テレビをつけてると
「弱いロボット」という
耳慣れない言葉が聞こえてきました。
ロボットだけど、
どうも生活上で役に立つ機能は
搭載されていないらしいです。
たとえば
「弱いロボット」が子どもに向けて
昔話をお話ししてる。
でも途中で主人公の名前を忘れたり
間違ったりするそうで、
思わず聞いている子どもの方が教えてあげる、
みたいなことが起きます。
ゴミがあっても弱いロボットは
拾えずウロウロするだけ。
それを見ているこちらが拾います(;'∀')
そう、「弱いロボット」から
何かが引き出される瞬間です。
ようこそ!
対話空間「旅するコーチング」へ
ライフコーチの
小国里恵@京都(おぐにりえ)です
自分を知る/自分を活かす/自分と生きる
あなたも、これからの人生
自分自身とともに歩んでいきませんか。
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助ける側、助けられる側
支える側、支えられる側
教える側、教えられる側
私たちはいつもいつも
どちら側だけってことじゃないし、
どちら側だけにいないといけないって
ことでもない。
そこに、本当は
バチッと境界線があるワケではない。
(行ったり来たり混ざり合ったりしてる)
でも、なぜか無意識に
その役割に固執しようとしたりする。
開発者の方がこんなことを
言われていました。
「弱いロボットの
不完全さを受け入れる」ことで
寛容な社会になれば。
自分の不完全さを受け入れること。
そばにいる人の不完全さを
受け入れること。
私にも、あの人のような面があるなと
ただ知ること。
認めること。
助け合う、支え合うって
そういうことなのかも
今日、マイコーチといま流行りの
ChatGPT(これもまだまだ不完全)について
話したんですが
結局、問われてるのはいつも
私たちの方、なんですよね。
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