ブログを続けていると、今までも何度も著名人や身近な人やいろんな方が亡くなったという記事を書いてきました。

長く生きていくってことは、大事な人たちがどんどん少なくなっていくことだと弱気になったりします。

勝手な私の思い出を書きます
正しくないのかもしれませんが。


ホイットニー・ヒューストンという名前をはじめて聞いたのは、当時付き合い始めたばかりの、信用金庫に勤めてた彼女が好きだということで、教えてもらいました

邦題 そよ風の贈り物だったと思います。
22歳の頃だから、まだ1980年代ですね。

1985年に、アフリカ救済のLIVE AIDという音楽イベントがあって、まだ二十歳前にそれを見て、もうとにかく、感動して、何時間もテレビにかじりつきで、ものすごい贅沢なメンバーのライブを見たんですね。

そのイベントのために再結成したバンドや、スペシャルユニットもいっぱいで、今思っても、私の中ではこれを上回る音楽イベントはありません

過去のウッドストックや、その他の大きなイベントも足元にも及ばない、私の中では歴史に残るこのイベントの、後半に、ローリング・ストーンズが生で見れると、うわさがあって、ずっと今か今かと、待ち続けました。

結局、ストーンズ、としての出演は無かったんですが、ヴォーカルの、ミック・ジャガーが黒人女性シンガー、ティナ・ターナーと一緒にステージに上がりました。

そのパフォーマンスも最高で、まだガキだった私が黒人女性シンガーのすごさを知る入り口になったんです。

このライブの少し前には、we are the world がヒットしました。
その中には多くのスーパースターがいましたが、黒人シンガーが多数歌っていました。
ライオネル・リッチー、マイケル・ジャクソン、スティービー・ワンダー、レイ・チャールズ、ディオンヌ・ワーウィック、アル・ジャロウ、ティナ・ターナーにダイアナ・ロスなどです。

この頃から、女性シンガーも聞くようになったんです。
それまでは、女性アイドルは聞きましたが、本格的な洋楽では男性ばかりでした。

たった、25年ほど前ですが、その頃は、まだ南アフリカのアパルトヘイトが普通にあり、ソ連はゴルバチョフがいて、ベルリンの壁とか、チャウシェスク殺されたり、って世界は大混乱で、日本はバブル絶頂期ですね。

オバマが大統領になるとか、ハル・ベリーがオスカー主演女優賞とか、アフリカの黒人女性がミス・ユニバースなんて、想像も出来ない頃です。


私は彼女とホイットニーの曲を聴いて、「ティナ」「ラバンバ」「アンタッチャブル」などの映画を見に行きました。

その後、別れてしまう彼女とは、当時約束していたことがありました。
大阪城ホールのホイットニー・ヒューストン来日コンサートを見に行くということです。

まさか別れると思っていないし、別れた数ヵ月後に、その日はやってきました
携帯電話も無い当時、すでにチケットは渡してあるので、複雑な思いを抱えて、一人会場に行きました。

コンサートが始まっても私の横は空席です。
ふられたんだから、仕方ないですね。
ホイットニーの歌声が私の心を癒してくれました。

コンサート途中に、ある女性が私の隣の、その席に来ました。
もちろん、別れた彼女ではありません。

話しかけて、「貴方は誰なのか?と聞こうかな、でも、コンサート中だし、終わったら聞こう」
と思い、コンサート最後まで無言でステージを見つめていました。

そして、コンサートが終わったら、階段横の端の席に座ってた彼女はすばやくそこを去りました。
あっという間に見失い、結局誰かわかりませんでした。
どうでもよかったんだけど。


後にも先にも女性ソロシンガーのコンサートに行ったのは彼女だけですね。(日本人以外での話しです)
歌は本当にうまかったです。

その頃、シンディ・ローパー、マドンナが絶頂期で、オリビアニュートンジョンとか、デボラ・ハリーとか、たくさん女性シンガーが売れていましたね。

しかし、やっぱり、あのボディーガードの映画でヒットした、I Will Always Love You には誰もかなわない感動がありました。

決して貧困でもなく、恵まれた家庭だった彼女の人生は波乱万丈だったようですね。
全然好きではないですけど、ボビー・ブラウンとか言うやつと、結婚してから大変苦労したようで、また自身もドラッグなどの薬物中毒とかで、最近は何もいいニュースを聞きませんでした。

私は芸能評論家でも、良識ある教育者でもなんでもないから、法を踏み外そうが、借金まみれになろうが、そんなのは一切関係なく、一度でも私を感動させてくれたりした人には敬意を表したいと思います。


一瞬だけでも輝いてみせる人生ですら、普通は成し遂げるなんて、できないんです
私の場合、ひねくれてるかどうか知りませんが、ドラッグで死にかけけたり、警察のお世話になったりという人は、どちらかというと、親近感があります。

彼らも普通の人間なんだ、金が入れば豪遊したり、散財して無一文になったり、ヒット曲ができなくて自暴自棄になったりというのが、私は人間らしくて、親しみを持てるんです。

道を踏み外したことの無い立派な方には理解不能でしょう。

自己破産間近とか言われて、100ドルも持ってないとか、ホイットニーも苦しんだようですね。
でも、歌えばすぐにお金が入ることも知っていたんでしょう。
あんなに長く大きく輝いた人だから、いい頃のイメージしか残らないですね。

芸能界でよくある話ですが、周りで彼女のおかげで散々儲けた連中が何とかできないものかと思います。
わがままで、贅沢三昧だったと思いますが、ニコラス・ケイジが借金で困ってると聞いて、「代わりに俺が払う」って言ってるらしい、ジョニー・デップのような、男前がいなかったんでしょうか?


ファンは皆、今頃、I Will Always Love You を聴いて、アンダ~~~~~~~~~  ってサビの部分で涙流してることでしょう。

私も涙が出ました。
48歳若いです。
私と少ししか変わりません。

そして、いいときの、彼女は大変美しかったです。
すばらしい歌声は、皆が忘れないと思います。

伝説になった、SUPER BOWLでのアメリカ国歌斉唱
アメリカ好きじゃないといいたいけど、この会場にいたら、絶対好きになると思う。
R I P 寂しいです。













最近、キツいことが2つ続いたので、、明るい話題行ってみます。

少し前になりますが、1月のある日、フィリピンのTV局、TV5の大人気番組「WIL TIME BIG TIME」
という番組の生放送を客席で観覧してきたときの話です。

友人のご厚意で、コネを使ってもらい、VIP待遇での楽しい経験ができましたので、ちょっとご紹介します。


マニラ都心より、結構離れた、ケソンシティ ノバリチェスという場所にそのTV5はあります。
始めていくエリアでした。

赤いビルが見えてきました
これがTV5のシンボルマークです。

$タバチンのブログ

当日の一般人ゲーム参加者と一緒に、裏口でしばらく待機していました。
グループごとに踊りの練習したり、とにかくうるさかったです

$タバチンのブログ

多くのファンがいて、自前でおそろいのTシャツ作ったりして見に来ています

$タバチンのブログ

興奮しすぎて死んだら困るので、入場前に40歳以上は血圧検査がありました。
$タバチンのブログ

この待機場所には売店なんかもあるんですけど、トイレ汚いし、きれいな芝生にも平気でゴミ捨てまくっています。
いつものことですけど、こういうマナー最悪です。
$タバチンのブログ

ようやく入場です。
VIP席です。
$タバチンのブログ

本番前には日本と同じように若手芸人から、楽しいトークや番組の段取りの説明がありました。
踊りの練習もさせられます。
フィリピンではいつもそうです。
$タバチンのブログ

2時間半の生放送が始まりました。
何言ってるのかわからないこと多数ですが、大変楽しかったです。
司会のウイリーという人は、何か魅力ありますね、人気があるのはここにいるとすごくよく理解できました。

賛否両論ありますけど、貧しい一般人出演者にお金を配りまくります
まあ、ほかのバラエティも似たような手法ですけど。

生放送中は、あまりカメラ撮影などできないので、少しだけ隙を見て撮影しました。
常にステージには、フィリピン名物のミニスカート美女だらけです。
実物は本当に大変美しい方を良くこんなにそろえたなと、感動しました。

$タバチンのブログ

私が会いたかった3名
左から、シュガー マリエル シャラニ です。
司会のウイリーにも、彼女たちにも、お土産も渡せたし、良かった。

$タバチンのブログ

ちなみに、お土産はフィリピン名物の Happy Cream  Puff 詰め合わせと、 新しい フィリピン名物になるであろう プレミアム フルーツクッキー です。
今さらなんですが、スポンサーの Aki○○さん、Y岸さん、ありがとうございました。

おかげさまで、真正面の特等席だったせいで、もう何度も何度も画面に大きく私たち夫婦が画面に大きく映り、みっともない巨体は、すぐに見つかってしまい、TVを見ている知人から生放送中に多数のテキストが来ました

番組特製ジャンバーももらって、帰りにフロアディレクターと記念写真です。
ウイリーや他の出演者とは写真出来なくて残念でした。

$タバチンのブログ

数年前には何度も行きましたが、今回は初めてのTV5で、
久しぶりのTV観覧、とても楽しかったし、無料だし、妻が非常に喜ぶので、また行きたいと思います









日本のラーメン店の常識はフィリピンと全然違います

例外もありますが、具体的には

まず、カウンターで1人でラーメン食べるフィリピン人は非常に少ないと思います。
安い店ならともかく、フィリピンでは日本食レストランは一部のなんちゃってを除いて、皆高級店ですから、グループでのお客さんが多いですね。

また、日本でおいしいラーメン店の多くは、メニューがシンプルです。
みそ、しお、しょうゆ、何でもありますという店は、まずほとんどが、ダメなラーメン屋または、中華料理店です。

フィリピンのラーメン屋では、ほとんどの店がいろんな味があります。
でもつけ麺は、ほとんどありません。

フィリピンではどんぶりを抱えてスープを飲んだり、音を立てて麺をすするのは普通はしません。
ズズーっと音を立てるのは日本人か、日本文化を知ってる人です。

食券機とか、前払いはありません(ファーストフードなどは前払いです)

日本人ほど早いスピードで食べません
猫舌が多いし、食事はゆっくりします。

ラーメンと一緒にコーラや、甘いアイスティーなどを一緒に注文します
ただし、これは店員が必ず「お飲み物は?」って聞くからです。
「水でいい」と答えたら、けちっぽく見られるからか、みんな甘い飲み物頼んでます。

ところによっては、「Water」といったら、有料のミネラルウォーターを出されたりします。
なのでそこは、「tubig」(フィリピン語で水)といえば、無料の飲料水ですね。

専門店がまだ少なくて、多くのラーメン屋では店名はラーメンでも、寿司や天ぷらを置いている店が多数。

カウンターで10席くらいの小さな店で、メニューは1種類のラーメンしかなくても、すぐに満席になって、入れないお客さんが、外で並んでくれたら道行く人たちが、「あの店、並んでるなあ、今度食べてみよう、きっとおいしいんだよ」
って言うのは日本だけで、

フィリピンでは、お金持ちがそんな店で食事しないし、庶民はそんな店にいけないし、やっと来た人も「外で待ってる人がいるから早く食べよう」なんて誰も思いません。
ゆっくり時間かけて食べるから、回転率など悪いです。
成功する確率は激低です。

そんな状況のフィリピンで、当初私は、横浜しょうゆラーメン1本で勝負しようと思っていました。

今のスポンサーも私のしょうゆラーメンが好きだし、異存は無いかと思ってましたが、今から思えば何も知らなかったですね。


それから時が経ち、私が移住してきてから今までやってるのは新しい味の開発とか、今まで作ったもののグレードアップとか、そんなことばかりです。

最初はいまさらもっとおいしくなんて必要ない、とアホな考えでしたが、今は開発が楽しく、いろんな試作を会社のお金でできるのが幸せだと思っています。

そんな試作を数ヶ月も続けていますから、もちろん結果を出さないといけません
何度も試食会を開いては、いろんな評価を受けてきました。

日本では少数派の、「いろんなメニューがあるけど、おいしいラーメン屋」を目指しています。

でも、ずっと、みそラーメンと、塩ラーメンには自信が持てなくて、今までやってきたしょうゆラーメンが一番自信がありました。


先日、あることがきっかけで、完成したはずの塩ラーメンを「もっとうまくできるかやってくれないか?」という要望を受けました。

過去の私ならカチンと来るところですが、今は違ってて、また塩ラーメンの研究ができる。 です。

その後、確実に前よりもおいしい塩ラーメンができました。

そして、みそラーメンもやり直していろいろと考えました
試作を何度も何度も繰り返してたどり着いたのが今のみそ味です。

しょうゆラーメンよりも自信があります。
こんなおいしいみそラーメンが作れたのはスポンサーのおかげです。
自営だと、毎日に追われるだけで、新たな開発がなかなか出来ませんでした。

つい、楽をして、業務用食品や出来合いの物を使ったりしてしまいます
麺も製麺屋さんにまかせっきりでしたし、餃子も皮は市販だったりです。


そういうのを一切やめて、たどり着いたラーメンです。

早速関係者試食をしましたが、皆が笑顔です。
マジでうまいです。

塩もみそも専門店に負けない時間と努力で、やっと自信が持てる出来になりました。
何でも簡単にはいかないですね。

私の場合、出店が予想に反して時間がかかってしまい、おかげで研究する時間が与えられたのが、結局は幸運でした。

もう、餃子も、ラーメンも、デザートまで、フィリピンでは正直、他ラーメン店には真似できないレベルのものだと思っています。

でも、必ず、おいしい店も増えてきます。
だから、既存の店をライバルに考えていたんでは、ハイレベルな店が日本から来たときに焦ります。

今の私のライバルはフィリピンにはありません。
偉そうに、と怒る方もいるかもしれませんが、ラーメンを研究する時間や、今までの経験値や、手間ひまなどにおいて総合的に負けてないと思うからです。

日本のラーメン店には不況なんか関係の無い名店がたくさんあります。
そのほとんどが、フィリピンには進出しないと思います。
日本で勝ち残ってるんだからフィリピンに行く必要もないと思います。

私は日本の名店が来たときにも勝負できる店を出さないといけません
そう思って毎日やっています。

油ひとつにしても、ラードや、鶏脂は自家製です。
いい塩や酒を使うのは当然ですが、それだけではダメなんです。
やっぱり、丁寧に手間をかけて作ることだと思います。

保存料などは使わないから翌日には使えないものがたくさんあります。

とにかく、今後の結果はわかりませんが、これでダメだったら悔いはない、と思えるようにやっていくつもりです。

昨日の記事では家族間の問題としていろいろと書きましたが、すべてを受け止めようと決めました。

自分にとって、どんなに都合の悪いことが起きても、そのことを、どう受け止めていくか、
それが一番大事だと思います。

自分の都合、自分の損得勘定の物差しを離れて、あるがままに受け止めていく、
つまり、貴重な体験、貴重な反省の機会として受け止められたら、
悪い日がそのままで、好い日に転換するのではないでしょうか? 

おじいちゃんになる前に、フィリピンで一番おいしいラーメン屋にならなければ・・・・












実はプライベートの話なので記事にするか迷っていましたが、どうにもこうにも頭にきて仕方が無いのでここに書いてみます。

フィリピン人のいいかげんさと嘘に嫌気がさしてきて明るいはずの私が苦しんでいます。

私の娘、妻の連れ子ですが、まあ今は私がお父さんなんですが、まだ19歳で、ガキです。
考えなど聞いたらあきれるほど幼いです。

まあ、その娘にも年上彼氏のC君(26歳)がおりまして、やさしいと言うか、性格は悪くないので今ではファミリー公認の彼氏です。

聞くところによると、不幸な家庭環境で、母は幼い頃に亡くなり、父は自分が見ている前で殺されたそうです。

おばあちゃんが今でも生きていて、育ててくれたようです。
生い立ちなどは気にもしませんが、付き合ってから今までいろんなことがあり、彼の尻拭いを妻が何度かしてきました

私が去年の6月にフィリピンに移住してきたら、娘と一緒に私が泊まってるホテルに来てそのままそこで寝泊りしていました。

彼は娘と一緒に、私のお友達の店で働いていました。
気はいいやつで、おしゃべりですが、私はそこでいろんなことを学んで欲しいと思っておりました。

私が今の住まいを借りたら、娘と一緒にそこで暮らし始めました。
妻は娘と暮らしたかったので、余分なのがついてきたけど、妻も娘も4人で暮らしたいというのでやむなく4人暮らしになりました。

その時点でも気に食わないのは、赤の他人のC君が、私に挨拶も何もないことです。
妻と娘が決めたらもう自分は知らん顔して私に礼を言うことも無く、給料から家賃の一部でも電気代でも食費でも一切、妻にも渡さないで、彼は楽しく暮らし始めました。

私も気持ちを切り替えて、いつまでも愚痴ってもしょうがないから、偉そうにいえる身分ではないですが、私のメイドみたいな感じにして、妻の買い物の荷物持ちや、娘と一緒に、部屋の掃除、食後の洗い物、洗濯は妻がするので、最近は車の清掃なども彼がしていました。

給与は払わないけど、冷房完備の部屋無料で、、食費、光熱費、ネットも無料なら、代わって欲しいくらいです。

彼は冷房が寒すぎて、いつも分厚い布団にくるまって寝ています。
それが、また腹立つでしょ。
エアコン消さんかい!! アホか!
何度も言いましたが、直りません。


アホでも何でも娘が選んだのだから、私ができることは多くないけど、少しでもこの男をまともにしようと思い、いろんな話を聞かせてきました。
失敗経験豊富な私ですから、エリート様には無い、愚かな実体験や、あきらめなければ道は開けるかも知れない、継続は力なんだ、と言う話をしてきたつもりです。

でも結局、全然聞いてなかったというか、左から右へものすごい速さで風が通り抜けただけでしたね。「あ、またなんか言うてるわ、意味わからんわ、おっさん、ハイハイその通りです。」 みたいな感じでしょうか


今年の元日に彼は、バイクで事故りました。
ノーヘルで運転して転倒したんです。

顔はあざだらけで、バイクもフロント部分が壊れていました。
心配する妻と娘を尻目に私は怒りました。

ヘルメットは絶対しろと何度も言ってたのにしてなかったからです。
元旦から、この男は縁起悪いし、もうどっか遠くへいけよ、と思いました。

たいした怪我ではないはずですが、10日間も休んで仕事復帰したら、その日にオーナーから説教されて帰ってきました。

怒られたのがプライドが傷ついたらしく、もう働けないと涙を流しています。
「なまけもの」といわれたから、悔しいと。

私は「なまけものだから言われるんだよ、言われないようにしろよ。」
といいましたが、聞いていませんでした。
すぐに娘と退職しました。

私は頭にきました
やつの頭の中には「仕事やめても、ここでタダで寝て食って暮らせる」と言うのがあるからです。

家族抱えて、責任がある人間は「お前はうんこ以下だ!」と言われても辞めるわけには行きません(たぶん)

私も急にやめたりした経験もありますが、それでも相手に迷惑をかけないようにとか、配慮しましたが、この国の安い賃金で働く人にはそんな人はいないようです。
自分のことしか考えていません。

私は仕事しない奴を食わせる気は無いからここから出て行くように、と言いましたが、妻のお助けもあり、「新しい仕事を探してるから、厳しいことばかりを言わないで」という方向になりました。
私は厳しくないんですよ、ほんとに。

その後、どこにも採用されないし、というか、応募にも行かない本物のなまけ者でしたから、もう、別れないのなら、私の手元で働かせるしかないと思い、近所で小さなスペース借りて、屋台でもやらせようと思いました。

妻がオーナーで、厳しくするからまかせて、というので、開業予算や売り上げ予測など詳細な計画を立てるように言いました

私はそんなのがわりと好きだし、得意ですが、「私がやるのではないから、君たちみんなでよく考えて、自主性や計画性を持ってやろう。」
私は先生のような気分でレポートの提出を待っていました。

その後もちろん、計画など何も申請が上がってきません(爆)
ゲームしてるか寝てるだけです。
聞いてみると、「全部段取りしてくれて、そこで仕事始められるようにしてほしい、うまく考えたりはできないので。」

要するに、私に全部段取りしてくれという話でした。
だって、やり方わかんないもーん  
みたいな宇宙級の返答でした。

また頭にきたので、「宇宙に帰れ」ということで、1月下旬に実家の方に帰しました。

めでたし、めでたし

となるはずがありません。
娘は向こうにいるからです。
あばら家暮らしと聞いて妻は心を痛めます。

そして、久しぶりに、この前2人でやってきました。
バイクの修理の仕事が見つかったそうです。

そりゃよかったなと、言うことで一緒にご飯食べて、翌日彼は仕事に行きました
今度こそ、めでたし、めでたし
となるはずでした。




帰ってきたのは娘が話があるとのことだったんです。


いやな予感がしました


「娘が妊娠したみたい。」


・・・・・・・


私は言葉を失い、いろんなことを考えました。


それから2日たち、とても腹が立っていることがあるんです。

張本人の彼氏は私が怒ってると思って姿を見せません

しょうがないから、「怒っていないから一回こっちに来て話をしよう」
と折れたふりして妻に伝言させたら返事がきて、「恥ずかしいから会えない」そうです。


こいつは、ことあるごとに、「恥ずかしい」という言葉を使い、修羅場から真っ先に逃げ出します。
こんな男とはもう会わないでいいから、一切こっちに来ないでくれ

という私の意見に妻は「厳しすぎる」と反対で、昨日から何度も夫婦喧嘩が絶えません
私に意見はシンプルです。

「おめでとう、いい子が生まれるといいね、がんばって」
と言うくらいはするつもりでしたし、
金も無いので私が工面するつもりもありました。

ただし、お願いもされないし、挨拶も報告もなんもないので誰が出すかそんな金

という気持ちです。

わかってるから腹が立つんです。
絶対に金の援助を頼みに来ます
娘が一人で。

奴は今まで絶対自分からは言いません

今回も挨拶もありません
恥ずかしいからです。

しばらくしたら妻に娘がお金を無心します、1000%です。
借金ではありません
返す気など全くありません

借用書にサインしろというと、こちらが悪者みたいなかんじになります

1ペソも渡したくない心境と、生まれてくる子には何の罪も無いので良い環境で生まれて欲しいという思いが重なります。

まだ答えが見つからず悩んでいます
娘だけ帰ってきてここで暮らせといいましたが、彼氏がいやなようです。

そりゃそうです。
娘と一緒にいるからうまい飯も食いにいけるし、金も入るんです。

プライドという言葉を吐く奴に限って、プライドなんてありません
特にフィリピン人はプライドが高いというのは間違いで、謝ったり責任取ったりしないで逃げるだけで、卑怯なんです

言い訳が多いのも卑怯だからです
文化の違いか、欧米人の多くもあやまらないそうですけどね。

本当にプライドが高いなら、何でも自分の責任にして、人のことまで背負い込んで自分でけりをつけたりします。

私は別にプライドが高いとは思いませんし、若いときは逃げることも多かったですが、開き直って逃げずにいたことで助かったこともあります。

自慢にもなりませんが、ヤクザ事務所に一人で交渉に行ったりしたアホな経験もあります。

とにかく、私は彼にそんな難しいことを求めているつもりは全くありません
きちんと挨拶して、今後のことを話し合おうといってるだけです。

それができない奴なのが情けなくて・・・

銀行強盗でもやって娘に大金つかませたりしない限り、金など持っていません
私と妻は孫が生まれるなら喜んで援助もしたいと思ってきましたが、それは勝手な私たちの考えだったんです。

3年前にこの彼氏と最初に会ったときに私は妻にこう言いました
「あいつのドリンクに睡眠薬入れて、寝てる間に息子は切り取って、豊胸手術して、ニューハーフにしよう」
そうすれば別れるしかないと思ったのですが

悔やみます。
思い切って実行するべきでした。

今頃、彼はオカマちゃんでいい給料もらってたかもしれません。
アルバイト修理工、日給300ペソよりはいい暮らししてたと思います。


だが、時すでに遅し。
さあ、どうするかな。













フィリピンには多くの中華系の方が暮らしてるので、旧正月はあちこちで、この kung hei fat choi という文字を見ます
あけましておめでとう、の意味だそうです

中国風に爆竹が鳴り、獅子舞があちこちで踊っていました
私的には、めでたくないこの時期には、ファミリーの誕生日が重なり毎週集まります。

もう、合同でやって欲しいのですけど、特に私の誕生日は祝いなしでお願いしています。

甥っ子の誕生日は、フォートの屋台村で安く済ませました
妻は獅子舞に大喜びでした。
シャッターチャンスがあれば、何でも喜ぶんですけど。
$タバチンのブログ

辰年なので、ドラゴンも舞っていました。
$タバチンのブログ

隣接のサッカーグランドはきれいでいい感じでした。
姪っ子は可愛いのですが、甥っ子はもう大きくなると、うるさいし、頭痛いです。
個人的にたいてい、男の子は幼稚園くらいまでしか、可愛いと思えません。
そんなことは、自分が可愛いと思っている本人には言えませんが
$タバチンのブログ

何もしない予定の私の誕生日には、なぜか私の希望に反して、妻の実家近くのレストランに集合しました(笑)
$タバチンのブログ

まあ、仕方ないと、受け入れて楽しく食事しました。
途中、「サプライズ」とか言って、妻の妹がどこかに行きました。
数分後、予想通り、ケーキが私の目の前に届きました。

全然おいしくないケーキを食べ、そろそろ帰ろうかというと
こんなときだけ、ピンポイントで私のところにウェイターがやってきます。

もちろん、全オゴリで、お会計の中には、途中で持ち込まれた、チョコレートケーキも追加で加算されていました(爆)
確かにサプライズです、罰ゲームのような気分です(爆爆)

さらに、別の日、姪っ子の誕生日にまた集合です。
この子は可愛いので、喜んでお祝いしてあげます。

$タバチンのブログ

「この子は貯金が趣味なの」と信じられない言葉を母親が言うと、フィリピンでまだあんまり見ない新札を全種類見せられました。
言われるままに、はいポーズ
$タバチンのブログ

ウチの娘や彼氏よりも金持ちの6歳児です。
$タバチンのブログ

私が持っている新500ペソ札を差し出すと、「サンキュー ニノン」といって大事に財布にしまっていました。

しかし、味は全然ダメですが、見事な誕生日ケーキです。
こんな腕があるなら、もう少しおいしいの作ってよ。
頼む。絶対できるはずだ。

なぜ、しないんだ?(笑)
画家じゃなくて、シェフなんでしょ?

$タバチンのブログ

世界共通のハッピーバースデイツーユーー を歌い、ローソクを消すのも同じです
私も参加させられます。特等席で。
$タバチンのブログ

2月になり、ようやく誕生日シーズンが終わりました。
大人の誕生日は無しにしてくれないかな。
マジで。

中年のおっさんの誕生日に行くのなんて、時間の無駄もいいとこ。
せめて自分の家族だけで祝ってください。

誕生日が嫌いになりそうです。