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takacciの「見た・観た・聴いた・読んだ」

音楽に関すること、観たこと、読んだことへの感想などを書いていきます。(文中敬称略) 2019年4月より別サイトで掲載していた写真の記事も同居させましたが、20年7月に元に戻しました。

本ブログの無断転載はお断り致します。

他の団体のコンサートのプログラムに挟まれていたチラシで演奏会のことを知り、ベートーベンの2番という演目に惹かれて聴きに行った。慶應義塾中等部卒業生有志が集まって2010年に結成されたオーケストラだそうだ。会場は日吉キャンパス協生館内の藤原洋記念ホールというこじんまりとしてはいるが立派な施設であり、誠に凄いな、と畏れ入る。私の行っていた学校の講堂なんかは学園闘争で黒ずんだ、しょぼいものだったから、時代も違うのだろうが彼我の経済力の差にも圧倒された。

 

アンサンブル演奏会って何のことなのか、チラシだけだと全く理解できずに行ってみたら、第一部は弦楽合奏、第二部は吹奏楽、第三部が管弦楽でベートーベンなのだった。この楽団は年一回の定演(オーケストラ)と同じく年一回のアンサンブル演奏会をやっているのだ。

 

いずれの奏者も若い人ばかりで、年寄りは居ないようだった。

 

弦楽合奏はしっとりとした曲で、なかなかしっかりした演奏だったけど、小さな子供が小さいながら声を出すので、相当聴くほうの集中力が落ちたためか、あまり楽しめずに終了。

吹奏楽は音の大きさにびっくり。小さなホールにちゃんとした規模の吹奏楽であれば無理もない。スーザの行進曲と、ホルストの組曲の最後のマーチがあったので、マーチには目のない私はかなり楽しんだ。これだけの音量になると子供が声を出すくらい全然気にならなかった。そもそもそんなに集中して聴くことを要請されるジャンルではないのかも。

これはオーケストラの演奏活動の一環であるのに、吹奏楽であれだけの出演があった、ということは、管楽器奏者がオーケストラに出演するのにはかなり競争しているのだろうか。

 

そしてメインステージのベートーベン2番は良かった。私の中で最近この曲は、ベートーベンの交響曲全曲の中で順位が上昇中であったのだけど、ますます好きになって家路につけたのだった。

ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」(パーセルの主題による変奏曲とフーガ)が楽しみで、前回同じミューザ川崎で他団体の演奏会を聴いた折、前売り券を購入しておいた演奏会。(1月14日) このオーケストラは横浜国大オケの卒業生が中心となって設立されたとのこと。

 

一曲目はハーティ版による水上の音楽。ハーティ版はティンパニーの扱いが好きではなく、その上、弦が厚くロマンチックな響きの演奏だったので、好きな曲なのに仕方がないな、と思って聴いていた。しかし管楽器が活躍すると俄然面白くなる。そして当夜演奏された組曲の最後でトランペットが活躍するとメロメロになった。何て輝かしい音色なんだ! こんな素晴らしいトランペットを聴けたのなら今夜はこれで帰ってしまっても十分満足だ、と思うくらい嬉しかった。でも次のブリテンが楽しみで来たのだからそうは行かない。

 

青少年のための管弦楽入門は最初から最後まで最大限に堪能した。多少「もっと鋭く演奏したほうが良いのでは」と思う部分があったにせよ、好きで好きでたまらない曲であるから頭の中でその部分を補正して聴くことができた。なにしろオーケストラの楽器紹介のために作られた曲であるから、必然的に徹頭徹尾ソロ、またはパートソロの連続である。アマチュアオーケストラがどこまで演奏できるのかな、という思いもあって、「さあ次は上手く行くかな」と手に汗を握りつつ聴く。すると、全部ではないがほぼ全部のパートが見事にやってのけたのである! 凄い。言葉での解説が付く場合にはアナウンスの入る繋ぎの部分にも、ブリテンらしい清冽な響きが響いていた。これは名演だ。45年ほど前に東京アカデミーの合唱でマタイ受難曲を聴いて感激して以来の大感激だったかもしれない。ありがとうございました!

 

最後の「惑星」はFMで流れていても途中で聴くのを止める曲だ。一度は生で通して聴いてみたら好きになるかも、と思って聴き始めたが、半ばうつらうつらしながら聴いた。最後に舞台裏から女声合唱が聞こえて来て「おっ」と思って目が覚めたが、すぐに終わってしまった。この曲ではパイプオルガンも加わっていたのだけれど、私にはそれが何処で鳴ったのか分からなかった。同じ親しみやすさで比較すれば、アンコールで演奏されたスターウォーズからの音楽の方が遥かに楽しめた。

今日聴いてきたオーケストラの名前です。そのアパショナート管弦楽団の第19回定期演奏会。(入場無料)

 

メインのシベリウスの2番がとても良かったー! ますますこの曲が好きになったし、この曲を個人的にシベリウスの「春」と呼びたくなった。耐えに耐えて最後に、どうしても抑えられないんだよー、とでも言いたそうな清々しい高揚感が来ました。さあ行くぞ、行くぞ、と思わせながらもエネルギーを溜めに溜めてあのテーマが出てくるのは、分かっちゃいるけど堪らなかったー。

 

この楽団の一番の特徴は、繊細で情感のあるヴァイオリンでしょう!

 

一曲目のエグモント序曲を聴いていたら、昨日の朝NHKのあさイチに出演していた小澤征爾の言を思い出した。「日本の奏者はおしなべておとなしいんだよね。」という発言だ。これは彼が指導した長野の中学校での模様をビデオで見ての発言だったように記憶してるが、エグモントにおいて指揮者が「もっと出してー!」と懸命に振っているのにおとなしかった。そこがガンと出たら随分違うだろうに、と勿体なく思った。

 

次のチャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番は全体的に安定感にも欠けたかも。曲の象徴とも言える冒頭のホルンが抜けてしまって、聴いていて腰が抜けるほどびっくりした。一体何の曲が始まったのかと、、、 でも続きをすぐに吹けたのだからすごい精神力だ。

原題: A UNIVERSE FROM NOTHING (WHY THRE IS SOMETHING RATHER THAN NOTHING)

 

確か新聞の書評を見て読みたくなった本。タイトルを見ただけで「おっ、これは!」と飛び付きたくなった。初出が2013年、と少し古めであるから、書評とは異なる媒体で知った本かもしれない。

 

てっきり科学ジャーナリストが書いた本だと思い込んで読み進んでいたら、それにしては(素人が読むには)内容に飛躍が多いと言うか、話の進め方が速い。それで気になって著者紹介コラムを読んでみたら、著者は宇宙物理学者なのだった。要は、この本は最近の宇宙論を概括的に紹介する本ではなくて、昔から著者が唱えてきた「空っぽの空間が発するエネルギー」の説を本人が直接説明するものなのだった。最新の観測データにより、「宇宙は今でも膨張を続けており、その膨張速度は一層速まっているようだ。」との認識が一般的になると、その膨張を加速させているエネルギーは何なのだ、ということが問題になり、それとの関連で一躍脚光を浴びるようになった物理学者らしい ^p^); 著者は宇宙の膨張速度についてそう分かる前から「空っぽの空間が発するエネルギー」の説を唱えてきた人だった。

 

本の前半は宇宙論のこれまでの発展をざっと復讐する感じ。そのあと宇宙の膨張を加速させているエネルギーの話しになるのだが、日本人が書く入門書では宇宙の膨張を加速させている謎のダークエネルギーを想定せざるを得ない、と書かれるところを、ここではこのダークエネルギーは「空っぽの空間が発するエネルギー」である、とさらっと言い切っているのが印象的だった。良く覚えられなかったが、確か、不確定性原理により測定が不可能な短時間のうちに仮想粒子のペアが現れては消える、という事象が考えられ、これがエネルギーに、、、、 というような筋だったような気がするけど、やはり難しくて良く分からなかった。

 

残念なことに、そのエネルギーがどのくらいの大きさなのか、とか、宇宙の何処で(例えば至るところで、とかある領域において)そのエネルギーが強いのか、に付いての説明は無かったと思う。私たちの居る宇宙が誕生したとき、どのような空間に生まれたのか、例えば私たちが認識しているこういう空間に物質の大爆発としてのビッグバンがあって物質が広がったのか、或いは本当の無?から空間そのものから何からが生まれてきたのか、こういうような辺りの話を知りたかったところだ。

先般合唱舞踏劇「戴冠ミサ」を好演していたこのオーケストラをもっと聴きたくなっていたところ、この夜は毛利文香の独奏でバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番、それからブルックナーの9番をやるというので聴きに行く。

 

バルトークは何回か聴いたことがあるけど良さが分からないままで居る曲。今度も「忍耐」で終わることを覚悟して行ったのだが、独奏もオーケストラも良くて、とっても充実したひと時を過ごすことができた。特に感じたのは独奏とオケが共同して作り上げる音場の明解さで、会場が異空間を漂っているかのように感じ、これまでに感じたことのないバルトークの良さを発見できた。オーケストラのための協奏曲を思わせるような楽しさも所どころに潜んでいて、この曲は今後もっと好きになれるかもしれない。

演奏後の盛大な拍手には独奏者への敬意がたっぷり込められていたと思う。

こんなに大変な曲の後にブルックナーを演奏するなんて大丈夫なのだろうか。いずれにせよ超意欲的なプログラムだ。

 

ブルックナーは年末に他のオケで聴き辟易したことから、斜め後ろ向きの姿勢で演奏に臨む。するとこの心配は演奏が始まってすぐに霧散した。どの楽器群も安定しているし、最強音のところでもきちんと抑制が効いていた。こうして聴けるとやはりブルックナーは楽しめる。すっかり楽しんで会場をあとにすることができた。

 

それにしてもこの楽団、このような難曲を演奏してもしっかり聴かせるとは、どこか底知れぬ力を感じる。9月の創立10周年記念演奏会では千人の交響曲をやるというから、去年プロの演奏でも辟易したこの曲がどう演奏されるのか、またしても斜め後ろ向きの姿勢で聴きに行ってみようかな。それでこの曲の魅力を見つけることができれば、自分の楽しめる世界を広げることができるだろう。こういうチャレンジを比較的気軽にすることができるのは、実にアマチュアオーケストラ様の活動のお陰だと思う。

今晩は今年初のコンサート通いとして、ミューザ川崎で第九(合唱付き)を聴いてきた。

演奏は水戸博之指揮Orchestre des belles(オルケストル・デ・ベル)と同名の合唱団、並びに独唱者による。オケも合唱も公募はせず団員の声掛けにより集まった楽団とのことで、今回が第1回定期演奏会だった。全く楽団誕生の背景も分からないのに聴きに行ったのは、何と言っても指揮者が他のアマオケを指揮して素晴らしかったのを見ているからだ。ここ一年アマオケの演奏会に入り浸って体験した限りにおいて、指揮者が良ければ良い演奏会になる可能性が、他の場合より遥かに大きい。プログラムやウェブサイトのどこにもアマチュアとは書いていないし、当日券1500円という有料のコンサートを開くのだからアマチュアではないのかもしれないけど、、、

 

前ステージのレオノーレ3番を聴くとやはりとても上手だった。割りと粒が揃っているし、しっかりとした演奏。これはやはり出来の良い名曲だな、とじっくり楽しませていただき、感銘を受けた。

 

第九が始まると、まずは第一から第三楽章までがどのくらい良いと思えるのか、に焦点を置いて聴いた。これは丁度年末年始のNHKFMの特集番組で久石譲がベートーベンの交響曲をざあっと解説?したのを聞き、第九に関する彼の思い方が面白かったことにもよる。彼によると第九は第4楽章に合唱を入れたことで、どうしても破綻をきたしている交響曲であり、第三楽章までの堂々たる「交響曲」と最終楽章の繋がりにベートーベンはとても苦労していると言っていた。それなら今夜はその三楽章がそうなのかどうか、じっくり聴いてみようじゃない。

 

今夜の演奏は指揮者の感性で新たに魅力が見つかったところも多かったが、難しいフレーズが連続してくるとさすがの演奏者たちも追っつかなくなるところが出て来て苦しい面もあったと見えた。そういう面も考慮しつつ考えるに、第一楽章は作曲家の先進性が光り輝いて「さすがっ!」と思いながら聴けたが、あとはそれほどでもなかった。

 

そして終楽章。初めてこれを生で聞いたうん十年ほど前は、合唱とオーケストラが出す音圧に圧倒されたものだけれど、ブルックナーだのマーラーだのと聴いてくるとさすがに耳が音圧に慣れてきていた。歌詞もピンと来ない。部分的に新たな魅力を教えていただきつつも、全体としてはあまり心を動かされることなく終了。第九は当分の間聴きに行かないことになりそうだ。

先日今年最後の演奏会としてブルックナーを聴いてきた。

今まで聴いたことはないけれど、大学名からして上手いに決まってると思った楽団による。

これが、前々から大いに期待していた反動があったのだろう、あまり乗れなくて、

終盤は最強音の定期的繰り返しに辟易してしまい、つらかった。

 

若い時からブルックナーは名曲喫茶などで耳にしてきたが、同じパターンの繰り返しが多すぎて好きになれなかった。それが数年前から少しずつ親しみを感じるようになり、スクロヴァチェフスキー指揮読響の演奏をNHKテレビの録画で見てようやく好きになった。それ以来、実演にせよCDにせよ楽しんで聴いてきた。

 

という意味では今回は久しぶりに好きではなかった当時の雰囲気を思い出した。当時は生演奏を聴いたわけでなく音楽媒体からの音であり、ボリュームを実演よりは小さめで(当然のことだが)聴いた。だから単に聞き流すという逃げ方があった。しかし演奏会となると音は最大限に大きいし、演奏途中で出るわけにもいかない。こうなると一時間数十分は実に長かった。

 

このようにして、全体としては収穫がとても大きかった本年の演奏会通いは、最後にちょいと躓いて幕を閉じた。来年はどんな演奏会に巡り会えるだろうか。楽しみだ。でも多くの楽団でかぶるショスタコーヴィチの5番とか、チャイコフスキーをはじめとするロシアの交響曲とか、自分としては頻繁に聴けないと思う曲は避けることになるだろう。

プログラムの表示を見ると楽団名をFEUERWERK PHILHARMONIKERとしており、まるで花火屋組合のオケのような印象を受けるが、大学名があるとわけが分からなくなる。発足当時「一発花火のような大輪の華を咲かせてみよう」との目論見で付けた名前のようで、それが一発に終わらず、18年続いてきたとのこと。名簿を見ると東大の学生・院生・卒業生が半分ほど。あとはいろいろな大学から参加している。

 

一曲目の「売られた花嫁」序曲が始まると、テンポが凄く速いのでびっくり。ずいぶん無理して速く弾いているな、どこで破綻するかな、と心配になった。でも全く崩れなかった。こんなに上手なアマオケ聴いたことない! なんでこんなにうまいんだ!?

 

次のハイドンの92番・オックスフォードでは一菅編成の管楽器群に感嘆。音色、音程が良く、安定してる。全体的にも実に音楽性が高く、これがアマチュアの演奏なのかと信じられない気持ちで聴いていた。

ハイドンは好きな作曲家なので、私の頭の中にはどういう演奏が良い、というこだわりがあるのだが、それと比較すると弦楽器の数が多すぎた。特に低音部は厚すぎなのでは。第一第二楽章は全体の音色がロマンチックであり、まるで50年前のレコードから流れてくるハイドンやモーツアルトの交響曲の音のようだった。しかしそれが第三楽章に入ると霧消して演奏が輝き出し、最後まで楽しめた。何が途中で変わったのか分からない。何も変わっていなかったのかもしれない。いずれにせよ、この演奏会で一番楽しみにしていた曲で大いに楽しめたことはとっても嬉しかった。聴いてみて、実はこの92番という曲は初めて聴く曲かもしれないと思ったけれど、ハイドンの交響曲はどれを聴いても骨格はさほど変わらないのだから、聴きなれた曲だろうと初めて聴く曲であろうと構わないのである。

 

最後のドボルザークニ短調交響曲はかなり複雑に込み入った曲に聞こえた。たぶんこれは好きになれそうもない曲だ。でも演奏は素晴らしいと思った。前の二曲同様すみずみまで磨かれた音楽であり、どのパートも安定している。だから全体が良く響く。急な曲想の転換点での表現のダイナミックな変化は、他のアマチュアの演奏会では期待できないような見事さだった。どうしてこんなにうまいのか? 今回指揮した原田さんと弦楽器のメイントレーナーの名倉さんは東京クァルテットで弾いていた人だから、それ相当に鍛えられた(しごかれた?)のだろうか。

 

そう言えば原田さんは面白い人だ。一曲目のアンコール後サンタの帽子を被らせられながらインタビューに答え、(あんまりにもストレートだったので少々表現を穏やかにします) 「東京クァルテットでやっていた時、ドボルザークはあまり好きじゃなく、交響曲は新世界やヘ長調のを知っている程度だった。でもこうして指揮してみると他のもけっこういいね。」とつぶやかれた。いいじゃない! 演奏する人って営業上の配慮から?曲や作曲家の好き嫌いは口に出さないものと思っていたけれども、こういう人となら楽しく話せそうだ。

プログラムの日本語名称には慶應義塾アインクライネスオーケストラと記載されていた。会場は神奈川県立音楽堂。他の演奏会のプログラムに挟まれたチラシで知り、演目に惹かれて聴かせていただいた。演目はサンサーンスのバッカナール、ラフマニノフのピアノ協奏曲2番、ベートーベンの7番。

全体の印象としては弦の強い楽団だった。パートごとの響きが太くてボリュームが大きかった。

 

バッカナールはたまにFMから流れてくるのを聴いたことがあった曲。今回聴いてみて、都会人であるサンサーンスが無理やり野性味あふれるダンスを作ったという印象を深めた。演奏が難しそうな曲でもあった。

 

ラフマニノフは言わずと知れた大有名曲であり、私のイメージする協奏曲というよりはピアノ主体の映画音楽という印象を持っていた。今回初めて生演奏を聴いたらピアノとオーケストラのための協奏的交響曲、というイメージに変わった。オケの音は常に大きめ。ピアのソロの音量は小さめであり、無理やり考えればオーケストラの一楽器のように溶け合っている演奏だった。そんなわけで、実はこの曲の演奏がこの演奏会で一番楽しく聴けた曲となった。何気なく聞き流していた曲の知られざる魅力に触れられた、ということだと思う。

 

ベートーベンの7番は私が敬愛する作曲家の交響曲の中では珍しく、まだ良さを理解できていない曲。黒の舟歌じゃないけれども、この夜もえんやこら舟を出したが、、、という結果となった。しかしながら弦楽パートが素早く動機をリレーして繋いでいくところや、弦の強い響きが要求される個所ではこの楽団の強みがマッチしており、丁度よい曲を選曲したのだな、と合点しながら聴いた。

 

それにしても、これだけ弦が強いのに、弦楽パートに賛助出演者がかなり加わっていたのは何故なのだろう。他の弱いパートを包み込むためだろうか。

たぶん同じなかのZEROホールで行われた演奏会でもらったチラシでこの会のことを知り、興味津々で聴きに(観に?)行った。会は佐多達枝・河内昭和バレエスタジオ第56回発表会であり、「創立60周年記念発表会」と銘打たれていた。演目は「眠れる森の美女」と合唱舞踏劇「戴冠ミサ」。チラシには坂入建司郎指揮の東京ユヴェントス・フィルハーモニーが演奏し、コロス・合唱はオルフ祝祭合唱団が担当すると書かれていた。

 

譜面台や一部の楽器が置かれたオーケストラピットがあらかじめ用意されていたけれど、ひとつ目の出し物である「眠れる森の美女」はスピーカーから流れてくる音楽に合わせてのバレエだった。音量が控えめで、踊り手たちが躍るとドコドコパタパタと音が聞こえてくる。私は音楽を聴く楽しみからこの場に居合わせた者であるから、この足音が苦手である。それに加え元々バレエを理解していないから、バレエの動きってのはくるくる回転とジャンプとY字バランスの繰り返しに見える。ましてや、踊りで物語の筋を理解するということは無理。

座席の位置とスピーカーの位置の関係で音楽(演奏)は舞台床上3mほどから聞こえてくるように感じられた。

それでも綺麗な舞台と滞空時間の長いジャンプに驚嘆させられるなど、意外と楽しく見せていただく。休憩を入れ2時間強で終了した。

 

合唱舞踏劇「戴冠ミサ」はとても楽しめた。オーケストラは2008年に慶應義塾の高校生・大学生を中心に結成され、その後外部からもメンバーを受け入れつつ発展してきたと書かれていたが、そつなくきびきびとした演奏で大いに感心した。舞台袖に置かれた小さな合唱隊と舞台中央馬蹄上に配置されたコロスがモーツアルトの戴冠ミサを歌う。コロスは簡単な動きも担当し、馬蹄形内で踊るバレエの通奏低音のような役割を果たしていたように思えた。戴冠ミサは学生時代に合唱をしていた関係で何回か聴いたことのある曲。当時はモーツアルトがあまり好きでなかったことから印象に残っていなかったけれど、今回こういう形で聴かせていただき、「こんなに良い曲だったのか」と思うくらいに楽しんだ。声の質に隔たりがあったけれども、4人の独唱者の歌も全体の演奏に良くマッチしていたと思う。

舞踏があるおかげで音楽が一層輝いたようにも思えた。同じ踊りでも、従来のように決まった筋に沿って見なければならないという束縛から解放されていて、余計なことを考えずに踊り手の動きを楽しめた。(まさか、ミサのテキストの内容を踊りで表現したわけではないだろう。)

 

近頃の合唱団の演奏会では団員が手を叩いたり踊ったりするようになってきていて、これは良い効果を上げていると私は感じている。ボレロとか第九はすでに舞踏公演に取り込まれているが、こういう交流で相乗効果を上げれば、新たな客層を引き込むことができそうだ。興行的に難しくても、自分たちのやりたいことをするアマチュアが異分野提携したら可能性が広がるだろう。