ひなたぼっこ主義 -18ページ目

しあわせ論・補足(ちょっとだけよ)

しあわせ論の記事では、幸せは続かない、と書きました。


しかし実際には、

日常の幸せを底上げする幸せってのも、きっとちゃんとあって

それは、モノから得られるものではないのでしょう。


きっとそれは、

自分の中で見つけられるか、人とのかかわりから得られるもの。

しあわせ論

最近、思うんです。

人は、不幸は感じ続けられるけど、幸せは感じ続けられないんだなあ。

幸せな状態には必ず慣れて、幸せと思えなくなってしまうんだなあ、と。


それを図にすると、こんな感じでしょうか。

ちなみに横軸は時間の経過っす。



不幸ガーンを感じ続けるのは、たぶん

お腹がすいたとか、寒いとかの不幸な状態になって

その状態に慣れちゃうと、そのまま死んじゃうからでしょう。


幸せニコニコを感じ続けられないのは、たぶん

本来、「お腹がいっぱい」とかの幸せ状態はすぐに終わるものだし、

幸せだと思えば、注意が散漫合格になったりして、危ないからかもしれないです。

実際に、躁病の人は、傲慢になったり、気前がよすぎて散財しちゃったりするらしいです。



人っていうのは、経済的に余裕ができると、生活レベルを上げたくなるクラッカーものらしいです。

そうすれば、日常がより幸せな状態ドキドキになり、それがずーっと続くと思うから。


しかし実際には、残念なことに

幸せな状態ラブラブ!というのは、いずれ慣れて、感じなくなってしまうむっもののようです。

それが、ヒトという生き物の脳のメカニズム。(たぶん。)

だから、

「生活レベルが高くなれば、そのぶん幸せをずーっと感じ続けられる」

とゆーことはないんです。


どれだけ美味しいものワインを食べても、素晴らしいリゾートゴルフに行っても

それをずーっと頻繁に続けていれば、必ずそれを「普通」と感じるようになってしまい

たいして幸せと感じなくなっちゃうんです。

不必要な高級車車を買っても、やたら大きく立派な家家を建てても、それは同じこと。


そして、

たいして幸せを感じ続けられなっても、費用がま口財布はかかり続けてしまうんですよね。

食費ナイフとフォークは倍になり、高級車は維持費駐車場がかかり、大きな家は税金¥や光熱費ひらめき電球が多くかかる。


そのとき、

さらに多くのお金をつぎ込んで生活レベルを高めれば、再び幸せを感じるようになるけれど

やはりそれも一時的なもの。

また幸せを感じなくなってしまい、しかし費用はより多くかかり続けるガクリとゆーわけです。


それらを図にすると、こんな感じでしょうか。


逆に、

生活レベルはそのままでも、費用が多くかかる状態を維持しなくとも

人は、ときどき幸せなことが起これば、ちゃんと幸せラブラブ!を感じられるんすよね。


そして、幸せを感じる量は

幸せの絶対量(=金額の高さ)で感じるのではなく、ふだんの状態との差で感じるのでしょう。

たとえば、

いつも2万円のお寿司を食べている人が、3万円のお寿司を食べるよりも

いつも500円のお寿司を食べている人が、2000円のお寿司を食べたほうが

絶対においしいラブラブと感じるはず。


それに、気持ちは簡単には冷めないので

楽しいことが終わっても、「楽しかった!ニコニコ」という気持ちはしばらく続くもんです。


それらを図にすると、こんな感じでしょうか。


もちろん、

食べるものにも着るものにも住む場所にも困るような

すごく不便で不安な状態ガーンあせるは、お金があれば改善したほうがいいです。

人間は、不幸な状態には慣れることができず、ストレスがかかり続けますから。


でも、

それなりに経済的に余裕ができたとき¥

生活レベルをあげることが可能であっても、あえて生活レベルを据え置きにして

そのぶん、ときどき楽しいこと観覧車をやるほうが

きっと、より楽しめて満足を得られるし、経済的にも破綻せずに済むのでしょう。


それらを図にするとこんな感じでしょうか。


これは、生活レベルをどんどん上げていったために

経済的に苦しくなり、幸せも感じにくくなるという

悪循環ダウンに陥ってしまった例。


こちらは、生活レベルを上げなかったために

経済的に余裕があり、さらに幸せを感じやすい状態アップでい続けられた例。




...とはいえ、

資本主義社会というものは、永遠の経済成長を目指しているので

こうした考え方はあわないのでしょうね。


雪虫ふたたび

昨年、雪虫の記事を書いてから約1年。

再び雪虫の季節がやってきました。


雪虫とは、白いワタのようなロウ物質をつけたアブラムシの仲間の総称で

この時期になると、雪のようにふわふわと飛びながら、冬の訪れを告げてくれます。

今年のこのあたりでは11月12日くらいがピークでした。


これが、今年撮れた雪虫の写真の中で、いちばんピントがあっているやつです。

5mmくらいの小さい虫なので、

5年くらい前に適当に買ったデジカメできれいに撮るのは難しいっす(;´Д`)ノ

手の上で撮影しているのは、ふわふわ飛んでいるところを手で捕まえて撮ったから。

とても小さいので、

つぶさないように捕まえるのは、なかなか難しいっす。

しかも彼女ら(みんなメスです)は、とてもせっかちさんなので

カメラを準備している間に飛んで行っちゃったりするんすよね。

この写真も、飛び立つ直前のところっす。



このあたりにいる雪虫は、むし探検広場の園長先生にも教えていただいた通り

たぶん、ケヤキフシアブラムシ(ケヤキヒトスジワタムシ)だろうと思います。


ケヤキフシアブラムシの生活環は、こんな感じらしいです。


 春、ケヤキの樹皮の間で卵が孵化し、生まれた幼虫は葉っぱにうつって汁を吸います。

 すると葉っぱは変形し、こぶのように膨れます。

 このこぶは、ケヤキハフクロフシと言われます。


 虫こぶの中ではメスの成虫が生まれ、そのメスは、たくさんの幼虫を生みます。

 そして、6月頃にメス成虫となって翅が生えると

 彼女らは、ケヤキ葉の虫こぶを飛び出して、ササやタケの根元に移住します。

 そこでもまた幼虫を産んで増えます。


 秋になって寒くなると、翅が生えた雌が、ササの根からケヤキにうつります。

 このときに見られるのが、いわゆる雪虫です。

 ケヤキに辿り着いたメスは、オスとメスを産み、

 オスとメスが交尾して、メスが卵を産みます。

 そのメスは体内に卵を持ったまま、樹皮の中とかで死ぬそうです。


この雪虫がケヤキフシアブラムシなのかどうかは分からないですが、

とりあえず、雪虫が多く飛んでいるところの近くのササ付近で

落ちている雪虫を見かけました。

下の写真真ん中の、白っぽいやつがそうです。



この雪虫がケヤキフシアブラムシだという確かな証拠がほしくて

ケヤキの木でも虫こぶを探してみたのですが、

虫こぶは、どうしても見つけることはできませんでした。

もしかすると、虫こぶができた葉っぱは、もっと早くに落葉してしまったのかも。

だとすると、来年の5-6月くらいに虫こぶを探さないといかんなあ。


うーん、

君らは本当にケヤキフシアブラムシなのかい???



ケヤキフシアブラムシの生活環について

http://www.ffpri-kys.affrc.go.jp/kysmr/data/mr56.pdf

http://www.hfri.pref.hokkaido.jp/kanko/kiho/pdf/kiho61-2.PDF


昨年、雪虫について書いた記事

(雪虫の代表格であるトドノネオオワタムシの生活環など)

http://ameblo.jp/tabokko/entry-10057558598.html

我がホームのニホンゴ’sミダレ

最近の我が家、日本語が乱れとります(´・ω・`)


小学生の娘や5歳息子は

「スターシャ!

 サーシャ!

 シャア少佐!」 

を早口で繰り返してるっす。


キミらは、シャア少佐シャアはともかく、スターシャスターシャやサーシャスターシャは知らんでしょーが。



ようやく日本語を覚え始めた2歳息子は、家の中ではテレビを観ながら

「オケェモン!

 チューチシン!」


ポケモンピカチュウと羞恥心羞恥心だってば(汗)


そして、

外に出たら出たで、いろんな車を指差して

「トウォタ!

 オンダ!

 すすぎ!

 すばりぅ!

 イシュ・イシ!

 ?ィナチュ! ←?部分はどうしても日本語表記できませんでした。

 あび!

 ビービーやん!」


トウォタじゃなくて、トヨタトヨタ

オンダはホンダホンダ、すすぎはスズキスズキ、すばりぅはスバルスバル

イシュ・イシはミツビシ三菱、?ィナチュはダイハツダイハツ、あびはアウディアウディ

ビービーやんは、Bb車。 ...これは一応合ってるか(汗)

 


そして、これまではまともだと思っていた、日本語歴30年を越す相方までも!


昨日、相方に


「英語圏の人が日本語を習ったとき、ホントに

 「あなたは」を「ユーは」とか言ったりするのかなあ?」


と訊いたところ、こんな返事が。


「そんなことを言うのは


 誘拐したのはユーかい?


 って言うときくらいだろう」


全身の力が抜けたっす...がっくり

できなくても、できる人

10年以上前、大学生の頃。


研究室でいつも通りの日課をこなし、

夜7時くらいに、地下鉄の駅に着きました。

この駅は、休日は人が多いけれど、平日はあまり人がいないです。

とくに夜は、まったくといっていいくらいに。


いつも通り、定期券で改札に入ろうとしたときに

ふだんは人気の無い切符売り場の近くに、ひとりの男性が。


何か困っているふうだったので、声をかけました。

面倒だな~とは思ったけど、他に誰もいなかったし、急ぎの用事もなかったんでσ(^_^;)


「何かお困りですか?」


するとその方は、首から提げた紐、その先についている紙を、私に見せました。

その紙には、

「私は身体障害者です。

 もし困っていたら、助けてあげてください」

うーん、

状況は分かったけど、どうすればいいのかは分からない(^^;;;


その方がいたのが切符売り場の前だったので

「切符を買いますか?」

と訊いてみました。

するとその方は「あー」と言いながら、こくりと頷きました。

どうやら正解だったらしいっす。ああよかった。


「どの切符を買いますか?」

その方は、「あー」と言いながら、200円のボタンのあたりを指差してから

不自由な手で、なんとか財布を出しました。

「この、200円のでいいですか?」

「あー」、こくり。

「お財布からお金を出していいですか?」

「あー」、こくり。


私は、小銭がいっぱい入った財布から200円を出して切符を買いました。

そして、とりあえず閉じた財布を渡し、

その方が財布をしまい終えてから、今度は切符を手渡しました。


その方は、

「あーーー」

と言いながら大きく頭を下げ、改札に向かってゆっくり歩いていきました。

会ったときから別れるときまで、無表情なままでした。


手が不自由でも、切符は買えるし、電車に乗れるんだなあ。

喋れなくても、笑えなくとも、言いたい事や気持ちは相手に伝わるんだなあ。


そんなことを思いました(・∀・)



それにしても、今こうして思い出してみると

駅員さんの呼び出しボタンとかがあったかもしれず、

もしあれば、それを押せばよかったのかもしんないすね(^-^ゞ