過去旅第二弾


旅データ

場所: アサヒビール大山崎山荘美術館(大山崎)

日時: 20041024

人数: 2人

交通: 電車


<序章>

2日続けて京都旅だ。
今日はライト休日となる予定だ。(えーっと無理はしないってこと)
いつもより遅めに集合してJRではなく阪急を選択して行くも、
大山崎はかなり近いのであまり話し込む間もなく到着。
田舎感十分で近い割には旅の実感がある。
踏み切りを越え、急な坂を登っていくと一瞬「おっ」と思うゲートがでてくる。
友が島の要塞を思い出すくらい雰囲気がある。
そこを抜けると和洋折衷庭がすぐさま始まる。




さっきから後ろにダンディなおじ様が近づいてくるのは気づいていた。
きたーっ。素敵な洋館1号が出てきたところで話しかけられた。
どうやら支配人らしき。
なんでしょう、感じよく長すぎず短すぎない説明、その後美しくフェードアウト。
「素敵」とはまさにこの相手を心地よくさせる力。
・・・・もとい、うっとりしながら緑溢るお庭で緑浴をしながら奥へ進んでいくと
出ました本館。
そこでカップルに「写真撮ってください」と頼まれ、
私達も・・・と言えず悲しんでいたところへ先ほどのダンディが登場。
そして頼む前から笑顔で言った「お撮りしましょうか?」
きゃーっっ。おじさまー。
写真を撮り終えるとメロメロになっていたのであまり覚えていないが
爽やかすぎるせりふを残し、引き際美しく去っていった。
余韻の残る男。

さておき、ご機嫌になって意気揚々と戸をくぐった。
重厚なインテリア、伯爵と呼ばれる人が出てきそうな部屋の明るさ、
何もかもが品よく整えられている。



豪華絢爛ではなくて、本当に上品な方が住んでいたんだな、
そして住んでみたいと思わせる贅沢なのだ。
つまり誰もが好感を抱く様相である。
お庭の見える部屋には座ったらリッチにしずむソファーがある。
みんなここぞとばかりに座っていた。
ええ、もちろん私も座った。
お庭も雑然と木々を植えているようでこの素晴らしい調和。
日本のセンスは素晴らしい。

2階からいいにおいが漂ってくる。
つられるように2階へ足を進める。
階段の踊り場にはステンドグラス。
それもいやらしくない。
あちらこちらにあるライトもケバケバしいシャンデリアとは異なったゴージャスだ。
コーヒーと特性のパウンドケーキが頂ける喫茶を抜けるとテラスにでる。
本日の天候は最高につき、眼下に広がるひときわ澄み切った空気の中に
佇む緑の宝庫は一瞬言葉を失わせるほど雄大であった。

このテラス席に座りたくてプレッシャーをかけ続けていたのだが
おば様達には全く圧力がかからず
あきらめて部屋でコーヒーとワインケーキをいただくことにした。
特製パウンドケーキはリーガロイヤル製、ワインケーキはアサヒビール製である。
パウンドケーキは売り切れていた。
コーヒーは¥350とこの絶景を料金に入れていない良心的な設定でまた感じがよい。
貴族の書斎といった態の店内(部屋)で食したからか
ケーキを切る大きさが心なしか小さかった気がする。
まぁ、どこで喋ってもいいような内容を散々喋って新館へ向かう。

ここは建物が素敵。安藤忠雄氏の設計だ。
非常に狭いのだがそれを不満に変えない力はあると思う。
するっと一周して庭園へ向かう。
まだあおいもみじが凛とたつ様はかっこいいという表現が適切かもしれない。

いい空気を吸いながら庭園を抜けて「打出のこずち」があるという
「宝寺」へ向かう。
ここへ行く道はなかなか気合が入っている。
ヒールでは来ない方がいいよと助言をしておきましょう。
もちろん私は忍者のようなスニーカーでがしがし進み
ひとけのないお寺へ即到着。

かなり立派なお寺だがイマイチアピール不足といったところか。
打出のこずちは発見できなかった。
ドラエモンのポケットだもんな、打出のこずち。
大好きな寺も我らだけで満喫して駅へ向かった。
また阪急でいったん梅田へ出ることにした。

適当にご飯を食べて帰ればいいのに、
当初予定していた難波でディナーがどうしても覆せず、
せっせとまたも難波へ向かう。
私はどうやら一度決めたことを変更することが出来ないらしい。
おかげで大満足の1日を終えることができた。
それにしても最近食べすぎなのである。

ちょっと、休日感を味わいたい日に最適のメニューです。おしゃれしていっても大丈
夫なのでこ洒落たデートにもいいのでは

【美術館一口メモ】

新館は「地中の宝石箱」とも呼ばれる、地中に位置するギャラリーです。円柱形の
ギャラリーは半地下で、円柱上部は植栽が施されています。これにより、ギャラリー
とまわりの景観との調和が生まれました。安藤忠雄氏は環境に配慮して新館を地中に
配しました。

【大山崎山荘豆知識】

州遊学後帰国した加賀正太郎が別荘を建てようと、1911年6月に木津、宇治、桂の三
川が合流する天王山麓に土地を購入したのが、山荘の始まりです。

加賀自らが設計し、1917年までには木造の洋館を完成させました。山荘建設にあた
り、「白雲楼」と呼ばれた塔屋をまず山側に建てています。この塔の上から加賀が工
事を指揮したといわれております。塔は現在も美術館の山側の敷地に残っています。

山荘を設計するにあたり、庭も山荘の大切な要素と加賀は考え、「悠々居」と呼んで
いた山荘本館の下には、3つの池「琵琶の池」「一の池」「二の池」を配し、庭と山
麓にとけ込んでいました。

山荘の工事中に、文豪夏目漱石も山荘を訪れました。隣接する宝積寺(通称宝寺)を
眺めながら「宝寺の隣に住んで桜哉」の句を残しております。

とまぁ、女性ならこんなところ住みたいわぁとうっとりしないわけがない洋館なので
ある。

ここから立て続けに過去の関西めぐりをお届けしていきたい。


旅データ;

◆場所:京都 宇治

◆いつ:2004年10月23日

◆人数:2人

◆車使用


<序章>
またも家のドアを空けた瞬間からテンションのあがる秋晴れだった。
テーマはおいしいものを食べよう。・・が、
おいしいお茶を飲もうになって宇治にたどり着いた。

最高の青空とタンクで歩けるほど(ジロジロ見られてたが)
寒くもなく暑くもない気候。
車中、ハッピーターンをもりもり食べながらとりあえず
源氏物語博物館へ行こうということになった。

丁度私たちの1台前で駐車場がいっぱいになった。
瞬時にあきらめて平等院へ向かった。
これが大正解。

目の前に広がる情緒溢れる橋。
テンションメーターはフルに上がり、平等院まで一直線。
途中、マイナーだがお祭りが催されているのを発見して
「幸せです」
とつぶやいた。

平等院の前の駐車場にとめて
(一日¥700 一日中停め続けたので安かった。大正解)
平等院へ飛び込んだ。
1歩入ったところからずっと美しかった。
青い空に黄緑のもみじ。池に浮かぶ寺、見事な藤棚。



偉大だった。
かつての栄華を確認できる建物は当時の宮大工の素晴らしさを
十分に理解できる圧巻ぶりだった。



共に旅した友人はインテリアや建築に明るい。
友人も世界的に見て当時の宮大工ほど素晴らしい技術をもっていた職人はいないと
言っていた。
確かに組み上げ式でこんにちまで天災にも負けず
朽ちることなく残っているのは素晴らしい。
変に色を塗りなおしたりしていないので自然の朽ちが
歴史を体感させ感動的だ。
庭園のいたるところで歓喜と賞賛の声をあげながら
シャッターをきる手が止まらぬまま、
最終地、庭園内にある博物館へ行った。
ここも建物自体が非常に洗練されている。
大きな釣鐘や楽器を持った鬼(十二樂坊のようだった)のような彫刻が
展示されていた。
かつての内装を再現したCGの上映などそこまで素晴らしくはないが
庭園を見て回った最後にこの内装を見せる構成はとてもいいと思った。

博物館を抜けるとおしゃれな休憩所が現れる。
そこでぼーっとしたくなったが、お腹が許さなかった。
そそくさと出口へ向かう。
昼は茶そばを食べると決めつけていた。
庭園をでるやいなや店を物色し始めた。
何度か往復して店先でいかにも職人風のおやっさんがそばをうっている店に決めた。
迷わず「茶そば」を注文。
空腹すぎたのか本当においしかったのかよくわからなかったが
とにかくおいしかった。
蕎麦湯もとろみがあってわけのわからないそばやで食べるのとはえらく違った。
すごい勢いでそばを吸い上げ店を後にする。
お茶の香り立ち込める通りでご飯が終わったばかりにもかかわらず
即座に斜め前の魅惑的なソフトクリームに誘われまんまと抹茶ソフトを購入。
これがなんともうまかった。ソフトが濃厚なだけではない。
(今まで食べた抹茶ソフトは単に緑なだけやったね。これは本当にお茶の味がした)
最後にかけてくれる抹茶パウダーがこれまた上品に薫る。
絶賛しながらあっという間にたいらげた頃丁度宇治川にかかる橋のところまで来た。

水曜の台風のせいかものすごい水流だ。



かっこいい宇治川を見た。
面白い光景だった。
趣のある川べりと対照的に力強く流れる川。
なんか好きな感じだ。中州の端は水没していた。
おそろしや、自然界。
せっかくなので美しい川べりを歩き続けた・・・・というと聞こえはいいが
源氏物語博物館へ向かっているつもりが全然違う方向へ闊歩していた。
まっ、気持ちよすぎたからいいけど。
かなり進んだところで引き返し文化遺産に指定されている
宇治神社だっけかな?に行った。
神木が素晴らしかった。
そのまま奥へ奥へ進んでいくとお目当ての源氏物語博物館が登場。
友人は丁度瀬戸内寂聴さんの源氏物語を読んでいるとかで楽しみにしていたらしい。
奇遇な。
私はあまり期待はしていなかったのだが入り口から
式部なんとかという紫の花が彩り、
非常に近代的な建物が出迎えてくれたところでちょっとワクっとした。
自動券売機で¥500払って券を購入。
一番初めに出てくる展示室はいかがなものかと思ったが全体的に音と映像で見せる
非常に最先端技術を駆使した館でジョジョにその世界観に心を持っていかれた。
特に2番目の部屋の横長スクリーンで見せる映像美はトリップします。
そこを抜けると人形とCGによる短編映画が上映される。

予め告げられた時間にスクリーンへ向かった。
この映画館のようなところがまた凝った仕掛け満載で素晴らしい。
映画もお金かけてるなぁというのがまずの感想。
源氏物語、よく考えたら単なる無節操男物語なのに
美しく描写することで文学になるのだから恐ろしい。
今、久方ぶりに「国とり物語」を読み直しているのだが
最近古都に出没しまくっているおかげで
情景を鮮明に頭に浮かべることができるため
本を読むスピードがいつもより格段に速い。
これも無節操男が自分を一生懸命正当化している節があるな。
もとい、映画を堪能してそこを出ると映画で上映されたシーンと
同じセットが目の前に現れる。
心憎い。
最終的にちょっとしたお土産やで外人客しかかわんだろうという
和紙に書かれた源氏物語のかなり大きな絵を購入してしまった。

駐車場へ向かう。
宇治川がまた見えてきた。
さっきの映画にも出てきたのでいっそう趣があるように感じた。
茶団子やお茶を購入しつつ、やはり立ち込めるお茶の香りにあがなうことができず
お茶屋へ入ってお茶菓子とお茶を頂いた。
やはりお茶は最高だ。
一口お抹茶を口に含んだだけで高貴な気分になるのはどうしてだろう。
外にでると陽もすっかり落ちかかっている。
十分に元をとった駐車場へ戻り帰路につく。
またおなかがすいた。散々食べたくせにこの夜は飲茶。たらふく食べた。

なんて幸せな一日なのだろう。

かなり重たいからだで家につくやいなや
本日購入した「高級ほうじ茶」とやらを早速飲んだ。
単なるほうじ茶なのに宇治で買ってしかも「高級」って書いてあるから
わけもなくリッチな気分に浸りながらふかーい眠りの世界へ落ちていった。

私も休みとあらば旅行に出かける人だが、周囲には意外に休みはのんびりとできる

貴重な時間だとばかりに家にこもる人も多い。

しかし、長期休暇となると皆やはりでかけたくなるらしい。

景気回復とニュースで繰り返し聞くので海外組が多いのかと思いきや、

安近短の国内旅行が大人気らしい。確かに疲れを残さず休日も味わえる近場で

ちょっと豪勢にして非日常感を味わう・・という旅はまさに企業戦士にはうれしい形態かもしれない。


その他ネット利用者の多さに驚いた。各旅行会社とも、ますますWEBでの販促に力をいれるに

違いない。今後どんなコンテンツが登場するのか、画像関係の仕事をしている私は結構

注目している。



「長期休暇での旅行」に関する調査結果  http://research.goo.ne.jp/Result/000320/


~旅行は「安」・「近」・「短」の傾向が加速し、予約手続きもネットの活用が進む~



国内最大級のインターネットアンケート・サービス「gooリサーチ」(*1)を共同で提供するNTTレゾナント株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:和才 博美)と株式会社三菱総合研究所(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:田中 將介)は、「gooリサーチ」登録モニターを対象に「長期休暇での旅行」に関する調査を実施しました。
有効回答者2,175名のうち、今年の長期休暇における旅行意向者は7割以上を占め、そのうち約80%が旅行予定先として国内を挙げています。旅行日数は昨年比較において減少傾向にあり、「3日以内」、「4~6日」の期間が増えています。また、旅行費用については「5万円以下」、「5万円超10万円以下」の占める割合が多く、昨年と比較し、費用減少傾向を示しています。旅行先、費用、期間の全ての条件において、「安」・「近」・「短」の傾向がより高まっていることが今回の調査より明らかとなりました。
また、旅行代理店については活用しないという回答が3割以上を占めている一方、旅行情報の収集に9割以上がインターネットを活用している点や、よく使う旅行サイトについて、ネット専業の旅行サイトが上位に挙がっていることから、旅行の予約手続等においてもネットならではの手軽さを追及して効率的に旅行するスタイルが浸透していることがうかがえます。


総括

有効回答者2,175名のうち、今年の長期休暇における旅行予定及び意向者は合わせて、7割以上を占め、旅行先は国内が約80%と多数を占めています。期間については6日以内、旅行費用は「5万円以下」、「5万円超10万円以下」という回答が大半を占めていますが、中高年齢層では旅行費用が他の世代と比較して相対的に高いことが見て取れます。また、年代別に、旅行メンバーや旅行先の傾向を見てみると、40代は子ども連れの家族で国内旅行に行くパターン、50代は夫婦だけで海外旅行に行くパターンが多い傾向にあることが想定されます。なお、旅行計画に際して9割以上がインターネットを活用して情報収集していることが明らかとなり、旅行自体の安・近・短の傾向とともに、予約の過程においてもネットを活用して効率的に旅行予約が行われていることがうかがえます。


調査結果のポイント

(1) 長期休暇での旅行意向は7割以上で、意向者の約半数が3日以内の短期間の旅行を検討
今年の長期休暇の取得時期としては例年同様8月を予定する回答者が半数近くに達しており、休暇を利用した旅行予定及び意向者は7割以上を占めている。また旅行予定日数については5割弱の人が「3日以内」と回答、「4~6日」を合わせると、8割以上の人が短期間での旅行を検討していることが分かる。

(2) 旅行先は国内が大半を占め、旅行のメンバーについては年代別で特徴的な傾向を示す
旅行予定先は国内が約8割と大半を占めており、10~20代の若年層は「自分+友人」で旅行に行くと回答する割合が、40代は「夫婦+子ども」で行くと回答する割合が、50~60代の高齢者層では「夫婦だけで」行くと回答する割合が高くなっている。
旅行の目的としては、「リラックス、リフレッシュ」を挙げた人が5割と半数以上に達し、特に30,40代では他の年代と比較してその比率が高い傾向が見られる。

(3)一人当たりの旅行費用は年代の上昇に伴い増加傾向を示す
一人当たりの旅行費用としての支出予定額については、「5万円以下」が4割以上、「5万円超10万円以下」が3割以上と2つの傾向が突出している。
年代別に見ると、年代の上昇に伴い「5万円以下」の回答比率が下がり、旅行費用の増加傾向が見られる。特に40代では「5万円超10万円以下」が、50代では「10万円超15万円以下」が他の年代との比較で高い。年代別の旅行メンバーや旅行先と合わせると、40代は子ども連れの家族で国内旅行に行くパターンが、50代は夫婦だけで海外旅行に行くパターンが多いことが想定される。

(4)旅行情報の収集には9割以上の人がインターネットを様々な目的で活用
旅行代理店の活用に関しては、「料金の安さ」「ツアーの内容」「信用・知名度」をもとに代理店を選択している傾向が見られる。一方で旅行代理店を使わず自ら予約等を行っている人も3割以上にのぼっている。
また旅行情報の収集には、全体の9割以上の人がインターネットを活用しているとの結果が出ており、「旅行先の情報取得」「行き先の検討」「ツアー内容、料金の比較」など様々な角度での旅行情報の収集に活用されている現状が明らかとなった。
旅行自体の安・近・短の傾向とともに、予約の過程においてもネットを活用して効率的に旅行予約が行われていることがうかがえる。


《 補足 》
(*1)【 gooリサーチ 】 http://research.goo.ne.jp/
ポータルサイト「goo」を運営するNTTレゾナントと、日本のリーディングシンクタンクである三菱総研の調査企画力、コンサルティング力が融合した、高品質で付加価値の高いインターネットリサーチ・サービスです。携帯電話でアンケートに答える 「gooリサーチ・モバイル」モニター(5.5万人)、キーパーソンのビジネスマンを中心とする「gooリサーチ・ビジネス」モニター(3.4万人)、団塊世代・シニア層、ならびに若年層を中心とした郵送調査手法で回答する「郵送調査専属モニター」(3.1万人)を含め、82.7万人の登録モニターを擁し、消費者向け調査から、法人向け調査、グループインタビューまで、様々な市場調査ニーズに対応しています。(モニターの人数はいずれもH18年7月現在)


<本調査およびgooリサーチに関するお問合せ先>
NTTレゾナント株式会社 ポータル事業本部 リサーチグループ
(Tel) 03-5224-5380、(FAX) 03-5224-5201、(E-mail)research@goo.ne.jp
NTTレゾナント株式会社 ポータル事業本部 広報グループ
(Tel) 03-5224-5500、(E-mail) pr@nttr.co.jp

<gooリサーチに関するお問合せ先>
株式会社三菱総合研究所 Eリサーチグループ
(Tel) 03-3277-0719、(Fax) 03-3277-0523、(E-mail) e-res@mri.co.jp
株式会社三菱総合研究所 広報部広報グループ
(Tel)03-3277-0003、 (Fax)03-3277-3490、(E-mail) ccd-mg@mri.co.jp


調査結果について

<調査概要>
1. 調査対象: 「gooリサーチ」登録モニター
2. 調査方法: 非公開型インターネットアンケート
3. 調査期間: 平成18年6月21日(水)~平成18年6月25日(日)
4. 有効回答者数:2,175名
【性別】: 男性46.3%、女性53.7%
【年齢層】: 19歳以下17.9%、20歳代16.6%、30歳代20.6%、40歳代22.0%、50歳代17.1%、60歳代4.7%、70歳以上1.1%

調査結果データ


1. 今年の長期休暇の旅行の傾向について

(1)長期休暇の取得予定時期は例年同様の8月が半数程度を占める

今年の長期休暇の取得予定時期について聞いたところ、8月と回答した人が全体の45.0%を占め、例年同様、夏休みシーズンに休暇を取得する意向を持つ人が多いことが明らかとなった。【図1】年代別で見ると、特に8月に取得予定との回答が多い傾向があるのが19歳以下と40代となっている。19歳以下は学生が休みの時期がほぼ8月に重なること、子どもが就学年齢にあたる40代の人は子どもの休みに合わせて休暇を取る傾向があることが理由と思われる。


(2)休暇での旅行意向は7割以上、旅行日数は3日以内が半数で短期化傾向を示す

休暇での旅行の計画については、「行く予定が決まっている」が22.3%で、予定は決まっていないものの「行きたいと思っている」の34.5%を合わせると6割弱となり、「行きたいと思っているが難しそう」まで含めると7割以上に達する。【図2】


また、旅行予定、意向者に旅行の日数について聞いたところ、半数近くの47.9%の人が「3日以内」と回答しており、「4~6日」の35.5%を合わせても、8割以上の人が短期間での旅行を検討していることが分かる。【図3-1】
また、昨年の旅行日数についての回答では、「3日以内」が46.8%、「4~6日」が34.3%となっており、【図3-2】昨年との比較で、「3日以内」(昨年:46.8%→今年:47.9%)、「4~6日」(昨年:34.3%→今年:35.5%)と、いずれも今年のほうが増加傾向にあり、「7日以上」の回答が昨年と比べて若干ずつ減少している。


(3)旅行のメンバーは夫婦+子ども、夫婦だけで、自分+友人の順で高い割合を示す

「誰と一緒に旅行に行く予定か」について聞いたところ、「夫婦+子ども」での回答が28.8%と最も多く、以下「夫婦だけで」(17.5%)、「自分+友人」(17.2%)の順で続いた。
これを男女別で比較すると、「夫婦+子ども」「夫婦だけで」は男性での比率が高いのに対し「自分+友人」は女性の方が比率が高い。一方、年代別の比較では、「自分+友人」で旅行に行くと回答した割合は若年層ほど高い。また、「夫婦+子ども」で行くと回答した割合は40代に、「夫婦だけで」行くと回答した割合は50~60代の中高齢者層で高くなっている。【図4-2】


(4)旅行先は国内がほぼ8割だが、高年齢層では海外を選択する方も増える

旅行予定、意向者に対し予定する旅行先について聞いたところ、「国内」との回答が78.5%を占め圧倒的に多かった。海外ではアジアが9.5%、ヨーロッパが4.6%となっている。
これを年代別に見ると、年代が上昇するのに伴い国内旅行の割合が若干ずつ減少し、海外旅行の、特にアジア、ヨーロッパの割合が高くなる傾向が見られる。


(5)昨年との比較では今年の国内への旅行は増加傾向を示す

昨年の長期休暇で旅行をしたと回答した人の旅行先としては、76.7%が「国内」と回答しており、以下、アジアが9.4%、ヨーロッパが4.3%となった。
昨年と今年における旅行予定先の比較では、オーストラリア・ニュージーランドが昨年:1.9%→今年:0.9%、ハワイ・グアム・サイパンが3.4%→2.7%と下がっており、逆に国内が昨年:76.7%→今年:78.5%と増加している。


(6)旅行の目的は「リラックス、リフレッシュ」が5割以上を占める

旅行の目的としては、回答者全体で「リラックス、リフレッシュ」を挙げた人が53.5%と半数以上に達する。以下、「都市観光」(14.5%)、「帰省」(10.4%)、「歴史的遺産観光」(8.5%)と続く。
また年代別では、30、40代は他の年代と比較して「歴史的遺産観光」の比率が低く、「リラックス、リフレッシュ」や「帰省」が相対的に高い傾向が見られる。


(7)旅行費用は安価傾向が進むも中高年齢層において若干の増加傾向を示す

今年の一人当たり旅行費用の予定額は、「5万円以下」の44.8%、「5万円超10万円以下」の30.9%と2つが他より割合が高くなっている。
昨年と今年の旅行費用を比較すると、「5万円以下」(昨年:42.7%→今年:44.8%)と「5万円超10万円以下」(昨年:28.7%→今年:30.9%)が増加している一方で「10万円超」以上の回答が減少しており、費用を安く済ませたいとの傾向がより高まっていることが伺える。

※いずれも一人当たりの旅行費用

また、今年の旅行費用について年代別に見た場合では、年代の上昇に伴い「5万円以下」の回答比率が下がっており、旅行費用の増加傾向が見られる。
特に40代では「5万円超-10万円以下」が、50代では「10万円超-15万円以下」の割合が他の年代と比較して高くなっており、上で見た年代別の旅行メンバーや旅行先と合わせて考えると、40代は子ども連れの家族で国内旅行に行くパターンが、50代は夫婦だけで海外旅行に行くといった、他の年齢層と比べて比較的お金をかけて旅行をするというパターンが多いことが想定される。


(8)海外旅行保険は年代上昇に伴い加入意向が低下している

海外旅行に行く際の海外旅行保険への加入意向については、64.3%の人が「加入する」と回答している。
年代別傾向では20代の加入意向が高く、30代~50代と年代が上がっていくにつれて、加入意向が下がっていく傾向が結果より見られる。


(9)旅行代理店選択のポイントは料金の安さとツアー内容のよさ

旅行代理店の活用に関して、代理店選択のポイントについては「料金が安い」(41.0%)点が最も割合が高く、以下「ツアーの内容」(36.4%)、「信用、知名度」(24.4%)と続いている。一方で、「旅行代理店を使わない」という回答も33.4%にのぼっている


2.旅行にあたってのインターネットの活用について

(1)9割以上の人が様々な目的で旅行情報の収集にインターネットを活用

長期休暇での旅行の際の、インターネットの活用については、「特に活用しない」という人は8.7%で、ほとんどの人が何らかの目的においてインターネットを活用していることが分かる。内容としては、「旅行先の情報を得る」(45.5%)、「行き先を検討する」(40.4%)、「ツアー内容、料金などを比較する」(32.6%)が高くなっており、様々な角度での旅行情報の収集に活用されていることが明らかとなった。


(2)旅行サイトの選択は知名度の高さなどが影響している傾向を示す

よく使う旅行サイトについては、「楽天トラベル」(19.1%)、「Yahoo!トラベル」(16.3%)、「じゃらんnet」(16.1%)とネット専門の旅行関連サイトが上位を占めている。
旅行会社のサイトとしては、「JTB」が14.8%で最も高かった。また、年代別では、19歳以下では「Yahoo!トラベル」、20代では「じゃらんnet」が他の年代との比較で高く、30代~40代では「楽天トラベル」が高い結果となっている。
年代が上がるにつれて、旅行サイトの知名度の高さや登録宿泊施設数の多さなどがサイトの選択、活用に少なからず影響を与えているものと思われる。



*この「広州、桂林、陽朔、香港 」は4回に分けて記載しています。よければ1からお読み下さい。

旅データ:

◆期間:2004年年末 ~ 2005年年始
◆場所:広州、桂林、陽朔、香港
◆費用:10万円ちょっと (個人旅行です)
◆人数:2名


●広州●
とりあえずホテルでシャワーを浴びて、そういうと今日はお正月だから
初詣に行こうということになり中心地へ出るとお正月だからか人の大群。
日本の「混む」とは規模が違います。
お寺の前に絶対行きたかった「陳氏なんとか」っていう博物館へ向かう。
よくわからないので地下鉄を利用することにした。
この陳氏なんとかは本当に建物自体の彫刻や細工がすばらしい。



またこの日は絶好に晴れていたので見上げると空の青に精巧な彫刻が浮かび上がって
「すごーい」を連発せずにはいれなかった。ここには壷や書が展示されている。
時々素人がいろ塗りしただろと思うような汚い装飾のお寺を見かけることもあるが
ここはまさに中国のいいところが集約された本当に細かい芸術が堪能できます。



アート好きな友人もすっかり堪能できるくらいの時間滞在して
日が暮れないうちに初詣をしようと数あるお寺の中から適当なものをピックアップして向かった。
本当にディープであやしい道をとおりぬけて
何人にも聞きまくって到着したお寺は・・・・・・・・・ムスリムだった。
なんかアラブ人みたいな人がよくでてくるなとは思っていたが、
入り口を入ると素敵な笑顔で「アーユームズリム?」 オーノー。
こんなにがんばってきたのに入れなかった。ムスリム信者しか入れないのだ。
どうして数ある寺からここを選ぶかなぁ。
もう爆笑してご飯を食べに行くことにした。
歩きつかれたのでホテルの近くの適当にはやっている食堂みたいなところで食べた。
どこで食べても基本的にご飯はおいしい。
お腹もみたされたのでちょっとぶらぶら買い物をすることに。
ここへ来る前本やネットで広州はとても楽しいところだと思っていた。
でも中国人の友人に聞くと口をそろえて何もないよという。
行ってみて彼らが正しいことがよくわかった。
もういいやということになり急遽明日は香港へ向かうことにした。
香港の友人とも連絡がつき2年ぶりかな?の香港にわくわくしながら眠った。

●香港●
香港へ行く手段は3つある。今回は友人おすすめの列車にした。



これが簡単に出国できるし安いし便利だなぁとおもった。
あっという間に着いた香港はたった数時間しか移動していないのに暖かくてとても都会でほっとした。
駅まで友人に迎えに来てもらいとりあえず友人邸へ向かう。
そこで友人の犬と戯れつつお母様とお姉さまにもお会いした。
お姉さまはモデルであの「2046」にも出演していたらしい。
そうそう、この友人はAUSで出会った人です。
早速、本日のホテルを彼に予約してもらった。
日立ブランドでかなり安くしてもらった(日立で働いているらしい)。
ラッキィ。
ホテルに荷物を掘り込んで念願の初詣へ。

●お寺●
前回も行ったことのあるお寺へ再びおまいりへ。(名前忘れた。黄???)



今回はお正月ということもありものすごい人と煙だった。
前回とイメージが全く異なっていたのでおもしろかった。
もれなく入り口でHK$10の長い線香のようなものを購入し香港式にお祈りをした。
そのしきたりに必死で何も願わなかった。でも日本人として詣でる行為が終了したことに満足した。
恒例の香港式おみくじみたいなのももれなく引いておいた。
香港は出た数字をずらっと並ぶ占い師のところへ持っていって
色々とご指導を受けるのである。
全部彼が通訳してくれたからこそ実現したことである。
そういうとこうしたら素敵な人に出会いますみたいなアドバイスをいただいたのに
一切実行しておりません。面倒くさい・・・。

●ディナーIN香港●
そうこうしているうちにお腹がすいた。
香港はとにかくご飯がおおいしい。
わくわくしながら雑誌等(香港の)に載っているという人気店に連れて行ってもらった。

鳩の丸焼きとか彼のお勧め料理をたくさん食べた。
お腹がはちきれそうになりながら店をあとにして、一旦ホテルへもどる道すがら
風邪気味の友人が感冒茶を飲んでいた。味は葛根湯のような味だった。
私には飲み干すことができない味だった。
友人はいけると飲み干してしまった。
香港といえば夜景だ。



香港を効果的に見せるときに使われる有名な風景を見に夜風をあびながら再びホテルをあとにした。
ここは前回も何回か連れてきてもらった場所だったが
今回はクリスマス後ということで特別イルミネーションが、ある時間帯になると始まるというので
それを見に行った。またあの美術館へ続く海べり?川べりの道には新しくスターの手形が並び
ハリウッドさながら(大げさ?)の風景に大勢の人出があった。
特にジャッキーチェンの手形にはフラッシュの嵐だった。
友人が風邪気味だったので一旦ホテルへ送り届け
私&香港の友人は夜だというのにとっても明るい香港の町へまた吸い込まれていった。




あんなにきらきらしていたら一日を終わらせることを躊躇してしまうよ。
眠気をさそうだるさが体中に満ちてきてようやく私はホテルへ帰る決心をした。
ゆっくりお風呂にはいって津波最新情報を聞きながら知らぬ間に眠り落ちていた。




●香港2日目●
備え付けのコーヒーをのみがらゆっくり朝したくをした。
今日から彼は仕事が始まるので(3日なのに・・・)ゆっくり美術館でも見ることにした。
前も堪能したはずの美術館、常設展まで新鮮に見ることができた。
今回、ここで行われていた特別展「黄永玉」の展示が本当にすばらしかった。
http://www.lcsd.gov.hk/CE/Museum/Arts/chinese/exhibitions/cexhibitions.html
現代墨絵とでも言いましょうか。斬新な色付け、大胆な筆づかい、
あと彼の言葉も要所要所にディスプレイされていたのだがそれが私には素敵な言葉に思えた。
英語の本が売っていたら買って帰ろうと思ったがなかった。
中国語を習得したら一番にこの人の本が読みたい。
機会があったら是非見に行ってほしい。
この美術館は内容が充実していながらHK$10と非常に良心的な値段だ。
日本もこのような施設があればいいのにと常々思う。
同じエリアにあるIMAXも見ようとしたが時間が合わずにやめた。
昼は香港の友人と飲茶を食べに行く予定をしていたが友人がはぐれ実現しなかった。



そこから友人と私はずっと別行動。
前回来たときに大変おしゃれエリアで気に入っていた場所へ一人で向かった。
記憶は鮮明で迷うことなく辿り着けた。目だけ楽しんで何も買うことなくそこをあとにする。
香港の友人に電話をすると友人がホテルで待っているとのことだったので急いでホテルまでもどる。

●ディナーIN香港2●
香港の友人も合流して今晩はタンタン麺がおいしいという店につれていってもらった。





念願のショウロンポウも食べることができ大満足。この店のご飯はどれもおいしく、
また店員の態度も大変いい高レベルな店でした。
おなかがすいていたのであっという間に食べ干してバスで女人街へ向かう。
あやしいマーケットだ。どの店も勢いがあって胡散臭くておもしろい。
そのマーケットの途中にある店で亀ゼリーを食べた。元気になるゼリー?



とっても薬っぽい味がした。ここで若者たちが普通にデートしているのがすごいと思った。
最終地点まで辿り着いたら次は新しくできたというデパートのようなところへ連れて行ってもらった。
何でしょう、ヴィーナスフォートがもっとすごくなったような、ラスベガスのような・・。
ながーいエレベータの上を見上げると夕焼けっぽい空を演出した屋根がある。
周りもきらきらしていてちょっと薄暗くてとても幻想的な空間に仕上がっている。
デート中のカップルを尻目にテンションがあがりました。ホンコン的な施設だと思います。




夜の香港に満足して後ろ髪引かれながらもホテルへ戻る。
香港人の友人も一緒に部屋まで送ってくれて最後のお別れを。
いつも本当によくしてくれる彼に多大なる感謝をしながらドアを閉めて
もれなくゆっくりお風呂に入りこのたび最後の夜を惜しむようにお茶など飲みながらちょっと感傷的になったりして。

●帰国●
また来たときと同じように列車でシンセンへ戻ろうと思っていたが
友人が船が空港まででているよと教えてくれたので高速船で帰ることにした。
わざわざ船の時間まで調べて連絡してくれた友人の優しさに触れますます
悲しくなった。
よく考えたらこの旅は色々な乗り物に乗った。高速船は大変快適で
船着場から空港までも無料バスが走り何も考えずに空港までたどり着くことができた。





いとも簡単に香港に入国して出国した。日本人パスポート強し。
この時期香港へ直接入ると9万以上していた。対して広州への直行便は
4万円くらい。みなさん、一旦広州へはいって香港へ行くととっても安いですよ、
時期によっては。

シンセン空港でまたも大阪行き組は拉致られる。



飛行機から地球を見下ろすと上海の街がまるでミニチュアだった。



人間なんて小さいなと。多少大きなことをしでかさないと生きた証は

この世に残らないぞと、躊躇なき人生を歩むことを再決心したのでした。





土産も買わぬまま特別室みたいなところでずっと待たされる。もう我慢ができず
おなかがすいたとダダをこねてやっとレストラン前まで同行されて一応
開放された。おかげで土産も買えず何もできずシンセンを後にすることになった。

そして上海での乗り換えもまたご丁寧につれまわされながら
小一時間待って大阪へ再度とびたつ。
いよいよ旅が終焉を迎えた。
関空へ帰ってきたときには何もかもが終わってしまった感に襲われ
空っぽになってしまった。旅を共にした友人とがっちり握手を交わして
それぞれ帰路につく。

帰りのバスでお笑い番組を見たとき大阪を実感した。
と同時に明日から仕事だ。ということを思い出した。

帰宅すると11時PMだった。あの真夜中のような早朝から日も変わる間際
までのこの旅を楽しみにして年末を過ごしていた。
それが今となっては夢のようにとおりすぎ、明日からの仕事が現実味を
帯びてきたところで同居人と8日ぶりの再会。
んー、ほっとする。なんだかブルーな気持ちも和らいだ。うれしくなって
眠りかけていた同居人に無理やり中国旅話を話し続けた。
散々喋ってハッピーなまま眠り落ちていった。友人は耳鳴りがしていたに違いない。

終了。

*この「広州、桂林、陽朔、香港 」は4回に分けて記載しています。よければ1からお読み下さい。


旅データ:

◆期間:2004年年末 ~ 2005年年始
◆場所:広州、桂林、陽朔、香港
◆費用:10万円ちょっと (個人旅行です)
◆人数:2名


●瑠璃川くだり●
散々文句を言っていた割には2人ともぐっすり眠ってちょっと早起きな朝を迎えた。
今日は待望の瑠璃川くだりの日なのだ。
今日ももれなく寒い。
できるだけ着込んで川下り終着のヤンシュオが気に入ったらそこに泊まれるように全ての荷物をもって乗船。

この川くだりは同民族がまとめられる、私たちは日本人船に乗せられた。

どこへ行っても全く日本人に会わなかったのだが、ようやくここで出会った。
時期がじきだったのかお金持ちそうな年配の方が多かった。
同じテーブルには酒好きのお金持ちそうな奥様とそのだんな様、品のいい老夫婦、
スイス銀行で働いていているという面白いおじさんとその息子。
なんともお金もちそうな人々に囲まれこの船旅をすごす。

すきを見てはお菓子やアクセサリを明らかに高い値段で運んでくる関係者。
もっと面白いのはものすごくほっそいイカダを豪速で漕いで我等の船の窓にはりつき次から次へと
胡散臭い置物などを取り出しては最高に素敵な笑顔とジェスチャーで船内の私たちに売ろうとしている地元民。尊敬のまなざしを向けてしまった。そんな光景を絶対見たことがないだろうおばさまが「まぁ、危ないわぁ」というと「彼らは生まれたときからずっとあのようなことを繰り返しているから大丈夫」と中国人。
私はどんなに仕事がつらくても、日々の生活が楽しくなくなっても彼らに比べたら
(自分の価値観においてだが)数倍幸せな自分の人生に感謝した。
生まれて死ぬまであんな寒い川の上をほっそーいいかだを必死に漕いで観光客の船に張り付き笑顔を振りまいて胡散臭いものを売る毎日・・・・。私にはできない。
(彼らが幸せであるか不幸せであるかの判断はできない。あくまでも文明社会に生まれ生活
している私には無理だということです)


でも日本人は彼らをみてかわいそうとか言いながらものの質からいくと法外な値段で「買ってあげていた」。
彼らの作戦勝ちである。きっとその辺で一生懸命働いている人たちよりよっぽどいい生活をしているんだろうなとも思った。




同じテーブルのおじさんが笑顔に負けて買ったへんなくまの置物はまっすぐ立たなかった。


その微妙ながたつきがまたいいなどといっていたが。
そういうと友人が街でバラを売っている子供がスターバックスでコーヒーを飲んでいてびっくりしたという話を聞いたが、それに近いものがあるなぁと思った。

川の上なので寒さが厳しい。きれいな景色かあたたかい船内。・・・完全防備でデッキへ出る。
ウーロン茶のCMにもなった景色、それは非現実世界です。

図ったようにおじさんが船を漕いでやってくる。あまりにも絵葉書的でその完璧ぶりにわらけてきた。
もうこの川くだり描写をはじめたら止まらないので割愛。正午が近づくと船内でランチ。

このたび最高の笑顔を見せたイカダにのった兄ちゃんが丁度我テーブルの窓にずっと張り付いていたのが忘れらない。

終始、圧巻の墨絵景色が続いた川旅も終着点がやってきた。
この時期、水かさが減っているのでいつもの終点ヤンシュオ(陽朔)までは行かない。
ということでこの終着点からはただでタクシーでヤンシュオまで行ってもらった。

●ヤンシュオ(陽朔)●
ヤンシュオのカフェなどが立ち並ぶ一番の中心どおりにあるYHAにチェックイン。
YHAのスウィートに泊まってみました。っていっても一人700円くらいだけど。
とてもきれいだった。早速、街へ繰り出す。カフェラテが普通においしくて感動した。


(YHA スイート)

民族的なアクセサリ等を販売する店も同じ並びにあるのだが非常におしゃれ。
ぶらぶら買い物をしていたら今晩見にいくショーの時間がすぐに迫ってきた。
おもちゃみたいなバス(バスとタイのトゥクトゥクを足して割ったような乗り物)
に乗って会場へ向かう。こちらへ来て知った自然が舞台のショー。




●劉三姐ショー●



あたりの岩山や川が舞台なのだ。
岩山が突如ライトアップされてショーは始まった。
出演者、600名ほど。さすが中国、人資本の舞台だった。大人数が赤い布を持って川上を
走り回る。陸では民族衣装で歌を歌う。舞台が広すぎてどこを見ていいのか
判らないくらいスケールの大きな舞台だ。
最後は全員が電光スーツに身をまとい川の上に現れる姿は息をのみます。
川の上だというのにまるで陸のようにちっちゃいいかだで自由自在に動き回るのも超人的で雑技団に負けません。
なんせ「感動」のひとことです。

かなり寒かったがその寒さを忘れるくらい熱い感動が体を支配します。
興奮しながら行きに乗ったのと同じバスに乗り込むと後ろに年配の日本人のガイドをしている割と日本語が
流暢なお兄さんがいた。
バス中その中国人のお兄ちゃんと喋っていて今晩鍋パーティをするからこないかと誘われたのに、
いつもよいこの時間に寝る癖がついてしまい眠気に負けた。
せっかく現地人との楽しいナベパだったのに。あーあ、いい人だったのにな。

●ヤンシュオ2日目●
次の日の朝、適当な時間に起床してとりあえずチェックアウト、
荷物を預けて目の前のカフェでアメリカンブレックファーストを食す。
普通においしかった。なんか別の国にきているようだった。
それにしてもここヤンシュオは大変英語が通じるので便利だ。
ヤンシュオはおしゃれなカフェが立ち並んでいるかと思えば
ちょっとはずれると歩いて桂林川くだりのような岩山風景に
出会える不思議で私好みな街。この旅、一押しの場所だった。
カフェ街を抜けると昔の中国を残したとおりにでる。



そこを抜けてきれいな岩山をバックに流れる川元へ下りていくと女の人たちが川で洗濯をしていた。
(桃太郎ではありません)洗濯物をたたきながら川の水で洗っている。



そんなことできれいになるのか?と疑問を持つ洗浄方法だった。
彼女たちの手は拷問を受けているようだろうなと思うとまた尊敬の念が生まれた。

桂林---------------memo--------------------
桂林と聞くと真っ先に「水墨画」が浮かんでくることと思う。でも「桂林」全体がそうであるわけではありません。
有名なウーロン茶のCM撮影に使われた場所やよく
写真でみる岩山と川の絶妙な様が何キロにわたって続きそのゆるぎない圧倒的な景色に言葉を失うのは郊外に
ある瑠璃川くだりをしてはじめて目にできるだけで桂林の街自体は地方都市で微妙です。


美しいところも多々あるのですがこの整備しきれず妙に近代化させた中途半端な感じが


絶賛できない理由かもしれません。
西洋人が好んでいくヤンシュオの方が断然お勧めです。宿も安いし歩いて楽しめる。
日本人は大体桂林に滞在して川くだりのついでにヤンシュオによって
4時間くらいで帰ってしまう人が多いようです。ガイドブック等の影響ですね。
memo---------------------------memo-------

今日もヤンシュオの街を歩いて探索したり正月準備をしている店をみながら
時間はあっという間に過ぎてしまった。
晴れていたらサイクリングなどすると最高の場所なのでお勧めしたい。
そうこうしているうちに桂林へ戻るバスの時間が近づいてきた。
とりあえずご飯を食べようと適当に入ったお店で北京から一人旅しているという同い年の中国人の男の子と仲良くなった。



微妙な中国語を店員に喋ったばかりに友人がトイレに行っている間に
「中国語が喋れるのか?」とすごい勢いで喋りかけられて
ものすごく困っていたらにこっとその男の子が振り向きこれまたつたない日本語で
「日本人ですか?」と聞いてきたので「そうだよ」と答えるとさっきのわけのわからない中国語を
今度は流暢な英語で訳してくれた。
それをきっかけに同席してバスの時間ぎりぎりまで喋っていた。
たった30分ばかりの出会いだったが今でも仲良くしている。
彼を残してちょっと離れたバス停へ猛ダッシュ。
なんせ乗り遅れると今度は広州行きの夜行列車に乗れなくなる。
必死だった。なんとか予定していたバスに間に合い無事桂林へ向かう。
夕方だったので景色がよく見えないのが残念だったが惜しむように窓外を見ていると
突然大声で電話するおじさんの声がさっきまで静かだった車内に響き渡った。
そんなことはお構いなしに喋り続けていた。
かなり早めに到着したので列車で食べるようにパンなどを買い込み駅へ向かう。
今日は大晦日だ。
あーヤンシュオで中国人やトラベラーたちとニューイヤーを楽しみたかったなとかなり後悔したが
夜行列車は年末年始や春節は満員で取れないという情報を入手していたので何も考えずあらかじめ切符を押さえていた。

●夜行列車 桂林-広州●



何とか変更を試みたが満員で不可能だった。
とにもかくにも広州行きの夜行列車に乗り込む。
私たちは硬臥というレベルの席というかベッドで3段ベッドが2個で一部屋のようになったタイプにしていた。
ちなみに3段目だったのでよじ登らなければならず・・・。しかも同室は香港の子連れ2組。
6人ひと空間が小さい子を連れていたので8人ひと空間に。
ということで通路に座っていたら見るからに怪しい男がこっちをずっと見ている。
目は血走り頭はギトギト。絶対、今晩盗むものを物色しているんだと直感的に思ったら本当に真夜中盗みに来たらしい。
たまたま友人の足をその男が触ってしまい、かかんにも友人が日本語で叫んだので逃げて行ったらしいが。
(そのとき私は爆睡中。友人いわくものすごく怖かったらしい)
朝、結構ぎりぎりになって起きだして(なんせ一回下に降りるともう一度ベッドへ帰るのは一苦労)
通路で朝ごはんを食べていたら下段のお子達も起きだしてやたらこっちを見ているので
遊び相手になっていたら異常に愛されて投げキッスを50回以上はいただいた。
お母さんも「日本一番!」ととても好意的であとは広東語でよくわからなかったが
しばし日本語―広東語で交流していた。
とても金持ちそうな集団だった。彼らは香港へ帰るらしいことだけはわかった。
広州につくとみんなで「ここよ!」と教えてくれた。
男の子は列車の降車口までずっと見送ってくれた。
もちろんキスをしまくりながら・・・。どんな大人になるんだろう。心温まる列車旅だった。

●広州●
広州は散々危ないと聞かされていた。
特に列車駅は治安がよくないと。ちょっとだけ気を引き締めて改札を通ったが別段不穏な空気は感じられなかった。
広州1泊目はまぁまぁいいホテルをヤンシュオから予約していた。
立地は最高だった。駅からは結局タクシー20台くらいに料金を聞いて同じだったので

一番最後に聞いたタクシーに乗り込んだ。
「日本人だー」といっておやじがわさわさ集まってきたときはちょっと恐ろしかった。

そういうとホテルに電話をかけようと公衆電話にカードを突っ込んだまではよかったがあまりにもおくまで吸い込まれ
抜けなくなって必死に取り出そうとしていたら周りに死ぬほどルンペンさんたちが集まっていて私たちをみて大爆笑していた。
すごい光景だった。友人は怒っていたが私はおかしくて仕方がなかった。

続く

*この「広州、桂林、陽朔、香港 」は4回に分けて記載しています。よければ1からお読み下さい。


旅データ:

◆期間:2004年年末 ~ 2005年年始
◆場所:広州、桂林、陽朔、香港
◆費用:10万円ちょっと (個人旅行です)
◆人数:2名


●桂林到着●
9時ごろ桂林到着
(1日目だけは夜遅い到着なので)日本から予約していたRONG HU HOTEL。 
かなり大きなホテルで値段の割にはとても上流階級な感じだった。
部屋の窓からは川も見え、中心街までも歩けないこともない距離。悪くない。

到着してあまりの寒さにひるんだがお腹の信号には勝てない私たち、
早速夜の桂林へ繰り出した。よくわからずに歩いていたがこのホテルの周りはテーマパークのようになっている。
川や木々、オブジェなどがライトアップされていて非常に近代的で美しい町だという印象を一日目にして我等に与えるのだが、その後、イメージは変わってゆくのである。
(到着直後できれいだねぇと見ていたライトアップ、その頃町では(3星以上ホテル以外)
大停電。そんなとこをライトアップする電力は控えて店や安宿へ電力を供給しようよと2日目に思った)


ライトできらきらした川の向こうにもっときらきらした中心街が見えている。
あそこまで行けば何かおいしいご飯にありつけるに違いない。
私たちは苦もなくスタスタと歩きあっという間に中心地へたどり着いた。
途中明日の朝ごはんとか言いながらアヤシイパンや水などを購入しながらえいやーと入ったお店は
どうやって食べていいのかいまいちシステムのわからない店で、キョロキョロする
私たちに次から次へと店の人がやってきて色々教えてくれるのだが
全くわからず最終的には支配人のような人が私たちに付きっ切りで説明、
(まるでプライベートウェーターのようになっていた)オーダーをしてくださり(必死の英語で・・)
とっても注目の的になりながらもあまりお腹がすいていなかったのでほとんど食べることもなく
お騒がせ日本人と化してしまった。まぁ、これもよい思い出ということで。
このたび、終始、言葉の問題から色々な人に優しくしていただきだまされるどころかとんだ日本人だったと思います。多謝、我等を助けてくれた数多くの中国の人たち!
反日感情どころか本当にみんな優しかった。ちょっと困ってたけど。

お腹が膨れるとそそくさとホテルに帰り、早速バスタブにお湯をためてお風呂を楽しんでぐっすり眠り倒した。んー、幸せ。


(桂林の町。このおじさん、知り合いでもありませんし、このあとしばかれたわけでもありません)

●2日目●
2日目の朝、部屋で昨日購入したパンを食べ(不思議な感じだが悪くない)、
とりあえず今日の宿を確保しようとチェックアウトぎりぎりに部屋を出た。
フロントで目星をつけた宿の場所を聞いてもタクシーで行けとしか言われない。
(タクシーでいくなら貴方に聞かないよといいたかったが・・)
私たちは適当に歩いて結構離れた目的地桂林YHまで向かった。
かなり遠かったのと確信がないまま歩いていたため途中あっているのか不安になり
聞いてもわからないとわかりながら何回も道を尋ねた。もちろん気休めにしか
ならなかったあがなんとかたどり着いた。
列車駅のまん前なので客引きのおばちゃんがしこたま声をかけてくるのを
適当にかわし、もっそいノスタルジックな戦前?と思ってしまうこれぞ中国エリアの中にYHを見つけた。
確かにYHの入り口は写真などで見せると「中国にもこんなに西洋風なところがあるのねぇ」
というコメントをもらうような外観だがそこにたどりつくための階段も真っ暗で
なかなか根性のいるエリアに存在していた。YHなのにお便所が穴・・・。
でもツインで390円だからまぁいいっか。
別にベッドも清潔だし、フロントもまぁまぁ英語が通じるから情報も得ることができたし。
(ホテルのフロントは旅情報に関してはタクシーに乗れしか言わないから役に立たない)




さっそく受付のお兄ちゃんに行きたいところを告げ情報を引き出す。
その前に腹ごしらえ。お腹がすきすぎてとりあえず入った店は「豆」の店。
ここでも中国語に苦戦する。「茶」が飲みたいといっているのにないという。
んなわきゃないだろうと
最後の手段、筆談。色々な種類の茶の名前を紙に書くも全て「没有(ない)」
紙に「豆茶」ならあると書くからうんそれでOKというととっても甘い豆乳が・・・・。

ショウロンポウを頼んだら味噌の入った肉まんが・・・
(これ、おいしいけど。そして帰国して中国人に聞くと
「君の言っているショウロンポウは上海か上海系のレストランに入らないとないよ」といっていた。)
と悪戦苦闘しながらもどれもおいしかったからよしとして目的地へのバスを探した。
今日半日で3箇所まわる計画だ。

●七星公園●



まずは「七星公園」へ行こうということになった。
ここは中心街から3番だったかな?の市バスに乗っていけばいいという
アドバイスを頼りになんとかバスを見つけ乗り込んだ。
1.5元(25円くらい?)。あーこの交通費の安さがたまらない。
もちろん現地の人にまみれながら運転手を困らせつつ目的地へ無事到着。
入園料を支払って入ると以前北京の故宮でみた団体旅行ご一行さまのような軍団が
今回は真っ赤なキャップを全員かぶって楽しそうにご旅行中だった。
七星公園は鍾乳洞や動物園があり岩山も美しいいわゆる自然公園のようなところ(万博的な感じかな?)ですが、
何しろ寒すぎてもう動く気がしなかった。普通に孔雀とか歩いていて楽しかったのですが
かなり短い時間でとにかく何か暖かくなる服を買うために街中へ戻ることにした。
また適当なバスにのって百貨店のようなところでこれまた適当に降り、
コーヒーで暖をとってからダウンジャケットを購入した。
この後行く街で買えばおしゃれな品が売っているのだが
桂林はおしゃれという点では楽しめない街であり、ピンクや白、水色に
いかにも人工的なフワフワがついたダウンが大流行。
凍え死んでもいいからそれだけは着たくはないと必死に物色していたら
鮮やか過ぎるオレンジが目に飛び込んできた。1枚だけ何故紛れ込んでいるの?というデザインで即ゲット。(ちょっと袖とか短すぎるなどの否めない点には眼をつぶる)
ダウンに身を包むと本当に暖かい。服を着ることがこんなに大切だったことを改めて実感した。

●ロクテキガン●
十分に暖かくなり突然元気になった私は次の目的地「ロクテキガン」へ向かう。
ここは中心部から割と離れている。そして通常は観光バスのようなもので行くらしいのだが
私たちはこれまたジモティバスを利用するためバス停を探しに探した。
なかなか走っていないバスのようでかなり待ってミニバスみたいなのに乗り込んだ。
これまた1.5元だったと思う。「なんで君たちがのってるの?」くらいの目で見られながら車窓からの景色を楽しんでいるとロクテキガンかなぁと思われる場所に到着したが誰も降りないので私たちもそのまま乗っていた(みんなロクテキガンで降りるもんだと思い込んでいた)ますます「何で降りないんだ???」という視線が突き刺さる。
このバスは町から村へ帰る足だったのだ。だから観光客も乗っていないし、だれもそんな観光地で降りないのだ。終点、団地のようなところへたどりついてしまった。




同行人はどんどん田舎になっていくのをみてかなりテンパっていた。楽天的な私は
まぁ折り返すだろうと思っていたら思惑通り来た道を戻りだしたので今度は運転手に張り付いて
行き先にきたら教えてくれとつたない中国語でお願いして今度はロクテキガンで飛び降りた。

結構夕方が近づいていたのでここも自然公園のようになっていて
鍾乳洞以外にも色々ありそうだったが目的へまっすぐ向かった。
それにしても迷ったおかげで堪能できたのどかな風景はすばらしかった。
鍾乳洞は入場料が他と比べると多少高い。
でも納得の感動を手にすることができる。
桂林一お勧めスポットです。入るなり色とりどりのライトに照らし出された岩はすごい迫力だ。
しかも鍾乳洞の中は暖かく(よく遭難した人が生き延びるのもわかる気がする)俄然元気に。
以前ベトナムで訪れたハロン湾の鍾乳洞にどこか似ていたがこの寒さで人もまばらなのと
本当に複雑に入りくんだ洞窟がとても面白かった。



でもここのライト、人が少なくなると消える仕組みになっていて私たちは団体じゃないのですぐ電気が消える。飛び跳ねて走り回って(人がいることを感知させる)なんとか電気をつけないといけないあたり、中国・・・・。ずっと感動は続くのだが、一番奥まで来たときにひらける(写真参)別惑星のような天井にあたった青いライトが水に映って上下対象の不思議な世界を生み出している幻想的な場所がある。
宮崎駿は絶対こんなところを見てあれらの名作を作り出したのだろうなと思ってしまうほど、
ラピュタ(ナウシカだっけかな?地下みたいなところにおちたら洞窟になっていたというシーン)の一シーンにでてきそうだったのだ。


(これらの写真には全く補正をかけていません。本当にこんな感じです)


ここで時を忘れてその世界観に引きずりこまれていた。初めてこの、さむーい時期に来てよかったと思った。ここはひと気がないからここまで感動を体感できたのだと思う。何度も振り返りながら先へ進んだ。
かなり興奮しながら鍾乳洞を出るとやはり外は寒かった。

●夜ご飯●
とりあえず中心街へ帰るために先ほどのバスへ乗らねばならない。
またよくわからないバス停で待っていると小さいバスがやってきた。おっとこれこれ。今度は街の中心で下車、もう陽もかたむいていたのでもう一箇所を周るのはやめにしてご飯を食べることにした。

あったかいものが食べたいといいつつ、まぁどこがおいしいかよくわからないし、
どこに入ってもおいしいだろうということで若者がたくさん入っていく店に決めた。
年の瀬もせまり大賑わいだった。
今度はメニューがよくわからず適当に横の席の人が食べているのがいいとか
いったらあれは羊肉のなべだがいいか?(これぐらいはわかる)と言われたので
他の肉がいいと伝えやってきたのはどでかい鍋に山盛り肉が入ったもの。
あとから豆腐と野菜が出てきた。とってもおいしかった。いまだに何を食べたかわかりませんが。

帰りスーパーのようなところによったりしながら帰っていると町が真っ暗なのだ。
かといって店が営業していないわけではなくろうそくをたてて営業している。
何も見えないのにお客さんが入っているのがこれまたすごいと思った。
そう、あとで聞いてわかったことだが桂林の電気は水力で今年は水不足のため停電が多いのだとか。
そういうと昼もろうそくとともにランチを食した。大していいものを食べているわけでもないのに
ムードたっぷりに食事ができました(前向き)・・・・・と笑っているうちにはたと気づいた。
電気がないということはこんなに寒いのにエアコンが入らないということでTVもつかないということで何も見えないということで。
恐怖におののきながらいっそう真っ暗なYH入り口までの階段をあまりない期待とともに
「自家発電してますように」と祈りながら上りきると・・・・くっくらい。

真っ暗ジャン。

ろうそくに照らし出されたフロントへ行くと妙にテンションの高い若者4人がすごい笑顔でろうそくを差し出して
「light」と言った。Oh,God!これが私たちの今日のライフライン
どうすることもできないので作り笑顔のままろうそくを片手に部屋へたどりついた。

とりあえずただの箱となったTVの横にろうそくを立てるとさっき買ったスーパーの買い物袋のかげが何もない壁に大きく照らし出された。



無音。


普段ない環境にこれも面白いなどといいながらろうそくの灯で遊び始めた。
ろうそくの灯は音の高低に反応する。高い声を出すとものすごく長く伸びる。
歌を歌ったりしながらときをやり過ごした。こんな過酷な状況になれていない相方が宿泊先を変更すると言い出した矢先、


電気開通。(自家発電)

噴出す暖かい風、
意味のわからないTV番組。
全ての日本の日常以下の「普通」がありがたかった。
ちょっと硬いベッドも穴の開いたトイレの横に申し訳程度についている寒いシャワーも。

もうそこについているだけでありがとうという感じだった。
まことにアイヤーな体験だった。でも忘れられない思い出とはこのようにして作られるのである。

続く

旅データ:

◆期間:2004年年末 ~ 2005年年始
◆場所:広州、桂林、陽朔、香港
◆費用:10万円ちょっと (個人旅行です)
◆人数:2名


●出発●
ミャンマー、カンボジア、ブルネイで迷って何故かまた中国へ行ってしまった。
ぎりぎりまで旅行を決めなかったので少々お高くなった。
早めに決めていると三分の一くらいでいけたのではないだろうか。
善は急げ、急がばまわれ・・・・・・・・うまの耳に念仏。

真っ暗だった。時間は5時AM。一番早い飛行機で旅立ち、夜遅い便で帰ってくる。
めいっぱいの行程にした。社会人の時間は限られているのである。
朝というより真夜中のような雰囲気のバス停で関空行きのバスを待っていた。


寒い。


今回は中国の南に行くので暖かいだろうとふんで薄着をしていたためだ。
この薄着が大間違いであったことに15時間後くらいに気づくのだが。
ちょっと久しぶりの関空行きのバスは快適ですぐに寝た。
気づいたら朝焼けがまぶしかった。
コンタクトが乾ききっていることに気がついたときには関空にいた。

●出国●
友人に電話をかけるやいなや後ろから現れた。
とりあえずチェックインしようと明らかに南方顔の軍団にまぎれた。
彼らは全てフィリピン行きで中華航空は誰も並んでいなかったことが20分あとでわかった。
友人がおなかがすいたというので1Fへ降りて適度に食べた。
機内食がでるというのに。
結構ぎりぎりに出国したのでいわゆるお買い物などはまったくしなかった。
そういうとうちの会社の研究員のおじさんも今日が出発とかいってたがまさか
あんな広い関空で会うわけがないと思っていたら・・・・会った。
本当に私の特技だ、ばったり会う。
時間もなかったので適当に挨拶をしていざ搭乗口へ。

おーっと見えてきました。国際線なのにちっちゃーい飛行機、
飛行機が小さすぎて普通のぼっていく搭乗口までの道のりが下っていることに友人は爆笑だった。
いきなりテンションあがる。

席に着くやいなや「万が一の際は靴を脱いで・・・」という離陸前の機内放送に
また大笑いしていたかと思うと友人はスイッチが突然OFFになったようで寝ていた。

すぐにお食事タイムがはじまった。
ここで出てきたサンドイッチにマカロニが詰まっていることにまたも友人は笑い転げる。




おいおい、飛ばしすぎだよ。

確かにマカロニははさまんな。
この後何回もでてくる機内食。どれもこれも中華はおいしいのだが
がんばって作ったと思われる日本料理風がどうもおかしい。

●乗り換えー上海●
さておき、あっという間に上海についた。本当に近い。
ここでシンセンへの乗り継ぎ。
シンセン組が集められ(10人ほど)
一旦空港内へ連れて行かれるのだがこれがたいそうだった。
今までも乗りついだことがあったがこんなに監視?保護?されたのは初めてだ。
我らだけ隔離されて係についてずっと団体行動。なんなんだよ。
結局飛行機へ向かうためのバスに乗るときにやっと開放された。
そのバスの中で快調にしゃべっていたら近くにいたおじ様に喋りかけられた。
「関西の方ですか?」(きっと声が大きかったのだろう)「はい、尼崎です」
そうするとそのおじ様も尼崎出身だったので話は大盛り上がり。

シンセンで桂林行き乗換えまで6時間ほどある旨伝えるとシンセンの街まで連れて行ってくれると。
その方はシンセンと上海に会社があって、今回はシンセン支店へ来ていた。
あやしい者ではありませんと名刺をいただいた。
とりあえず座席が離れていたのでまたあとでということになった。
いい人だとは思うのだが疑心暗鬼な私たちはシンセン空港で会うかどうか本当に思案した。

●シンセン空港●
飛行場につくやまた桂林組だけ隔離された。
おかげでおじさんとはぐれたが一応おじさんが知り合いに会うといっていた店に行く決心をした。
行かなければあやしい人と解釈したということになってしまうからだ。
疑心暗鬼なわりに律儀(←自分でいうな)
降機からかなり時間がたっていたが店を見回すとおじ様がいた。
知り合い(中国人)と喋ってた。迷わず声をかけた。
コーヒーでもおごるよといわれて「いえいえ自分で買います」といったとたん、
両替していないことに気がついた。
まるでおごってもらいに登場したようで恥ずかしくなった。
しっかりおごってもらったコーヒーを飲みながらしばしおじ様と喋っていた。
現地で会社を立ち上げ過ごしてきた話は面白かったし、
本当にまじめな方だということがわかって少しでも疑った自分に腹が立った。
私たち乗り継ぎ組は隔離されていたため町まで行くほど時間が残っていなかった。
おじ様は仕事があるので1時間くらい喋ったところでお別れすることになった。
色々なアドバイスと困ったら連絡しなさいという言葉を残して街中へ去っていった。

シンセン空港に残された私たちは空港内を探検することにした。
きれいなのだが「楽しい」空港ではない。見て周ることにも飽きて
ご飯を食べることに。KFCなら英語も通じるだろうと入ったら全然通じない・・・。

なんとか注文して食べ終わったが周りをみまわしていると鳥が食べたくなった。
しかも1個だけ。意を決して注文しにいくとさっき店員を困らせていた
私たちをみていたのだろう、日本人のおじさんがどこからともなくすっと現れて
流暢な中国語で注文してくれた。
一緒に席まできてもらいちょっと話していると
シンセンと南京に会社を持っていてかれこれ5年ほど
こっちで働いてらっしゃる社長さんであることが判明した。
この方も「困ったことがあったら連絡しなさい」と名刺を置いて
去っていった。私は、よほど危なっかしく見えるのだろうか。
次から次へとわいてくるいい人達に幸せをかみしめていると
いつのまにやら搭乗の時間になっていた。

さらにちっちゃい桂林行きの飛行機に乗り込むと
とってもずうずうしい親子が私たちの席に座っていた。
どうやら自分達は申し込むのが遅くて2人はなれた座席になってしまって
一緒に座りたいから貴方は私の母の席に座って頂戴だって。
(聞いてからかわるならわかるが先に座って事後報告というのがすごい)
私たちも友人同士で分かれるんだよ。それはいいわけ?
びっくりした。まぁ、非常識ぶりに唖然としたものの座席などどうでも
よかったのでその娘の母親の席にすわると今度は
台湾人だと思われる3人組が私を挟んで2人と1人に分かれており
とってもかわってほしそう。視線がうるさいから自分からかわりましょうか?
と申し出て当初の席からどんどん離れていった。
恐るべし中国の女よ。
3度目の機内食を食べてうとうとしていたら無事桂林へ着いた。



あー、生きてて良かった。

●桂林空港●
寄ってくるタクシー運転手を振り切って市内行きバスを探す。
バスらしきものが見えたので単語を並べて市内へ行くか聞くとビンゴ。
なんて順調にことが進んでいるのだろうとうれしくなりながらバスに乗り込んだ。
すごいスピードの中国語で説明があったが何一つわからなかった。
どんどん人が降りて行って私たちと西洋人2人組だけが車内に残った。
このバスはどうやら市内にあるバス会社までしか行かないらしいことは
途中で理解できたがわからない振りをしてその西洋人とホテル名を連呼し、
ホテルのまん前まで送ってもらった。ラッキー。外人でよかった。
バスガイドみたいなおねえちゃんは怒って降りてしまい
運転手の気の良さそうなお兄さんが連れて行ってくれた。
ごめんね、お兄さん。

続く。

【中国】 広州-成都-九賽溝(黄龍)は全6回にわけて記載しています。よければ1から順にお読み下さい。


旅データ:

◆期間:2005年7月12日~2005年7月18日
◆場所:主に成都、九賽溝 (中国)
     関空-広州-成都-九賽溝(黄龍)-成都-広州-関空
◆費用:10万円以下 (個人旅行です)
◆人数:2名


★★7月17日★★ 広州-関空 宿泊:我が家 ★
目が覚めるとそこは当然空港だった。顔を洗おうとトイレへ行った、警備員に見つかった。
ものすごくびっくりした警備員はなにやら中国語で話しかけてきたが英語で返すとどっかへいってしまった。
たぶん彼が「不審者発見」の通達をしたのだろう。
再度トイレに行ったときにはたくさんの警備員につかまった。
いったい何をしているんだと。たしかにアライバルは最終便が終わったあと完全に点検をして
人がいない状態になる。何人かの警備員はよくわからなかったが何で人がいるんだと怒られている模様。
全く英語が通じないのでパスポートを取られ何か書き写された。


そこへトイレに行きたくなっという友人がまた漂うように現れたので警備員またびっくり。
「友達、友達」と繰り返すと彼女も連行されそうになったが寝ぼけて勝手にトイレにいってしまった。
私のパスポートが中国のビザやはんこだらけなのがあやしかったのかなかなか開放してくれない。
荷物が気になると何度も繰り返すと女性警官が全部持ってきてくれた。
やっと英語の通じる人がきて逆切れモードで飛行機が遅れて遅くなったからホテルとか探せへんし
ここに泊まったんやんか、何か悪いことでもしました?とまくしたてた。
どうやらむこうも納得したようで4人もの人で我等の荷物を持って
さらにカートにのせて国際線まで連れて行ってくれて一番に手続きなどしてくれた。
しかも握手までしてお見送り。ラッキー。国際線までは遠かったんだよ、しかも荷物重いし。
皆さんも逮捕されたほうが楽ですよ。かなり面白い経験ができた。

空港警備がさっさと送ってくれたから帰りの飛行機は広い2人がけの席をゲットできた。

快適空のたび。帰りの機内食はなかなかおいしかった、ステーキを選んだのだがこれがやわらかくておいしい。



映画も消防士の感動的なのを真剣に見てしまった。
DAVIDと喋っていたおかげで英語が聞きやすかった。この映画、よかったです、
そうこうしているうちに関空へ到着してしまった。ついに夢の期間が終わってしまった。

味気ない関空の入国を抜けて最後の記念撮影。友人と同じバスに乗り込み家路につく。

早速最寄のマツキヨで美白パックとビオレの鼻にはるパックを購入。
帰ったらお手入れと洗濯でもしてさっさと眠ろう。
四川料理がおいしすぎて帰国してから今でも辛いものが食べたくて仕方がない。
なんにでも一味を振りかけている。

・ 中国にはティッシュを大量にもっていきましょう。洋式便座の上にのってしゃがんでいる人が多いようで便座は真っ黒です。またトイレには紙がありません。食器もかなり汚いのでウェットティッシュなどあるとなおよいでしょう。
・ キュウサイコウへは色々な行き方があります。ツアー(中国人用、外人用)、バス、飛行機。バスはあちこちの村に止まりながらいくのでいく行程も楽しいらしいですが私は飛行機で十分だと思います、向こうでも結構バスに乗りますから。今回は飛行機のツアーに入ったのですがかなり自由行動が多く、よかったです。友達もできるし。
中国人の高級ツアー(入場料、ホテル代、飛行機代、食事代全て込み)で2800元だそうです。われらはお兄さんがまげてくれて1900元でした。バスのツアーはかなり安いと思います。

他にも色々お伝えしたいことはあるのですが長くなりすぎるのでこの辺で終わります。

キュウサイコウ、成都などへ行かれる方はご一報ください。
旅日記も結局長くなりましたがこれでもものすごくはしょっているのです。

今回も自分と同行人だけが思い出として楽しめる内容になっていることお詫び申し上げます。



【中国】 広州-成都-九賽溝(黄龍)は全6回にわけて記載しています。よければ1から順にお読み下さい。


旅データ:

◆期間:2005年7月12日~2005年7月18日
◆場所:主に成都、九賽溝 (中国)
     関空-広州-成都-九賽溝(黄龍)-成都-広州-関空
◆費用:10万円以下 (個人旅行です)
◆人数:2名

★★7月16日★★ 九賽溝-成都-広州 宿泊:広州空港 ★

朝ごはんをたべたかったら6時半に集合。
この日も楽しく5時半起床。中国へきてから毎朝早起きだ。
もうあきた蒸しパンとおかゆがまた並んでいた。
んー、私は中国に住めるのだろうか。コンチネンタルがいいーー。
イギリス育ちのDAVIDもさすがにサンドイッチが食べたいとぼやいていた
食べ終わるとすぐパッキングをして集合。
昼の飛行機と聞いていたのに朝一の飛行機で成都へ帰るらしい。
これがお兄さんにお断りした一番の理由なのだが。
このホテルは空港の近くだったのですぐに空港へ辿り着いた。
エナが私たちのパスポートを持って全て手続きをしてくれる(世話になりっぱなし)。

ここでガイドさんとはお別れ。彼女のような明るいガイドで本当によかった。
行きも帰りもわれらの名前が思いっきり間違っていて
(私は名前の漢字が名字に入っていた。どんな名前やねん)審査でパスポートと

名前が違うのでえっという顔をされたが
「わからなーい」という顔をしていると通れた。よかったぁ、外人で。メンバーと飛行機を待つ。

もうお別れかと思うと悲しい。ここで男の子2人組とDAVID&エナと撮影。
またも全員ばらばらの席で座る。
帰りは通路側だったので飛行機からの雄大な景色はあまり見えなかった。
たった40分なので即到着。

ここ成都空港でツアーメンバーたちとはお別れ。
今日、21時の広州行き飛行機に乗るまで時間がたっぷりある。
やさしいエナ&DAVIDが今日一日、つきあってくれるという。
とりあえずエナの家に荷物を置かせてもらうことにした。
(あったばかりの外人を家に招いてくれるのも感動的だ)
家に行くと本当にやさしそうなお父様とお母様が出迎えてくれてた。
あとかわいいポメラニアンが・・・・。人の家で戯れてしまいました・・。



(エナ一家とデイビッド)


出していただいたコーラを遠慮なくいただく。
お父さんは早速写真チェックをしていた。それにしても立派なおうちでした。
(想像はしてたけど)記念撮影などして(お母さんはわざわざ服を着替えてきた・・・)

街へ向かうことにした。やっと普通の成都が・・。
なんせ一日目はVIP待遇すぎてどこにいるのかも街の人はどんな人なのかも一切わからなかった。
エナはいまどき高校生なので彼女がよく買い物をするというストリートへ連れて行ってもらう。
んー、栄えている。早速物色を始める。かわいい顔をしたエナがすごい勢いで値切ってくれる。




妥協のない女だ。もって帰りたいほどかわいい。
次から次へとお土産をゲットしていく。とりあえずランチを食べようということに。
「小吃」という色々食べれるセットのようなものが食べたいと伝えると
「餃子」がおいしいと有名な地元の店に連れて行ってくれるという。
ここが非常に安いくせにおいしくておいしくて。10品以上で15元。
この店を日本に作ってクレーという感じでした。



もちろん食後はコーヒー。コーヒー好きのエナも大賛成。
普通に日本より高いんちゃうかってう高級スタバのような店に入る。
ほっとするなぁ。2人が疲れていると思いここで私たちの買い物が終わるまで待っていてもらうことにした。
とりあえず土産用のお菓子が買いたいというとまたエナが一緒についてきてくれて色々選んでくれた。
この子も気は強いが本当に気の回しようがすばらしい。
こっちがしてほしいと思うことをさっと気がついて全部やってくれる。
おそるべし16歳。スーパーでエナにバイバイを告げて2人で買い物三昧。
その間にコーヒーショップにはエナの彼氏が来ていたらしい。
私たちの買い物時間が長すぎたのか2人は疲れていた。
他にどこか行くか?ときかれて道教の寺である青羊宮に行きたいというと
エナはつい最近おばあちゃんときたとかでちょっと乗り気ではなかったがそこへいくことになった。
(そら10代は寺なんかに興味はないか・・・。おばちゃんは寺好きなんだよ)
みんなでタクシーに乗り込む。
このお寺は非常に色使いなどがかわっているし街中にあるにも係らず
非常に立派でちょっと立ち寄るには最高の場所です。
繁華街からでもタクシーで11元ほどでした。本当に安い。






意外にもDAVIDとエナは真剣にお祈りをしていた。ここが文化の違いか?
私もよくわからないが見よう見まねでところどころでお祈りしておいた。
エナちゃんの機嫌が悪くならないよういいペースでまわりエナのご両親が
行きなさいと伝えた火鍋やさんに行くことに。

再度タクシーに乗り込み現地へむかう。ここはよかった。
お兄さんに連れて行ってもらったところとはまた違った楽しさ。
値段の割りに充実した内容。果物、さまざまな料理、ありえない数の鍋の具、
飲み物(ワインやビールまで!)、デザート全部飲み放題、食べ放題。
激安かに工房といったところか。(かに工房は安い金額でかにが食べ放題になる
我らが大変気に入っている店です)
具材を選ぶのは非常にテンションがあがった。



火鍋も気合のはいった辛さだったがこれがおいしい。
地元民エナが地元感覚で色々とってきてくれる。
彼女はただでさえ辛い火鍋にさらに大量のチリと胡椒を塗りたくって汗ひとつかかず
「おいしい」と食べていた。かわいい顔してすごい。
我等三人は終盤にさしかかるともう辛くないほう(2種類にスープが分かれている)までも
ちょっと辛くなっていて一口食べるたびにすいかやメロンで口を復活させなければならないほどだったのに・・・。
もう無理っていうほど食べに食べて我等の空港へ向かう時間がやってきた。
空港へはエナのお父様が送ってくださるという・・・。
さっきほんのちょっとあっただけなのに。
日本ではありえないですよね。本当に中国の人のおもてなしには恐縮しっぱなしでした。

店の前にお父様到着。出口へ向かうまでの階段でエナが小さい声で「I MISS YOU」といってきたのが
かわいすぎて抱きしめたくなった。あぶないあぶない。
2人にハグハグしてお別れをつげ(かなり悲しかった)お父様と3人で空港へ。
ちょっとだけ英語がわかるお父様が本当にうれしいことを車内で言ってくれた。
私たちは今回の旅で娘があなたたちと出会えて本当によかったと思う。
エナがキュウサイコウから日本人と友達になったと電話してきたときは本当にびっくりした。
DAVIDの両親も彼が日本人たちと出会って色々経験できたことを本当に喜んでいると。

なんていい親なんだ。彼らは今後も素敵な人生を歩んでいくに違いない。
成都の交通はひどくここで運転できたらどこでも運転できるというくらい難しそうだった。
そんな中、お父さんはがんばって色々話してくれた。
こんないい人たちが何であんなに日本を嫌うんだろう。
もちろん日本人が嫌いなのではなく偏った教育によって「日本」という国のあり方が嫌いなんだろうが。
少なくとも数人の人は日本を好きになってくれたかな?
お父さんに感謝をしながら広州行きの飛行機へ。
またも飛行機は遅れていた。広州へついたのは12時をまわっていた。
もとから空港で寝ようと決めていた私たちは人がいないのを見計らって到着(アライバル)内のベンチで
これまた飛行機から拝借した毛布をかぶって寝ていた。
寝転ぶと全く見えない。見つからないまま朝を迎えた。


続く・・・・

【中国】 広州-成都-九賽溝(黄龍)は全6回にわけて記載しています。よければ1から順にお読み下さい。


旅データ:

◆期間:2005年7月12日~2005年7月18日
◆場所:主に成都、九賽溝 (中国)
     関空-広州-成都-九賽溝(黄龍)-成都-広州-関空
◆費用:10万円以下 (個人旅行です)
◆人数:2名


今回も私の記憶用なので私と同行した友人以外は楽しくないと思いますが・・・・以下。


★★7月15日★★ バス移動 黄龍 宿泊:九賽溝空港界隈 ★

朝ごはんの最終が8時。ぎりぎりに行った。おかゆと蒸しパンのようないわゆる
中国の朝ごはん。都会的なエナとDAVIDはコーヒーが飲みたいと中国人らしからぬ
ことを言っていた。気が合う。私もコーヒーとパンが食べたくて仕方なかった。



とはいえ、おなかはすいているので適当に食べてホテルの周りにある土産屋などを
例の2人とぶらぶらしていたらもう出発の時間。

また全員でバスに乗り込み、本日のメイン黄龍へ向かう。



今日はツアーにありがちな土産屋めぐりが組み込まれていた。
3軒まわるという。DAVIDも「僕はこういうのは嫌いだ」と言い切って見向きもしていなかったし
他のメンバーも全員興味がなさそうだったのが大変よかった。

1軒目は石屋(宝石)さん。まぁおもしろかったがさっさと出て外の土産屋とかで
時間を潰したりその周りの景色が素晴らしかったので変な写真をとって遊んでいた。
2軒目は漢方屋。これも全員全く興味がなくさっと終わる。
3軒目はバッファローの肉や九賽溝特有の食べ物が沢山売っている店。
ここで我らは結構買い物をしてしまった。
今思えば高い買い物だったなぁとおもいつつ。
ここは試食しまくれるので皆で食べまくって遊んでいた。ここは楽しかった。





そしてやっとランチ。でもさっきつまみ食いをしすぎてあまりおなかが空いていない。

全員でいつものように円卓につき食事。



ここも普通だった。全員で食卓を囲むのはいいものだなぁ。2日目なので
みんなが同士にみえてきた。もうすぐお別れかと思うと寂しい。
ここでトイレに行こうと思ったら思いっきりドアのないトイレだったので断念した。
あたシャーありゃ無理だ。


(車窓より)

ようやくメインの黄龍に向かう。ここは誰に聞いても九賽溝よりいいよと
いうので非常に楽しみにしていた。ただここは標高4000Mあり高山病になる人が
多い。女の人がバスに「気」とかいた酸素を売りに来た。



みんなで買うかどうか迷ったが一応
2人で1本買うことにした。50元。結局いらなかったが。あれは買わなくていいと思いますよ。
もちろん、途中で倒れている人も沢山いたのでいらないと断言はできませんが。

ワクワクしながら入場した。ゴールまでは2H30Mくらい。結局往復で4時間以上(写真撮ったり
ボーっとする時間も入れて)はかかってると思う。ここはトルコのパムッカレに似ていて九賽溝以上に
不思議な世界。ちょっと違う惑星的な。






ここはかなり異次元です。ただ道が細いのに人を運ぶかごがどけどけと通るのと
夏休みだからか人が多いのでそれが若干うっとうしい。
が、九賽溝同様、空気は澄んでいるし行っても行っても現れる非常に美しい景観
が距離を感じさせません。ただ空気が薄いので体調が悪いとしんどいかもしれません。



黄龍の頭部分はちょっと清里などの山探索に似ている。
そこからは細めの道と階段が続く。
景色と空気がきれいのであまり苦なく進むことができるが体力は温存してきたほうがよさそうだ。

シャッターポイントは数知れず。途中お寺も出てきます。
ほとんど休まず進んでいたのですがおいしそうな饅頭に心を奪われ
6分目くらいでお菓子ブレイクをとりました。この饅頭がおいしいんだ、これ。
またさくさく上ってついにゴール。本当に絶景です。
左手には先ほど通り過ぎたお寺の頭が見えつつ、白い石に囲まれたコバルトブルーの
水と四方の雄大な山々。すごい光景です。何十分でも見とれておける場所です。
やり遂げた感もあいまってちょっと高いテンションで写真をとる。
ボーっと景色を楽しんでいるとDAVIDとエナが見えた。
大声で呼び寄せ、ハイタッチ。ノリノリの写真を取り捲った。
疲れも吹き飛ぶ瞬間だ。

帰りはDAVIDが若者らしく走り降りてしまったのでエナに日本語を教えながら下っていった。
集合時間をわずかにすぎて出口に到着。
そこで待っていたDAVIDと合流して記念撮影をしていたらガイドにはよこいと連れて行かれた。
バスに乗り込むとまた我等4人が最後だった。
残りのメンバーは怒るでもなく笑って出迎えてくれた。
全員揃って山を下る。車中、せっかくかった「気」と書いた酸素を
一切使わなかったのでみんなでそれをかけあったりあほな写真を撮って遊んでいた。
(何歳やねん・・・)



その後はバスの一番後ろで横になって寝ていたらホテルについていた。
黄龍はたどりつくまでの景色も相当、壮大なので寝ないほうがいいです。
(行きはばっちり起きていました)

ホテルにつくととりあえず夕食。
これまたいつもの数種類でてきてみんなで食べる形態だった。
男の子2人組とDAVIDはどうやら高山病になったらしく頭が痛いといっていた。
2人組のうち一人は相当ひどくてすぐに部屋へ行ってしまった。
ご老人はものすごく元気でご飯ももりもり食べていた。
若い男の子のほうがかかりやすいのかな?
このとき、ツアー評価の紙がまわってきてみんな全部いい評価をつけているのに
エナはものすごく厳しい評価をつけていた。本当にはっきりした子だ。
(あとでいい評価になおしてほしいとガイドに書き直させられていたが・・・)
食べ終わった人から順次部屋へ。

私も若干頭が痛かったので今日はすぐに寝ようと思ったが
日本の友人と明日迎えに行くよといっていたお兄さんに何とかきてもらわなくてもいいように
電話をしようと思ったがかけ方がいまいちよくわからないのでエナとDAVIDの部屋へ行って
結局そのままかなり遅くまでその部屋で遊んでしまった。
まず、電話は携帯を貸してくれるとのことで解決。
次にお兄さんはそこまで英語が通じないのでまずDAVIDに英語で事情を説明して
それを北京語でDAVIDがエナに伝え、エナが四川省の言葉でお兄さんに電話してくれるという段取り。
DAVIDは若干18歳にして言葉の裏にある気持ちまでもうまく汲み取ってくれる、
なんだろう、あのしっかりぶり。それをエナに的確に伝える。
いざ、まず自分でかけて御礼をいう。途中からエナに替わり事情説明。
無事、明日はお兄さんに迷惑をかけないですむことになった。
その後から日本語講座が始まった。2人はなんにでも興味深深。
本当に2人の若さと環境がうらやましかった。
DAVIDは既に英語、中国語、スペイン語、フランス語少々がわかる。
彼は日本の漫画やゲームが大好きなので少しだけ日本語を知っている。
役に立つ日本語を教えると2人は大喜び。習った単語を上手に使っていた。
さすが10代!
さらに日本名をつけてくれというのでケンシロウとサクラという名前をつけた。
ついでにエナの彼氏の名前まで考えた。
(実は行きの空港で自分たちのツアーリストに日本人らしい名前を見つけてエナが興味深深だったらしいことを知る。)
大騒ぎして遊んでいるとかなり遅くなったので「おやすみなさい」と日本語で部屋を去った。
2人に人生に我等日本人(しかも倍も歳の違う)が急に登場したことで
少なからず影響を与えることができたらうれしい。2人と遊んでいるうちに私もすっかり元気になった。
いつものようにお風呂に入って心地よく眠った。夏にも関わらず寒かった。
秋以降に行く方は防寒対策を!

続く・・・・・