海をみていたい

海をみていたい

日常。思ったこと、メモがわりだったり、テンションあがって発信したかったり、観劇、観戦、鑑賞日記です。
濱田めぐみさん、町田樹さん、パナソニックワイルドナイツ好き、現在連日HIDEKIさんを思い出しています。
趣味は携帯写真。

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当時は何公演か高橋三世次バージョンを観ていたので、他の作品ほど公演中止になった、との印象がないんです。

最初の数回しか公演出来なくて自分の購入していた日にちまでもたなくて中止になってしまった、とか、そもそも幕が開かなかった作品のほうが圧倒的に多かったし、チケットの払い戻しも各々違っていて、払い戻し期限に気づかずにし忘れてしまった残念なものもありました。

その点、浦井さんのファンクラブはファン思いの良心の塊で、此方が手続きしなくても中止になった公演の購入者にそれぞれ現金書留で返金してくださったのには驚きました。

浦井さん以外のチケット返金にはこちら側が言われた通りに手続きをしても全く音沙汰のない制作プロダクションがあったり(今でも返金されたかどうかよくわからない)、返金期限付きのものはこちら側がその日程に気づかずに逃してしまったものもあったからです。

良心的な浦井さんの事務所と浦井さんの芝居に対する一途な真っ直ぐさ、真面目さ、そういうものが携わっている舞台作品にも顕れるんでしょうね、きっと。


今回の再演は大成功なのではないでしょうか。前回よりはるかに面白かったんです。

どぎつい場面をどうみるか、慣れたのかもしれませんが、それだけではない、噛み合った感じ。

時が熟したのかもしれませんし、

欲まみれの気持ち悪さより愚かさが露呈してしまう健ちゃんの三世次はとても良かったし、王次が大貫さんであることから、かつての健ちゃん王次との違いも楽しめたし。

はっきりちがうんです、どちらも正解。けれど、違うことによって、役替りの皆さんとの距離感、アンサンブル的に役者さんたちが何役も演じ分けている変な違和感を今回は感じませんでした。

前回は多少、観客が知らないふりをさせられる?→知らないふりするんだよね私、みたいな作為が感じられて、もともとの落としどころ、そこじゃないよね、ってあったんです。


↓それしても、この上演時間!

共演のふうかちゃんがすっかり大人になっていたのも役に馴染んでいたし、
姉さんたちがただ嫌な欲の塊なだけでない人間臭さみたいなものが滲み出て、再演の良さ、多少変更された配役もスッキリはまっていて、上演時間がかなり長いのにも関わらず飽きませんでした。

そして、
ちょうどこのマチネ回、
アフターイベント付きでした。

とても素晴らしいステージで。
中村梅雀さんのベースに始まり、宮川彬良さん率いるバンドメンバーが公演直後にも関わらずしっかり演奏されていて、


途中、王次:大貫勇輔さんのダンスパフォーマンスで魅せてくれた後、再び大貫さん登場で王次の歌唱で盛り上がり、そこに先ほどまでの醜い三世次のメイクを落とした健ちゃんバージョンのキラキラ王次登場。そして歌う健ちゃん王次はパンクロックな感じでやたらとカッコ良く。健ちゃんはパンクロックがはじまった頃まだ生まれてないんだけれど。



あっ、ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ

だからだ。健ちゃんの記憶のなかに、役柄としてヘドウィグがあるから。ここはメタルマクベスなヘビメタ王次ではないの。

(それにしても劇中の梅沢さんのセリフはまさに作者はクドカン?かと見間違うようなメタルマクベスでした。)

長尺シェイクスピアに続き、ロック🎸コンサートなイベントで盛り上がり、

終わったのが17時過ぎてたかしら。
13時にはじまったんでしたよね!
で、外に出ると日比谷(丸の内)はもうこんな夜景に✨なっていました。

楽しかった🎵


コロナの蔓延で世の中がすっかり変わる前のクリスマス時期と同じ景色でした。

クリスマスのままですが、
明けましておめでとうございます。

いつの間にか年が明けてしまう、そんな現象が加速化しているような。大晦日とか元旦だという自覚はもちろんありますが、流れていく勢いがはやすぎて、自分の行動がついていかない感じで。

ここ数年に限ってですが、年末は28日までと新年は4日からしっかりフルタイムの官公庁の勤務時間だったので、この奇跡の9連休、ひたすらぼーっ、と怠惰に徹しました。

さて、

本日の仕事はじめの帰り道は冷たい雨。

地下鉄出口から地上に上ったら、まるで雪?みぞれかと見間違うようなひらっと落ちてくるものも混じって、急いで家へ。ほんの数分の歩く路なのに防水加工されていない足元は濡れてしまいました。

1月って、雨降るイメージがなかったので、Number_iのクリスマスイブに配信されたライブステージにどしゃ降りに降っていた雨を思い出しました。

会場の真っ正面からじゃないと、あるいは配信された動画じゃなければ気づくことの出来ない舞台美術、効果。

正面からも実際にみてみたかったけれど、

実は配信の翌日のお昼の回(25日)を運良く行けました。

お席は入場してからじゃないと表示されない仕組み。だから想像していたんです。世界フィギュアでさいたまはどの辺りからどのように見えるかわかっているつもりで。全ての競技を観るなら絶対に200レベル、でもジャパンオーブンやアイススケートのショーなら400レベルで天辺から全体を見渡すのも良い。

しかし、Number_iははじめて。

(20年くらい前に参戦したさいたまスーパーアリーナの嵐のコンサートではロングサイドがステージでなぜか前から数列目のアリーナで嵐が何度も目の前に来てくれましたがお目当てがゲストでほんのちょっとだけ登場する山口君だったから嵐にワクワクもキャーもなかったんだけどNumber_iのステージはショートサイドがステージ。その分、観客数が多く入れる、けれどもロングサイドの1/3位が見切れ席になっちゃうんです)だから正面が良いけれどアリーナが当たるはずがない。ならば500?500なら絶対正面だから遠くても演出効果が一番味わえる、なんて考えていたら、

実際はサイドのスタンド(200レベル)のショートサイド寄りの前方(全日本や世界フィギュアだったなら最高にうれしいスケートリンクにも近くてそれでいて全体が見える神席)でした。舞台正面に立たれても斜め脇から見える感じだったり、センターステージに移動されると後ろ姿だったのでステージングのアーティスティックな画像や効果、照明など全く見ることが出来なかったんです。(あ、なんばーあいの人文字?(可愛い)はちょうど正面位の位置でした!)

最初はクリスマスイブの配信はアーカイブなしとのことでしたが後日に再配信してくれたおかげで全体像、というか、実際に"正面から見えていたら"とか"近くで(アップで)観たらならば"を記憶とあわせて観ることが出来て、うれしい数日間でした。

☝️神くんせっかく近くに来てくれたのに、しょうくんも向こう向いたままだったけど割りと近くで撮れてたはずなのに、ミュージカルでもなんでも、撮っても良いタイムにしっかり撮れたことが一度もない私らしく、この場面の前も後も動画ボタン押し間違えたのか失敗してました💦

だから自分の📱ではなく配信やXや動画サイトに多くのうまく撮れている皆さま方の映像を観てます。

やっぱり面白い。

ストーリーがどうのこうのと語るようなものでは無いけれど、登場人物たちが心配して発する言葉や会話のやり取りがなんとも可笑しくて声を出して笑っちゃう。

映画館でツボにハマるコメディのセンスは楽しいし、ミュージカル色もあって、長澤まさみのヘルシンキ、ヘルシンキ

 

 


が意味もなくアタマに残るのも悪くない。

 

長澤まさみはドラマ『エルピス』や舞台『メタルマクベス』でわかるように能ある鷹は爪を隠す役者。

だからこそ、一見ハチャメチャな設定でも違和感なく安心して観ていられるんだと思います。もちろん宮澤エマ、瀬戸康史をはじめ脇役にも舞台で安定した芝居をみせる安心感があって、豪華俳優陣の絶妙なアンサンブルが楽しめます。

 

 

 

 

良い脚本、とっても。

赤堀さんのホンはやっぱり面白いし、テレビに出ている有名人ばかりの即席稽古にも関わらず、見ごたえありました。

共感しまくりの2時間でおすすめ出来ます。

 

この舞台のスケジュールがほとんどマチネ公演ばかりなんですが、仕事休んで良かったです。

 

リアルなこの今の十月感も、

いつまでも夏が終わらないこの感じも、

今日は1日中雨降りで、たまたま涼しくとも劇場内は蒸し暑く、建物から外に出た瞬間の役者陣の夏を体現する暑苦しさも、

熱中症にかかりかける主人公も、

身の回りに蔓延る負の感情を圧し殺して表面上の穏やかに接する時間と、内面のイライラや不満を交互に口走る台詞、言い回し、どれも刺さります。

とにかく市井の現実に生活している各々、私たちがあふれていて、

(といっても自分と重なる人物がいるわけではないんですが、普段その職業の方々に常に大変なのにありがとうございます、って声かけているので、親近感が沸いてしまうんです。)

可笑しいし、辛辣だし、かなりダークに笑えるし、本音が描かれていて。

 

現実の私たちは表面上穏やかに、当たり障りのない言葉を選びながら、

そうしなければ生きていけないから、

そうしなければ職場や所属するコミュニティに居られないから、

そうやって生活しているわけですが、

そんな日常を1日放棄して(もちろん、ちゃんと休みの届けは事前に出していますが)

この舞台を観れたことは大正解でした。

 

楽しいだけでなく、

今の日本の一番の憂いは、問題点は高齢化社会の現実ですよね。

先日も友人宅へ遊びに行ったとき近くのスーパーへ寄ったらお客さんが老人ばかり。若い人が全然居なかったんです。たまたま、うちの周りは小さい子供のいる家族層や若い人たちが多く、そこまで極端になっている現実感がなかったのですが、地域によっては既に高齢者しかいない町、多いのではないでしょうか。

老人の言葉『本当は、早く死にたいんだよ』は、迷惑をかけていることに気付いていないのではなく、それでも生きている肯定感と申し訳なさと、高齢者ばかりの日本の現状に、たぶん若者以外のほとんどの日本人、私たちにこびりついている現実なんだと思います。

 

 
 
秋山さんと赤堀さんのやり取りの上手さがさすがです。寸劇みたいなエピソードなんですが、それぞれ思うところに大事なものを秘めていて、表面ではくだらない痴話喧嘩にしていて、描き方が。
 
安心できる配役で、出演者さんたちのミスキャストがなかったのも良かったです👏
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

ここからは、昨今のプロデュースについての不満です。

今回の舞台とは全く関係ありません。

久しぶりの観劇ブログですが、

観ていないわけではないんです。

このところ、感想が書けないでいるのは、

期待して観に行っても、あれれ?

一体何が言いたいの?とか、

翻訳もの等が多いことから来てると思います。演出家や出演者たちがどんなに工夫したり、頑張っても、今の日本でそれを上演する意味がわからなかったり、根本的に共感しづらいんです。海外では話題になったとか大仰に構えた濃厚な舞台からは、何も伝わらないけれど、精一杯上演することにキャストとスタッフが頑張っていたことだけはわかるんです。だから、なんなの?

そんな上演が昨今、とても多く感じます。

 

こんなにイイ、自国の演劇人がいるのに、なぜ韓国ものをやったり欧米の翻訳ものばかりやるのか、どうしてそんな上演チケットにバカ高いお金を支払わなければならないのか、段々腹が立ってきます。

理解できないんです。

もちろんその中から似ているものや共感できる現象を見つけることもありますが、それぞれの国の習慣や捉え方の違いは頭で理解しようとしても日本で生まれて日本で生活している私には絵空事や遠い現実感のない借物にしかならず、

ファンタジーで楽しむものならばそういう楽しみ方もありますが、

ただ、目の前の役者さんたちがその某国人になろうとして汗水流している姿を眺めているだけ、という気持ち悪い後感が残ります。

制作側が韓国ものに飛び付くのはやめてもらいたいのが正直な気持ちです。

夏休み、

といっても長期の旅行をしたわけではありません。

日頃の疲弊から、ただのんびりする、としてほぼ家に居たのですが、

1日はうっかり平日のマチネにチケットを取ってしまっていた舞台があったのと、その週末はライブ~(七回忌のコンサートには行けなかったので今回は絶対に行きたいとファンクラブに入り直して通しチケットを購入したので)そこに併せて夏休みとしました。

そして、もう1日加えて、ちょこっと旅を。

家の近所にちょうど高速バスのバス停がいくつかあるので、以前はよく上田方面から菅平(夏は大学ラグビーの合宿で練習試合がたくさんあったので)へ出掛けていました。最後に菅平に観に行ったのは稲垣くんが4年生(キャプテン)の時代かなぁ。もう、12年も前?そのあとはフィギュアスケートの全日本選手権で行ったのだけれど、それも10年前、町田くんが引退してしまったあの試合…。

そんな昔ですが、よく出掛けていた気分で、なんとなく長野方面を近くに感じていたんです。

今回、その距離感で長野へ向かってしまいました。実際はそんな昔の感覚より遠かったです(新幹線の倍は時間がかかります。値段は半額くらいだけれど。)

でも、予定を詰めこまずに、のんびりが基本のちょこっと旅。想定通りにいかなくても余裕があります。

高速バスは途中、サービスエリアにもトイレ休憩のため、停まってくれます。

わずかな時間ですが、外のベンチで持参したサンドイッチとコーヒーでお昼をとり、遠くの景色も見ながら。そんなひとときがうれしいです。



長野に着いてからは私鉄に乗り換えたのですが、そこで先日乗った小湊鉄道が人員不足や近年の台風や災害被害で停止したりスムーズに運行できていない実態を知ったのですが、長野電鉄でも人員不足から運行本数を減らしていました。
以前、北海道へ行っていた頃も本数の少なさやかつては隅々まで行き渡っていた鉄道の廃線があまりにも多いこと、ひと昔前の日本のほうが地方も暮らしやすかったはず、と現在の一極集中の弊害を知ることに。それでも各地で細々続けてくれている鉄道会社に感謝です。
そんなこんな、目当ての温泉地まで、車窓に赤く実ったリンゴが艶やかに陽をあびてる様子や大きないががたくさん付いた栗の木が次々現れるし、乗客は外国人家族が多く、インバウンド需要を肌で感じながら日本の美しい景色をあじわえて、本当に楽しかったです。


宿についてからは、のんびり散策。




露天風呂も楽しんで、豪華な夕食も堪能して、翌日は、また電車旅をしながら善光寺へ。

門前の通りの散策も楽しくて

善光寺の周りもお寺さんだらけ。
あと宿坊というのかしら?お料理を出すお寺さんみたいな雰囲気の建物もずらっと。
善光寺の仁王門も見ごたえがあり、阿形像、吽形像どちらも迫力でした。帰りにスマホで撮ったのですが、どれもなぜだか一部だけシャッタースピードが違うようなぼやけかたをしたり、一部だけ全く違う色に写ったり、目で観たものと違う不思議なものが写ってました。

本堂にあがると8人くらいかしら、左右に数人ずつ違う袈裟のお坊さんが並んでお経を唱えてくれていて、金糸の混じった厚い織物の垂れ幕のようなものが上って、奥に配置されている金色の何かが現れるのですが、遠くのものも近くのものもあまりよくみ視えなくなっているので金色の何か、としかわかりません。お経が終わり、ぞろぞろお坊さんが退席されて、此方も順番にお焼香して、はじめてのお戒壇巡りをしました。
真っ暗闇をしずしず、こわごわ、そろそろ廻ることは、不思議な体験でした。自分の前にもあとにも大勢の人がいて、でも真っ暗だから人影さえ見えないんです。さっさっと進んでしまうと、前の方にぶつかってしまい、ごめんなさいって謝ったり、立ち止まってしまうと後ろの方があ、すみませんって、お互いに気遣いながら優しい気持ちになったり、そして、右手を決して壁から離さずに進むのですが、それまでの壁とは違う質感、壁とは全く違うかたちに触れるんです。
あ、あれが極楽の錠前だったんだ、
ってあとから気がつきました。

本堂のお戒壇巡りのチケットで資料館も観れます。


また来たいな、と思いました。

門前の通りも素敵でした。











夏休みはまだ取っていませんが、

温泉好きのちょこっと旅を先週の休日に行ってきました。

 

ぎらぎらの真夏

 

 

 
 

昨今、亜熱帯化が加速していますが、

 

このギラギラ✨☀️✨のもと、短い滞在でしたのに、日焼け止めたっぷり塗ったのに、焼けました。

 

 

 

 

 

以前はラグビーの練習や試合観るついでに、とか、フィギュアスケートを観るのとセットにとか、ミュージカルなどの観劇ついでに小さな旅を楽しんでいましたが

ここまで暑いと、

何々ついでの旅は危険と判断しました。

 

 

 

 

 

とにかく、のんびり。

何々のついでに足を伸ばす体力の自信が全くありません。

 

 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

ここを上れば何処其処へ着く、とわかっていても上りはじめて、あ、息あがりそう、暑すぎて無理、と引き返しましたし、あれもこれも、を封印。

あちこち足を伸ばすことなく、それでも歩く以外にない道もありまして。

 

 
 
 
 

 

 

軽い日程にしたのに、へとへと。近年の運動不足がたたっています。

 

 

 

 

 

本当に最小限の歩きとなりましたが、冷たい緑茶を入れたものと、珈琲を淹れたものと氷を詰めたマグボトル(3本も!重くても無いと困るので💦)が重宝しました。

 
これからは、
一日かけて思う存分に動きまわるより、ちょこっと、数時間だけ歩き回って、あとはのんびり温泉宿、というのが自分のペースかな、って思いました。

 

 

 

 

 

ヴォルテックスとは、英語で渦巻きという意味だそうです。
この映画を観る前も、見たあとも言葉の意味を調べていなかったので、今さら、
そうなんだ、と思います。
このポスターにあるように画面が二分割されたまま映画が始まります。

そして、このポスターのシーンは一度もありません。
たぶんそれぞれが棺に入った時の様子なんだと思いますが、
この映画を観ていて、その棺を美しい花ばなで飾り穏やかに葬送する気持ちになるのには、
とても難しいと思ってしまいました。
映画はまるでドキュメンタリーなんじゃないかと思うくらい、丁寧に描写されています。
人の老い、ボケていく様が身につまされるというか、リアルに刺さってきました。
認知症と心疾患、どちらも誰の身にもじわじわ押し寄せてきそうだし、それでも自分はそうならないと信じたい思いと、現実にはそういう未来もあるわけで。他人事ではないんです。
しっかりとした精神科医であった妻が目の前の息子や夫を誰だか認識できない現実。
それ、えっ、そんな賢そうな人でも(実際には病とそれまでの経歴は全く関係ないわけで)こんなになっちゃうんだ、という息子が味わうショックのような気持ちが観ている自分に落ちてくるし、
作家である夫は、誰の世話にもならないで妻の介護をしたいと願っていて、老老介護の進行形。そして、心疾患で倒れたこともある身。
とにかく無理がある。けれども、そんな現実があちこちありそうで痛いんですよ、とても。
その老夫婦の離れて暮らしている息子には抱えている問題もあって、彼には幼い一人息子がいて、ちゃんと育てたい事情があるにも関わらず、以前薬物依存症になったことから、現実の仕事もそのボランティア的な細々したもので、まずは自分の生活がたいへん。その上に、両親を助けることは難しいことは目に見えてます。両親の現状を知って、行政の助けにすがるべきだと提案するも父親に却下されてしまう。
苦しいのよ、観ていて。
打破できない現実世界が。
だから、今も映画の場面がちらついているのに数ヶ月経っても書けませんでした。
すごい勢いで渦に巻き込まれていくと云うことでしょうか。
役者もうまいし、演出も素晴らしいし、
でも、どう書いたらいいのかわかりません。
素敵だなぁ、と思ったのは、
彼ら夫婦が住んでいたアパートメントが部屋数があって、ごちゃごちゃはしているけれどベランダというか、そのお外に小さなテーブルと椅子を置いていて、そこでの食事シーン。
あ、いいな、このアパートメント、って。
日本との違いは、慎ましくとも部屋の広さとかアパートメントの造りが棲みやすそうで。
それが印象的です。
 
 

『SUNDAY』

母として女性として理想的な完璧な人生を歩んでいると信じて疑わないジョーン。彼女がそのまま疑わずに生きていけばそれはそれでよかったんだと思います。周りの人や子供たちや夫もそれぞれ押し付けられ感に辟易してても、それはそれで何処の家庭でも抱えている日常の不和でもあると思うから。

観るかたの年齢や環境によっても受け止め方が違うと思います。

私が若いときだったら、子供たち側の不満におおいに共感したはず。そうなのよ、母親ってどうしてあんなにも自分の理想を押し付けるの?私は私、貴方じゃないのよ‼️って。あなたの価値観でレールに乗せないでよ!と。

今は充分自分らしく生きてきたと思えるから、主観的ではなく客観的に見えていました、でもちょっとイライラと空虚も感じて。

 

音楽座の客層は明らかに他の劇場と違います。特に男女比。むしろ若い女のこは少なく。老年期にさしかかっている大人、男性の多さとテーマの選び方は関連しているのかもしれません。いわゆるミュージカル向きの物語ではなく小説のような題材。あと、ここがアンバランスなのですが40年位前のミュージカル構成。今なら芝居からそのままの流れで歌い出すところ、ちょっと前奏があって、はい、歌いますよ風な歌い出す感じとか、ダンスシークエンスがあったり。これは劇団四季の創作ものでも時々古臭く感じることがあります。しかしながら、語りたいこと、伝えたいことはメッセージ性が強く、ただ面白いとか楽しいミュージカルの枠を完全に越えているからこその客層なのかもしれません。

場面転換として大きな布?テントのようなそれをダンスをしながら大きく広げてから引くと舞台上の前の場面から次のシーンへ移行する振り付けは効果的です。空気を含んだ空間から椅子やテーブルなどがはけていき、次の登場人物がスタンバイする様子はあざやかです。

『泣かないで』や『地下鉄に乗って』に夢中になっていたあの時代は、もう遠く過ぎ去っています。

きっと、今、最近の音楽座が現実とリンクしているんだと思います。台詞や状況が誰の日常にも思いあたるような身近で、チクッと痛い、そんな世界観が。

素晴らしい歌声に魅了されました。

 

 

 

 

今回はほぼセンターのいちばん後ろの席で、見切れもなく観やすくて良かったです。

やはり見えにくいハズレ席との差は大きいと思いました。

 

 
 


 

 

 

 

 

 

 

期間がわりと短く、いつ行けるか決めかねているうちにFCの申込みは終わっていたし、一般発売もSold Out になっていました。無理かとあきらめていたところお譲りしていただけることになり、ソワレに行ってきました。

 
 
舞台に椅子が並んでいます。あれれ、カムフロム?でも、時代を感じる雰囲気のあるセットなので無味乾燥だったカムフロムの舞台装置とは違い、しっとりした湿気を感じるような。
本編がはじまるまでのプロローグが長めで説明歌詞とフォーメーションのような動きがいつまで続くの、ってなった辺りで本編がはじまりました。
この数年、健ちゃんが新たに取り入れてきた歌いかたがようやく耳にしっくりくるようになっています。昨年でしたっけ、アルバム発売後のコンサートの頃は歌唱法の違和感が強くて、本人が努力されているのがものすごく分かるだけに居たたまれないと云うか、もともと下手ではなかったのに、下手に聴こえてしまってました。だから、もとの自然な歌い方に戻してほしいと思っていましたが、伸ばす歌いかたが浦井健治という楽器に馴染んできた感じです。
常に努力の人だなぁ、👏
いつもながら全力で真摯に舞台と向き合っている姿が見られました。
行って良かったです。

 

 

浦井さんは役柄での長髪姿、よく似合いますよね。
ところで、今回のお話ではポール・ギョームという画商が登場しますが、どちらかというと悪役でした。その名前、なんとなく記憶にあって辿ってみると、浦井健治さんが音声ガイドを担当されたマリーローランサン展(Bunkamura)で観たんです。この物語には登場してこなかったギョームの奥さんの肖像を。ギョームはあの時代のパリの有名な画商で、さらに調べるとモディリアーニとも親しくて、実際に彼がギョームを描いた絵も見つけてしまいました。パリのオランジェ美術館で観たような記憶もあります。
 
モディリアーニが描いたポールギョームの肖像画
~今回の舞台にはこれらの絵は登場しません💦かわりに、裸婦や数多くの女性の顔をコラージュしたモディリアーニの作品が物語のひとつひとつになって、舞台美術として登場しました。とても効果的です。
もちろんこの物語の中ではズボロフスキーと対峙する立場の画商という形が都合がいいのかもしれません。
 
浦井さんのその歌唱法の進歩とズボロフスキー夫人役の福田さんの歌唱力が際立っていました。
宮澤佐江ちゃんは相変わらずなんですが、憎めないんです。なんか、お似合いなんですよね、いつもそう思います。健ちゃんとの共演がもっとあってもいいかも、って。
 
キャスト全員がほぼ、常に舞台上にいる感じで、モディリアーニ役の浦井さんとズボロフスキー役の稲葉さん以外のキャストはその都度アンサンブルとして様々な小さな役を演じます。セットの椅子を動かすのもカムフロム風。けれども百年前のパリ、モンマルトル。感じるテイストは向こうが大きな犠牲の裏でカラッとしたおおらかさが広がったのに対して、此方はじわじわと閉塞感のなか、主要人物たちは(すべて表現されたわけではありませんが歴史上、)若くして亡くなっているんです。
ただ、芸術の世界ってそんな気がするんです。
 
音楽も素敵でした。
舞台上でカフェの専属演奏家たちのようにずっと弾き続けていた彼らにも👏
 

Band

Piano 榊原 大
Violin 川口静華
Violoncello 奥泉貴圭、山崎太陽
 
 
 
 
 
ところで公演タイトルの"奇跡"の意味がよくわかりませんでした。
逆に奇跡が起きてほしかった、ということなのでしょうか?
第一次対戦下、パリ市内が爆撃されブルジョア層が南仏に避難する状況。台詞にもありますが、かつては王室が藝術の庇護者であり、芸術家たちが守られていたのがフランス革命で変わったという皮肉な顛末。世の中は民衆のものになったけれど、金持ちに買ってもらわなければ暮らしにならないわけで。
人々が日常で暮らす町並みに、兵器を落とす感覚。現在も世界各地で起きている出来事。
どうして変わらないでしょうか?どうして殺戮が好きでたまらない人たちがどこかの国の一番偉いところに鎮座しているんでしょうか?
なんで戦争を仕掛けるのか、どうしてその人たちが平気でそうしているのか、全くわかりません。

 

ゴールデンウィーク中の大賑わいな上野でしたが、普段の国立博物館と同じような静けさで鑑賞出来ました。派手な出し物ではないからともいえそうですが、

だからこそやわらかくも深く感銘を受けました。

 

 
 
 
 

 

900年も昔の日常がどんなだったのか。

飢饉や災害、疾病に苦しむ世の中、その生活感を想像しても現実的にわかりません。

追い込められて日々の暮らしが立ち往かない、

文字すら読めない、学びも知らない時代背景、

育ちや環境などによって苦しみ、奪ってでも食べるものがほしいとか、

就きたくない職業とか、選べない不自由さ、

目先のことは明日以降ではなく、今、生きられるかどうか。

そんな多くの民たちが、生きるも地獄死ぬも地獄、自分にも極楽浄土へ行けるのでしょうか、

と、問うたら、

どんな答えが出るのでしょう。

倫理的に考える善悪で云えば、地獄行き。

でも、

苦しんでいる人たちに、

あなたでも、これを唱えたら極楽浄土へ行けますよ、

と教えてもらったら、

救済されたい、と。

 

伝わる法然さんのどっしりとして、柔らかな風貌から頼りにしたい、すがりたい人々の思いがあふれてくるように感じました。

 

特別展 法然と極楽浄土

 

 

特別展「法然と極楽浄土」/【京都会場】2024年10月8日(火)~12月1日(日) 京都国立博物館 平成知新館 (yomiuri.co.jp)

 

 

 

過去の様々な歴史から、より良い世の中へ改善されている、と思いたいのに、こんなにも心持ちがどんよりしているのは、なぜなのか。

生活の便利さなどはるかに進化していたり、全ての人が受けられる教育など本来なら今こそ現世が極楽になっているはず。

ですが、苦しさ、生き辛さ、先の見えない不安など心に抱える重い塊は拭えません。

わたしたちは欲深いんでしょうか。満足が出来ないものなんでしょうか。

答えはでませんが、時が経ても苦しさは無くならないんだと思います。

もちろん日々楽しいことにあふれかえっている瞬間も多々あり、

いま、十分しあわせなのですが。

 

 

昨今の美術展のチケット代金が映画よりも高くなっていて、

買う立場からすると何か付加価値を求めていて。

染五郎さんとお父さんの幸四郎さんが解説音声を務めていたからセット券を事前購入していた、という流れがあります。もともと以前から絵画鑑賞に解説は蛇足だったり勝手な解釈が苦手で不要なんですが、仏教やその時代背景など無神論者の自分には知らないままだと意味が分からない、伝わらないとむしろ解説付きが良いと選択。

音声には修復の専門家のお話も入っていたり、雅楽や沖縄の音楽も入っていて興味深いものでした。

 

 

国宝「綴織當麻曼陀羅」はどんなに目を凝らしても、ほぼ見えません。

事前に知識がなければ通り過ぎてしまうかも。

ただし、なんと表現したらいいのかわかりませんが、この前に立つと、ものすごい迫力があります。圧倒される何かがあるんです。巨大さからくるのか、おそらく色とりどりに完成していた当時のこの織物からじわじわ伝わってくるのか。

そして、この眼で判別出来ないこの巨大な描かれているものをどうにかして観たい、と夢中にさせてくれるのも解説のおかげかと。

 

これを模写したものが全国にも多数あるということで、会場内にもいくつか展示されていますので見えなかったところはこんな感じなのかと答え合わせはできます。

 

 

いよいよ、お迎えが来る早来迎図(国宝「阿弥陀二十五菩薩来迎図」鎌倉時代の制作、京都・知恩院)には雅楽が奏でられている様子が描かれているので、雅びな音楽を耳に鳴らしながら鑑賞しました。

通常は非公開だそうです。その貴重な現物をその修復にあたった絵師さんのコメントも録音されているので音声を聴きながら鑑賞できたことも楽しかったです。

鑑賞している最中の他人の無知なおしゃべりがものすごく嫌いで、耐えられないので音声ガイドのチャンネル番号を再度探したり、何回か再度押したりて録音されている解説や音楽で余計な雑音をイヤホンで遮断する効果もあります。

 

一昨年、比叡山や京都に行ってきたことと、

その前の年は奈良へ、それぞれ仏教美術をめぐってきたこと、

今と繋がっている自分の人生。

ただミュージカル遠征のついでとか、行きたくて旅しただけですが、

歩んできたことと、ふと、リンクします。

 

法然さんが教えを広め始めた頃、世の中では新興宗教だったはずですが、

後の徳川家康が菩提として芝の増上寺に大切に扱ったことから、時代とともに数ある仏教のひとつとして広まっていく様子がわかります。

 

 

東京の国立博物館での開催は終了していますが、

秋には京都、来年は九州での開催があります。京都は地の利で最も多い展示数になるそうです。いいなぁ。

いつでも行ける東京の国立博物館が大好きですが、いつか京都の国立博物館も行ってみたいです。今回はその時期、とても行けそうにありませんが京都の会期は、

前期2024年10月8日(火)~11月4日(月)

後期2024年11月6日(水)~12月1日(火)

だそうです。

 

 

香川県の法然寺にある仏涅槃群像が出張してきた部屋のこの箇所だけはスマホでの撮影が許可されていたので、私も撮ってみました。

厳しい修行をする比叡山とは真逆の南無阿弥陀仏さえ唱えれば、の新興宗教はそれまでの仏教界隈との軋轢を生み、実際に信徒たちの暴挙もあり、念仏の禁止が言い渡されてしまいます。法然上人が75歳で流刑された地が今の四国・香川。その丸亀から讃岐に入ったとされる上人は教えを説いてまわったので、しっかり浸透し、県内各地にゆかりの旧跡があるそうです。