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tablaboyの道日記

祈りによる世界平和運動、祈り研究をライフワークとし、音楽、散歩が趣味です。音楽に関する記事、スピリチュアリティーに関する記事、祈りに関する記事、随時アップしてゆきますので、楽しんでください(^^♪ 世界人類が平和でありますように

このシリーズは五井昌久先生の御著書、『霊性の開発』をテキストに、永安先生が自己の体験から、意識から、悟りから解説してくださっているお話です。
全12回、1回約2時間のお話です。
またこのシリーズも世界中の日本語の理解できる方々の霊性の開発の一助となりましたら幸いに思います。


『自由自在心について』



今は、宗教の違いによる対立が際立ち、やがて憎しみ、排撃に変わり、対立する対象を除去したい、抹殺してもいい、という雰囲気、世論が形成され、ちょっとしたきっかけで、戦争が起こる。

何かが根本的に間違っている。初期の段階で間違っている。

一番は教育だ。
本当の宗教、宗教精神は、
『自分に起こるすべての事柄は、自分に責任がある』
という深い理解、認識でなければならない。
 戦争で、敵の男は皆殺し、適齢期の女は全員レイプされ、妊娠させられ、子供を生ませられ、その子には自分の宗教を押し付ける。

それでもやはり自分達の責任なのだ、と思わなければならない。

そう思えなければ、相手を憎むか、自分の運命を呪う以外の道はない。

どこかに原因があるのだ。
深い潜在意識の中に、その原因が隠されている。

仏教では『因縁因果』、『業』という。

自分が過去において行ったことが、時を経て自分に返ってくるということ。
だから、相手を恨むのはお門違い。

今、サッカーで注目されているオシム監督がセルビア出身ということもあって、セルビアの内戦のことを聞いて、そんなことを思っていたのだった。

オシムさんの言葉には、サッカーについてだけではなく、内戦を経験した民族の魂の教訓が包含されているのだ。

人間の『真の救い』とは、『安心立命』とは、どういうことなのか、どういう状態なのか、永安先生はお話してくださっています。
このお話の中で、人間がこの世でも、あの世でも幸せに生きるには、どうすればいいのか、人間の真実の生き方が解明できたのではないか、と思います。
一人の人間が存在するには、多くの目に見えない存在の多くのサポート、守護があってはじめて可能になっています。それを実感として感じることが出来れば、その人は神我一体の人、不動磐石の人、天地一体の人となります。
このシリーズはこれで終わりますが、また次も考えておりますので、乞うご期待ください。
長い間お付合いいただきありがとうございました。


永安先生講話シリーズ #6


イスラエルから攻撃されたレバノン市民は
『イスラエルに死を』
『アメリカに死を』
と連呼していた。
どんなに自分が正しくても、憎しみの想いを心に抱けば、自分の潜在意識が汚れ、それが運命となって実るのだ。
そういう法則を教えない教育、政治、宗教はいずれ破綻する運命にある。
憎しみに愛を持って返してこそ、真の人間であり、神性の発露であると信じる。
それには、常に感情を解脱する練習が必要だ。
愛を深めることが必要なのだ。
レバノンの人に伝えたい。
愛そのものになった人を犯すことはだれもできない。
アメリカの人々、イスラエルの人々の幸せを祈ろう。
それで死んだらそれで良いじゃないか。
どうどうと死につけばいいのだ。


世界人類が平和でありますように

人間の感情はコントロールできると思っている人は、人間の潜在意識というものをよく知らない、人間をよく知らないのだと想います。
人間には「自己保存」という大きな機能が働いています。

それによって生きてきたのです。

この『自己』のなかには、生命、身体、財産、民族、信条、宗教というものも含まれます。

その自己に反するものは、叩こうとする感情が湧いてきます。
抑えられるような生易しいものではないのです。
それが戦争の原因です。
ここからが宗教精神の出番になります。
普段から感情想念を祈りに投げ入れる練習が必要なのです。
祈りの積み重ねが必要なのです。
また集団での祈りは、心を一つにする祈りは、大きな光の柱になってその感情想念を消滅させることが出来ます。それが祈りによる世界平和運動の意義なのです。
滅びるのを防ぐこと、天変地異を未然に防ぐこと、痛み苦しみを軽減すること・・これが今一番必要なことだと思います。
 瞬時絶え間なくいのりつづけましょう。


 世界人類が平和でありますように
 私たちの天命が完うされますように

『自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す・・』のこの自分とは一体どういう存在のことをいうのでしょう。人を傷つけ、自分を欺き、良心が曇っている自分のことをいうのでしょうか? 感情に把われ、混乱し、判断力を失っている自分でしょうか? 
 永安先生は、この「自分」の本質、愛の本質、赦しの本来の意味、また仏教で言う大慈大悲についてお話くださっています。楽しんでください。


永安先生講話シリーズ #5


人間は、自分が認めたもの、肯定したものが潜在意識に入り、それがこの形の世界に写され、個々人の人生が出来上がっています。
だから、一瞬一瞬が選択であり、決断であり、自分の責任になります。そうすると、何を肯定し、何を否定するか、とても大きな問題になってきます。
永安先生は、やさしくそこの所を解説してくださっています。
参考にしていただければ幸いです。


永安先生講話シリーズ #4

愛されることで満足して、幸せを感じているとしたら、愛されなくなったときに、生きる意味を失ってしまいます。
それは愛の奴隷です。
いつ愛されなくなるか怯えながら、愛に支配されているのです。
それは、人間の本当の生き方ではありません。
愛されることを待っていてはだめです。
愛の根源にさかのぼり、愛そのものにならなければ、本当の安心立命はありません。
常に自分が主体になって、中心になって、他に影響を及ぼしてゆく。
常に愛を意識し、愛にセンタリングしてゆくこと。
それが本当の生き方だなー、なんて想いました

劣等感・・人類の一番深いところの病気
人に劣りたくないという想い

負けたくないという想い
劣っていると感じると、エゴが疼き、相手を攻撃する、なんとか相手の欠点を探し、自分が、自国が劣っていないことを証明しようとする。
また、反対に自分を卑下する。

悲観的になり、自暴自棄になる。
人によって反応がちがいますが、それらが無意識に流れとして、習慣になっています。
そういう時は、潜在意識を相殺する意味の祈り、本心にむかう祈りが、そういう相対意識を超えるのにとても良い、と想います。


愛深い私でありますように
愛そのものの私でありますように
愛深い本心さん、ありがとうございます
愛を充実せしめたまえ
愛と一つでありますように
わが天命を完うせしめたまえ

人間はだれでも目的を持ってこの世に誕生してきています。自分がそう願って生まれてきているのです。また、天から与えられた使命をいうものを背負っています。
この宇宙の中で、自分が果たすべき役割があります。そこにセンタリングすることが一番命を生かすことになると感じています。以下は五井先生の『運命を恐れるな』からの抜粋ですが、何度読んでも魂が喜びますので、お読みいただければと想います。


“ 人間がこの地球世界に生れてきたのは、たとえ、生れてすぐ死ぬ赤児であっても、真実の人類を創設するための、一役を買っているのです。それは、自己自身のいのち磨き、魂磨きの為でもあり、又、親となった者の魂磨きであり、天命を完うさせる為の一役でもあるのです。
人間一人一人、すベて天命を完うする為にこの世に生れているのであって、それが判らないのは、過去世からの誤った想念や行為によるのです。
現在の人間は、自己自身も知らずに、天命を完うしている人もありますが、誤った運命に翻弄されている人たちの方が多いのです。現在自己が、悪い運命、不幸な運命にあったとしたら、それは、過去世から現在に至る誤った運命観によってもたされた運命なのです。
自己の想念の根本に、自己の生れた使命観をもたなかったか、又は、自己という肉体の殻の中に閉じこもって、他との生命の交流を計らず、自分勝手に、神からきたいのちを、物質と引きかえに消耗していたか、或いは他人の生命の働きを損い傷つけていたかに違いないのです。ともあれ、天命を知らず、自己の生命を、様々な欲望に負けて、いたずらに浪費していたことによるのです。真の運命を生きていなかったということになるのです。
天命の完うされることを神に祈り続けよ
神から分れてきた自己の生命から、様々の思考力や想念行為が生れてきたのですが、その想念行為を、自己の肉体と限定された枠内の幸福だけに使いはじめ、人類の本質から離れ、神の使命、天命から離れてしまったことによって、その人達の不幸が、もたらされ、大きくは、人類の不幸がもたらされてしまったのです。これは、現在の何十年という短い期間の誤りではなく、遠い過去世からの人類の誤りであり、個人個人の誤りであったのです。
ですから、現在は善い行いをしつづけているけれど、なかなか幸福な生活が顕われてこないといっている人もあるわけで、この人達は、現在までの善い行いをつづけつつ、自己の天命が完うされますように、と神(守護霊、守護神)に祈りつづけているとよいのです。そうしますと、過去世の誤ちは軽く速やかに消え去ってゆき、天命が、職業としてではないが、その人の生活している状態の中に必ず現われてまいります。その時は、心がすっきりと割り切れた気持になるので、これが天命であると判るのです。
私の話を聞いて、そうだ、とうなずけた人は、今から早速、素直に神にむかって、自己の心の中にしみこむように、我が天命を完うせしめ給え、と祈りはじめることです。そして祈りつづけることです。神棚の前でなくともよいのですから、楽な気持で、自己の心にむかって、神様(守護霊様、守護神様)と呼びかけて、天命の完うされることを祈ればよいのです。そうしますと、次第に自己の想念の中の不安なものが消えて、天命という意識の中に、自己の心が統一してゆくのです。この祈りは、数多くやればやる程よいのですから、形のことはどうでもよいから、なるべく数多く祈ることが効果的だと思います。
要は、天命ということを強く意識することによって、天の自分、分霊、直霊にしっかりつながってゆくので、直霊の光が現われの自己、すなわち肉体界に直通してきて、神の理念実現の一役をつつがなくやらせてもらえることになるのです。
いつも申しますが、私共のいのちは永遠に生きつづけているもので、天地を貫いているのです。
その天地を貫いて輝いているいのちの力(霊)を元として、私共の想念(魂)が、生きかわり死にかわりしているのです。私共のいのちの本体(直霊)は、その光を休みなく働かせつづけ大神の使命達成に尽しているりですから、私共が、素直に、直霊(神)を想って、天命の完うされるように祈りつづければよいわけなのですが、直霊と分霊、分霊と魂魄との間に過去からの誤った想念が、つまり業が蓄積されているので、なかなか直霊まで、新たな想念が通っていかないのです。
そこで、私共の身近かな祖先の悟った人、つまり守護霊をお呼びして、その守護霊と、そして、守護霊の上位に直通している守護神とに、直霊と肉体想念とが速やかに連絡出来るように直霊の光を直接、放射して頂くことの出来るように、周囲の業を浄めて頂くのです。常に守護霊、守護神に感謝の祈りを捧げていることが、一番早く、自己の天命の道に足を踏み入れることが出来るようになることなのです。”