もう8月というのに、毎日雨ばっかりで、さすがになえる。

突然ですが、私は『No Music No Life』と言ってる人が苦手です。
何かそれを言ってる自分に酔っていたり、それを一つの
アイデンティティーやイデオロギー、ポーズとしているというのが
見え隠れして嫌なんです。
つまりそこに身を置く事で、何とか自分と他人の関係、あるいは
いるべき場所、いたい場所に繋げたいという事です。
それらはしばしばアクセサリーやステータスの一部として用いられる。

そもそもそんな事を公言する必要があるのか?と思います。
じゃあ、あなたは音楽が無ければ本当に生きていけないの?
と思います。
そんな人に限って音楽が無くても平然と生きていけるのでは?
とも思います。

私ももちろん音楽が好きですよ。本当に。
でもそれを自分のアイデンティティーとして誰かに提示したい
とは思わない。
逆に大事だからこそ、それを自分の中で大切にしたいと思う。

もちろん考え方の違いだから、私が正しいとは思わないけど、
公言するというのは自分の存在理由やポリシー、
アイデンティティーを限定させる事だと思う。

例えば私は煙草を吸いません。あるいは肉を食べません。
これは公言しても良いと思う。
そこには確かなポリシーやアイデンティティーが存在できるから。
逆に公言する事によってそこから距離を置く事が出来ると思う。
禁煙の手段としても、とても有効な方法だと思う。
旬な言葉で言えば、マニュフェストに近いと思う。

あと、簡単に『神』と呼ぶ事。
『神』ってそんなに簡単に言える事ですか?
『神』って絶対的な存在なんですよ。
短い期間の趣味思考で、簡単に変わるものでは無いと思う。
それこそ一生を掛けて信じ続けるものなのだから、
簡単に用いてはいけないと思う。

私は仏教徒の父親と、クリスチャンの母親を持つ無信教徒です。
そんな両親を持つからこそ、『神』という存在に対しては慎重になる。
あるいは宗教観に対してもとても慎重になる。
無信教である事は『神』の存在を否定する事ではなく、肯定した上で、
それが自分にとってどんな存在なのか?という事を深く考える事です。

だからこそ、安易に『神』という言葉や存在を用いる事に強い嫌悪感を
抱くし、そういう人をある種軽薄だなあと思う。
また一方で、海外に居た時、『Oh my God』や『Jesus Christ』という
言葉が、『What's up?』と並んで多用されている現状に
宗教が生活の一部になっているんだという思いと、単なる慣用句に
なってしまっているんだという、複雑な思いに駆られました。

どうでも良い事をダラダラと書いてきたけど、日本において『神』とは
多神教や無宗教(宗教に対して無関心である事)、神道が根付いている
背景を、大きく反映しているのだなと思う訳です。