切手趣味週間
昭和23年(1948)切手趣味週間 見返り美人



 

↑ 館内展示室入口に展示された「見返り美人の切手」  ↓


 

切手の健全な収集をはかるため、日本の郵政記念日(旧・逓信記念日)の4月20日を含む1週間に設定されている週間である。


 

切手趣味の普及を図る目的で1947年に当時の逓信省が「切手趣味の週間」として設けた。


 

↑ 昭和23年 切手趣味週間 見返り美人切手シート  

 

1957年までは11月に行われていたが、1958年より郵政記念日の4月20日を中心に行われることになった。

 

これを記念する切手も発行されており、最初の年は普通切手を小型シートに収めたものだったが、翌年には初めて切手趣味週間オリジナルの記念切手が発行され、菱川師宣の『見返り美人』が図案に採用された。

 

↓ 平成3年見返り美人(菱川師宣)/序の舞(山川秀峰)1991.4.19小型シート


この切手は高額印紙用の目打ちを利用して作られたこともあり、翌年に発行された歌川広重の『月に雁』とともに日本の切手の中では最大のサイズとなった。

 

『見返り美人』は日本の記念切手の代名詞といわれ、郵便創業120年にあたる1991年にも採用されている。

 

郵便切手の歩みシリーズ第6集
発行日    
平成8年(1996)6月3日(月)
菱川師宣筆
「見返り美人」     
安藤広重筆
「月に雁」

 

来歴
それまで絵入本の単なる挿絵でしかなかった浮世絵版画を、鑑賞に堪え得る独立した一枚の絵画作品にまで高めるという重要な役割を果たした。

初めは無記名で版本の挿絵を描いており、初作は寛文11年(1671年)刊行の噺本「私可多咄」(無款)であるとされ、翌寛文12年(1672年)、墨摺絵本「武家百人一首」(千葉市美術館所蔵)においてその名前(絵師 菱川吉兵衛)を明らかにした。
 

その後、次第に人気を博し、墨摺絵入り本・絵本を数多く手がけた。「浮世百人美女」、天和2年(1682年)刊「浮世続」(国立国会図書館所蔵)、天和3年(1683年)刊「美人絵づくし」(ボストン美術館所蔵)などに市井の女たちを描写し評判高く、生涯において100種以上の絵本や50種以上の好色本に筆をとっている。


 

祖父は藤原七右衛門と云い、京都在住であったが、父の吉左衛門は菱川を称し、安房国平郡保田本郷(現・千葉県鋸南町)に移住、道茂入道光竹と号した。師宣はここで暮らす縫箔師の家に生まれた。

 

俗称を吉兵衛、晩年は友竹と号す。明暦の大火(明暦3年)
の後、万治年間に海路によって江戸に出て狩野派、土佐派、長谷川派といった幕府や朝廷の御用絵師たちの技法を学び、その上に市井の絵師らしい時代感覚に合った独自の新様式を確立した。

 

はじめは古版絵入り本の復刻の挿絵、名所絵などで絵師としての腕を磨いている。江戸に出て初めは縫箔を職として上絵を描いていたが、生来絵が巧みであったので遂に絵画を職としたのであった。

江戸では堺町、橘町、人形町などに転住していた。また、京都へ行ったことも考えられる。

 

↑ 来館記念スタンプ ↓



寛文後期から延宝前期には、無署名本がほとんどであったが仮名草子、浄瑠璃本、吉原本、野郎評判記、俳書などの挿絵を中心に活動し、画技の研鑽に励んだ。



やがて延宝中期、後期になると絵入り本、絵本で吉原もの、歌舞伎もの、名所記などや風俗画その他で個性を現し、絵本や枕絵本を刊行、師宣様式の確立という大きな転換期を迎えた。

 

『伽羅枕』では「絵師 菱河吉兵衛」、『小むらさき』では「大和絵 菱川吉兵衛」と署名する。延宝5年にはほかにも近行遠通撰の地誌絵本『江戸雀』十二巻12冊などの挿絵を描いている。

 

枕絵本は延宝3年(1675年)刊行の無署名『若衆遊伽羅之縁』、同3、4年頃刊行の『伽羅枕』、延宝5年(1677年)刊行の『小むらさき』などが早期の作品である。

 

その後、延宝6年(1678年)刊行の役者絵本『古今役者物語』1冊、絵本『吉原恋の道引』や、元禄4年(1691年)刊行の絵本『月次(つきなみ)のあそび 』1冊、師宣没後の元禄8年(1695年)刊行の絵本『和国百女』三巻1冊などを著している。

 

また天和元年(1681年)刊行の半井卜養の狂歌絵本『卜養狂歌集』二巻2冊の挿絵をしたことも知られている。

これらを通して上部に文章、中・下部に絵という師宣絵本の基本形式が整ってきており、延宝8年(1680年)正月刊行の『人間不礼考』、同年5月刊行の『大和絵つくし』に至ると、上部3分の1乃至4分の1に文章、下部に絵という形式が確立される。



当世絵本、風俗絵本の分野においての師宣の評価は動かし難いものとなったのであった。

『大和絵つくし』は古代中世の故事、伝記、説話を大和絵で表現し、「大和絵師 菱川吉兵衛尉」と署名するなど、当世の大和絵師、菱川師宣の立脚点をも示した作品として記念碑的意味を持つものといえる。

天和に入るとその活躍は一層目覚しいものとなり、悠揚迫らぬ美女群が画面一杯に闊歩する。


当世絵本、風俗絵本の分野においての師宣の評価は動かし難いものとなったのであった。

『大和絵つくし』は古代中世の故事、伝記、説話を大和絵で表現し、「大和絵師 菱川吉兵衛尉」と署名するなど、当世の大和絵師、菱川師宣の立脚点をも示した作品として記念碑的意味を持つものといえる。

天和に入るとその活躍は一層目覚しいものとなり、悠揚迫らぬ美女群が画面一杯に闊歩する。

この天和を挟んだ約10年間が師宣の最も充実した時期であった。


↑ 見返り美人プリントTシャツ


天和2年(1682年)に大坂で井原西鶴の『好色一代男』が著されると、2年後の江戸刊行の際には師宣が挿絵を担当した。

また、同じ天和2年刊行の絵本『浮世続』、『浮世続絵尽』(財団法人東洋文庫所蔵)、天和4年(1684年)刊行の絵本『団扇絵づくし』も知られている。



 

貞享3、4年頃からは円熟味と引換えに様式の固定化が目立つようになった。

明暦の大火直後の再建の槌音も高い江戸市民の嗜好に、師宣ののびのびとして翳りのない明快な画風もマッチしていた。

『吉原恋の道引』、『岩木絵つくし』、『美人絵つくし』などを見ても線が太く若々しいものであった。

その好色的な図柄も開けっ広げで、健康的なのは時代の目出度さと思える。落款に「大和画工」や「大和絵師」という肩書きをつけているのも、その自負、自覚の表れである。

また、絵図師の遠近道印(おちこち どういん)と組んで制作した『東海道分間絵図』(神奈川県立歴史博物館所蔵)は江戸時代前期を代表する道中図として知られている。


 

大衆の人気を得た師宣は好色本を主に次々と絵入り本を刊行、やがてその挿絵が観賞用として一枚絵として独立、墨一色による大量印刷により、価格も安く誰でも買えるものになった。

「吉原の躰」、「江戸物参躰」、「大江山物語(酒呑童子)」や、無題の春画組物など墨一色で、稀に筆彩された独自の様式の版画芸術が誕生し、ここに浮世絵が庶民の美術となったのであった。



師宣は屏風、絵巻、掛幅と様々な肉筆浮世絵も描いており、それらは江戸の二大悪所といわれた歌舞伎と遊里、隅田川や花見の名所に遊び集う人々や遊女であった。その大らかで優美な作風は浮世絵の基本的様式となっていった。


 

↑ ロビー展示物/二八蕎麦担ぎ屋台 ↓


 

なかでも、「見返り美人図」は師宣による一人立ち美人図であるという点で珍しい作例で、歩みの途中でふと足を止めて振返った印象的な美人画様式は、まさに榎本其角の『虚栗』において「菱川やうの吾妻俤」と俳諧で謳われたそのものであるとみられる。師宣は肉筆浮世絵では「日本繪」と冠していることが多い。


 

元禄7年(1694年)6月4日、師宣は江戸の村松町(現・東日本橋)の自宅で死去し、浅草において葬儀が行われた。終生故郷を愛した師宣の遺骨は房州保田の別願院に葬られた。菩提寺は府中市紅葉丘の誓願寺。法名は勝誉即友居士。



門人には、師宣の子、菱川師房、菱川師永、菱川師喜の他に古山師重、菱川友房、菱川師平、菱川師秀ら多数おり、工房を形作っていたといわれる。

故郷の千葉県鋸南町には菱川師宣記念館がある。


 

肉筆浮世絵
見返り美人図
代表作にして、師宣の代名詞的1図。美人画。肉筆画 (絹本 著色)。


 

緋色の衣裳を身につけた美人の女性が、ふと振り向く(見返る)様子を描いたもので、世界的に著名な肉筆浮世絵である。

 

渚の駅たてやま
大きな水槽に魚たちがいっぱいの「海辺の広場」、館山湾が一望でき、潮風を感じながらのんびりできる「展望デッキ」など、館山湾の豊かな自然を体験できるほか、海洋民俗をテーマとした渚の博物館やさかなクンギャラリー、客船ターミナル、レストランなどの魅力あふれる海辺の施設です。



 

工事交通規制
道路で工事を行う場合に、通行者と通行車両及び、また作業員の安全を確保するために実施する規制のことです。


 

たとえば、交通誘導員の配置や作業箇所にコーンやバリケードといった規制材で囲ったりしているのを見たことがあるかと思います。


 

交通規制の中には、工事による規制以外にも、「祭礼行事での規制」や道路管理者が実施する「事前通行規制」、さらに警察が行う規制などもあります。


 

道の駅きょなん
千葉県安房郡鋸南町にある国道127号の道の駅である。愛称は見返りの里。
道の駅内にある施設
食事処「ふく丸」(11時 - 21時30分)


 

物産館「八佐丸」「マルダイ」(9時 - 17時)

きょなんまち直売所(9時 - 17時)


 

菱川師宣記念館(9時 - 16時30分)

中央公民館(8時30分 - 21時30分)

きょなん情報館 (9時 - 17時)



房総の魅力500選
昭和58年(1983)に県人口が500万人を超えたことを記念し、ふるさとの再発見をするため、5つの分野で合計500の房総の魅力を選定したものです。


 

師宣が寄進した梵鐘
梵鐘はレプリカであるものの、梵楼はそれなりに歴史を感じさせてくれそうです。
その鋸南町にとって偉大なる師宣に対する顕彰の碑が鐘楼の左手に立っています。


 

梵鐘の由来
元禄7年(1694)5月、菱川師宣は故郷保田の林海山別願院に梵鐘を寄進しました。


 

鐘銘は師宣の直筆と言われ、菱川家の家計図も刻まれており、たいへん貴重な資料でしたが、残念なことに、太平洋戦争中、金属回収令により供出させられてしまいました。


 

この梵鐘は、供出前の写真、拓本をもとに、師宣記念館会館を記念して、後裔菱川岩吉、ヨシ両氏の拠金によって復元されてものです。



 

ちなみに梵楼は、師宣の菩提寺である保田の大峯山昌竜寺に文化3年(1806)に建てられたものを移築したものです。

 

この梵鐘を寄進したわずか1ヶ月後、元禄7年6月4日、師宣は江戸で亡くなりました。



鐘銘
南無阿弥陀仏
寄進施主:菱川吉兵衛尉藤原師宣入道友竹
元禄七甲戌歳 五月吉日

西ノ宮大和守・藤原吉興作
房洲保田村 林海山別願院 時住持欣入

為三界萬霊七世父母
菱川七右衛門      家来 カメ宗心
嫡 同吉左衛門道茂居士    市助道蓮
岩崎甚左衛門法清       マツ妙仲
嫡 同徳兵衛法圓
次女ヲタマ壽栄大姉 道茂室
次男同傅左衛門法清
道茂子 アマ千代清空西影
    ヲリク妙心  ┌吉兵衛 同妻妙本
    ヲタマ    ├ヲイヌ
    友竹──子──┼ヲヘン知法
    正之助    ├妙林
    ヲカマ弐部村 └沖之丞
      正善寺室
    左次兵衛
(現地案内板説明文より)

 

↑ 見返り美人ブロンズ像 ↓


 

見返り美人ブロンズ像
「見返り美人図」を立体的に。


 

鴨川市出身の彫刻家・長谷川昂 氏の制作によるブロンズ像です。菱川師宣記念館前に建っています。


 

菱川師宣記念館
千葉県安房郡鋸南町にある美術館である。
昭和60年(1985年)3月21日、「浮世絵の祖」として知られる菱川師宣の生誕の地に開館した。


 

師宣やその門人の版画、肉筆浮世絵など作品、資料の展示、収集を目的にしており、浮世絵、町の文化財を通して房総の町の歴史などを紹介、また、特定のテーマによる浮世絵展覧会に加えて、房総生まれの江戸時代後期の石彫り師、武田石翁の展覧会、房総にかかわりのある現代作家など、年4回の企画展を実施している。



菱川 師宣(ひしかわ もろのぶ)
元和4年(1618年)元禄7年6月4日(1694年7月25日)は、江戸時代の画家、菱川派の祖。生年は寛永7年から8年(1630年〜1631年)ともいわれる。

享年64〜65あるいは77。浮世絵の確立者であり、しばしば「浮世絵の祖」と称される。

 

肉筆浮世絵 見返り美人図
代表作にして、師宣の代名詞的1図。美人画。肉筆画 (絹本 著色)。

緋色の衣裳を身につけた美人の女性が、ふと振り向く(見返る)様子を描いたもので、世界的に著名な肉筆浮世絵である。


 

女性像の人気さは、「師宣の美女こそ江戸女」と称されるほどであった。1948年(昭和23年)発行、および1991年(平成3年)発行の「切手趣味週間」、1996年(平成8年)発行の「郵便切手の歩みシリーズ・第6集」の各図案にそれぞれ採用されている。


 

現在は東京国立博物館蔵。東京国立博物館蔵。女性は、17世紀末期当時の流行であった女帯の結び方「吉弥結び(きちやむすび)」と、紅色の地に菊と桜の刺繍を施した着物を身に着けている。

それらを美しく見せる演出法として、歩みの途中で後方に視線を送る姿で描かれたものと考えられる。

 


 

同時代で年下の絵師・英一蝶は本作に刺激を受けてか対抗するかのように、構図等に類似点の多い1図「立美人図」を描いている。




文化7年(1810年)の山東京伝による箱書があることから、おそらく幕末には好事家の間で知られていた可能性が高い。また博物館に収蔵された時期も早く、60番という若い列品番号がそれを物語っている。



現代日本では昭和23年(1948年)11月29日発行の記念切手(「切手趣味週間」額面5円)の図案に採用され、これが日本の記念切手の代表的かつ高価な一点となったことも本作が大衆に周知されるに少なからず影響した。

洲崎灯台
千葉県館山市の洲崎に立つ灯台である。南房総国定公園内に位置する。国の登録有形文化財に登録されている。



 

房総半島南部で最も西の場所にある灯台である。住所は千葉県館山市洲崎1043番地。


 

円筒形のコンクリート造で建てられ、塔頂は地上から約15メートル、灯火は海面から約45メートルにある。1919年(大正8年)に点灯した。


 

↑ 管理人の居ない駐車場 ↓

 

 

洲埼灯台は、三浦半島最南端の東端にある剱埼灯台と共に東京湾へ出入りする船舶の目印となっており、同灯台とを結んだ線をもって東京湾の境界をなす。


 

なお、房総半島の最南端にあるのは野島埼灯台で、三浦半島の南端の西端には城ヶ島灯台がある。


 

歴史
1919年(大正8年)5月23日
洲崎に灯台を起工。12月15日・点灯を開始。


 

1923年(大正12年)9月1日
 関東大震災により外壁が剥がれ、本体にひびが入った。


 

1945年(昭和20年) 
太平洋戦争時の空襲に遭い、光を放つ内部のレンズなどが損壊。


 

2015年(平成27年)
3月26日
 コンクリート造灯台の初期遺構として国の登録有形文化財(建造物)に登録された。

 

2019年(令和元年)6月13日 
点灯100周年を迎え、記念に館山市中央公民館にてふるさと講座を実施。

 

↑ 霊峰富士山 ↓

 

房総半島内房からは至る所から富士山が眺望できます。

房総半島内房
房総半島の内房(うちぼう)とは、千葉県の房総半島の東京湾に面した地域を指します。

 

具体的には、洲崎(すのさき)から富津市湊付近までの臨海部を指し、富津岬までを含むこともあります。

この地域は、房総丘陵が海に迫り、その間に農漁業集落が点在しています。
 

 

内房エリアは、東京湾アクアラインを通じて都心からのアクセスが良く、週末の旅行にも適しています。
 

 

木更津市、君津市、富津市、袖ケ浦市などが内房に含まれ、海産物や農産物が豊富で、観光スポットも多数あります。また、内房線が通っており、交通の便も良いです。

洲崎神社
館山市の洲崎の房総フラワーライン入口近くにある洲崎の御手洗山には、房総屈指の名社で、源頼朝が妻・北条政子の安産を祈願したと伝えられる洲崎神社がある。



 

↑  洲崎(すのさき)神社 ↓

 

 

また、吾谷山(あづちやま)の中腹には安房神社が建ち、安房自然村や館山野鳥の森が隣接する。


 

道路沿線には観光地や飲食店が点在しており、冬でも比較的温暖な地域であるため、週末は南房総に向かって多くのライダーが訪れる地域でもある。



 

洲崎神社
東京湾の出入口を見下ろす場所であることから、古来、漁師にとっての漁業神、船乗りにとっての航海神でした。


 

祭神は天比理乃咩命(あめのひりのめのみこと)といい、安房開拓神話に出てくる忌部(いんべ)の祖神天太玉命(あめのふとだまのみこと)の后神(きさきがみ)です。


 

標高110mの御手洗山中腹に鎮座し、太平洋を一望できるほか、浜鳥居(一の鳥居)から富士山を眺めることもできます。


 

 

本殿は、館山市の文化財に指定されています。神社の杜は、スダジイの自然林で社殿と自然の調和がとれ、とても美しい。

 

千葉県の天然記念物に指定されています。祭礼には、洲崎のミノコオドリ(千葉県の無形民俗文化財指定)が奉納されます。



スダジイ
暖地性照葉樹林を代表する樹種のひとつ。
中陽樹〜陰樹であるため、適地では優占種として極相林の林冠部を形成する。

また材が硬く、耐潮性が強く、丈夫であるため巨木になりやすい。日本では幹周が10メートルに達するにまで成長したものも確認されている。

 


別名で、シイ、シイノキ、イタジイ、ナガジイ、ホソバスダジイとよばれる。
開花期は初夏(5中旬 - 6月ごろ)。雌雄同株。

葉腋から穂状花序で雄花がよく目立ち、淡黄色の小型の花を密につける。雄花序は長さ6 - 12 cm、雌花序はほぼ同じ長さで本年枝のわきに上向きに出る。虫媒花で甘い香りを放つ。
 



果期は、花が咲いた翌年の秋(10 - 11月ごろ)。果実は長さ15 - 18ミリメートル程度の卵状長楕円形の堅果(いわゆるドングリ)で、翌年秋に成熟する。

 


堅果ははじめ全体が殻斗に包まれているが、熟すと殻斗の先端は3裂し、中にある堅果を覗かせる。

見物海岸
JR高速バス
館山駅からの路線バスでの運行を基本とするが、一部の便は東京駅からの高速バス「房総なのはな号」と直通運転となっている。



 

房総なのはな号
東京都と千葉県館山市・南房総市を結ぶ昼行高速バス路線である。

 

現在は「房総なのはな号」「新宿なのはな号」ともに全席指定制のため、あらかじめ乗車券を購入しなければならない(統合前の「新宿君津号」の上り便は自由乗車制であった)。


「房総なのはな号」は、東京駅と館山駅・安房白浜を首都高速・東京湾アクアライン・館山自動車道・富津館山道路経由で結んでいる。

 

 

JRバス関東では支店ごとの独立採算性を重視しており、館山支店においても東京発の高速バス路線の一部を担当していたため、営業便による東京支店までの乗務員送り込みという目的で開設された路線である。



 

菜の花
アブラナ科の野菜の花の総称が「菜の花」
日本は北から南に長く伸びる島なので、季節の感じ方は地域で大きく違います。

関東ではそろそろ桜の咲く季節でも東北ではまだ雪が降っていたり、花の開花を取り上げたニュースも、南から北に上昇していきます。


 

特に菜の花やタンポポ・サクラなどは、身の周りですぐに見つけることができて誰でも知っているので、「春の花」として馴染み深い種類と言えます。

そんな春の花の一つが「菜の花」です。写真のように一面黄色い花で覆われた菜の花は、日本の春の風物詩となっています。


 

でも、厳密には「菜の花」という名前の植物はありません。「菜の花」は文字どおり菜っ葉の花のことを指す言葉で、アブラナ科の野菜の花の総称です。

アブラナ科の野菜にはハクサイ・ダイコン・キャベツ・コマツナ・ブロッコリーなどがありますから、これらの花はみんな「菜の花」ということになります。


 

見物
此処には私が仲人を務めた男性の母親が営む民宿が有ります。また、「館山温泉 休暇村館山」も有り、宿泊せずにプールの利用や温泉・食事も楽しめます。

↑ 休暇村館山 併設のプール ↓

 

 

西川名の別荘から近いので、風呂を沸かすのが面倒な時や大人数の時などに利用していました。


 

↑ 温泉大浴場 食事処 ↓

 

↑ 地産地消の食材 ↓

 



見物海岸

房総半島南部は最低位の段丘を元禄段丘とし、4段の段丘が分布しています。これらの段丘面は館山市沼地区の地名をとって、上位から沼Ⅰ面、沼Ⅱ面、沼Ⅲ面、沼Ⅳ面(元禄段丘面)とよばれています。

 

沼Ⅳ面(元禄段丘面)は当時の波食面が1703年の元禄地震で離水した面です。



 

房総半島では元禄関東地震と大正関東地震では地殻変動のパターンが異なることから、関東地震*には元禄型と大正型の地震があり、大正型が1つの断層が動くのに対して元禄型では1つ以上の断層が連動して動くものと理解されています。



 

沼Ⅰ面~沼Ⅲ面は沼Ⅳ面(元禄段丘)とほぼ同じ幅を持ち、分布形態も非常に似ていることから元禄型の関東地震に伴って隆起・離水したものと考えられています。


 

これらの段丘面の境界附近にはさらに2~3面の小段丘に区分できることから、これらの小段丘は大正型の関東地震で生じた段丘と考えられています。


 

写真15および写真17の最低位の段丘面は大正関東地震に伴って隆起・離水した平坦面であり、大正ベンチと呼ばれています。

以上のような海岸段丘の分布状況は、数千年来、元禄型の地震の間に2~3回の大正型の地震を挟むような地震発生パターンを繰り返してきたことを示しています。



 

資料3によれば、6,800年前(縄文海進時の最高位旧汀線の離水時期)以降の関東地震の平均再来間隔は380~400年とされ、また、元禄関東地震から大正関東地震までは220年であったことを考えると、現在は大正関東地震からまだ90年程度しか経過していないので、関東地震の再来までにはしばらくの間余裕があることになります。


 

関東地震
ヒィリピン海プレートが日本列島へ沈み込むことによって発生する地震のうち、相模湾トラフ沿いで歴史的に繰り返して発生している地震を総称して関東地震と呼びます。


 

関東地震としては1923年の大正関東地震(マグニチュード7.9)やその1つ前の1703年の元禄関東地震(マグニチュード8.2)が知られていますが、一般に、関東地震といえば、関東大震災をもたらした大正関東地震をさす場合が多い。

 

西川名漁港
房総フラワーラインを平砂浦から少し洲の崎灯台方面に向かったところにある小さな港が西川名漁港です。

 

近くには有料駐車場が完備されていて、そこから数分の距離で釣り場に到着できる。



ホテル川端
房総南端の西川名漁港と花に囲まれた宿。
目の前には大島や富士山も遠望できる海。特に夕日は感動的。夕食は地物魚介中心。


 

別荘
以前は頻繁に利用しましたが、現在は殆ど利用することが無くなりました。


 

理由は、孫たちも大人になり、自由気ままに行動するようになり、妻も到着すると、休息する暇もなく、掃除炊事洗濯をしなければならないからです。




当初は、弟妹や従妹などの親族や友人の女性らと和気藹々でしたが、何時も同じ場所、季節は違えども同じ景色。


 

偶には見知らぬ土地へ行き旅行気分を味わいたよね。
ホテルや旅館民宿などなら、何もせず、上げ膳据え膳ですから、のんびり過ごせますよね。

 

 

↑ 到着すると妻は布団干し、炊事選択に追われ 私や子供は海へ ↓

 

 

別荘とは
普段生活している住居とは別に、避暑、避寒、保養、休養などを目的として、気候や風景の良い場所、温泉地などに建てられた一戸建ての家のことです。


 

別荘に関する詳細は以下の通りです。
目的 日常生活を送るための住居ではなく、余暇を楽しむためのレジャー施設としての性格が強いです。


 

↑ 平砂浦にて この孫娘は今年24歳に成りました ↓

 

歴史 古くから存在し、古代ローマや古代中国の皇帝や貴族も別荘を所有していました。


 

日本でも奈良・平安時代には天皇や貴族が景勝地に別荘を建てていました。


 

セカンドハウスとの違い
定義 別荘は保養目的で、一時的に利用されるものです。一方、セカンドハウスは、通勤時間の短縮や週末の利用など、日常生活のために定期的に使用される住居を指します(月に1日以上使用するなど)。


 

税制上の扱い セカンドハウスは居住用財産とみなされ、固定資産税や都市計画税などの税制上の優遇措置が受けられる場合がありますが、別荘は保養目的のため、これらの優遇措置の対象外となります。


 

種類 一戸建てのイメージが強いですが、集合住宅の別荘も存在します。


 

利用メリット 繁忙期でも予約や混雑を気にせず、自分のペースで気分転換やリフレッシュができる点が挙げられます。


 

有名な別荘地 日本では軽井沢、北海道のニセコや大沼、海外ではイタリアのコモやカプリ島などが知られています。
 

 

子供が小学校への入学を機会に、いわゆる田舎の無い子の夏休みの過ごし方として、帰省が有ります。



 

↑ トコブシの差し入れ ↓

私が仲人をした男性が当地の出身者で、それが御縁で当地を借りました。

 

東京の人口は絶対数が、都外からの出身者が上京して形成されている街です。


 

父母たちも東京生まれ東京育ちにとっての他府県は憧れの田舎でした。


 

家族がのんびり過ごせる「田舎作り」として、縁あって温暖な西川名に土地を借り別荘を建てることに成りました。


 

母が子供たちと共に夏休みを長期間過ごす事も出来重宝していましたが、前述の理由で長期間放置していましたので、解体を地元の業者にお願いして、2023年10月17日解体が完了し借地を返却いたしました。


 

 

↑ 解体業者からの解体完了メール ↓

飛砂(ひさ)
海浜の砂は風によって内陸側または汀線(ていせん/海面またはと陸地との境界線)沿いに動き、砂丘を形成したり、河口の閉塞(へいそく)あるいは港湾や水路の埋没をおこすことがある。



 

このように風によって移動する砂およびその現象をさして飛砂とよんでいる。


 

砂は風速がある値以上になると動き、粒径とも関係するが、0.3ミリメートル前後では地上1メートルの風速が5~6メートル/秒で移動を始める。


 

高さ方向の飛砂量の分布は砂面上の近傍に集中し、30センチメートルの高さになると、非常に少なくなる。


 

風により海岸の砂が道路や民家に積もり、車の通行が困難になったり、家屋が傷んだりする飛砂(ひさ)の被害が出ている。


 

たかが砂ですが、交通量の多い地域の飛砂には、排ガスなどに含まれる有害物質を含むこともありますので、家づくりの際には飛砂対策も必要です。


 

また、気密性の高いサッシを採用し、できるだけ飛砂が入り込まないように対策。ガラスは強化ガラスにすることで、砂で傷ついたり割れたりするのを防げます。




住み始めてからは、掃除はこまめに行い、洗濯物も風の強い日は室内干しにしましょう。

 

飛砂対策としては、「地形」による対策、「植生」に よる対策、「構造物」による対策が考えられる。 



砂丘、トレンチ(溝)等により地形を造成・整理し、 海岸からの風力の減殺等を図ることによって、飛砂の軽 減及び砂地を固定する。 

 

植生の繁茂による砂地表面風速の緩和効果及び根系の 砂地表層の緊縛効果により、砂地を固定する。


 

房総フラワーライン
千葉県の房総半島の南部にある道路の愛称であり、千葉県道257号と国道410号及び千葉県道297号の一部を指す。


千葉県房総半島の先端部をぐるりと周回する道路の愛称名。
館山市街地に近い下町交差点から、千葉県道257号南安房公園線・国道410号・千葉県道297号和田丸山線をつないでいる。


 

海岸線沿いに房総半島最南端を通り南房総市白浜町の野島崎を経て、さらに同市内の千倉町矢原から和田町松田のフラワーライン入口交差点に至る延長22.9キロメートル区間の千葉県道路愛称名である。1966年(昭和41年)3月に完成した。



第1フラワーライン
館山市館山の下町交差点から相浜(あいのはま)交差点までの千葉県道257号南安房公園線で、このうち館山市伊戸〜浜間の6.6 kmは、旧建設省と「道の日」実行委員会により制定された、日本の道100選に選定されている。

毎年1月に、館山市などの関係団体が主催する館山若潮マラソンが開催されており、県内外から数千人のランナーが参加するイベント道路にもなっている。



第2フラワーライン
相浜以東の区間で、相浜から国道410号に入り、南へそのまま進むと南房総市白浜町根本で海沿い方向へ分岐する国道410号と分かれて南房総市道になる。

白浜町根本から白浜の住宅街の中を通る南房総市道に変わり、野島崎付近の集落を通って白浜町白浜で再び国道410号と合流する。野島崎を通過後は房総半島に沿って北上し、JR東日本・内房線も走る千倉へと繋がる。



白浜町白浜から白子までが国道410号で、白子からは千葉県道297号和田丸山線に入り、国道128号に突き当ったフラワーライン入口交差点で終わる。

その名の通り沿道には、冬の1月から2月にかけて植栽された菜の花が咲き乱れ、その他の季節でもサザンカ、アジサイ、カンナ、ポピー、マリーゴールドなどの四季折々の花々を見ることができる。



房総半島の最南端付近のルートは、海岸線沿いに走る国道410号よりもやや内陸側に入った南房総市の市道が房総フラワーラインに指定された道路である。

道路から太平洋を望むと、伊豆半島や伊豆大島を一望することができる。

房総フラワーライン
千葉県の房総半島の南部にある道路の愛称であり、千葉県道257号と国道410号及び千葉県道297号の一部を指す。



 

千葉県房総半島の先端部をぐるりと周回する道路の愛称名。
館山市街地に近い下町交差点から、千葉県道257号南安房公園線・国道410号・千葉県


 

道の駅南房パラダイス(アロハガーデンたてやま)
千葉県館山市にある千葉県道257号南安房公園線(房総フラワーライン、日本の道100選)の道の駅である。




国土交通省関東地方整備局が管理しており、敷地面積は約10.7haで、日本の道100選に選定されている千葉県道257号南安房公園線(房総フラワーライン)に接した道の駅である。


 

国内最大級の熱帯・亜熱帯動植物園「アロハガーデンたてやま」を併設している。園内は恋人の聖地、房総の魅力500選に選定されている。


 

菜の花
アブラナ科アブラナ属の花の総称。特にアブラナまたはセイヨウアブラナの別名としても用いられる。


 

また、菜花(なばな)は、ナタネ、カブ、ハクサイ、キャベツ、ブロッコリー、カラシナ、ザーサイなどアブラナ科アブラナ属で主として花や葉茎を食するものをいう。


 

菜の花の「菜」とは食用の意味であり、菜の花とは食用の花の意味である。コマツナ、ハクサイ、チンゲンサイなどは葉を若どりして食べるもので、そのまま育てて薹(とう)立ちさせると、黄色い花が咲いて花蕾を食べることができる。


 

なお、アブラナ属以外のアブラナ科の植物には白や紫の花を咲かせるものがあるが、これを指して「白い菜の花」「ダイコンの菜の花」ということもある。


 

2012年の菜花の収穫量は日本全国で約5,222トンで、主産地は千葉県が1,958 t、徳島県が1,248 t、香川県が725 tであった。


 

2〜3月だけ出回る旬を残す野菜だったが、予冷技術により出荷時期が延びてきている。また、寒咲花菜のように初冬から出荷されるものもある。


 

現代の日本では、菜種油採取用のアブラナ畑はあまり見られなくなったが、その他のアブラナ属の野菜も黄色い「菜の花」を咲かせるため、その種子採取用の畑が菜の花畑として親しまれている。


 

千葉県では早春のアブラナのほかに野菜類(カブやハクサイ)が、青森県横浜町では油用のセイヨウアブラナ、信州の菜の花畑はノザワナがそれぞれ5月に開花する。飯山市では連休中に見ごろとなるよう、ノザワナの播種日を調整している。


 

菜花の種類
一般に、食用として出回る「菜花」とよばれるものは、切り花の菜の花を品種改良して苦味を抑えたアブラナ科の野菜のほとんどであるため、その種類は多い。


 

葉が柔らかく花茎と蕾と葉を利用する在来種と、葉が厚く主に花茎と葉を利用する西洋種がある。


 

コウタイサイなど中国野菜由来の品種も出回っている。日本では伝統野菜として栽培されたものもあり、産地によって姿や呼び名も変わることもある。


 

菜花はほろ苦みがあることが特徴であるが、品種交配などによって、苦味が少ない品種も作出されている。


 

おいしい菜 - 福岡県で栽培されるセイヨウアブラナから品種改良された品種。クセやアクもなく、下茹でなしでも食べやすい。


 

オータムポエム(別名:アスパラ菜)
 中国野菜のコウタイサイとサイシンを元に作られた品種。茎や葉が鮮緑色で、茎と花蕾が食べられる。アスパラガスに似た風味をもつので、別名で「アスパラ菜」とも呼ばれることがある。


 

かき菜 - 北関東で栽培されるもので、セイヨウアブラナではなく、在来のアブラナの系統を受け次ぐ品種。名の由来は、花茎を「欠いて」収穫することから。


 

紅菜苔(コウサイタイ)
中国野菜の一種で、赤紫色の茎が特徴。加熱すると緑色に変わる。甘味があり、炒め物などに向く。

小松菜
チンゲンサイ - 花蕾は菜花として市場に出ることも。クセがなく苦味は少ないので、お浸しなどに向く。

伏見寒咲花菜 
京都府で品種改良された品種。京野菜のひとつ。浅漬けにした京都の「菜の花漬け」にも使われる。

のらぼう菜
江戸幕府が種子を配布した「闍婆菜じゃばな」というセイヨウアブラナが原種で、埼玉県や東京都で栽培される品種。花茎や若葉がやわらかく、アブラナの菜花よりも苦味は少ない。

三重なばな
食用選抜したセイヨウアブラナ。


 

舘山カントリークラブ
碧き太平洋に面し、温暖な気候に恵まれた27ホールのシーサイドコース。


 

ソテツ、ヤシに囲まれ南国ムード満点の異国情緒にあふれる南房総最南端のゴルフ場です。


 

太平洋の水平線が望める自慢の景色は絵画のような風景と評判で日常を忘れさせてくれます。


 

コースの特徴として、全体的にフラットな造りとなっておりますが、アンジェレーションと要所に配置されたバンカーが効いていますので難易度も高めです。


 

東京から “90分” で南国リゾート気分が味わえるのも自慢のひとつ。

金盞花
トウキンセンカ(唐金盞花)とホンキンセンカ(ヒメキンセンカ)があるが、一般にキンセンカと言えばトウキンセンカの事。キク科の植物。別名はカレンデュラ。

 

ポットマリーゴールドと呼ばれる食用キンセンカと園芸キンセンカでは葉の違いや育て方の違いがある。 最盛期は3月〜6月。


 

原産地は地中海沿岸。北アメリカ、中央アメリカ、南ヨーロッパなどで栽培されている。

 

春咲き一年草として扱うが宿根草タイプは冬を越すので「冬知らず」の名で市場に出回る。

 

葉は長さ5〜18センチメートルの単葉、しばしば荒い毛が生えている。
 


 

花径10cmほどでオレンジ色や黄色の花を咲かせる。花容は一重、八重、また中心に黒のスポットのあるものと多彩。


観賞用のほか食用品種(食用きんせんか、カレンジュラ)もある。

日本では観賞用として花壇などに植えられるが、ヨーロッパでは原種はハーブの1つに数えられるエディブル・フラワー(食用花)である。


キンセンカの軟膏は火傷からにきびまで幅広い皮膚のトラブルの治療薬になると考えられている。

「貧乏人のサフラン」、「エジプトサフラン」と呼ばれるように、花弁がサフランの代用品として利用されることが多い。

チョウ目の幼虫(ヨトウガ、キシタバ、ヤガのような)の餌として用いられる。

 

栽培
種まきは秋か早春にするが、寒冷地以外は秋まきが普通である。18-25℃の気温下では種まき後5日ほどで発芽する。

土は選ばないが酸性土壌では育ちが悪く、弱アルカリ性の土壌を好む。また日当たりを好む。

茎は直立性で20cmから1mの高さ。よく分枝するので、切り戻してそれを促す。開花期間は春先から初夏である。

栽培は容易であるが、うどんこ病、アブラムシが発生する。


人間との関わり
トウキンセンカ(カレンデュラ)の学名「Calendula」は、「月の初めの日」という意味のラテン語で、カレンダーの語源となっている。

キンセンカの花ことばは「別れのかなしみ」。これはギリシャ神話の、太陽神アポロンとクリムノンの物語に由来する。

太陽神アポロンとクリムノンは相思相愛だったが、二人に嫉妬した雲の神が空を8日間覆いアポロンを隠してしまった。

8日もアポロンの姿がみえない事に絶望したクリムノンは、ショックのあまりに痩せ衰え死んでしまう。


 

9日ぶりに姿を見せた太陽神アポロンは、愛するクリムノンを不憫に思い、死体をトウキンセンカに変えたという。

また、中世の頃はキンセンカを眺めているだけで視力が強化されると考えられていた。


 

食用キンセンカ

天ぷら、パウンドケーキやクッキーの生地に混ぜる、ハーブティー、お浸し、酢の物、即席漬けなど、様々な方法で食べることができます。

食用キンセンカの食べ方と特徴は以下の通りです。
味と香り
花びらからは柑橘系の香りがします。
ほろ苦い味がありますが、天ぷらにすると苦味は気にならなくなります。

天ぷらにすると、人参のような甘い香りがすることがあります。



 

栄養価
ビタミンが豊富で、ビタミンA、αカロテン、βカロテン、ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンCなどが含まれています。

その他、タンパク質、糖質、食物繊維なども含みます。

調理方法
天ぷら
最もおすすめの食べ方で、ほろ苦さがなくなり、サクサクとした食感が楽しめます。塩で食べるのがおすすめです。

お菓子
パウンドケーキやクッキーの生地に混ぜ込むことができます。

ハーブティー
花をハーブティーとして楽しむことができます。発汗・解熱作用があるとされ、風邪のひき始めにも良いとされています。

和え物
お浸し、酢の物、即席漬けにも利用できます。

サラダ
花びらをサラダのトッピングにしたり、葉をそのままサラダとして食べたりできます。鮮やかな色合いが料理のアクセントになります。



 

その他
卵焼きやナムル、カレンデュラごはんなどにも使えます。サフランの代用として、料理の色付けにも利用されます。

注意点
観賞用のキンセンカは農薬や薬剤が使用されている可能性があるため、食用には適していません。必ず食用のキンセンカを選びましょう。



 

食べる前には軽く水で洗うことが推奨されています。冷蔵庫で保管し、美味しく食べられる期間は5日前後です。


 

アロエ
人間との関わり
多肉植物として栽培されることがあり、その葉が主に鑑賞され、楽しまれている。


 

キダチアロエなどが薬用に利用されている。

 

薬用効果を期待して、アロエ酒、アロエジュースなどの加工食品や、アロエ入り化粧品もある。

 

日本におけるアロエ使用に関する文献では、貝原益軒の「大和本草」(1707年)に確認できる。

 

 

生薬
アロエ・フェロックス(ケープアロエ)
アロエはアラビア語のAllochに由来し、古代オリエント・古代ギリシア・古代ローマでは既に薬用として栽培されていた。

 

東アジアには宋代にアロエの乾燥した塊が伝えられて『開宝本草』に「奴薈」「蘆薈」の名で現れ、明代の『本草綱目』にも皮膚病の薬として載せられているが、植物自体は伝えられていなかったようで、アロエそのものは広葉樹であると誤解されていたらしい。

 

日本では江戸時代に「蘆薈」と漢字書きとしたが、現在では属名でもある「アロエ」と一般に称している。

 

日本への輸入時期は不明だが、遅くとも江戸時代には薬草として知られていた。


 

日本薬局方に基原植物として収載されているアロエ(蘆會)は、同属のアロエ・フェロックス(A. ferox、青鰐蘆會、猛刺蘆會、ケープアロエともいう) 及び、これとアロエ・アフリカーナ、 またはアロエ・スピカータとの雑種と定められている。

これらの葉の汁を濃縮乾燥させたものが、日本薬局方でいう「アロエ」である。

なお、キダチアロエ・ケープアロエ以外の観葉植物として出回っているほとんどのアロエには、薬効となる成分は含まれていないので、誤った使用をすべきではない。




フィリピンでは頭皮に塗りつける事により、毛が生えると言い伝えがある。

キダチアロエは、民間では俗に「医者いらず」といわれてきたものであり、外用では火傷、切り傷、虫刺されに、また内用では胃腸痛、便秘など多くの効能があるとされる。



生葉にはアロインやアロエエモジンなどを含む。葉肉や葉の液汁の内服でアロイン少量の働きで健胃効果があるとされ、少し多く用いると大腸を刺激して働きを盛んにし、また含有するバルバロインの下剤効果により便秘に効果がある。

ただし、アロエエモジンにも緩下作用があるが子宮を収縮する作用も働くため、妊婦が連用することは好ましくない。



また体質によっては胃炎を起こす場合があることや、継続摂取による大腸の色素沈着を起こすことがあることなども報告されている。


 

また生葉を切ったところから出る粘液を、外用として傷や火傷など皮膚の患部に塗布して用いられる場合もある。

ドイツの薬用植物の評価委員会コミッションEによれば、ゲル状物質(葉の中央にある柔組織に存在する粘性の物質)の外用は、痛みや火傷の回復に対して有効性が示唆されている。

ただし、逆に悪化させた例も報告されており、使用には一定の注意が必要である。

 

↑ クラス会で茹でたアロエを必ず持参する仲間と其のアロエ ↓

 


専門機関の研究によれば、子宮収縮作用があるため、妊娠中の使用は避けるべきとされる。

また、長期間の多量摂取や12歳以下の小児の摂取、妊娠中・授乳中や月経時及び腸の病気の場合、摂取には注意が必要である。
 

 

↑ 茹でたアロエはそのまま齧って食べる。美味くはないが不味くもない。

宴会前に、二日酔い防止としてみんなで分け合う。 ↓

 

ストック
 花には芳香があり、切り花として人気があります。

 

 

↑ ストック畑 ↓

 

 

古代ヨーロッパでは薬草として利用され、江戸時代に日本に渡来しました。

大正時代には千葉県の安房地域で日本最初の切り花生産が開始されました。
 


 

和名ではアラセイトウ(漢字:紫羅欄花)と呼ばれ、長い花穂にびっしりと花をつけることから、切り花やアレンジメントにもよく用いられます。また、甘い強い香りが特長です。


 

ストックは、「菜の花」と同じアブラナ科の植物です。

 


 

原産地は南ヨーロッパで、古くから薬草として栽培されていたようです。

 

 

日本には江戸時代に渡来したと言われています。


 

ストックの生産状況
ストック(切り花)の平成29年の全国産出額は21億円で、主産地は、千葉県、山形県、鳥取県です。


 

管内では、新潟県の新潟市、富山県の射水市、石川県の金沢市、小松市、福井県のあわら市などで生産され、冬場の花として主に11月から3月頃に出荷されます。


 

切り花ストック
草丈が60~80cmの高性種(こうせいしゅ)は、生花が少なくなる冬場に出荷されます。

 

ストックは花持ちが良い花ですが、水を良く吸い上げるので水の補給を忘れず行いましょう。

 

また、水替えはなるべくこまめに行いましょう。

 

花壇用ストック
草丈が30cmほどの矮性種(わいせいしゅ)は、鉢植えや花壇用として花やつぼみの付いたものが販売されます。

 

購入する際は、葉色が良く、茎が太くしっかりとしたものを選びましょう。

 


 

植え付けるときは緩効性の化成肥料を使い、花壇の場合は15~20cm間隔で、鉢植えの場合は、5号鉢に1~2株を目安に植えます。


 

どちらの場合も日当たりが良い場所で育ててあげましょう。
ストックは過湿には非常に弱いため、水の与えすぎに注意し、水はけの良い場所で管理しましょう。

 



マメ知識
ストックには、高性種、矮性種ともに、一重咲きと八重咲きのものがあります。

 


 

一重咲きより花弁が多くボリュームのある八重咲きの方が好まれますが、残念ながら八重咲き株からは、種が採れません。