以前あるクライアントがさんが
このようなことを言われていたことがあります。
「どこまでも自分を責めて、
否定しまくって苦しい。
でもそんな自分をいいかげん、
認めてもよいかと思いました。」
なぜそのことを思い出したのかというと、
今日もある人が同じようなことを
言われていたんです。
「いつまでも続く自己否定のループに
いいかげん飽きてきた」
こんにちは。
対話空間「旅するコーチング」へようこそ!
「がんばっている自分に優しくなれない」
「自分に自信がない」
「他人に合わせてしまう」
「職場の人間関係がしんどい」
そんな悩みを私との対話で解決し
《何があっても大丈夫な自分》を
生きていきませんか?
ライフコーチの
小国里恵(おぐにりえ)です。
そして実は以前にも同じようなことを
別の方から聴いています。
↓↓↓
自己否定の沼の底にたどり着いたその人は
「そこで知ることができるのは何なのか?」
そんな気持ちになったのだそうです。
それはあることを
「あきらめた」瞬間でもあった・・・。
「自己否定をやめられない自分を
否定する」のをあきらめた。
もうそこで抵抗することを
あきらめた。
冒頭のクライアントさんも同様でした。
「いつも自分を否定する、そんな自分がイヤだ」
とさらに自分を否定する日々。
でもあるとき、
「そんな自分」でもいいんじゃないかと。
そんな自分を認めよう、と。
そこから否定に否定を重ねる自分が
ふーっと楽になっていった、と。
使われている言葉はいろいろです。
認める、飽きる、あきらめる。
よくいう「降参」もそれにあたるかもしれません。
でも「降参(サレンダー)」するにはその前に
「抵抗(レジスタンス)」があるんです。
こんな自分なんて嫌だ、ダメだ、と
さんざん自分が自分に抵抗を繰り返し、
最後に白旗をあげる。
もう自分と戦うのも「飽きた」な。
もういいかげんにこんな自分も
「認めて」やってもいいな。
うん、そろそろ「あきらめ」よう。
これまでよくがんばったよな。
そんな声が聞こえてくるようです。
そこで共通にあるのは、
「もうそのことを存分に味わったんだな」
という感じです。
それが自己否定であれ、自分責めであれ。
その世界を存分に味わった人だけが
次の世界を見るのかもしれない。
たしかに、自分を否定することで
「得られたもの」もたくさんあった。
だからこれまで頑張れた、ってのもあるんです。
だからこそ、存分に味わった後は…。
崖の下から力強く這い上がるこれまでの
自分のパターンだけではなく、
率直な「今の自分」からスタートできる、
そんなあらたな軽やかさにも出会うはず。
戦いが終わったらもう…
じんわりとゆっくりと自分を受け入れながら
あとはともに手を携えるしかない…

そんな道が続くのだと思います。
いつもいいね、フォロー
ありがとうございます
対話空間「旅するコーチング」~小国里恵
●体験セッションについて
(ただ今、募集はしていません)
➡体験セッションご案内
●公式ラインです♡
メッセージかスタンプお願いします。
1対1のやり取りができます♪
ふとした気づきやセッション・セミナーの
先行ご案内を配信中。
●音声配信はじめました♬
stand.fmはこちら をクリック!
●小国里恵のセッションについて知りたい方
➡コーチングとは?➡よくある質問
●小国里恵を知りたい方
➡プロフィール【公式】
➡プロフィール【非公式】
■こんな気持ちになること、ないですか?
自分との対話で《何があっても大丈夫な人生》を!
☑苦手な人がいてシンドイ
☑がんばっているのに自分を責めてしまう
☑人からどう見られるか気になって疲れる
☑ふとした時に、このままでいいのかって思う
☑人生折り返し、悔いなく生きたい