ブログを続けていると、今までも何度も著名人や身近な人やいろんな方が亡くなったという記事を書いてきました。
長く生きていくってことは、大事な人たちがどんどん少なくなっていくことだと弱気になったりします。
勝手な私の思い出を書きます
正しくないのかもしれませんが。
ホイットニー・ヒューストンという名前をはじめて聞いたのは、当時付き合い始めたばかりの、信用金庫に勤めてた彼女が好きだということで、教えてもらいました
邦題 そよ風の贈り物だったと思います。
22歳の頃だから、まだ1980年代ですね。
1985年に、アフリカ救済のLIVE AIDという音楽イベントがあって、まだ二十歳前にそれを見て、もうとにかく、感動して、何時間もテレビにかじりつきで、ものすごい贅沢なメンバーのライブを見たんですね。
そのイベントのために再結成したバンドや、スペシャルユニットもいっぱいで、今思っても、私の中ではこれを上回る音楽イベントはありません
過去のウッドストックや、その他の大きなイベントも足元にも及ばない、私の中では歴史に残るこのイベントの、後半に、ローリング・ストーンズが生で見れると、うわさがあって、ずっと今か今かと、待ち続けました。
結局、ストーンズ、としての出演は無かったんですが、ヴォーカルの、ミック・ジャガーが黒人女性シンガー、ティナ・ターナーと一緒にステージに上がりました。
そのパフォーマンスも最高で、まだガキだった私が黒人女性シンガーのすごさを知る入り口になったんです。
このライブの少し前には、we are the world がヒットしました。
その中には多くのスーパースターがいましたが、黒人シンガーが多数歌っていました。
ライオネル・リッチー、マイケル・ジャクソン、スティービー・ワンダー、レイ・チャールズ、ディオンヌ・ワーウィック、アル・ジャロウ、ティナ・ターナーにダイアナ・ロスなどです。
この頃から、女性シンガーも聞くようになったんです。
それまでは、女性アイドルは聞きましたが、本格的な洋楽では男性ばかりでした。
たった、25年ほど前ですが、その頃は、まだ南アフリカのアパルトヘイトが普通にあり、ソ連はゴルバチョフがいて、ベルリンの壁とか、チャウシェスク殺されたり、って世界は大混乱で、日本はバブル絶頂期ですね。
オバマが大統領になるとか、ハル・ベリーがオスカー主演女優賞とか、アフリカの黒人女性がミス・ユニバースなんて、想像も出来ない頃です。
私は彼女とホイットニーの曲を聴いて、「ティナ」「ラバンバ」「アンタッチャブル」などの映画を見に行きました。
その後、別れてしまう彼女とは、当時約束していたことがありました。
大阪城ホールのホイットニー・ヒューストン来日コンサートを見に行くということです。
まさか別れると思っていないし、別れた数ヵ月後に、その日はやってきました
携帯電話も無い当時、すでにチケットは渡してあるので、複雑な思いを抱えて、一人会場に行きました。
コンサートが始まっても私の横は空席です。
ふられたんだから、仕方ないですね。
ホイットニーの歌声が私の心を癒してくれました。
コンサート途中に、ある女性が私の隣の、その席に来ました。
もちろん、別れた彼女ではありません。
話しかけて、「貴方は誰なのか?と聞こうかな、でも、コンサート中だし、終わったら聞こう」
と思い、コンサート最後まで無言でステージを見つめていました。
そして、コンサートが終わったら、階段横の端の席に座ってた彼女はすばやくそこを去りました。
あっという間に見失い、結局誰かわかりませんでした。
どうでもよかったんだけど。
後にも先にも女性ソロシンガーのコンサートに行ったのは彼女だけですね。(日本人以外での話しです)
歌は本当にうまかったです。
その頃、シンディ・ローパー、マドンナが絶頂期で、オリビアニュートンジョンとか、デボラ・ハリーとか、たくさん女性シンガーが売れていましたね。
しかし、やっぱり、あのボディーガードの映画でヒットした、I Will Always Love You には誰もかなわない感動がありました。
決して貧困でもなく、恵まれた家庭だった彼女の人生は波乱万丈だったようですね。
全然好きではないですけど、ボビー・ブラウンとか言うやつと、結婚してから大変苦労したようで、また自身もドラッグなどの薬物中毒とかで、最近は何もいいニュースを聞きませんでした。
私は芸能評論家でも、良識ある教育者でもなんでもないから、法を踏み外そうが、借金まみれになろうが、そんなのは一切関係なく、一度でも私を感動させてくれたりした人には敬意を表したいと思います。
一瞬だけでも輝いてみせる人生ですら、普通は成し遂げるなんて、できないんです
私の場合、ひねくれてるかどうか知りませんが、ドラッグで死にかけけたり、警察のお世話になったりという人は、どちらかというと、親近感があります。
彼らも普通の人間なんだ、金が入れば豪遊したり、散財して無一文になったり、ヒット曲ができなくて自暴自棄になったりというのが、私は人間らしくて、親しみを持てるんです。
道を踏み外したことの無い立派な方には理解不能でしょう。
自己破産間近とか言われて、100ドルも持ってないとか、ホイットニーも苦しんだようですね。
でも、歌えばすぐにお金が入ることも知っていたんでしょう。
あんなに長く大きく輝いた人だから、いい頃のイメージしか残らないですね。
芸能界でよくある話ですが、周りで彼女のおかげで散々儲けた連中が何とかできないものかと思います。
わがままで、贅沢三昧だったと思いますが、ニコラス・ケイジが借金で困ってると聞いて、「代わりに俺が払う」って言ってるらしい、ジョニー・デップのような、男前がいなかったんでしょうか?
ファンは皆、今頃、I Will Always Love You を聴いて、アンダ~~~~~~~~~ ってサビの部分で涙流してることでしょう。
私も涙が出ました。
48歳若いです。
私と少ししか変わりません。
そして、いいときの、彼女は大変美しかったです。
すばらしい歌声は、皆が忘れないと思います。
伝説になった、SUPER BOWLでのアメリカ国歌斉唱
アメリカ好きじゃないといいたいけど、この会場にいたら、絶対好きになると思う。
R I P 寂しいです。
長く生きていくってことは、大事な人たちがどんどん少なくなっていくことだと弱気になったりします。
勝手な私の思い出を書きます
正しくないのかもしれませんが。
ホイットニー・ヒューストンという名前をはじめて聞いたのは、当時付き合い始めたばかりの、信用金庫に勤めてた彼女が好きだということで、教えてもらいました
邦題 そよ風の贈り物だったと思います。
22歳の頃だから、まだ1980年代ですね。
1985年に、アフリカ救済のLIVE AIDという音楽イベントがあって、まだ二十歳前にそれを見て、もうとにかく、感動して、何時間もテレビにかじりつきで、ものすごい贅沢なメンバーのライブを見たんですね。
そのイベントのために再結成したバンドや、スペシャルユニットもいっぱいで、今思っても、私の中ではこれを上回る音楽イベントはありません
過去のウッドストックや、その他の大きなイベントも足元にも及ばない、私の中では歴史に残るこのイベントの、後半に、ローリング・ストーンズが生で見れると、うわさがあって、ずっと今か今かと、待ち続けました。
結局、ストーンズ、としての出演は無かったんですが、ヴォーカルの、ミック・ジャガーが黒人女性シンガー、ティナ・ターナーと一緒にステージに上がりました。
そのパフォーマンスも最高で、まだガキだった私が黒人女性シンガーのすごさを知る入り口になったんです。
このライブの少し前には、we are the world がヒットしました。
その中には多くのスーパースターがいましたが、黒人シンガーが多数歌っていました。
ライオネル・リッチー、マイケル・ジャクソン、スティービー・ワンダー、レイ・チャールズ、ディオンヌ・ワーウィック、アル・ジャロウ、ティナ・ターナーにダイアナ・ロスなどです。
この頃から、女性シンガーも聞くようになったんです。
それまでは、女性アイドルは聞きましたが、本格的な洋楽では男性ばかりでした。
たった、25年ほど前ですが、その頃は、まだ南アフリカのアパルトヘイトが普通にあり、ソ連はゴルバチョフがいて、ベルリンの壁とか、チャウシェスク殺されたり、って世界は大混乱で、日本はバブル絶頂期ですね。
オバマが大統領になるとか、ハル・ベリーがオスカー主演女優賞とか、アフリカの黒人女性がミス・ユニバースなんて、想像も出来ない頃です。
私は彼女とホイットニーの曲を聴いて、「ティナ」「ラバンバ」「アンタッチャブル」などの映画を見に行きました。
その後、別れてしまう彼女とは、当時約束していたことがありました。
大阪城ホールのホイットニー・ヒューストン来日コンサートを見に行くということです。
まさか別れると思っていないし、別れた数ヵ月後に、その日はやってきました
携帯電話も無い当時、すでにチケットは渡してあるので、複雑な思いを抱えて、一人会場に行きました。
コンサートが始まっても私の横は空席です。
ふられたんだから、仕方ないですね。
ホイットニーの歌声が私の心を癒してくれました。
コンサート途中に、ある女性が私の隣の、その席に来ました。
もちろん、別れた彼女ではありません。
話しかけて、「貴方は誰なのか?と聞こうかな、でも、コンサート中だし、終わったら聞こう」
と思い、コンサート最後まで無言でステージを見つめていました。
そして、コンサートが終わったら、階段横の端の席に座ってた彼女はすばやくそこを去りました。
あっという間に見失い、結局誰かわかりませんでした。
どうでもよかったんだけど。
後にも先にも女性ソロシンガーのコンサートに行ったのは彼女だけですね。(日本人以外での話しです)
歌は本当にうまかったです。
その頃、シンディ・ローパー、マドンナが絶頂期で、オリビアニュートンジョンとか、デボラ・ハリーとか、たくさん女性シンガーが売れていましたね。
しかし、やっぱり、あのボディーガードの映画でヒットした、I Will Always Love You には誰もかなわない感動がありました。
決して貧困でもなく、恵まれた家庭だった彼女の人生は波乱万丈だったようですね。
全然好きではないですけど、ボビー・ブラウンとか言うやつと、結婚してから大変苦労したようで、また自身もドラッグなどの薬物中毒とかで、最近は何もいいニュースを聞きませんでした。
私は芸能評論家でも、良識ある教育者でもなんでもないから、法を踏み外そうが、借金まみれになろうが、そんなのは一切関係なく、一度でも私を感動させてくれたりした人には敬意を表したいと思います。
一瞬だけでも輝いてみせる人生ですら、普通は成し遂げるなんて、できないんです
私の場合、ひねくれてるかどうか知りませんが、ドラッグで死にかけけたり、警察のお世話になったりという人は、どちらかというと、親近感があります。
彼らも普通の人間なんだ、金が入れば豪遊したり、散財して無一文になったり、ヒット曲ができなくて自暴自棄になったりというのが、私は人間らしくて、親しみを持てるんです。
道を踏み外したことの無い立派な方には理解不能でしょう。
自己破産間近とか言われて、100ドルも持ってないとか、ホイットニーも苦しんだようですね。
でも、歌えばすぐにお金が入ることも知っていたんでしょう。
あんなに長く大きく輝いた人だから、いい頃のイメージしか残らないですね。
芸能界でよくある話ですが、周りで彼女のおかげで散々儲けた連中が何とかできないものかと思います。
わがままで、贅沢三昧だったと思いますが、ニコラス・ケイジが借金で困ってると聞いて、「代わりに俺が払う」って言ってるらしい、ジョニー・デップのような、男前がいなかったんでしょうか?
ファンは皆、今頃、I Will Always Love You を聴いて、アンダ~~~~~~~~~ ってサビの部分で涙流してることでしょう。
私も涙が出ました。
48歳若いです。
私と少ししか変わりません。
そして、いいときの、彼女は大変美しかったです。
すばらしい歌声は、皆が忘れないと思います。
伝説になった、SUPER BOWLでのアメリカ国歌斉唱
アメリカ好きじゃないといいたいけど、この会場にいたら、絶対好きになると思う。
R I P 寂しいです。