海をみていたい

海をみていたい

日常。思ったこと、メモがわりだったり、テンションあがって発信したかったり、観劇、観戦、鑑賞日記です。
濱田めぐみさん、町田樹さん、パナソニックワイルドナイツ好き、現在連日HIDEKIさんを思い出しています。
趣味は携帯写真。

ヴォルテックスとは、英語で渦巻きという意味だそうです。
この映画を観る前も、見たあとも言葉の意味を調べていなかったので、今さら、
そうなんだ、と思います。
このポスターにあるように画面が二分割されたまま映画が始まります。

そして、このポスターのシーンは一度もありません。
たぶんそれぞれが棺に入った時の様子なんだと思いますが、
この映画を観ていて、その棺を美しい花ばなで飾り穏やかに葬送する気持ちになるのには、
とても難しいと思ってしまいました。
映画はまるでドキュメンタリーなんじゃないかと思うくらい、丁寧に描写されています。
人の老い、ボケていく様が身につまされるというか、リアルに刺さってきました。
認知症と心疾患、どちらも誰の身にもじわじわ押し寄せてきそうだし、それでも自分はそうならないと信じたい思いと、現実にはそういう未来もあるわけで。他人事ではないんです。
しっかりとした精神科医であった妻が目の前の息子や夫を誰だか認識できない現実。
それ、えっ、そんな賢そうな人でも(実際には病とそれまでの経歴は全く関係ないわけで)こんなになっちゃうんだ、という息子が味わうショックのような気持ちが観ている自分に落ちてくるし、
作家である夫は、誰の世話にもならないで妻の介護をしたいと願っていて、老老介護の進行形。そして、心疾患で倒れたこともある身。
とにかく無理がある。けれども、そんな現実があちこちありそうで痛いんですよ、とても。
その老夫婦の離れて暮らしている息子には抱えている問題もあって、彼には幼い一人息子がいて、ちゃんと育てたい事情があるにも関わらず、以前薬物依存症になったことから、現実の仕事もそのボランティア的な細々したもので、まずは自分の生活がたいへん。その上に、両親を助けることは難しいことは目に見えてます。両親の現状を知って、行政の助けにすがるべきだと提案するも父親に却下されてしまう。
苦しいのよ、観ていて。
打破できない現実世界が。
だから、今も映画の場面がちらついているのに数ヶ月経っても書けませんでした。
すごい勢いで渦に巻き込まれていくと云うことでしょうか。
役者もうまいし、演出も素晴らしいし、
でも、どう書いたらいいのかわかりません。
素敵だなぁ、と思ったのは、
彼ら夫婦が住んでいたアパートメントが部屋数があって、ごちゃごちゃはしているけれどベランダというか、そのお外に小さなテーブルと椅子を置いていて、そこでの食事シーン。
あ、いいな、このアパートメント、って。
日本との違いは、慎ましくとも部屋の広さとかアパートメントの造りが棲みやすそうで。
それが印象的です。
 
 

『SUNDAY』

母として女性として理想的な完璧な人生を歩んでいると信じて疑わないジョーン。彼女がそのまま疑わずに生きていけばそれはそれでよかったんだと思います。周りの人や子供たちや夫もそれぞれ押し付けられ感に辟易してても、それはそれで何処の家庭でも抱えている日常の不和でもあると思うから。

観るかたの年齢や環境によっても受け止め方が違うと思います。

私が若いときだったら、子供たち側の不満におおいに共感したはず。そうなのよ、母親ってどうしてあんなにも自分の理想を押し付けるの?私は私、貴方じゃないのよ‼️って。あなたの価値観でレールに乗せないでよ!と。

今は充分自分らしく生きてきたと思えるから、主観的ではなく客観的に見えていました、でもちょっとイライラと空虚も感じて。

 

音楽座の客層は明らかに他の劇場と違います。特に男女比。むしろ若い女のこは少なく。老年期にさしかかっている大人、男性の多さとテーマの選び方は関連しているのかもしれません。いわゆるミュージカル向きの物語ではなく小説のような題材。あと、ここがアンバランスなのですが40年位前のミュージカル構成。今なら芝居からそのままの流れで歌い出すところ、ちょっと前奏があって、はい、歌いますよ風な歌い出す感じとか、ダンスシークエンスがあったり。これは劇団四季の創作ものでも時々古臭く感じることがあります。しかしながら、語りたいこと、伝えたいことはメッセージ性が強く、ただ面白いとか楽しいミュージカルの枠を完全に越えているからこその客層なのかもしれません。

場面転換として大きな布?テントのようなそれをダンスをしながら大きく広げてから引くと舞台上の前の場面から次のシーンへ移行する振り付けは効果的です。空気を含んだ空間から椅子やテーブルなどがはけていき、次の登場人物がスタンバイする様子はあざやかです。

『泣かないで』や『地下鉄に乗って』に夢中になっていたあの時代は、もう遠く過ぎ去っています。

きっと、今、最近の音楽座が現実とリンクしているんだと思います。台詞や状況が誰の日常にも思いあたるような身近で、チクッと痛い、そんな世界観が。

素晴らしい歌声に魅了されました。

 

 

 

 

今回はほぼセンターのいちばん後ろの席で、見切れもなく観やすくて良かったです。

やはり見えにくいハズレ席との差は大きいと思いました。

 

 
 


 

 

 

 

 

 

 

期間がわりと短く、いつ行けるか決めかねているうちにFCの申込みは終わっていたし、一般発売もSold Out になっていました。無理かとあきらめていたところお譲りしていただけることになり、ソワレに行ってきました。

 
 
舞台に椅子が並んでいます。あれれ、カムフロム?でも、時代を感じる雰囲気のあるセットなので無味乾燥だったカムフロムの舞台装置とは違い、しっとりした湿気を感じるような。
本編がはじまるまでのプロローグが長めで説明歌詞とフォーメーションのような動きがいつまで続くの、ってなった辺りで本編がはじまりました。
この数年、健ちゃんが新たに取り入れてきた歌いかたがようやく耳にしっくりくるようになっています。昨年でしたっけ、アルバム発売後のコンサートの頃は歌唱法の違和感が強くて、本人が努力されているのがものすごく分かるだけに居たたまれないと云うか、もともと下手ではなかったのに、下手に聴こえてしまってました。だから、もとの自然な歌い方に戻してほしいと思っていましたが、伸ばす歌いかたが浦井健治という楽器に馴染んできた感じです。
常に努力の人だなぁ、👏
いつもながら全力で真摯に舞台と向き合っている姿が見られました。
行って良かったです。

 

 

浦井さんは役柄での長髪姿、よく似合いますよね。
ところで、今回のお話ではポール・ギョームという画商が登場しますが、どちらかというと悪役でした。その名前、なんとなく記憶にあって辿ってみると、浦井健治さんが音声ガイドを担当されたマリーローランサン展(Bunkamura)で観たんです。この物語には登場してこなかったギョームの奥さんの肖像を。ギョームはあの時代のパリの有名な画商で、さらに調べるとモディリアーニとも親しくて、実際に彼がギョームを描いた絵も見つけてしまいました。パリのオランジェ美術館で観たような記憶もあります。
 
モディリアーニが描いたポールギョームの肖像画
~今回の舞台にはこれらの絵は登場しません💦かわりに、裸婦や数多くの女性の顔をコラージュしたモディリアーニの作品が物語のひとつひとつになって、舞台美術として登場しました。とても効果的です。
もちろんこの物語の中ではズボロフスキーと対峙する立場の画商という形が都合がいいのかもしれません。
 
浦井さんのその歌唱法の進歩とズボロフスキー夫人役の福田さんの歌唱力が際立っていました。
宮澤佐江ちゃんは相変わらずなんですが、憎めないんです。なんか、お似合いなんですよね、いつもそう思います。健ちゃんとの共演がもっとあってもいいかも、って。
 
キャスト全員がほぼ、常に舞台上にいる感じで、モディリアーニ役の浦井さんとズボロフスキー役の稲葉さん以外のキャストはその都度アンサンブルとして様々な小さな役を演じます。セットの椅子を動かすのもカムフロム風。けれども百年前のパリ、モンマルトル。感じるテイストは向こうが大きな犠牲の裏でカラッとしたおおらかさが広がったのに対して、此方はじわじわと閉塞感のなか、主要人物たちは(すべて表現されたわけではありませんが歴史上、)若くして亡くなっているんです。
ただ、芸術の世界ってそんな気がするんです。
 
音楽も素敵でした。
舞台上でカフェの専属演奏家たちのようにずっと弾き続けていた彼らにも👏
 

Band

Piano 榊原 大
Violin 川口静華
Violoncello 奥泉貴圭、山崎太陽
 
 
 
 
 
ところで公演タイトルの"奇跡"の意味がよくわかりませんでした。
逆に奇跡が起きてほしかった、ということなのでしょうか?
第一次対戦下、パリ市内が爆撃されブルジョア層が南仏に避難する状況。台詞にもありますが、かつては王室が藝術の庇護者であり、芸術家たちが守られていたのがフランス革命で変わったという皮肉な顛末。世の中は民衆のものになったけれど、金持ちに買ってもらわなければ暮らしにならないわけで。
人々が日常で暮らす町並みに、兵器を落とす感覚。現在も世界各地で起きている出来事。
どうして変わらないでしょうか?どうして殺戮が好きでたまらない人たちがどこかの国の一番偉いところに鎮座しているんでしょうか?
なんで戦争を仕掛けるのか、どうしてその人たちが平気でそうしているのか、全くわかりません。

 

ゴールデンウィーク中の大賑わいな上野でしたが、普段の国立博物館と同じような静けさで鑑賞出来ました。派手な出し物ではないからともいえそうですが、

だからこそやわらかくも深く感銘を受けました。

 

 
 
 
 

 

900年も昔の日常がどんなだったのか。

飢饉や災害、疾病に苦しむ世の中、その生活感を想像しても現実的にわかりません。

追い込められて日々の暮らしが立ち往かない、

文字すら読めない、学びも知らない時代背景、

育ちや環境などによって苦しみ、奪ってでも食べるものがほしいとか、

就きたくない職業とか、選べない不自由さ、

目先のことは明日以降ではなく、今、生きられるかどうか。

そんな多くの民たちが、生きるも地獄死ぬも地獄、自分にも極楽浄土へ行けるのでしょうか、

と、問うたら、

どんな答えが出るのでしょう。

倫理的に考える善悪で云えば、地獄行き。

でも、

苦しんでいる人たちに、

あなたでも、これを唱えたら極楽浄土へ行けますよ、

と教えてもらったら、

救済されたい、と。

 

伝わる法然さんのどっしりとして、柔らかな風貌から頼りにしたい、すがりたい人々の思いがあふれてくるように感じました。

 

特別展 法然と極楽浄土

 

 

特別展「法然と極楽浄土」/【京都会場】2024年10月8日(火)~12月1日(日) 京都国立博物館 平成知新館 (yomiuri.co.jp)

 

 

 

過去の様々な歴史から、より良い世の中へ改善されている、と思いたいのに、こんなにも心持ちがどんよりしているのは、なぜなのか。

生活の便利さなどはるかに進化していたり、全ての人が受けられる教育など本来なら今こそ現世が極楽になっているはず。

ですが、苦しさ、生き辛さ、先の見えない不安など心に抱える重い塊は拭えません。

わたしたちは欲深いんでしょうか。満足が出来ないものなんでしょうか。

答えはでませんが、時が経ても苦しさは無くならないんだと思います。

もちろん日々楽しいことにあふれかえっている瞬間も多々あり、

いま、十分しあわせなのですが。

 

 

昨今の美術展のチケット代金が映画よりも高くなっていて、

買う立場からすると何か付加価値を求めていて。

染五郎さんとお父さんの幸四郎さんが解説音声を務めていたからセット券を事前購入していた、という流れがあります。もともと以前から絵画鑑賞に解説は蛇足だったり勝手な解釈が苦手で不要なんですが、仏教やその時代背景など無神論者の自分には知らないままだと意味が分からない、伝わらないとむしろ解説付きが良いと選択。

音声には修復の専門家のお話も入っていたり、雅楽や沖縄の音楽も入っていて興味深いものでした。

 

 

国宝「綴織當麻曼陀羅」はどんなに目を凝らしても、ほぼ見えません。

事前に知識がなければ通り過ぎてしまうかも。

ただし、なんと表現したらいいのかわかりませんが、この前に立つと、ものすごい迫力があります。圧倒される何かがあるんです。巨大さからくるのか、おそらく色とりどりに完成していた当時のこの織物からじわじわ伝わってくるのか。

そして、この眼で判別出来ないこの巨大な描かれているものをどうにかして観たい、と夢中にさせてくれるのも解説のおかげかと。

 

これを模写したものが全国にも多数あるということで、会場内にもいくつか展示されていますので見えなかったところはこんな感じなのかと答え合わせはできます。

 

 

いよいよ、お迎えが来る早来迎図(国宝「阿弥陀二十五菩薩来迎図」鎌倉時代の制作、京都・知恩院)には雅楽が奏でられている様子が描かれているので、雅びな音楽を耳に鳴らしながら鑑賞しました。

通常は非公開だそうです。その貴重な現物をその修復にあたった絵師さんのコメントも録音されているので音声を聴きながら鑑賞できたことも楽しかったです。

鑑賞している最中の他人の無知なおしゃべりがものすごく嫌いで、耐えられないので音声ガイドのチャンネル番号を再度探したり、何回か再度押したりて録音されている解説や音楽で余計な雑音をイヤホンで遮断する効果もあります。

 

一昨年、比叡山や京都に行ってきたことと、

その前の年は奈良へ、それぞれ仏教美術をめぐってきたこと、

今と繋がっている自分の人生。

ただミュージカル遠征のついでとか、行きたくて旅しただけですが、

歩んできたことと、ふと、リンクします。

 

法然さんが教えを広め始めた頃、世の中では新興宗教だったはずですが、

後の徳川家康が菩提として芝の増上寺に大切に扱ったことから、時代とともに数ある仏教のひとつとして広まっていく様子がわかります。

 

 

東京の国立博物館での開催は終了していますが、

秋には京都、来年は九州での開催があります。京都は地の利で最も多い展示数になるそうです。いいなぁ。

いつでも行ける東京の国立博物館が大好きですが、いつか京都の国立博物館も行ってみたいです。今回はその時期、とても行けそうにありませんが京都の会期は、

前期2024年10月8日(火)~11月4日(月)

後期2024年11月6日(水)~12月1日(火)

だそうです。

 

 

香川県の法然寺にある仏涅槃群像が出張してきた部屋のこの箇所だけはスマホでの撮影が許可されていたので、私も撮ってみました。

厳しい修行をする比叡山とは真逆の南無阿弥陀仏さえ唱えれば、の新興宗教はそれまでの仏教界隈との軋轢を生み、実際に信徒たちの暴挙もあり、念仏の禁止が言い渡されてしまいます。法然上人が75歳で流刑された地が今の四国・香川。その丸亀から讃岐に入ったとされる上人は教えを説いてまわったので、しっかり浸透し、県内各地にゆかりの旧跡があるそうです。

 

 

 

 

昨夜、また観てきてしまいました。

大原さんはダブルキャストとかトリプルが多くてこれまでほとんどパスしてたので今回は、どうしても観たくなったんです。

きっかけは、マスコミ向け取材動画。その一つにインタビューが始まる前の音声さんのチェック物真似をわざと編集で残してあったのが気になったからなんです。

あっ、この子面白い。って。

なんとなく門脇麦さんのような魅力を一瞬感じて。

あと、昭和顔ですよね、大原さん。

そして、

実際、観てみると

大正解でした。

すずさんの人柄、ぽやーんとしているのに、芯の強さがあったり、ひいているのに、その健気さに嫌みのないまっすぐな様子。クスッと笑えるんです。

りんさん(桜井玲香さん)とすずとの関係性が浮き彫りになる切ない場面や、

すずと同じように、それ以上に辛いはずの義姉さん(音月桂さん)の励ましや、

それぞれの感情の楽曲が凄く感動的でした。

周作さん(海宝直人さん)とすずのやり取りも日生劇場の2階のほぼてっぺんから観ていたのですが細やかで。映画館のシーンでは小指が触れそうで、まだ触れなくて。微笑ましい絶妙な距離感とか。


桜のシーンがなんとも美しく、

儚く。




ちょうどポストカード配布の公演回でしたので記念に。



劇場を出るときブロードウェイみたいに、今観た演目の💿️を購入したくなりました。そのくらい楽曲も良いんです。うちに帰ってからまた聴きたいんです。日本的な耳にやさしいメロディ、懐かしいメロディ、Jポップというよりは歌謡曲かもしれません、昭和の馴染みの旋律なんです。
歌う役者さんたちの感情がほとばしり、あわさったハーモニーが本当に素晴らしくて。
販売していたのはアンジェラ・アキさんの💿️でした。もしかしたらアンジェラ・アキさんの💿️でも歌唱したのはキャストさんたちだったのかな?ジャケットの表面からは分からなかったので購入しませんでした。
もしキャストさんの💿️ではないのなら、ライブ盤がほしいです。是非ともお願いいたします。

今回の子役さんはどちらも明るい雰囲気で現代風な感じがしました。前回のぼくとつなふたりの方が昭和な感じでとてもはまっていましたが、どちらの回も難しい役をしっかり生きていて、レベルが高いです👏(桑原さんは数年前のレミゼの小コゼか小エポで観ていると思うのですがその時より断然上手く、素敵に成長されています)







なんの予備知識もないまま日生劇場へ足を運びました。

なんとなくですが、いつもとは客層が違う気がします。普段のミュージカル層(中高年の女性多数)とは違って多少ですが男性が多いようでしたし、年齢層も若者、中年、老年と幅広く感じました。これはこの原作のせいなんですか?

根強いファン層を感じました。

 

 

 

私がこの作品を観ようと思ったのはまずは海宝直人さん。(舞台を観るまで知らずに海宝さんが主役だと思ってました)

そして、舞台が呉、加えて広島も関わっているらしいという背景からでした。

『呉』に馴染みはありませんが私の記憶にない幼少の頃に1度だけ訪れているそうです。父のお父さんが呉の大きな呉服屋さん出身で、男兄弟が多かったからみんなあちこち婿養子に入ったそうです。その呉から東京へ婿入りされた父のおじさん宅へは小さい頃、何度も遊びに行きました。小さいときに両親を失くしていた父はおじさんちに行くのがとても嬉しそうでした。

私自身の本籍が長い間、ちょうど原爆資料館の建っている敷地の川沿いの船着き場のある辺り(父の実家の問屋があった場所)だったのが広島市ということからこの出し物に興味をひかれたんです。

先日観た地球ゴージャス儚き光のラプソディーでも出てきましたが幼年兵という存在。あの舞台では地雷を積んで敵船に突進するという役目の実という若者が出てきましたが、同じように私の父も飯能辺りの飛行場から突撃するために幼年の特攻兵として全国各地から選ばれ、所沢で英語の勉強などしていたらしいんです。(小学校しか卒業していない父が後年、米国に永住したのはたぶんその影響かと。父から生前、何もきいていなかったことが、こちらから訊こうとしなかったこと、悔やまれます。)

昭和20年の7月頃、広島から父の両親が息子との最期のお別れをしに上京されたらしいのですがそのわずか数週間後にほぼ実家の真上に原爆が落ちて、そして戦争が終わって、結果、父が生き残った現実があるので、その地名や時代を目にすると、引きずられるように足を運んでしまうんです。

 

原作はマンガらしいのですが、

舞台化されたこの作品の音楽的クオリティが高く、すんなりこの世界を描いたミュージカルの世界に浸れました。

このところ逆輸入というか日本人を本場のウエストエンドやブロードウェイの役者で演じられる作品を日本語に翻訳して上演される外国から観た日本人像と日本語がはまらないメロディに無理やり意味を乗せるという二重に分かりにくい現象がありましたが、

日本語台本に合わせて日本人作曲家がJポップに近いメロディに乗せたことにより違和感のない仕上がりになっています。

加えて海宝直人さん(の上手さ)だけが目立つことのない共演者たち、アンサンブルの皆様の歌唱力の高さ、芝居歌のクオリティが高くて素晴らしいんです。

どの方がどの配役か香盤表でもない限り、あの場面のソロは誰とか、あそこでのあの役、とか言い当てられませんが、間違いなく彼らのクオリティの高さがこの作品のレベルの高い仕上がりに繋がっています。

白木美貴子さん、川口竜也さん、加藤潤一さん

飯野めぐみさん、家塚敦子さん、伽藍 琳さん、小林遼介さん

小林諒音さん、鈴木結加里さん、高瀬雄史さん

丹宗立峰さん 中山 昇さん、般若愛実さん、東 倫太朗さん

舩山智香子さん、古川隼大さん、麦嶋真帆さん

(ミュージカルを見慣れているかたなら、この役者さんたちが常に作品を支えていることをご存知と思いますが)

 

この『この世界の片隅に』というミュージカル作品、

文化庁とか後援についたら良いのに、とも感じました。

東京だけでなく地方公演もありますが大阪、御園座、広島でも数日ではなく長期の公演をしてほしいし、なんなら全国各地の学校の観劇行事に入れてほしい位、今、いちばん観てほしい作品です。

 

もともと海宝さん以外の出演者を把握していなかったのですが、コンビ歴が多い昆夏美さんとの場面ではミスサイゴンのキムの陥落場面かと、或いはレミゼのバリケードのエポとマリウスの場面を彷彿させられました。その海外の名作が日本語の日本人の作ったこのミュージカルで遜色なく、むしろわざわざ頭で置き換えることなく、すんなり自然に日本語がメロディになっている、ストレスのないという事実。

とにかくすごいから観てほしいです。

 

昆ちゃん演ずる役名がすずさんで、先日の地球ゴージャスとも被っていて、

なぜだかわかりませんが、今、なんとなく生きている私たちへの強い反戦メッセージが伝わってきます。

 

そしてめちゃくちゃ上手いのが音月桂さん。元々どの作品でも全力な工夫や努力家な一面が伺える美人さんですが、この作品でも抜群に好いんです。最上級に上手い海宝さんと同じ舞台で、若手ナンバーワンクラスの昆ちゃんと同じ空間で存在が光るんです。そしてもうひとりの美人さん、桜井玲香さん。たぶん何かの作品で観たことあるはずなんですが、その時はなんとも思わなかったのに今回、やはりこの物語をダークにしない役柄上難しい存在ですが、観客として、彼女を好意的に感じましたから、上演中の観客の無駄なはてなを引き出すことなく、やさしさに包まれた作品感を醸し出すことに成功しています。

子役さんたちも素晴らしいんです。

特に幼子の晴美を演じる鞆琉那さん、なんとお読みするのでしょうか?彼女が身体が小さいだけで中身はベテランなんじゃないかと思えるくらい表情が上手いんです。

 

ほかのキャストで観ていないので、キャスト違いでどのくらい変わるのか、それとも根底は変わらないのか、それも気になりますが。
東宝さん、
もっとこのオリジナルミュージカルをこの素晴らしいキャスト陣のまま浸透させてください、とお願いしたいです。

 

 

 

むかつきプレーオフなんて廃止しましょうよ。

何年か前にコロナの時でしたっけ?リーグの勝敗だけで優勝を決めたことありましたよね。

そのほうがリアルな勝敗だし、もっと言えば、変なポイントではなく勝ち数と負け数で決めてほしいです。あの変なポイントルールって勝ち数よりもボーナスポイントで順位が上位になる場合もあるので実際に勝つことに意味がなくなるんですよ。あのシステムはプレーオフでリーグ戦での勝敗を覆されるのと同じに思えるんです。納得いきません。

本当に今日は気分が落ち込みました。

ちっとも楽しくありませんでした。

 

もう、今日で翔太さん見納めになるのかと、がっかりでした。

終了間際、ほんのちょっとのラッキー

というか翔太さんの頑張りがフォワード陣のスクラム魂に響いて残れました。

 

まずは残り約50秒の辺りで内田選手登場、

 

 
 

 

続いて拓也選手にかわり弟登場、

 

 

このほんの少しのインターバルで伝達されたはずです。翔太さんからフォワード陣へ。

 

 
ノーサイドまでの最後の29秒
 
ボールを入れて
 
わずか5秒後の判断、
レフリーが手を上げて
翔太さんをたたえるガンター選手
この時点で80分まであと15秒
 

 

最後のプレーでボールを蹴りだしノーサイド。

 

 

しかし、やったーとか勝ったという感触はなく。

ただただ暑かった。。。

選手の皆さんも観客席の皆さんも真夏の日射しに刺されてました。

 

心地良いというより

なんだかなぁ。

 

ちょっと悲しくなってました。

 

プレーオフなんて蛇足みたいなシステムがあるからいけないんです。

大っ嫌いです。気がつきました、このプレーオフシステムが嫌いなんだと。

せっかくリーグ戦を頑張ってきたのに、このプレーオフのせいで水の泡になりかけたんです。さっき。

もし、レフリーの手が上がらなかったら、キヤノンの逆転トライもあったかもしれないし、或いは反対の手があがっていたらペナルティキックで逆転でした。

 

松田選手がマンオブザマッチに選ばれていましたが、はっきり言って田村優選手の活躍の方が目立ってました。

 

 

リーグ戦負けなしなんて何の意味もなくなるんです。プレーオフでたった一回負けたらそれまで勝っていたことの意味が失くなるんです。無駄なただ悔しいシーズンになってしまうんです。

逆にキヤノンにしてみればもともとリーグ最終戦に勝つ必要がなかったんです。ワイルドナイツ最終戦は爪を隠して様子見しておいて、プレーオフで本気を出す作戦は見事に的中していましたもの。

ラストの数分はキヤノンがトライを取り切ろうとしたところで、ほんの少し運がワイルドナイツに味方した感じです。

その運こそ、地道にコツコツやってきた成果かもしれませんが。

 

YouTubeのリーグワン公式ハイライトを観ると、会場では遠くてよくわからなかったプレーが細かくみれるので、落ち着いて観戦できますね。

 

来週のチケットは数日前に購入済みですし、もちろん国立競技場へ行きます。

でも、堀江翔太選手の引退を機に現地観戦は卒業かな。

翔太さんのいないグランドは寂しすぎます。

これまでと同じように観戦するのは無理かと。

堀江選手の気遣いと運動力と頭脳と行動力がずば抜けていて、オフィシャルでも周りでもしっかりとした話が出来て、そのうえで嫌みも余計なことも云わない。こんなに出来た選手って他にいます?スペシャルなんです。代わりがいないんです。

きっと身体は限界を超えているだろうし、健康かと問われたら怪我の繰り返しでボロボロなんだろうと思います。

だから、いままでありがとうございました、と最高の送り出しをしたいですね。

 

 

 

あぁぁ、それにしても本当に気分の悪い試合でした。

本当に最後の試合になってもおかしくない展開だったから。

 

 

 

もう、すっかり忘れていたトップリーグ全勝をしてマイクロソフトカップ(ファイナル)で何もないことにしてしまった三洋電機対サントリー戦を思い出してしまいました。(あの頃はそのあとに日本選手権という同じカードがもう一回あってそこで雪辱出来ましたがサントリーに雪辱!三洋初の日本一― スポニチ Sponichi Annex スポーツ)その次のシーズンでしたっけ?、翔太さんが入部されたのは。

沢木さんはサントリー育ちですからね、同じ作戦だったわけです。

明日の東芝はパナソニックの二の舞にならないように気を付けてくださいませ。

絶対にサントリーに勝ってほしい。

 

 

昨日公開されたこの動画も今日の結果次第ではただただむなしくなってました。

かっこいいつもりで作ったんだと思いますが、まだ『カッコいい』にはなりません。

優勝させてあげたいから、優勝したいから。

 

 

あっ、今日はサントリーの生ビール缶の無料配布を外でやってました。(冷えていないものでお持ち帰りくださいというサンプリング)

 

ちゃんと冷やして飲みました!(軽いアルコールを感じないお味です)
 

 

 

明治座へ行ってきました。

中川大志さんが『歌妖曲』で芝居歌の完成度の高さとその歌唱力を発揮され、作品としても見ごたえのあったあの明治座に再び。

今回も中川くんのお名前が。

ペンラント振っちゃだめですよ(笑)

 
 

 

 

 

でも、それだけでは足を運ぶ理由にはならなかったと思います。

知寿さまもいる!!それが見逃してはならないサインのような気がしたんです。

作者の岸谷五朗さんは知寿さまと、自分にとっては初めて観る佐奈宏紀さんという役者さんでしたが、このふたりをとても重要な配役に作られていました。

この劇団というか母体の地球ゴージャスの定番なんでしょうか?学芸会風場面は顔を見せますが本筋とは離れた笑えないお笑いみたいなエピソードだけで分けられていて、本筋は冒頭から知寿ちゃんと中川大志さんで始まります。

はじめは、知寿さんのおばあさん役に、(そういう役でも)仕方ないか、と思ったのですが、そうではありませんでした。

岸谷さんって、もしかしたら知寿さまのピコマコ観てます?本当は大好きなんじゃないですか劇団四季を?と、そのくらい、知寿様のこの舞台のかかわり方が好いんです。深いんです。浅利先生が根底に持っていたメッセージが、たぶん、岸谷五朗さんは全く意識していないんだと思いますが、私の勝手な感想ですが感じられます。

この『儚き光のラプソディ』の上演がはじまって数分後には中川君が知寿さまの衣装替えを手伝うのですが、その瞬間、知寿様がおばあさんじゃなくてピコだ!って思ったんです。ピコが出てくるわけではなく実際の役柄名はすずさんなのですが、

あとから思い出すと、あちこち夢醒めリスペクトかと思えるテイストを感じました。

もちろん作品も話も違うし夢醒めのクオリティを求めてしまうわけにはいきませんが、

伝わってきたんです。ゆるぎない大切なことが、いま、生きている意味が。

 

 

すずのソロ曲や歌いつないでゆく楽曲でもメインを歌う知寿様がこの物語の道標となっていて胸が熱くなりました。

 

中川大志さんも期待を違わず、更に声量も伸びのある歌声も成長されていらっしゃると感じました。『歌妖曲』のような創作舞台をまた、中川大志で観てみたいです。

お母さまそっくりの美人顔の三浦涼介さんはお初でしたっけ?なんとなくお名前だけは知っている気がするのですが、登場人物の中ではクセのある役柄が似合っていました。風間俊介さんの舞台もはじめてでしたがドラマチックなシーンが印象的。

福君を観るのは『ビッグフィッシュ』初演以来でした。あの時は子役でしたから大人になって歌声とかどうなんだろう?とかありましたが、さすがでした👏ある人とある人を繋ぐポイントでひきこまれます。

そして冒頭に名前をあげた佐奈宏紀さん、力強く高音に余裕も感じられる歌唱ときれいなお顔、こんな逸材がどこに隠れていたの?となります。

客演の保坂知寿さんを含めたこの6人のキャストがバランスよく、魅せてくれた舞台です。

 

 

 

複数のエピソードからいろんな展開があって、その複数の物語が…、

これから観るかたもいらっしゃると思いますのでその先は書きませんが。

『夢から醒めた夢』を他の人が書いたらこんな風になるのかも、と、個人的な見解ですが、そんな風に感じられた舞台でした。

 

 
知寿さんがキャスティングされた理由が
舞台を観れば一目瞭然でした👏
 
過去の少年兵を演じる佐奈浩紀さん
物語のヒントになる鈴木福さん
屈折した有名ジョッキー役の風間俊介さん
 

あと、ジョッキーと共にレースを闘う馬役の役者さん(女性)も良かったです。プログラムなど購入していないのでお名前がわかりません。

 

本当に現実の今、世の中に訴えたいこと。いまあるしあわせのためどうしたらいいか、伝えたいことはこれなんです。

過去の犠牲や苦悩は出演者たちも観ている私たちも本当のその状況に陥ったことはないし、きっと想像以上だと思われますが、日本人として、太平洋戦争で敗戦したからこそ知った復興後の今の"ささやかなしあわせ“を思い出してほしい、それが如何に貴重であるか、強く願ってほしい、政治的に変な方向へ傾きかけている現実の今の日本に待った、をかけるメッセージがありました。

堀江翔太選手の雄姿を観に行きました。

いつ観てもかっこいい。

この方のダメな姿とか嫌なところとか無駄な動きが本当にひとつもなくて、

広い視野と広い心を持ち合わせていて、

たぶんこの御方、邪心というものを持っていないんだと思います。

さわやかで、ラグビー愛にあふれていて、

ラグビーのことしか頭にないラグビー馬鹿でもなく、

他の人が聞いて不快な発言も一切ないし、

誰かの悪口とかも絶対言わないし、

もちろん思うことは多々あるかもしれませんが、そんなクレバーな佇まい、優しさの塊。

そして、逆境に立ち向かう精神。絶対あきらめない行動力。

みなさま、堀江翔太選手を嫌いな人なんかいないのではないでしょうか。

 

全員堀江Tシャツを着て、まるで優勝パレードのような場内一周。Tシャツの代わりに内田ヘアバンド?も着用の選手、スタッフ総勢。

 

(したのtweetX)堀江選手、内田選手

 

 

 

 

うえの(tweetX)

左画像:今季で引退する内田選手の挨拶、堀江Tシャツ着用のロビーディーンズ監督と贈られた花束を持つ堀江選手 

右画像:挨拶する坂手キャプテンと、堀江Tシャツ着用する稲垣選手

 

 

 

 

 

 

たくさん貼れないようで、リンク先をクリックしていただかないと観れませんが、

 

堀江選手の場内での挨拶は↓をクリックして右上動画をご覧くださいませ

https://x.com/tFGXSZlVbz53338/status/1784170642352533679?t=6gyBc8n7AJL8l_LVaYEewg&s=09

 

そんな大好きな翔太さんのホームゲームラスト、

行かないわけにはいきません。

にもかかわらず、あまり触手の動かないゲームと感じていたのですが、

 おそらく今節の注目は秩父宮での府中ダービーの再戦。

でも、東芝が勝つはず、と東京スタジアム(味スタ)で観戦した感触から思っていたので、熊谷ラグビー場を選ぶ一択しかありません。

なぜだか事前に相模原と勘違いしていたのですが対戦相手は近鉄ライナーズでした。

 

近鉄ライナーズはいろいろ因縁があります。

真っ先に思い出すのは群馬の会場でトンプソンから受けたブラウニーさんの大怪我。

あの時ものすごく痛がっていたのに最後まで試合に出続け、走り続け、救急車も拒否していたブラウニーさん。

結局、内臓破裂という命に関わる大事故だったのに、あの当時は今と違い、ボランティアレフリーに頼っていた前時代の日本のラグビー界でしたから試合中も危険なタックルというペナルティ等の何のお咎めもありませんでした。

あの頃も、今でもそうですが、トニー・ブラウンこそ日本のラグビーを確実に変えてくれた神様だし、エディジョーンズが日本を強くしたなんてマスゴミは言っていますが、ブラウニーさんこそ世界でも戦える選手を、野武士をワイルドナイツでこつこつと育ててくれた大恩人なんです。

もちろんその試合に堀江翔太さんはエイトで途中出場していました。

翔太さんはそれまでの選手と違い、龍舞のグランドにはじめて姿を現した瞬間からも違ってました。

コーチとかチームメイトに従うだけの、ありがちな学生気分は全くなく、

たしか留学先で苦労していた時に、やはり三洋電機ワイルドナイツから短期留学していた入江選手に誘われたんでしたっけ?(記憶間違ってたらごめんなさい)

常に細やかな気配りと、チームに自然と溶け込むやわらかい姿勢に包まれていて。そんな夏の終わりの竜舞グランドで練習している選手たちより注目してしまったのを覚えています。

三洋電機の練習着を着ているわけでもなく、私服でグランドサイドに登場したこの人、だれだろう?なんでこんなに雰囲気がいいんだろう?と。

それが後日、チームから発表された新加入・堀江翔太 選手でした。

あの頃のシーズン、全国、とにかく近くに駅もない、路線バスもない、徒歩一時間以上もする不便な辺鄙な会場へ、現在と違ってトップリーグというラグビーは完全にマイナー状態で、臨時バスという開催地側の発想もありませんでした。空港からタクシーしか移動手段のない陸の孤島状態の試合会場も多々ありました。

そんな各地へほぼ全試合、観に行ってましたから、選手たちの試合前のアップとかコンディションとか目に焼き付いています。だから、ちょっとでも違う何かに目ざとくもなっていたようです。

 

話は戻りますが、トニーブラウン選手が浸透させたプレーはブラウニーさんが入院中もちゃんと受け継がれて、同ポジションに入った入江選手の活躍もまざまざと思い出します。

その戦術を受け継いで、そして大御所ロビーディーンズさんを呼び寄せたことで現在も日本代表選手がワイルドナイツから選出されているわけなんです。

世界のあこがれのロビーディーンズさんがどんなに素晴らしい知将かご自分も南半球へ勉強に行った直後、網走で熱く語ってくれたのがその当時のキャプテンJP(榎本淳平)さん。

いろいろラグビーについて知らないことを選手の皆さんも当時、数少ないファンに教えてくれました。

 

そして近鉄といえば、稲垣君がトップリーグ初出場を果たした金鳥スタジアムでも近鉄ライナーズは粘ってました。その試合後、がっきーにおめでとうを言いたくて待っていたのですが、傷だらけで初々しいがっきーが恥ずかしそうに小声でありがとうございます、と言っていた姿も忘れられません。いまや、翔太さんに並ぶ人格者で素晴らしい選手であることが嬉しいです。

彼はちょうどタイミングの悪い不遇な大学ラグビーで頑張ってきていたので、釜利谷や菅平(色々な事が重なって、ほとんど中止になった大学時代の合宿でしたが、たしか彼が最後の4年生の時だけちゃんとありました)や近郊の試合会場へも出かけて見学していました。キャプテンとして後輩たちからも慕われていたり、負けてしまった悔しい涙の場面も見てしまった稲垣啓太選手がワイルドナイツに入ってくれたのは必然だったし、大きな喜びでもありました。

 

 

 
 

 

 

 

 

 

 

 

一昨日は到着まで焦ってドタバタしていまいましたが

暑くて、曇り空なのに陽射しも強くて、

日焼け止めを塗り忘れたデコルテは赤く黒く焼けてしまいました💦

でも、最高のホスピタリティに感動した熊谷ラグビー場でした。

 

 
 

 

おまけ画

ホームラストゲームの入退場(かなり遠いですが)

 

 

 

 

上空のヘリコプター

 

 

 

最初の山沢拓也選手のゴールキック

 

 

 

ロビーディーンズ監督からのサプライズ

 

次の秩父宮ラグビー場、ラストの国立競技場、そしてご褒美のバーバリアンズは📺️中継してくれないかな🙏

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『滅相も無い』は舞台感があって、

というか芝居の部分はスタジオ撮影なのに舞台セットを出演者たちが動かしながら場面転換していくので、その感覚が舞台を撮影しているような雰囲気と物語のSFテイストが絡み合って、気になります。この先どうなるの?早く次週を観たい、と思わせてくれるテレビドラマ。

突然、町中に現れたな巨大な穴。ナレーションでは「穴」と表現していますが見た目は穴というより不気味なゴジラとかゴツゴツした皮膚感の気持ち悪い代物。しかも特撮風の映像とヘタうま風なイラストで表現しているのも「えっと、何?」となるし。

それを素直に受け入れる人々は終末感をまとっているのか、その穴の向こうに救いを求めているらしく、例えば1999年のノストラダムス的な世の中の終わりとひきかえに何処かにあるはずの向こうの世界は素晴らしいと信じたい、みたいな怪しさ。

その先陣を切ろうとする中川大志くん演じる自分を圧し殺して生きてきたみたいな青年。穏やかでにこやかなのに、それが本当に居そうな感じで、彼自身が本当は傷ついている心の痛みを感じていないのが気になるし。

ほかの出演者も舞台テイストというか舞台で観たことのある役者さんが多く。

脚本・監督は加藤拓也さんというかたでこの方も舞台人なのかな。

とにかく、はやく続きが観たいです。


舞台での大志くんの『歌妖曲』(明治座)があまりにも素晴らしかったのであの妖しさと見事な歌唱力に次の出番は?と、未だにどきどきワクワクさせられる存在でもあります。様々なドラマでいろんな役を違った表情で表現出来るからつい、観てしまいます。


ドラマは毎シーズン何かしらハマってしまうものがあって。

先のシーズンではあまりにも『不適切にもほどがある!』が面白すぎて。クドカンさすがだし、結局、やっぱりクドカンにどっぷり。

大人計画お馴染みの阿部サダヲはもちろん、ほぼ存じ上げなかった河合優実さんの魅力にハマりました。その楽しさの続きで今や深夜ドラマ『RoOT / ルート』を観たくて堪らないんですがTVerではやっていないんですよね。ネトフリ作品みたいだから無理かな。

これもちょっと変なアニメーション(動物アニメかと思いきや、犯罪サスペンス?)「オッドタクシー」がワケわからないうちに癖になるようなテイストで、その派生した実写版だそうで。


これを無理して観ちゃうと夜更かしして、朝早い会社員としては悩みの種なんですが、

しばらくしたらAmazonプライムでやってくれないかな、なんて思ったりしてます。


明日は日本では老いていく感覚のローカルな欧州の映画を観に行く予定。

最近は日本映画のほうが多く、自分では選ばなさそうな国々の良質なリアルに触れそう。