意外に久し振りなTechno編をお送りします。

今回はドイツの雄、Mouse On Marsを紹介します。

今まで紹介してきたWarp勢とはかなり音の傾向が違います。
もちろんお国柄もありますが、根本的にベクトルが違うんです。

Mouse On Marsはドイツ人のAndi TomaとJan St. Wernerの
二人組みのユニットです。
確かドイツの音楽大学で講師をしていたはず(?)です。

ドイツの音楽の歴史は実に深い。
ヴェートーベンに始まり、ワーグナー等、巨匠が名を連ねます。
プライドや愛国精神の塊、芸術にうるさいフランス人をもって
『ドイツ人の音楽は認めるわ』と言わしめた言葉は、皮肉交じりでは
あるけれど、ドイツの音楽が実質世界一である事を証明してます。

まあ、そんなのは良いとして、彼らの音楽を聴いていて感じる事は
卓越したポップセンス、空間表現の妙、ユーモアの裏に隠された勤勉さ、
まあ、挙げていけばキリがないのでここらへんでやめときますが、
全てのバランスが絶妙なんです。

どこから食べてもおいしい!正にそんな感じです。


さてそろそろオススメの作品を紹介しましょう!
『Idiology』です。
誰でも分かる洋楽入門-idiology


オススメの曲は
『Actionist Respoke』

悪ガキがはしゃいでる様な、何ともカッコイイ一曲

『Paradical』

未来の荒廃した一室で、壊れたロボットが奏でるかのような美しい一曲

『Introduce』

これこそcool!



多分真ん中の一曲『Paradical』だけ浮いたような感じがする
だろうけど、この幅の広さこそMouse On Marsなんです。
今回は『Idiology』から紹介しましたが本当に色々な曲があります。
今後、機会があれば他のアルバムも是非紹介したいと思います。

ちなみにMouse On MarsのライブはNYで見れました。
NYに住んでた時、彼らのライブが近所のクラブであったので、
最前列で踊り狂ってました。
ライブ後、話し掛けると『君の踊りはとても良かったよ!
明日シークレットライブがあるんだけど良ければ来ない?』との
お誘いを頂き、彼らがDJを務める身内だけのパーティーに行きました。

私の狙いは実は他にありました。
NYでプロになろうとしてたのです。
なので、自分の曲を入れたCDを当日持ってって、
リハ中に聴いてもらいました。
ドキドキしながら隣に座る彼らに感想を聞くと、
『曲自体のアプローチは面白いけど、このままでは売れない』
『売りたければポップにすべきだけど、私だったらレコード会社を選ぶ』
『私の知り合いのインディーレーベルだったらリリースできると思う』
との嬉しい言葉を頂くものの、勘違いの根拠の無い自信を持ってた
イタイ私は、折角のお話を蹴りました。

と言うのも当時、NYのメジャーレーベルのワーナーと、
トラックレコードと契約の話を進めてたんです。
結局アジア人のマーケットの実績が無いアメリカにおいて
私名義での作品は出せず、
ゴーストやトラックメーカーならとの回答をもらうも、これも蹴りました。
22歳当時の私は本当にイタかったんです…。

まあ、これについても機会があればNY編としてまた書きます。
かなりエキサイティングな毎日でした。


途中から大分話が反れましたが、Mouse On Marsはオススメです!
傑作がたくさんあるのでまた紹介しますね。

ではでは。
もう8月というのに、毎日雨ばっかりで、さすがになえる。

突然ですが、私は『No Music No Life』と言ってる人が苦手です。
何かそれを言ってる自分に酔っていたり、それを一つの
アイデンティティーやイデオロギー、ポーズとしているというのが
見え隠れして嫌なんです。
つまりそこに身を置く事で、何とか自分と他人の関係、あるいは
いるべき場所、いたい場所に繋げたいという事です。
それらはしばしばアクセサリーやステータスの一部として用いられる。

そもそもそんな事を公言する必要があるのか?と思います。
じゃあ、あなたは音楽が無ければ本当に生きていけないの?
と思います。
そんな人に限って音楽が無くても平然と生きていけるのでは?
とも思います。

私ももちろん音楽が好きですよ。本当に。
でもそれを自分のアイデンティティーとして誰かに提示したい
とは思わない。
逆に大事だからこそ、それを自分の中で大切にしたいと思う。

もちろん考え方の違いだから、私が正しいとは思わないけど、
公言するというのは自分の存在理由やポリシー、
アイデンティティーを限定させる事だと思う。

例えば私は煙草を吸いません。あるいは肉を食べません。
これは公言しても良いと思う。
そこには確かなポリシーやアイデンティティーが存在できるから。
逆に公言する事によってそこから距離を置く事が出来ると思う。
禁煙の手段としても、とても有効な方法だと思う。
旬な言葉で言えば、マニュフェストに近いと思う。

あと、簡単に『神』と呼ぶ事。
『神』ってそんなに簡単に言える事ですか?
『神』って絶対的な存在なんですよ。
短い期間の趣味思考で、簡単に変わるものでは無いと思う。
それこそ一生を掛けて信じ続けるものなのだから、
簡単に用いてはいけないと思う。

私は仏教徒の父親と、クリスチャンの母親を持つ無信教徒です。
そんな両親を持つからこそ、『神』という存在に対しては慎重になる。
あるいは宗教観に対してもとても慎重になる。
無信教である事は『神』の存在を否定する事ではなく、肯定した上で、
それが自分にとってどんな存在なのか?という事を深く考える事です。

だからこそ、安易に『神』という言葉や存在を用いる事に強い嫌悪感を
抱くし、そういう人をある種軽薄だなあと思う。
また一方で、海外に居た時、『Oh my God』や『Jesus Christ』という
言葉が、『What's up?』と並んで多用されている現状に
宗教が生活の一部になっているんだという思いと、単なる慣用句に
なってしまっているんだという、複雑な思いに駆られました。

どうでも良い事をダラダラと書いてきたけど、日本において『神』とは
多神教や無宗教(宗教に対して無関心である事)、神道が根付いている
背景を、大きく反映しているのだなと思う訳です。
今回はPost Rock編の第2回目をお送りします。

Kaki Kingを紹介したいと思う。

正直言って、彼女の音楽がPost Rockなのか疑問は残るが、
既存のRockとは異なるので、そう呼んでみる事にした。

彼女は幼い頃からクラシックギターに触れてきた。
正統ではないにしろ、純粋な意味でのギターリストだと思う。
彼女がギターを弾くと空気の密度が変わる。
Jimi Hendrixとは全く系統は異なるが、
優れたギターリストである事は間違いない。

しかしどうだろう?
今回紹介する作品以外で、彼女について特筆すべき点は無い。
これはどうも彼女への、更に言えば彼女の作品への周囲の
アプローチの仕方が間違っているのでは無いのか?と思われる。
大きな意味でのプロモーションの失敗である。
彼女は自分の声としてのギターを弾くべきであった。

歌うにはあまりにも早く、個性と言う意味でのキャラクターが
確立しないままに彼女は舞台へ立つ事になった。
勿論観客は、彼女の声を聴きたがった。
しかし残念ながら現時点での彼女の声には、歌うべき能力が無い。
シンガーとしての彼女と、アーティストとしての彼女、
更に言えばプレイヤーとしての彼女の力には大きな剥離があるのだ。

私は彼女の作品を初めて聴いたのは、当時アルバイトをしていた
レコ屋だった。
イントロが流れた瞬間に、フロアの空気が大きく変わったのを
今でも鮮明に覚えている。

決して遠くは無いけれど、注意しないと気付かない情景。
そんなイメージを抱いたのを覚えている。

それがこの曲『Carmine St.』




更に進化した作品
『Gay Sons Of Lesbian Mothers』
パフォーマンスもさることながら、次々と音が重なり、
新たな音が生み出される瞬間は圧巻である。
(↑はペーストできなかったので、リンクにしてます。)



彼女に限らず、多くのミュージシャンにおいて言える事は、
テクニックの部分はあまり前面に出さない方が良いと思う。
少なくとも音楽性を追い求め、テクニックで勝負しようと
思わなければという事だが。
テクニックは往往にして、作品そのものを霞ませてしまうからである。

↑でも少し書いたが、やはり彼女は歌い手ではなく
サウンドメーカーとしての能力の方が優れていると思う。
少なくとも現時点においてだが。

例えば私の好きなJohn McEntireをプロデューサーとして迎えた
『Until We Felt Red』は期待を大きく裏切られる作品となった。
作品としてはそんなに悪くないのだが、あまりにも期待し過ぎたのだ。

彼女はまだ20代前半と若いので今後の成長に期待している。
(『Carmine St.』を発表したのは何と10代の時である!)
久し振りの音楽紹介です。

音楽を紹介するのは楽しいのだけれど、ムービー作成やyoutubeへの
アップ等、面倒な作業が結構多くて、最近フリートークに流れる事が
多かったのも、実はその為です。

まあ、しかしあまりにサボっているのもいかがなものかな?と思うし、
やっぱりこのブログではなるべく音楽の事を書きたいなと思うので、
久方振りではありますが、紹介してみたいと思います。


さて今回は現代音楽の第2回目をお送りします。
前回はSteve Reichを紹介しましたが、今回も引き続き
Steve Reichを紹介したいと思います。


やっぱりこの人の音楽ってすごいと思います。

それ一つでは全く意味を持たない灰色で無機質な短い音の断片を、
彼はパズルのようにその一つ一つをあるべき場所に組み込んでいく。
とても丁寧に、そして的確に。

そのようにして彼の手の中にある音の断片が、形を成し始めると、
それらは次第に意味を、あるいは意思を持ち始める。
音から音楽へと変わる瞬間である。

それまで無機質であった音の一つ一つが、彼によって命を与えられ
縦横無尽に飛び回る。
反復といったある種退屈な音の配列は、美しい響きに姿を変える。

もし芸術に対する評価が、実験性や革新性、あるいはモチーフへの
アプローチや創作のプロセスに向けられるのであれば、
それは大きな間違いである。
あくまで結果が全てなのである。

しかしSteve Reichはそれらの全ての面においてさえ、
優れていると言えるだろう。


さてオススメの作品だが『City Life』である。

この作品は5つのパートで構成されている。
このテーマを表現するにはそれだけの時間と構成が必要なのだ。
全体で20分を超える作品なので、慣れていない方には退屈かもしれない。
しかし、第一部だけでも聴いて頂ければ幸いである。
冒頭のオーケストラの壮大で美しい調べから作品は始まる。
前奏の40秒に全く琴線が触れないのであれば諦めよう。

『Part 1 "Check it out"』


『Part 2 "Piledriver/Alarms"』


『Part 3 "It`s been a honeymoon"』


『Part 4 "Heartbeats/Boats & Buoys"』


『Part 5 "Heavy Smoke"』




都市が抱える光と影の部分を的確に描き出した作品であると思う。
言語や文化の違いこそあれど、現在の日本人にも
十分に響くのではないか?

彼が描き出す世界は、とても明確である。
前回ご紹介した『Different Trains』も十分に戦争を捉えた
作品であった。

音楽はあくまで表現の為の道具の一つに過ぎないけど、
それが描き出す世界は、決して作られた世界ではない。
そこには人の叫びがあり、怒りがあり、悲しさや喜びがある。
それらは実際に声をあげているのである!

彼はそんな声をあげ続けている。
時間や空間を越えた本当の声を。
久し振りの更新です。

暑い夏ももう目前、皆様元気にしてますか?
私は元気にしてますよ。

突然ですが車通勤をやめました。
代わりに最近買った自転車で職場まで通っています。

かっこいい事を言えば環境問題だとか色々言えるんですけど、
単純に自分の事は自分でしようと思ったのです。

あとは体をまともにしようと思う事も大きいですね。
体の運動機能が完全に衰えていると思わされたバスケ以来、
少しずつ体を自然に近付けようと思っている訳です。

自転車、中々気持ち良いものですよ。
風を肌で感じる事が出来るし、自分でこいだ分だけ前に進む。
実に単純な事だけれど、そういうのって意外に嬉しいんです。

バスケ、三日坊主にならんと、ちゃんと続けてます。
相変わらず筋肉痛に悩まされてるけど、少しずつですが
中学一年生の自分に近付いています。
確実なる前進です。

朝起きるのが少し早くなって大変ですが、それも含めて
健全な体に、生活になっていくのが最近の密かな喜びです。

そう言えば、村上春樹の新作読みました。
これについては近日書こうと思います。

取り敢えずチャリンチャリンと前に進みます。