ヴォルテックスとは、英語で渦巻きという意味だそうです。
この映画を観る前も、見たあとも言葉の意味を調べていなかったので、今さら、
そうなんだ、と思います。
このポスターにあるように画面が二分割されたまま映画が始まります。
そして、このポスターのシーンは一度もありません。
たぶんそれぞれが棺に入った時の様子なんだと思いますが、
この映画を観ていて、その棺を美しい花ばなで飾り穏やかに葬送する気持ちになるのには、
とても難しいと思ってしまいました。
映画はまるでドキュメンタリーなんじゃないかと思うくらい、丁寧に描写されています。
人の老い、ボケていく様が身につまされるというか、リアルに刺さってきました。
認知症と心疾患、どちらも誰の身にもじわじわ押し寄せてきそうだし、それでも自分はそうならないと信じたい思いと、現実にはそういう未来もあるわけで。他人事ではないんです。
しっかりとした精神科医であった妻が目の前の息子や夫を誰だか認識できない現実。
それ、えっ、そんな賢そうな人でも(実際には病とそれまでの経歴は全く関係ないわけで)こんなになっちゃうんだ、という息子が味わうショックのような気持ちが観ている自分に落ちてくるし、
作家である夫は、誰の世話にもならないで妻の介護をしたいと願っていて、老老介護の進行形。そして、心疾患で倒れたこともある身。
とにかく無理がある。けれども、そんな現実があちこちありそうで痛いんですよ、とても。
その老夫婦の離れて暮らしている息子には抱えている問題もあって、彼には幼い一人息子がいて、ちゃんと育てたい事情があるにも関わらず、以前薬物依存症になったことから、現実の仕事もそのボランティア的な細々したもので、まずは自分の生活がたいへん。その上に、両親を助けることは難しいことは目に見えてます。両親の現状を知って、行政の助けにすがるべきだと提案するも父親に却下されてしまう。
苦しいのよ、観ていて。
打破できない現実世界が。
だから、今も映画の場面がちらついているのに数ヶ月経っても書けませんでした。
すごい勢いで渦に巻き込まれていくと云うことでしょうか。
役者もうまいし、演出も素晴らしいし、
でも、どう書いたらいいのかわかりません。
素敵だなぁ、と思ったのは、
彼ら夫婦が住んでいたアパートメントが部屋数があって、ごちゃごちゃはしているけれどベランダというか、そのお外に小さなテーブルと椅子を置いていて、そこでの食事シーン。
あ、いいな、このアパートメント、って。
日本との違いは、慎ましくとも部屋の広さとかアパートメントの造りが棲みやすそうで。
それが印象的です。