荒陵山四天王寺6 [大阪府] | カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

カーツの歴史散策&御朱印作庭  庭は眺めるものではなく、       出てみるものなのだ、、

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電光影裏斬春風

知っているようで知らない歴史の裏側をそっと、

御朱印帳をたずさえぶらり、ふらり、、つれづれに、、、

日々徒然に

総本山長谷寺、三徳山三佛寺、御室仁和寺、二条城、そして、今宮神社、、

まだまだ日記が追いついてないなぁ、、ユックリとジョジョニとは言わず 少し駆け足くらいで ε=ッ👟


さてさて


聖徳太子をお祀りする 聖霊院 (しょうりょういん) さんの前殿にかかげられた扁額は、奥羽征討総督として新政府軍を指揮された 小松宮彰仁親王 (仁和寺宮 第三十世門跡) の揮毫だった、ほぉ~ こういう発見が面白い

何度も境内を散策していたのに気付いていなかったよ💦




他に境内板碑では大久保卿三男の方の揮毫も見ることが出来るね、あとは 三つ葉葵 等も

荒陵山四天王寺4、大久保利武侯爵揮毫の篆額
荒陵山四天王寺5、三つ葉葵


虎の門




猫の門






と、そういえば、、

京都壬生寺 (律宗大本山) の本堂扁額も小松宮彰仁親王の書だったね、どちらも 隷味 のある上手い字を書かれるなぁ




でも不思議だ

京都仁和寺門跡だった方の揮毫になる扁額はどういう経緯で四天王寺さんとつながるのか? 
これもひとつの散策ネタだね、少しづつ調べていこう◎


荒陵山四天王寺

初詣は実家からの帰路の折りの 正月三日、今年も 元三大師堂 にて 御神籤

五重塔


六時堂






英霊堂



そして、

元三大師堂



御朱印
その初詣の折りにいただいた御朱印で一冊目を終えていた、そしてこの日、、
二冊目は、聖徳太子をはじめにいただき、御朱印のリストを元に順々に札所の場合は御詠歌とセットで
・なにわ七幸めぐり 聖徳太子
・新西国 三十三箇所観音霊場第一番札所
・その御詠歌

 父の里 立ち出で来たる 母の里
  また立ちかえる 父の故郷

 同じ新西国でも、別の御詠歌が載っている書籍があったりもする、御詠歌自体も多いからゆくゆく確かめてゆこう◎





初詣の折りに、やはり 最期の見開きは 聖徳太子 で 〆 ようと

・新西国 三十三箇所観音霊場第一番札所
 日付のところは印だねぇこういう場合もあるのかぁと、あらためて見返すと気付くことも少なからず
・聖徳太子霊跡第一番札所
 太子髻中四天王 (たいしけいちゅうしてんのう)

「髻 (もとどり) 」とは髪型の一種で冠を支える土台のようなものとあったが、ここでの「髻」は聖徳太子自身の髪のことなのかな?
 聖徳太子創建の折りには、五重塔塔の礎石心柱の中に仏舎利六粒と自らの髻髪 (きっぱつ) 六毛を納められたという話だから



荒陵山四天王寺
和宗総本山
大阪市天王寺区四天王寺1-11-18

覚書
仏教伝来については、賛成派の蘇我氏と反対派の物部氏で争いがあり、聖徳太子は物部氏を滅ぼすために四天王像を作り 「わたしを勝たせるならば寺塔を建立する」 と祈願、そして乱の平定後に建立したと伝わる

 和を以て 貴しとなす

というわけではなかったんだねぇ、、


というか、だからか、、


それは それほどまでに 求めてゆくべきものとして、常に尊い ことなのだ


八角形の南鐘堂


古来、八角形は古墳の形にも見られるように高貴な形なのだとうかがったことが

 

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