「子供時間」と「大人時間」の時差・「時間」って何? | Tempo rubato

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アニメーター・演出家 平松禎史のブログ

 


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岡田麿里監督作品『アリスとテレスのまぼろし工場』

副監督で参加しています。

 

主題歌に中島みゆきさんの「心音」!

若い頃から聴いていた大好きな中島みゆきさんのご参加で心音が高鳴りました。

 

 

#まぼろし工場 #maboroshi

 

お楽しみに!

 

 

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久しぶりの投稿です。

日々忙しくて、前回投稿からあっという間に半年ほど過ぎてしまいました。

(…と、書き出しと大筋を書いたのが6月で、またしてもあっという間に2ヶ月過ぎました。)

 

みなさんは、年をとるほどに体感時間が早くなっていると感じることはありますか?

若い人はまだそこまで変化を感じないと思いますが、社会人になってからの生活時間はあきらかに変わりますよね。

どうしてでしょう。

 

「時間」とは何か?

実は科学や物理の世界でもよくわかっていないものなのだとか。

「時間は存在しない」という学説もあるんだそう。

ボクたちが日々感じている「重力」も科学的な説明ができないのだそうです。

時間も重力も、当たり前過ぎて「それって何?」なんて考えもしない。そんな当たり前のことすら、高名な科学者の頭脳を持ってしても正体がわからないなんて、不思議なものですね。

 

アリストテレスは、時間とは身の回りの動くものと比較して感じられるものだと言ったそうです。

アリストテレスと言えば「アリスとテレスのまぼろし工場」…てなっちゃいますが、今回の記事は映画の内容を示唆するものではありません。

雑学的な息抜きです(笑)

 

閑話休題

万有引力の発見で有名なニュートンも時間ついて研究していたそうで、彼は時間は不変なものと捉えていたそうです。しかしこれは間違いでした。

間違いであることはわかっても、時間がなんであるかははっきりしない。

 

科学が進歩するほどに、わからないことが増える。

社会や経済や…あらゆることについて「わかっている」と思ったら大間違い。

天文物理学者のイーサン・シーゲル氏は、ワープ航法の可能性についての新発見に恣意的な誤りがあると指摘した上で、こう言いました。

 

「真実に近づくときほど、(自分の)考えに懐疑的であるべきだ」と。

 

経済方面では、ケネス・ロゴフとカーメン・ラインハートが発表した、「政府債務のGDP比率が90%を超えると経済成長が減速する」とする論文が誤りだったことを思い出します。彼らは、彼らの考えに都合の良い恣意的な計算でこの論文を書いたのです。政府債務(財政支出)はインフレ率(生産力)とのバランスで考えるのが妥当だと思いますので、緊縮が善ではないし、拡大し続ければ良いわけでもないのです。リンクしたロイターの記事もその点を示唆しています。

日本はロゴフ・ラインハートと同じ間違いで緊縮財政を続け、生産力を失いはじめているのですから、財政拡大へと転換すべきでしょう。経済の話はこのあたりまでで…。

直感は時に目覚ましい成果を与えてくれますが、それがいつも正しいとは限らない。「そうに違いない」とか「こうであれば良い」と思ったときこそ、立ち止まって考え直す姿勢が大切なのだと思います。

 

さて

身の回りの変化との比較で時間を感じる。

なるほど。太陽や月の動きで時間がわかる。水車が回る様子を見て、一周回る動きから一周に要する時間を感じますよね。砂時計もしかり。燃えているロウソクがだんだん短くなっていく変化からも時間を観察できます。現代人なら時計の針やデジタル時計の数字がどんどん変わっていく様子になるんでしょうが、目で見たり体感することから「このくらい時間がたった」と感じ取っているわけです。

 

「比較によって」とは、相対的なこと。相対と言えばアインシュタインの相対性理論です。

アインシュタインも時間について論じています。

特殊相対性理論では、光の速度を一定不変なものと定義します。そして、時間は光速度によって定義される、と。

速度は距離と時間によって算出できますので、2点の距離が変化する(移動する)場合は時間を伸び縮みさせないと光速度不変の原則に合いません。静止しているものに対して動いているものの時間は遅くなる。

遠ざかっていく者が光速に近づくほど時間が遅くなる「ウラシマ効果」は、特殊相対性理論によって説明されます。

映画「インターステラー」で描かれた「ウラシマ効果」は衝撃的でしたね。

実際に、地上に対して速度の早いスカイツリーの上と地上で時間を測ってみたところ、高いところの方がほんのちょこっと早かったそうです。マイクロ秒単位だそうなので、実感は無理ですね。

*遅いと早いが逆になるのでわかりにくいですね。特殊相対性理論と一般相対性理論の違いは重力を含むかどうかなのですが、塔の上での実験は一般相対性理論に基づくものだったそうです。こちらのブログに天文学者の方がコメントしています。科学はおもしろいけど難しいな。

今回は、あくまで相対的な時間の感じ方の差、という趣旨ですので理論についてはちょっと横に置きます。

 

光速度不変の法則から導かれるような時間の定義がこの世界には存在します。人間が作ったものですが、誰にとっても1秒は1秒です。

ボクらアニメスタッフは、1秒が人によって違ってたら仕事になりません(笑)

ですが、身の回りの変化との対比で人によって主観的な時間の長さは変わるのです。

映像演出では、時間の長さを伸び縮みさせることがよくありますが、これも人によってあるいは状況によって時間の感じ方が変わるのを利用して、表現に用いているわけです。

 

ここで映像表現のおもしろさを見てみましょう。

ものすごい速度で動く物や人を表現したい時にどうするか。

ある程度の速さまでなら、周囲の景色がビュンビュン早く過ぎ去る様子を見せれば良い。それ以上となるとどうするか。

たとえば、DCコミックのスーパーヒーロー「フラッシュ」です。フラッシュことバリー・アレンが超高速で動いた直後、映像はシュン…っとスローモーションになります。彼が普通に動いてるのに対して周囲の物や人はほとんど静止してしまう。リアルタイムとは異質な演出をすることによって、バリーだけが素早く動いているように感じられる。相対速度の感覚を利用した映像表現なのです。ただし、この手の表現はやりすぎると観客が慣れてしまうので注意が必要です。

 

時間は相対的に感じとるものだとすると、子供時間と大人時間の差もなんとなくわかってきます。

ではなぜ、年齢とともに時間の感じ方が変わるのでしょう。

これも相対的な感じ方の差、というところに落ち着きそうです。

子供の頃は、身の回りが目まぐるしく変化します。学校生活、部活動、定期的なテストと成績、季節ごとのお休み、家族との関係、身体の成長…などなど。子供の頃は、遠くて緩やかな社会の出来事よりも家庭や学校、自分自身や友達など身の回りの変化に関心があります。したがって、身の回りが大きく早く動くため、相対的に、自分の体感速度は遅く感じられるのではないでしょうか。

高速で動くロケットに対して観測者である地球の時間が遅くなるのに似ています。

 

大人になるとこれが逆転します。

身体は成長してさほどの変化は感じられません。社会で相手にするのは学校より大きな会社です。中小企業や個人事業であっても、相手にするのは元請けの大企業だとか、大多数のお客様たちです。1年2年じゃ動きが見えません。季節の変化と仕事の関係もパターン化して動かないように感じられる。仕事に慣れるとともに身の回り(社会や国や環境)はあまりにも大きくて、時間的な変化を感じ取れなくなっていく。

一方自分の生活は変わらず毎日が忙しい。覚えることがたくさんある。毎日のノルマをこなしていかないといけない。

そして、時計が刻む時間は誰にとっても同じです。

となると、相対的な時間は早く感じられるでしょう。

動きが見えにくい社会に対して、自分は相変わらず目まぐるしく動いているのですからね。

ロケットと地球の立場が逆転するわけです。フラッシュが高速移動してる時に周りがスローモーになる見せ方みたいなものです。

 

そして、子供の時間が大人の時間よりゆっくりに思えるのは、大人になって、大人の時間を体感してわかることです。相対的な時間感覚ですよね。

 

 

さてさて

大人になって、あっという間に日々や年月がすぎていくことに対して「(他人より)忙しいからだ」「(人一倍)がんばっていからだ」と、友人から慰められたり、自分でそう考えて納得しようとするのは、当たっているんでしょうか?

 

「周囲が止まっているようにノロく感じるのは自分が頑張っているからだ。」

「あっという間に半年経ってしまった。忙しかったからだよね。」

…本当でしょうか。

これは、子供時間と比べた感覚。その相対速度で時間が早く過ぎているように感じているだけじゃないのか。時計が刻む時間は冷徹に一定ですから、実感(主観)との差にがっかりしてしまう。頑張った割に結果は大したことなかったな…なんてね。

 

忙しさや努力の程度と過ぎゆく時間の感じ方は、実は無関係なのかもしれない。

 

時計を基準にするべきなのか、自分の主観を基準にするべきなのか、身の回りの変化を基準にするべきなのか。。。不安になりますよね。

 

以前書いた、アマゾンのピダハン族のように時間感覚を持たない人々もいる。時間の呪縛を感じない彼らは笑顔の多さなど幸福度が高いとされます。

 

時間は存在しないという学説では、エントロピーの増大にかかる感覚、距離感といったものを時間と認識しているのであって、時間があるわけではないのだと考えるのだそうです。時間などない、とはにわかに信じられません。

難しい理論なので割愛しますが、お腹が減っていく感覚と空腹を感じるまでにおこなったこと、考えたこと、周りとの関係の変化、それらとの比較、相対によって感じるものを時間と名付けたのだと。あとづけです。

「ああ、疲れた。なるほど、もう8時間働いてるからか」といった具合ですね。

大人の行動とその結果。子供の行動とその結果。この感覚を比較すると、変化を感じにくい大人時間のほうが主観的には早く感じる。

子供から大人へと成長するに従って、触れる物事や環境が変化してく。その変化との相対で流れていく時間の速さが変わったように感じるのでしょうね。

 

 

自分がどう生きてきたかの本当の時間とはなんでしょうか。その時間を「生きてきた価値」とでも考えるとすれば、よく生きたかどうかを測るには何を基準にすれば良いんでしょうか。仕事の成果か。富と名声か。恋人や友人との関係か。家族の幸せそうな顔か。

エントロピー増大の仕方が人それぞれに違ってあらわれるように、感覚は人それぞれでしょう。

なので、他人と比べて自分を価値づけるのは適当でないと思います。時間の感じ方は成長によっても変わりますし、みな違うからです。

自分にとって遠い未来や大きな動きそうにないものに対して、どれだけのことができるのか。それらを動かすことができたと実感できれば、時間という数字など問題ではないとすら思います。

結果を出すこと。

仕事でも学業でも、限られた時間で結果を出すのは簡単じゃない。経験を積むほど簡単じゃないと思うようになって、主観的な時間は早くすぎると感じる。

 

 

小さな成果と言われようと、確かに動かせた。

失敗はあったが、次に生かせた。

その結果の積み重ねを「充実」というのだと思います。

 

 

 

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