第32回 山岳写真の会「白い峰」写真展
山岳写真の会「白い峰」は、会長の白籏史朗氏を師と仰ぐメンバー達によって1975年に結成され、現在200名の会員を擁する。毎年、会員の作品が各地のフジフォトサロンで巡回展示される。作品には一切の修正や加工が許されないという厳しいルールが課されている。また、マンネリズムを嫌い、常に新しい視点・視座からの創造性が求められる。
奇妙な夢
日頃、見た夢など覚えていないか、すぐに忘れてしまう。しかし、一昨日見た夢ばかりは強く印象に残っている。漁師町にある旅館に団体で泊まっていて夜中にトイレに行くのだが、入ったのが女性用だと気付き動顛する。慌てて出口を開けるとそこもまた女性用なのだ。ますます慌てて出口を開けると、さらにそこも女性用となっていて、どうしても外へ出られない。進退窮まった所で、目が覚めた。体中汗びっしょりだった。
イーグルスのホテルカリフォルニア
軽快なリズムと美しいメロディーで多くの人々の心を捉えた。私はロックがあまり好きではないが、この曲には魅力を感じて来た。
しかし、この曲の歌詞はサッパリ理解できなかった。訳してみても、支離滅裂な言葉の羅列になってしまうのである。そこで、歌詞の意味を探る事は止めて、演奏そのものを楽しむようにして来た。
昨日、偶然にmagictrainと言うハンドルネームの人がこの曲の歌詞の解釈について、長文のブログを発表しているのを知った(http://www.magictrain.biz/wp/?p=2368)。その説明によると歌詞に出てくる単語の幾つもが、表面的な意味と隠語的な意味を併せ持つとの事であった。面白いのはこのブログの多くの人がコメントを寄せ、この曲についてのいろんな解釈が紹介されている事だった。その一つの、ホテルカリフォルニアは精神病棟を意味し、歌詞は分裂症患者の幻想を羅列したものだと言う説が私には最も説得力のある解釈と思われた。
しかし、イーグルスはこの曲の解釈について一切発表していないので、どの説も憶測に過ぎない。ただ音楽として楽しめば良いのではなかろうか。
パソコンの不具合
先週金曜日の夜から、突然パソコンが動かなくなった。5月に買い替えたばかりなのにもう故障かと気分が落ち込んだ。マウスでカーソルを動かしてアイコンの上でクリックしても反応しなくなってしまったのだ。したがってシャットダウンも出来ない。仕方がないので電源を切って強制終了してから起動すると、パソコンがハードディスクを自動診断して異常なしと判定し、ウィンドウズの画面が出る。しかしマウスコントロールは出来ないままだ。
ようやく全快
清水ミチ子の歌う「シャンソン子守唄」
独特の物まねで一世を風靡した清水ミチ子は、歌唱力の素晴らしさでも定評がある。その彼女が歌う「シャンソン子守唄」。孫の子供が曾孫(ひまご)、その子供が玄孫(やしゃご)、その子供が来孫(きしゃご)、その子供が昆孫(こんそん)、その子供が乃孫(じょんそん)、その子供が雲孫(うんそん)だそうだ。玄孫までは知っていたが、その先はこの唄で初めて知った。
第66期囲碁本因坊戦七番勝負第7局
山下本因坊が3連勝した後、羽根挑戦者が3連勝して最終局までもつれ込んだ今期の本因坊戦に今日決着がついた。山下が4.5目勝ちで本因坊を初防衛したのである。
しかし、夕方4時から6時までのBSプレミアムでのレドモンド九段の解説では、羽根挑戦者が圧倒的に優勢だと言う事であった。その後、ネット中継を眺めていたが、羽根の優勢には変わりがないように思えた。ところが、結果は山下の勝ちで、どこ逆転が起こったのか私にはサッパリ分からなかった。
地下2階の市民農園
阪急逆瀬川駅前複合商業ビルのアピア3の地下2階に市民農園が開設されていると聞き、のぞいて来た。広大なスペースに3段の棚を備えた育成台が数多く整然と並べられ、人工照明を浴びせかけながら野菜が水耕栽培されている。市民農園の契約者でないと中に入れず、外部から見えるのはレタスばかりだったが、約20種類の野菜が植えられているとの事だった。病虫害とは無縁の管理された環境下で、レタスが生き生きと育っているのには感心した。
魚料理「伊予路」の閉店
阪急宝塚駅と宝塚大劇場を結ぶ花のみち沿いのセルカの2階にあった「伊予路」が、しばらくお無沙汰している間に閉店してしまった。
美味しい魚料理が食べられ、愛媛と香川の地酒が各種味わえるので好きな店だったのに残念だ。
宝塚市の飲食店の評判は、概して芳しくない。コストの割には美味しくないと言うのが定評となっている。
小出裕章著「原発のウソ」扶桑社新書
2011年6月1日に発行された本書は、どんどん売上部数を増やしているらしい。分かりやすい表現で、原発の原理、放射能の実態、放射能汚染から身を守る方法、未来に持ち越される大量の髙レベル放射性廃棄物の存在が述べられている。いわゆる反原発活動家のような熱っぽい書き方ではなく、冷静にかつ客観的に原発の問題点が解説されている。
海江田経産相も本書を読んでいれば、原発の安全宣言を能天気に発する事はなかっただろうと思われた。
著者の肩書は京都大学原子炉実験所の助教で、1949年生まれである。原子力の平和利用に夢を抱いて研究者としての途を歩むが、その過程で40年前に原子力の危険性に気付かれた。それ以降、伊方原発裁判、人形峠のウラン残土問題、JOC臨界事故なので、放射線被害を受ける住民の側に立って活動して来られたそうだ。長らく日本中のほとんどの人が力原子力推進派だった時代が続き、そのため著者は異端者と扱われて来られたらしい。定年間近で助教と言う肩書が、著者の京都大学内での立場を物語っているように思われる。
本書の中で、私が最も共感を抱いたのは次の文章であった。
〔原子力発電所は「機械」です。機械は必ず壊れます。運転しているのは「人間」です。人間は必ずミスをします。だから「事故は必ず起きるもの」と、常に想定しなくてはいけません。〕
私も現役時代には技術者の端くれであり、いろんな機械、計測機器、コンピュータなどを使って来た。過去を振り返って、一度も故障しない装置など一台もなかったと断言できる。また、私自身何度もミスをした経験を有している。緊張感を保ちながら細心の注意を払っていれば良いのだが、疲れていたり急いでいたりすると信じられないようなミスをしてしまう。ヒューマンエラーを100%防ぐ事など出来る訳がないと思ってしまう。