2/11 デルフィ → パトラ
付属のバルコニーからの景色は、切り立った山壁に立つデルフィの街を実感させるものだった。朝、軽く散歩をすると、昨夜にはわからなかった町の全容が見えてきた。カランバカも小さい町であったが、デルフィもまたこじんまりとした、そして階段の多い町だった。広場では朝市のようなものが開かれており、人々の日常も垣間見えた散歩道であった。
デルフィの道
チェックアウトを済ませ、荷物を預かってもらい、目的のデルフィ遺跡へ道を急いだ。小雪がちらつくなか、デルフィの街の端にその遺跡は佇んでいた。
デルフィ遺跡は、古代ギリシャにおいて、アポロンの神より神託を受けていた重要な場所である。それは、背後に雄大な山々がそびえ、そのふもとに遺跡群が広がっている様相からも、厳粛で神聖な地であったことが容易に想像できた。中に入り、歩みを進めていくにつれ、露わになる古代遺跡。その一つ一つに目を奪われる自分がいた。メテオラとはまた違う、初めて見る古代遺跡に、ギリシャに来たという実感を噛みしめていた。
かつての宝物庫や、神託が行われていたアポロン神殿、巨大な円形劇場を後にし、アテネの聖域と呼ばれる場所へやってきた。山の斜面に開かれた平地に、昔は柱であっただろう数多くの石材が散らばっている中心には、わずかに復元された神殿と推測される跡。そのはかなげな風景に心がうたれた。朝も早く、周囲に誰もいなかったこともあり、近くの石に腰をかけながら、静かに流れる時間を思う存分堪能し、「ヨシ」と気合を入れ、聖域を出た。
アテナの聖域
冬の寒さで冷えた体を、暖房のきいた付属の博物館を一瞥しながら温め、町へ戻る。ホテルで荷物を回収し、おなじみスーパーDIAで買い物をしてから、バス停へと向かった。途中、買ったはずのオレンジが入ってないことに気づき、店員さんへ確認すると、「Take another one」とのこと。大きめのを選び、改めてバス乗り場へ。すると今度は、チケットを購入する際、なぜかアテネ行きと勘違いされていた。アテネとは一言も言ってないのだが、おそらくアテネに行く日本人が多いのだろうと勝手に推測した。
無事にパトラへの切符に変更し、購入した昼食を食べながらバスを待っていると、日本人がやってきた。
メテオラに行ってきたということで、同じルートをたどってきたようであった。自分の旅行日程を話すと、「いいね、俺は社会人だから五日しかないんだよな」とアテネへと向かっていった。
まもなく迎える社会人生活に、休暇をとれるとかとれないとか、ちょっと不安になってしまった。
パトラへ向かうには、どうやら乗り換えが必要らしい。
バスに乗って数十分。良く分からない町で降ろされてしまった。風光明美な港町のようだが、まったく場所がわからない。地球の歩き方にも載っていない。バスの時間もあいまいなため、バス停がみえる範囲で町うろうろしていていたが、ほどなくしてパトラ行きのバスが来た。とりあえず一安心。バスへと乗り込み、バスは海沿いを進んでいった。
海沿いの道を走るのはやはり気持ちいい。
対岸に見えるペロポネソス半島に、期待と不安を感じながら、海峡にかかる橋へと差し掛かった。この橋が意外なほど巨大で近代的で、まるで明石海峡大橋のような印象であった。橋好きの自分としてはゆっくり観光したいところであったが、そうもいかず。橋を素通りしたバスは、しばらく海沿いを進み、パトラへと着いた。
パトラの街の海岸通り
パトラはアテネ、テッサロニキに次ぐギリシャ第三の都市。イタリア等へ行くフェリーが多数出ており、海岸沿いには旅船のターミナルが多数並んでいた。かつて深夜特急で沢木耕太郎がこの町からイタリアへ渡って行ったとか。対岸にうっすら見えるような見えないような?イタリア半島を想像しながら、海沿いの道を北上し、パトラにあるというユースホステルへ足を進めた・・・が、全然見つからない。インフォメーションで聞いても、地球の歩き方を見ても、辿りつかない。さんざん歩いた結果、全然歩く距離が足りなかったことが判明し、ようやく付く頃には大分へとへとになっていた。
外観からしてちょっとぼろぼろのホステルは、中もやはりそんな感じだった。
布団はなんか臭いがする。シャワーもなんかお湯がぬるい。相部屋の同居人がいたこともあり、荷物の安否に不安も募る。そんな環境であったが、フロントで繰り広げた異文化コミュニケーションは新鮮だった。ブルガリア人の宿泊者と、アルジェリア人の受付人、フランス語やイタリア語ならOKの二人と、片言の日本人からなる、伝わってるのかないのかよくわからない会話は、しばらくやむことはなかった。カンフーがどうのこうの、給料がどうのこうの、年齢がどうのこうの、たわいもない話だが、なんとなくお互いの意思は通じていた・・・と思う。
買ってきたホットドックを食べた後、汚い布団にくるまりながら、眠りに就いた。
前途多難な、ペロポネソス半島の旅の始まりだった。




