今朝、ある方を病院でお見送りしました。
ごくごく私的な話しですが
書いてみたいと思います。
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「誰かのお役に立ちたい」
そのためには自ら動くことを
決して惜しまぬ人だった。
その恩恵をいちばん受けたのは
おそらく、我が家だった。
「何かお手伝いできることありませんか」
「何かあったらいつでも言ってね」
いつでも何度も声をかけてもらった。
母が具合が悪くなってから
我が家にサポートに来てくださるようになって
結局、母が2018年に亡くなってからも、
何かとお世話になり、
何十年のお付き合いとなった。
もともと食が細く、
どんどん食べることに
興味がなくなっていった母が
あれだけ美味しい美味しいと、
食べれるようになったのは
その人のお陰だった。
本当に美味しいご飯だった。
いろいろな景色を見に行ったり
庭にいろんなものを植えたり。
私がガンで入院した時も
その時すでに少し
認知症が始まっていた母を連れて
何度も病院にきてくださった。
家族以外の人でいちばん家族に関わった人。
実家引っ越しに伴い、
飼えなくなったネコのゆきちゃんも
お預けして可愛がってもらっていた。
それが年末からガタガタっと悪くなり
あっという間にこの世を去られた。
ライフコーチの小国里恵@京都です
40代、50代の方が
《自分ともう一度生きていこう》と
思っていただけるようサポートしています
最後、意識が朦朧とする中でも、
息子さんにも声をかけておられた。
「お役に立ちなさいよ」と。
その方にとってはきっと
そうすることが生きがいだった。
なので、自分の身体を動かすことで
人に貢献することができなくなった時。
その苦しみは身体の苦しみと同様に
辛いものだったと思う。
母が生前使っていた「杖」は
その人に受け継がれた。
むこうではふたりとも元気で
また散歩にでも出かけてくれたら。
忘れずに棺にいれてもらおう。
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母が亡くなり
母を看取った実家を昨春に手放し
母を支えた人が翌春に亡くなる。
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「ひとつの時代が終わった」
大げさではなく、
そんな言葉が浮かんできた。
ひとつの時代というか
ひとつの大きな流れというか。
そういったものに
ひとつピリオドが打たれたような。
それだけ私もそれなりに長く生きたということか。
なのでそのことを記しておこうと思いました。
お家では残されたゆきちゃんが
健気に待っていた。
主は帰ってこない。
これからどうすればいい。
本当にいろいろありがとうございました。
ゆっくりとおやすみください。
この桜をともに見る約束は果たせませんでしたが
お空から幾千万の花と木をお楽しみください。