暇老身辺雑記 -12ページ目

新開店の回転寿司

昨年末に閉店した回転寿司の店が、今年になって新しい名前で開店したので訪れてみた。宝塚市は回転寿司の激戦区なのに、敢えて新装開店したからには何か期待すべきものがあるに違いないと思ったからだ。入る前に見た看板には市場直送と記されているのにも惹かれた。

 店内には3人の寿司職人がいたが、1人は女性なのに違和感をもった。今まで女性の寿司職人に巡り合った経験がなかったからである。取りあえず冷酒を一本頼み、値段表を見ると300ml入りが945円とある。高過ぎるので余程の銘酒かと思ったのだが、手許の届いたのは大手酒造の普通の品だった。

 さて、寿司はどうか。流れている一皿を取り、口に運ぶ。駄目だ、鮮度が悪い。見た目には艶々していたが、水を掛けたり、サラダオイルを塗ったりして見掛けを良くしていたのだろう。あとのどの皿に載った寿司も同様だった。この店も間もなく閉店の憂き目を見るのだろうと思いつつ駐車場に向かう。と、駐車場に入りかけている車の窓を開けて、中年の女性が声を挙げた。『美味しかったあー』との問いかけに、無言のまま両手でバツ印を作って示した。『どう言う風にあかんのー』との重なる問いかけに『鮮度が悪い』と答えた。すると女性は大きく頷き、『ありがとー』の声を残してUターンして走り去った。なるほど、ネットで口コミを調べるよりも店から出て来た客に感想を聞く方が確かな情報が得られるのだなあと感心した次第。

横山秀夫著「64」文芸春秋社刊

 64(ろくよん)とは昭和64年にD県で起こり、未解決のままとなっている少女誘拐殺人事件を指す警察内部での符牒である。身代金を奪われ、少女は死体で見つかると言う最悪の事態となり、県警が捜査本部に多数の警官を配置したものの犯人の検挙に至らぬまま、あと一年で時効を迎えようとしている。

 この小説はその64を経糸にして、警察内部の凄まじい権力闘争の実態、警察広報活動の難しさ、警察官の腐敗と矜持などを緯糸にして構成されている。多少の冗長感はあるものの647ページの力作である。多数の登場人物が、実像のように浮かび上がるのは著者の筆力のなせる技としか言いようがない。また、最後の数十ページの息詰まる追跡劇の過程で、64の真犯人が炙り出されると言うストーリー展開に著者の小説家としての力量を強く感じた次第だ。

年頭から花粉症モドキ

気がつけば、今年ももう6日目だ。相変わらず日が文字通り飛ぶように過ぎて行く。

今年は年頭から大変だった。元旦に、初詣の代わりに六甲に登ろうと思い立ち有馬行のバスに乗った。有馬東口で降り、杖捨橋を経て魚屋道を登る。行き会ったハイカーは約50人、追い抜いて行ったのは3人だった。天候は曇り時々晴れと言った感じで、道路脇には霜柱を沢山見かけたが、凍結は殆どなかった。魚屋道を登り切ったところで、持参したお屠蘇を口にする。ここまでは順調だったが、ここから調子が狂う。暖かい室内で熱燗を飲んで身体を温めようと思っていた一軒茶屋が正月で休業していたのである。冷えたまま4km先のロープウェイの山上駅まで山上周遊道路を歩くが、ほぼ平坦路のため急ぎ足で歩いても身体は少しも暖まらない。そのうち、花粉症のような症状に見舞われクシャミとハナミズが止まらなくなった。この時期に花粉が飛び交っているわけもなく、寒さのせいか、樹々の放つテルペン類のせいなのか。やがて山上駅に着き、待合室のストーブの横に立ってほっとする。しかし、症状は帰宅後もその翌日も治まらなかった。ふと思いついて抗ヒスタミンの錠剤を飲むと、漸く治まった。アレルギーの原因は一体何だったのだろうか、今も不思議でならない。

大晦日

あっと言う間に今年も大晦日。振り返ってみて、多少の起伏はあったものの、概ね好体調を維持できたので、まずまず良い年であった。

今年は何かにつけて、昨年急死した二人の友人に思いを馳せ哀しい気分になる時間が多かったように思われる。自分が高齢になるに従って、こんな思いをすることが多くなるのは当然なのだろう。96歳で他界した母の晩年の『長く生き過ぎたため、同級生もすべていなくなり、町内の親しかった人もみんないなくなった。寂しくてたまらない』と言う言葉が思い出される。

米国のサウス・ダコタ州に住む友人から辛い知らせがあった。奥さんが認知症で24時間介護が必要な状態となり、ヘルパーさんの助けをかりて凌いでいるとの由。その奥さんには1978年にご自宅に招かれた際に出会い、1984年には友人の日本出張に同行された際に拙宅に立ち寄られた。当時置いてあったマッサージ椅子を試してみて大いに気に入られ、日本のテクノロジーへの賛辞を頂いた。1985年にはハイデルベルクでの国際会議の際に再会し、ワインの試飲会にご一緒した。賢婦と言う表現がぴったりの方だったが、そんな病魔に襲われられたとは驚きであり悲しみである。

和田竜著「のぼうの城」小学館文庫

 野村萬斎が主演して映画化されたベストセラー小説。

 城代家老の嫡男ながら、生来の不器用さのために武芸はからきしだめで乗馬さえ出来ない。身体だけは人並外れて大きいが、表情は極端に乏しく歩き方ものそのそしている。そんな様子から領民たちに「のぼう様」と呼ばれる成田長親が主人公である。「のぼう」は「でくのぼう」の略で蔑称とも言うべきネーミングなのだが、当人は「のぼう様」と呼ばれても意に介する風は一切ない。彼の趣味は農作業なのだが、農民たちは彼が手伝うのを敬遠する。彼が植えた苗は全て植え直しが必要となり、彼が踏んだ麦は押し潰されて枯れてしまうためだ。

 頃は16世紀末期、秀吉が天下統一を果たすため、関東の覇者北条家討伐に向かった。北条家の本拠の小田原城を攻め落とす前に、大小百以上の支城を潰す必要がある。支城の一つ武州忍城攻略に向かったのは石田三成率いる二万人、守るのは「のぼう様」を総大将とする5百人。開城を求めて訪れた三成の軍使に、「のぼう様」は『戦いまする』と宣言する。一挙にすり潰そうと襲いかかった三成軍は緒戦に敗退し、巨大な堤を築いての水攻めに転じる。忍城は水没寸前の状態となるが、「のぼう様」が命懸けの奇策で破堤に成功する・・・と言った筋書きである。

 これまでの時代小説にはなかったキャラクターの主人公の登場を新鮮に感じた。寝る間も惜しんで読み続ける程の面白さであった。

タンゴと異種音楽とのフュージョン10.日本製タンゴ


 日本でタンゴのレコードが初めて発売されたのは昭和7年らしいが、それ以降愛好者が激増したようだ。それにつれて、古賀政男や服部良一ら有名作曲家もタンゴを発表するようになった。日本人作曲家の作品はコンチネンタルタンゴに近い。
動画は昭和10年代に歌われていた日本製タンゴ。リズムはタンゴだが、歌の中身は完全に歌謡曲そのものである。

タンゴと異種音楽とのフュージョン9.タンゴ+シャンソン

 タンゴのリズムを採りいれたシャンソンとして最も有名な「 Il pleut sur la route(小雨降る径)」。1935年の作品だが長く演奏され続けている。日本人にも好まれ、金子由香里、菅原洋一、西澤守ら歌っている歌手も多い。

タンゴと異種音楽とのフュージョン8.タンゴ+アラブ音楽

 中東でもタンゴは好まれ、ベールを被って踊る姿もyoutubeにアップロードされている

タンゴと異種音楽とのフュージョン7.タンゴ+ジプシー音楽


 世界を流浪する少数民族のジプシー(ロマ)は、彼らの持つ固有の音楽と行く先々の世界各地の音楽とを融合させて来た。タンゴとのフュージョンも見事である。

タンゴと異種音楽とのフュージョン6.タンゴ+中国音楽

 中国音楽との融合と言うよりも、単にタンゴを中国楽器で演奏しているだけかも知れない。アストル・ピアソラも自分の作品「LIBERTANGO」が「熱情的探戈」と訳され、作曲家名が皮亜左拉と表記されて中国で演奏されるとは思いもしなかった事だろう。