「今を受け入れて幸福になろう」のお手本・ピダハン族 | Tempo rubato

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アニメーター・演出家 平松禎史のブログ

 


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岡田麿里監督作品『アリスとテレスのまぼろし工場』

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お楽しみに!

 

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最近は、You Tubeの「ゆっくり解説」シリーズを流しながら仕事してたります。

科学や天文学、資源、地理、生き物などの雑学をアニメ風キャラのアバターがかけ合いで解説していくものです。人気があって書籍も出しているらしい。

興味を惹かれたものはあとで調べ直して答え合わせをするのだけど、投稿者は理系の若い人らしく、きちんとエビデンスを根拠に作っていることが伺えます。

好きなのは宇宙や地理の「ゆっくり解説」ですね。ギリシャ時代の哲学者からガリレオやニュートンなどを経てアインシュタインへ、そして現代へと科学が深まっていく様子は(難しいけど)とってもおもしろいものです。

地理は子供の頃から好きで、小学生の時の自慢は何も見ずに日本地図を描けることでした(笑)。なのでどれを見ても楽しめます。

 

さて、そんな中でも特におもしろかったものをご紹介しましょう。

何がおもしろいかと言うと、現代の世界、特に日本の政治風土や社会状況をうつす鏡、または「お手本」のようなテーマがあるのです。

 

これです。

 

 

熱帯雨林には、我々が持っているふたつ時間概念、「循環的時間概念」と「直線的時間概念」を持たない人々がいるというのです。アフリカ中南部のムブティ・ピグミー、南米アマゾンのピダハンです。動画ではピダハン族を30年間調査した言語人類学者ダニエル・L・エヴェレットの報告を中心に解説しています。

 

「循環的時間概念」とは、昼夜、一日や月、年、季節など循環し繰り返す時間の意識のこと。

「直線的時間概念」とは、過去・現在・未来の概念のことで、空間の意識ともつながります。

 

 

ピダハン族の特徴をざっくりまとめるとこうなります。

  • 昼と夜や月日の時間概念がない。寝たい時に寝て、腹が減ったら食べ物をとりに行く。
  • 先のことを考えて食料を保存する概念がない。ものを大切にする概念がない。
  • 過去や故人のことを話題にしない。
  • 笑顔に溢れ、幸せな日々を送っている。

生きたいように生きている様子だけ見ると、なんだか羨ましい気すらしますね。

なぜこのような生活様式になったのか。

  • 熱帯雨林の分厚い森林によって地面まで太陽の光が届かない。空を見る習慣がないため、太陽や月の運行、星々の変化にも気が付かない。温暖で安定した気候のため季節の概念も持たない。昼と夜、一日や一年の概念が必要なく、循環的時間概念が育たなかった。
  • 食べ物に困ることがない幸運な熱帯雨林で暮らしてきたため、貯蓄をする必要がない。過去のことも未来のことも考える必要がなく、今この時を快適にしていれば事足りるため、直線的時間概念が育たなかった。
  • 樹木が密集した熱帯雨林では、はるか遠くを見ることがなく、遠近感が希薄。空間の概念が希薄なので距離と時間とを関連付ける(遠い)過去・(近い)現在・(遠い)未来という概念も育たなかった。

 

「地理」カテゴリーで語られているのは、このような生活様式や認識の仕方が内陸の恵まれた熱帯雨林_地理的特徴と関係して出来上がっているからなんですね。

 

いわゆる文明社会で、様々な規律や、時間に追われる生活や、過去のしがらみや、未来への不安や、人間関係の窮屈さなどなどと戦いながら生きている現代人にとって、ピダハン族の生活はまさに天国のように映る。

実際、ピダハンで検索すると、そういう意識を「お手本」として生きるよう勧めるインフルエンサー的な人がいたりして、こういう記事もすぐに見つかります。

 

 

このようなオススメを真に受けると、現実の厳しさに直面して一層打ちひしがれて途方に暮れるんじゃないかしらん。

なぜなら、ピダハンが生活する熱帯雨林と我々が生きる現代社会とは全く違うからです。

日本には四季があり、台風や大雨洪水豪雪、ジメジメした梅雨から夏と乾燥した冬、忘れた頃にやってくる大地震大津波・・・。恨みの持っていきようのない自然災害で亡くなった人々を悼み、過去と現在をつなぐ「きづな」として未来へと紡いでいこうとする意識を捨てるわけにいかない。四季と関係するのは農漁業だけではなく、都会の仕事にしたって季節の変化で作るもの売るものは変化する。過去の業績と現在の業績、そして未来の業績を意識しないでよい生活など存在しない。これが現代社会の現実です。

それを、なかったかのように構えたとしても、すぐに現実に引き戻され、かえって現実の厳しさに打ちひしがれて絶望してしまうのではないでしょうか。

そんな提言は、正直言って無責任だと思いますね。

きっと、ピダハンのように恵まれた生活を送っている人たちの発想なのでしょう。

 

〈12月28日追記〉

また、こうしたインフルエンサー的な人の憧憬には、国家・政治を邪魔者と考える自由主義的な観念があるのでは、と思う。国家や政治とは無縁に生きていると思う人には心地良く響くのでしょう。

ピダハンを解説した別の動画では、植民地政策が大繁盛した時代、彼らは国家に支配されるの嫌って農耕に必要な時間概念のなさや、所有欲がないことを活用したのではないか、としたものもあった。

確かに彼らの特徴は文明社会に馴染むものではなく、文明側の統制を拒否するのに好都合と言える。しかし、ピダハン族が意識的に自分たちの特徴を非支配に活用したとは考えにくい。なぜなら、彼らは彼ら自身の特徴を相対的に自覚しているとは考えにくく、彼らの特徴は文明の登場よりもずっと古くに出来上がっていたものだから。

また、植民地を広げる側にしても、奥地の熱帯雨林地帯は利益よりコストの方が大きいと判断した可能性があります。現代ですら「開発」されていないのですからね。

西洋近代文明やその模倣をした日本人からの視点で、彼らを規定しようとするのは不適切に思う。

 

日本は、西洋近代の国家政治を導入して130〜150年になる。江戸以前にしても地方自治による共同体と幕府の政治が営まれていたわけで、熱帯雨林の暮らしが導入できるわけではありません。個人で近い生活をしてみることは可能かもしれないが、それはピダハンが作り出した共同体の知恵ではなく、自分だけの利益を考えた孤立になるでしょう。それは幸福だろうか。

令和の時代も、ボクらは政治の影響を受けている。それが良くないものならば、改めるよう声を上げ、多くの声を集め、政治に働きかける必要があるのです。みんなが幸福になれるように。

〈追記ここまで〉

 

ちなみに、ピダハン族は祖先からずっとあのような暮らしをしています。なので、現代人から見て劣っているとか遅れているとか見るのは間違いですし、そもそも自分たちを良いとか優れているとかの認識はないと思います。国々や環境によって価値観は異なるものですからね。

 

 

「もう経済成長を目指さなくて良い」

「ゾンビ企業は淘汰されれば良い」

「老人は長生きせずに死んでもらったほうが若者のため」

このような主張する人は、さぞかし苦労のない変化のない未来の不安もない人間関係の摩擦もない恵まれた人生を歩んでるんでしょうね。

 

うらやましいですか?

 

ボクは全然うらやましくない。


 

いわゆる文明社会で生きていながら、全く環境の違うピダハン族を幸福そうだと思うのは、

「今だけ・カネだけ・自分だけ」への憧れに限りなく近いものだと思います。

 

 

 

 

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