「おっ」と思った。なかなかいい感じ。これは好きな曲だ。会場の音響も丁度良いみたいだ。

サティーは指揮者によるこのオケのための編曲版の再演とのこと。演奏の機会が少ないだろうサティーの管弦楽曲を聴けたのは良かった。いろいろと一風変わった感じでそれなりに楽しめたが、サティーは好きになれそうもない。

シベリウスは思ったより大きめの音量による演奏だった。

最後のドボルザークはとても大変そうだった。出来の良いパートが演奏すると「おっ、いよいよ調子が出てきたかな。」と思うのだが、それを調子の悪いパートが引き継ぐと「はやりこうか、、、 う~ん、、」となる。

ということで、アマチュアオーケストラの演奏への感想としては至って普通の感想を持ったのでした。出来の良いパートの出す音はとても美しく、やはり生の演奏は感じるものが違った。集中して音楽に向き合える場所である演奏会に、こうも気軽に行けてありがたいです。

昨晩なかのZERO大ホールにて交響楽団CTKの第4回定期公演を聴いてきた。
演目はブルックナーの交響曲第5番のみ。指揮者佐藤雄一。

最近私にとって定期的になりつつある週末のアマチュアオーケストラ演奏会。そのどこかのプログラムに挟まれていたチラシでこの演奏会を知った。珍しい演目だし入場無料でもある。チラシで幾つか候補に残った同日の演奏会の中からこの演奏会に決めたのは、ブルックナーだった。今改めて考えてみたら、ブルックナーの交響曲を生で聴いたのは初めてなのだった。

演奏は凄かった。何回も何回も掻き鳴らす弦楽奏者を見ていて、あれで腕が攣ることはことはないのだろうか、と心配になるくらい。ほぼ100分の演奏時間は音楽のマラソンと言えるだろうか。指揮者は第3楽章と第4楽章の切れ目に指揮台を降り、その台に腰掛けて休憩していた。聴いている方だってそうそう集中して聴いていられないのだし、トイレの近いお年寄りだっている。ましてやクラシック音楽、特にブルックナーには普段縁のない義理で来ている聴衆もいるだろう。ここはひとつ妥協して休憩時間を挟んでくれたら良いのにと思った。

 

曲はブルックナーの中でも特異な交響曲のように聞こえた。作られた当時としては相当に前衛的だったのではないだろうか。部分的にマーラーより変な曲のように響いてくるところもあり、そういう部分を大胆なテンポの変化で引き出した指揮者は、相当この曲に思い入れがあるように感じられた。持っているCDはまだ一回しか聴いてないけど、その時にはもっと普通のブルックナーに聞こえた記憶があるので、また聴き直してみよう。もっとも、100分のこの曲をまた聴こうという気になるのがいつになるかは分からないが。

 

交響楽団CTKはプログラムによるとブルックナーの8番を演奏したいという想いから、2013年に医科学生オーケストラのメンバーを中心として創設されたそうだ。CTKという呼び名には特に大きな意味があるわけでなく、もう由来も分からなくなっているとのこと。先般聴いたアマオケはベートーベンを集中的に演奏したい人たちが集まって創設したものだったが、こういう志向性をもとに集まって演奏を楽しめるというのは羨ましいことだ。腕が良ければ(もちろん社会性も必要だろうが)あちこち渡り歩いて自身の音楽生活を深められるだろう。聴かせてもらう方だって嬉しいことだ。

 

ということで、私にとってはとても有り難い無料演奏会だった。演奏のレベルの高さを考えても、5割も入っていないと見えた入りの悪さは実にもったいない限りだった。

 

12/16追記

曲冒頭のピチカートが変な付点リズム或いは前打音風に聞こえたけれども、それが単に揃っていないためなのか、それとも楽譜通りなのか分からなかった。これを昨日CDで確かめたところ、単に演奏が揃っていなかったのだ、と確認。CDの演奏(2種類聴いてます)に比べると超遅いテンポで最弱音の演奏だったから難しかったのだろう。

それにしても全体が普通よりとても遅かったようだ。私とするとこれが、じっくり楽しませてもらえた、という結果になっている。

行ってみたら横浜は(何回も行っているのだが)結構遠かった。特に東海道線が川崎を出てから横浜に着くまでが長かったし、桜木町駅からみなとみらいホールまでの歩きも長く感じられた。

 

今回の演奏会のメインはブラームスの交響曲第2番であるようだったけれど、私の眼目は二番目に演奏されるハイドンの「軍隊」だった。ブラームスの交響曲は1番以外をいいなと思いながら聴いたことが無いし、更に言うと、何回か聴いたアマオケの演奏会での印象も「演奏が難しそうな曲で、アマチュアには無理なのだろうか。」というものばかりだったからだ。ハイドンの方は私がここ数年来ようやく好きになれた作曲家であり、学生のオーケストラがどのような演奏をするのか、とか、指揮者(新田ユリ)がどうなのか、とか、楽しみにして出掛けた。ちなみに一曲目は「死の舞踏」。

 

「死の舞踏」ではコンマスのソロが良かった。全体の音は座った席(ゾーンも選べない前売り指定席)が前の方の端っこだったせいか、やたらヴァイオリンが大きく聞こえ、逆に管楽器は小さく聞こえて、あまりシンフォニックではなかった。でも皆さんなかなかシュアな演奏で、やはりアマオケのレベルがうん十年前と比べ物にならないほど上がっていることを再認識。

 

ハイドンは管楽器の登場者が減ったものの弦は意外に大人数で、ハイドンの交響曲は編成が小さいほど良いのではと思っている私にはちょいと残念だった。ハイドン、モーツアルトは演奏が容易に思われたり、聴衆が普段から聴いていることが多いから、意外と好印象を残すのが難しいのではないか、との危惧もあった。しかし実際の演奏は派手さを控えた直球勝負だったような気がする。この曲の売りの一つであるシンバル・太鼓の登場は、私の感覚では割りと控えめだった。ハイドンの交響曲って「しかめっ面」とは程遠い、むしろユーモアを含むサロン的な楽曲と思っているのだが、そういう意味で言うと演奏はやや学究的だったかも。大勢の弦楽器による迫力はモーツアルトの晩年やベートーベンの迫力を連想させ、私のイメージでは昔の巨匠が演奏したLPレコードを聴いた時の印象に近い。

そんなことを考えつつ、おおいに楽しんだのである。これからもハイドンをやるアマオケの演奏会は要チェックとすることにする。

 

ブラームスの2番は実に正攻法の解釈による演奏だった。一貫して譲らない指揮者の信念があるのだろう。これは最初から最後までぶれなかった。重厚さの追求? 演奏も頑張っていた。敢闘賞は間違いない。しかしブラームスの交響曲って各パートのバランスや表現の統一が必須(という私の思い込み)ということから言うと、やはり平素から思っている「アマオケによるブラームスの交響曲演奏は困難?」という考えが浮かんでこざるを得ない。ただの素人としてさらにひと言。ブラームスの交響曲って(1番以外は)そんなにいいのかなあ。

今回聴きに行った演奏会は東京大学フィロムジカ交響楽団第47回定期演奏会。前の晩に法政の「巨人」を聴き、良い意味でヘロヘロになった次の日であるから休養すべきかもしれなかったけれど、この日はプロコフィエフの古典交響曲をやるのを聴いてみたい気持ちが勝って練馬文化センターに出掛けた。

 

その古典交響曲は思いのほかゆっくりしたテンポで始まった。これは技術的問題のせいではないか、と、遅いテンポに戸惑いながら思った。遅めのテンポであっても奏者は付いていくのが大変そう。CDなどで聴くと速いテンポで軽々飛ばしていくけれど、この日のテンポで聴くと中身(中声部)が聞こえて来て新鮮ではあった。そうか、この曲で中声部はこんな音を出しているのか。逆に言うと、CDで聴くようなテンポであると私の耳では聞き取れていなかったのだ。

何楽章だったか、笛がアクロバティックなパッセージを長く繰り返すところも実に大変そうだった。でも新鮮に聞こえた。曲の終了後指揮者がフルートを讃えて立たせたのが良く分かる。

よくぞこんな難曲に挑戦したものだと思いながらも、全体としては朦朧とした感じが否めず、部分的にうとうとしながら聴き終わった。

 

この曲の前に演奏されたのは韃靼人の踊り。私としては先日二キティンの名演を聴いたばかりであり、この日の演奏にピンと来ることは無かった。

 

さて最後のショスタコーヴィチ5番をどうするか。かなり長時間緊張を強いられる曲だし、数か月前に他のアマオケの名演を聴いていることだし、疲れ気味の私が最後まで聴けるのか、と少々悩んだ末、目をつむって聴かせていただくことにした。すると開始後3分くらいで引き込まれ、引き付けられたままフィナーレに至ってしまった。凄い! コンサートミストレスのソロも印象的だったし、トップフルート奏者の音色も素晴らしかった。プログラムに挟まれていた演奏時の席順を良く読んでいないので当てずっぽうであるけれど、この曲に楽団のリソースを重点的に充てたのだろうか。

 

この秋はずいぶんアマチュアオーケストラを聴いている。演奏会に行くたびに渡されるチラシで行きたいのを選んでいるのだが、この秋はショスタコーヴィチの5番をメインに据えている楽団が多いように思える。5番は良い曲だと思うものの、それなりに重い曲だから、一度聴いたらしばらくは間隔を空けて聴きたい曲だ。この秋のように演奏が多いと、それが理由で演奏会に行くのを避ける事態が発生している。

昨晩すみだトリフォニーホールで同団の第138回定期演奏会を楽しむ。

今回聴きに行ったのはマーラーの1番を聴けるから。

 

前半のドリーブのコッペリアやシルヴィアを聴くと実にピンと来なくて、これだとマーラーはどうなのかな、と思った。

 

しかし、マーラーの演奏が始まると瞬く間に演奏に引き込まれた。前のステージと緊張感が全く違う。この楽団はこの曲に賭けていたな、と思った。曲の難易度が違うのだろう、管楽器の小さなミスが前のステージより目に見えて増えたけれども、それがどうした、こんなに張りつめた演奏をし続けて居られると、そうしたことがさほど気にならなくなってきた。これだけのテンションを保ち続けられること自体が凄いことだ。大体からしてマーラーの管楽器の使い方は過酷すぎないか。そういう部分が何回も何回も出てくるので、奏者は逆に、一回失敗しても挽回できるし、小さな失敗にがっくるすることすら許されていない、とも言えるのかも。

 

マーラーの交響曲は近年になってようやく好きになったのだけれど、1番は歌曲のメロディーを使っていることから何となく他の交響曲よりも作り込みの浅い作品なのではないか、と感じられ、メディアから流れてきてもじっくり聴いたことが無かった。持っている交響曲全集のCDの中から選ぶことも少なかった。と言うか、全集を通して聴いた時に一度聴いたきりだった。初期の交響曲ということで、ベートーベンの1番のような、全交響曲の中で比較した場合の軽さを、勝手にイメージしていたのかもしれない。

 

法大オケの演奏を聴いたおかげで、そういう先入観がすっ飛んだ。よーく作り込まれた、実にマーラーらしい曲でした。マーラーらしいということは静謐と狂気を行ったり来たりする、ある意味「疲れる」曲であるわけであり、演奏が終わったときはもうへとへとになっていた。そういう毒気を抜く意味で演奏されたのかどうかは分からないけど、アンコールのポルカ「雷鳴と稲妻」の心地よかったこと! ほんわか気分を交えて帰路に就くことができました。アンコール時、指揮者の山田慶一はヴァイオリンの弾き振りを披露。

 

次回定演は5月12日。ラフマニノフのP協2番と「新世界」をやるそうだ。

 

 

前回はマーラーの5番を堪能させていただいたこのオーケストラで、今度は外国人指揮者が幻想交響曲を振るのを聴きに行った。グレブ・二キティンは元々ヴァイオリン奏者でモスクワ生まれ。札響や東響のコンサートマスターを務め、オーケストラ指揮も手掛けているそうだ。

 

一曲目のナブッコ序曲が始まるとすぐに、出てくる音楽の表情がはっきりしていて、その表情が機敏に適切に変化していく小気味よさに魅了された。聴いていてワクワクしてくる演奏だった。もちろんオケが頑張っているにしても、指揮者の力量が素晴らしいことが良く分かった。これは二曲目の韃靼人の踊りでも同様で、「ああ、あの聴いたことあるメロディーの曲ね」と演奏前に思っていた曲が聴くほどに輝きを増していき、最後は「終わらないで、もっと鳴り続けてくれー」と思うまでに引き込まれてしまった。

 

最後の幻想はとんでもないことになるのかも、とこれもワクワクして聴き始めると、こちらは私の大好きな曲で期待が大き過ぎたのかもしれない。お茶菅はこの曲でも大健闘で素晴らしかったし、指揮者の解釈に新鮮味を覚える個所も多々あったが、前半のステージほどには浸りきれなかった。特にクライマックスで、盛り上がりが凄すぎてこちらの受容体が壊れたのか、或いは速いテンポで統制が乱れたのか、一時ぐちゃぐちゃ状態になったように感じた。どちらなのか、会場は大音響の坩堝となっており良く分からないのだが、盛大な拍手があったのだから、素晴らしかったというのが当たっていそうだ。

 

というわけで、前回に続き今回の演奏会でもすっかりいい気持になって会場をあとにすることができた。次は5月、サンサーンスのオルガン付をやるそうなので楽しみだ。

金曜の明治学院大学管弦楽団、土曜のミカラ・ペトリに続き、日曜日はすみだトリフォニーホールでル・スコアール管弦楽団の演奏会を聴いてきた。私としては初めての三日連続演奏会通い。こんなことができるのは入場料が安価であるうえに、昔に比べて格段に演奏レベルが上がったアマチュアオーケストラのお陰である。

 

いつものように開場時間の少し前に会場に着き、当日券を求めようとしたら「売り切れです。」と言われ狼狽した。こういうことになったら、家を出て丁度良い散歩を出来た、と思うことにしているのだが、実際に門前払いを食いそうになったのは初めてであり、事前に心の準備をしていた割にはショックが大きかった。

 

それでも開演の10分前に空席数をチェックして当日券の追加販売をしてもらうことができた。滑り込みセーフである。

 

演奏はなかなか頑張っていて、私としては十分楽しめた。
(もう「アマチュアがマーラーを弾けた!」とびっくりしたような文は書かない、と決めました)

アルト、少年少女合唱、女声合唱が出てくる辺りまでは、いい曲だなと思って聴いていたけれど、そのあとはやや印象が薄かった。前日に(テキストの予習のため!)聴いたCDの演奏だと、確か終楽章は5番のアダージェットを連想させるような曲が気に入っていたのだが、この日は集中力が続かなかったのかもしれない。

 

100分という演奏時間で休憩なし。これは場合によってかなりきつい。もしも途中でトイレを我慢できなくなったら(否応なしに)会場を飛び出さねばならない。そうでなければ悲惨なことになる。しかし、この日は問題なく演奏の終了を迎えることができた。ほっとした。演奏中に一人か二人、出て行った人がいたけれど、そういう理由で出て行ったのでなければ良いが。

 

楽章の合間、近くの女性が「あとどのくらいやるのかしら。30分くらい?」と友人に話し掛ける声が聞こえた。もしもあまり興味のない人が義理で来て途中で飽きたとすれば、もう二度とクラシック音楽を聴きに来ようとは思わないだろうな、などと思って聞いていた。

 

ル・スコアール管弦楽団はどのような人たちが集まって出来た楽団? そう思ってプログラムを見たが書いていなかった。帰宅後HPを検索するも、「楽団名は広場の意味」と書かれているだけ。プロの楽団なら気にならないことだが、アマチュアオーケストラだと、どういう人たちがどう集まってやっているのか、どうしても知りたくなる。どうしてこうも知りたくなるのか、これはまだ分からないで居ます。

11月18日はヤマハホールでミカラ・ペトリと西山まりえのデュオリサイタルを聴いてきた。

子供時代から縦笛が好きで、学生の時にはアルトリコーダーを練習した自分としては、これまでにメディアを通して聴いてきたリコーダー奏者の中で一番好きな奏者であるから、これは是非一度演奏会の会場で演奏を体験したいと思ってチケットを購入した。6000円。チェンバロとバロックハープを西山まりえが弾き分けるというのも演奏会に行きたくなった要因の一つだった。盛り沢山で楽しそう。

 

さて演奏は。

メディアを通して聴いてきたように、ペトリの演奏は音程もボリュームも運指の速さ・正確さも完璧、という感じだった。

演奏が終わって拍手を受ける笑顔のペトリはとても感じが良い。

でも、古楽中心のプログラムでは途中から疲れてしまった。私としては例えばテレマンの組曲イ短調のリコーダー独奏を、室内オケの演奏会の中で吹いていただいた方が感激しただろう。幾ら超絶技巧でも、テーマが次第に細かく変奏され、最後は超速に盛り上がって終わるのばかりでは同じことの繰り返しに聞こえてくる。

誰かの指示なのか、或いは元々の性格のせいなのか、チェンバロもバロックハープも目立たぬ伴奏に終始。お互いがインスピレーションを投げ掛け合うという意味での「デュオリサイタル」ではなかったと思う。

 

プログラムに挟まれていたパンフの中でヤマハリコーダーフェアの広報やペトリの推奨する楽器の紹介もあったところを見ると、ヤマハが主催したこのコンサートの位置づけが透けてきた。

 

熱演を終えたペトリはコンサート終了後すぐに、CD購入客へのサイン会に登場。この翌日に横浜で、同じコンビでコンサートをするというのに、凄いハードなスケジュールだな、大丈夫なのかな、と、私は気を揉みながら会場をあとにした。

昨晩東京芸術劇場でサンサーンスの交響曲第3番「オルガン付」を聴いた。

演奏は明治学院大学管弦楽団。90回の記念コンサートとのこと。

アマオケの演奏会としては珍しく全席指定で、当日券は端っこの席しか取れなかった。

それでコンサート前半のウィンザーの陽気な女房たち序曲とレ・プレリュードを聴くと、上手な演奏だったけれども表情の付け方が浅く感じられた。会場を見渡すと上の方の階の席はガラガラだったので、「オルガン付き」は上の階のバランス良く聞こえそうな位置に移って聴く。すると前半の曲と違って表情の変化も隅々の磨きようも良く聞こえたのだから、一曲目・二曲目が物足りなく感じられたのは席のせいだったのかもしれない。

 

教会ではなくコンサート会場でパイプオルガンの音を聞くのは初めてだった。それで、大きなホールだとオルガンの音が瘦せて聞こえるのではないか、と心配していたのだが、実際は良く響いていた。先入観があるためなのか、多少電気的な音に聞こえたものの、オーケストラとの音量のバランスも良く、オケの熱演が報われていた。

 

生で聴くと実に手の込んだ力作であることが分かり、つくづく出掛けて来て良かったーと思った。他にもパイプオルガンの装備された会場があるのだから、この曲が演奏される機会が増えたらいいですね。