月がお空を飾るとき
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在るが理由

 
どんな事にも理由は在る。


私は
そう思ってきたし
それは
現在も進行形である。





そういえば。


茸類が好きだ。
好きだというより、無条件に口にしてた。



身体の不調から

年々減りつつはあるが、喫煙者だ。


その癖に
副流煙をとてつもなく嫌い

失礼ながらも
けたたましく跳ね退ける。



炭酸飲料が苦手で
無縁であるのに

何故か
リアルゴールドだけは

空いた缶が並ぶ。



睡眠時間に
不規則すぎる異様なばらつきが
有るに関わらず

それでも割に平気で

しかし、時に
予告も無しに

死ぬ様に寝落ちる。




少しつちづまが合わない自分の

身体と行動

に今日、成る程という納得の判を押す。





白血球が少ない





その結果が

どうやらそれらを引き起こしているらしい。





なかなかとして
殖やす事の出来ない白血球の数を

茸類の菌に
増やそうとする成分がある

らしい。



副流煙というものが
白血球の数が
得に減少し出すと

身体が拒否反応を示し 嫌う

らしい。



何故にリアルゴールドなのか

どうやら
リアルゴールドの成分に有る

高麗人参が

白血球の少ない身体が欲する

みたいで。



異常な程の
急な眠気に襲われるのも

この体質から

の様で。





私、仕事柄

アルコールが原因だとしか
考えても無く


勿論の事
要因の一つでは有り

天敵でも有りは
するのだが。



目眩も嘔吐も
呼吸困難も疲労感も
とても治りにくい痣や怪我も

直ぐ様に
完治する様な風邪が長引くのも



酒で頭がイカレテいるのか

若しくは

身体を酷使してきたから故の
症状だと


不快感は
バリバリありながら

素通りしていた所であった。



こんな痛みで
これ程の辛さで

病院など
行ってられないし

要らない病気に仕立てあげられるのも

真っ平だと。



いざ
検査をすると

出るわ出るわ。

思い当たった行動と症状が
不調とイコールし


改めて人間の身体の造りに
感嘆した。






生活習慣である行動にも


理由が無いと思われる好きな物にも


理屈では追い付かない事にも



基処に
イきている限り



必ず
「理由」はあるのだと。



 

だぶるくりっく

 
つい先日知った。


この機能が
存在する事を。




エレベーターの階数を押し間違い

消したくても
消えないが為に

降りる事なく
無意味に
開く扉。



便乗に
誰かが降りてくれるばかりとも限らず


恥ずかしさとも違う、落胆ともまた違う、それでも迷惑がられた周りの視線に戸惑い

目のやり場に困る様な 雰囲気にのまれ

まだソコに留まる。



しかし、此処で
「たぶるくりっく」



するとたちまち
間違えた階数は跡形もなく消え


消灯するという。




いたづらが多発する事を避ける為

この機能の存在は
余り知らせてはいないとされる。



生憎、私もまだ試した事は無い。





間違いを間違いとせず
直ぐ様に隠滅する機能が


果たして良いのか悪いのかは
様々だろうが



この様な機能が
人間という物体に備わっていないのは



妙に納得。




私は
とても図太いのか
強かなのか
ブライドなのか、忘れやすいのか、潔しなのかどうなのか


消去消却したい過去等 持ち合わせてなどなく


寧ろ 誇りにさえも思う過去。



元々、人間は
八割の記憶を眠らせる中で生きる動物であり


覚えている記憶など
思い出せない記憶の数知れる位なのだ。




私はその箪笥の引き出しの整理が
人様より上手いと自負してみたり。





間違いは

間違いについて考える事も
間違いだと指摘される事も

不可欠で



間違いだと認識する必要性もあり

間違いと気付いた時から成長であり

またその一歩なのではないか


と考える私には



何でもかんでも
間違いを隠滅する機能は


むやみやたらに
普及はして欲しくないとも思う、
反面に



効率性は
上がる事によって

時間の無駄も
省けたりもするのだろう と。



しかし
俗に云う馬鹿 てやつは

必ず増える



そんな気もしてならない。




だが
お子には私。


「消しゴムを使わないでいいように
書きなさい」



思うとは裏腹

矛盾な事を
言ったりもする。




常に
進化と開発を遂げつつある
人間社会に


こういった機能は
社会常識として

増えゆくのであろうが



ただ本当に
どれだけの進化をみせても



人間という生き物には
付いて欲しくはないと思う
「だぶるくりっく」


 

心に空を



ヒトは死んだらどこに逝くのだろうーーーーーー。




日常茶飯に
巡り目いている思考ではないのだが


「死」に直面する度に
様々な想いが駆け巡る。




とてもお世話になっているママ様の
十年来のお付き合いのあるイイヒトが

先日、死んだ。



余命、二ヶ月と云われたその日から

彼は一年以上と寿命を伸ばし


それはもう
目を背けたくなるくらいの

命に対して
生きる強さを
見せつけてくれた。





とても
とても

強いヒトだったんだ。



とても
とても

生きていたいヒトだったんだ。




いくら 覚悟を決めていても


やはり
訃報 という文字に


毅然となど
していられなく



分かっていても
分かっていても



動悸を呼ぶ。





苦しんだのを知っていたから
痛みに耐えながら生きたヒトなのに



それでも



貫禄さえも漂わした
ママ様のイイヒトの死に顔に


少しばかりだけど
安心と

生きる強さを現した
尊敬を


感じずにはいられなかった。





寝ている延長で息を引き取ったと
聞いた時は


息が漏れるくらいに

ホッとした。



ママ様には申し訳ないけど


ご自宅でと
聞いた時は



それより尚更


本当に良かった と思った。




頑張って
頑張って
越えて
超えて
生きて
活きて
逝きたヒト


苦しまずにいれたのだと思わさせてくれた
それが

皆への
最後の贈り物。






十年という年月を
手を取ながら歩んでも



寄り添う事の出来ないママ様

何一つ手出しをする事の出来ないママ様





あたしなら


通夜に行く事すら
出来ない。


葬式に出る事など
もっての他で




かけ寄る事さえも出来ないその立場をも
理解しながら



通夜でお見かけしたママ様
葬式に参列しただろうママ様




「走馬灯の様に巡る彼との思い出」
心の中でずっと生きているから
とし
メールのお返事をくれたママ様。






いくらそうとは云え


見えない
触れれない
聴けない
聴こえない
話せない

そんな此れからを


淋しさに埋もれていきそうな現実と


死んだら人間終わりなんだという現実の交差に


苦しみながら



あたしには
直ぐ様想い出になど
とても出来なくて。



出来ない。
出来っこない。




棺に駆け寄る事さえも出来ない立場に

さらけ出す事なども
出来ない
とても出来ない。




ママ様は
してあげる事は沢山有るのに

肝心要なところや
人間の最後の最後に


手を差し伸べる事さえも許されなかった。






きっと。

あたしなら
独りで彼を偲び
それでも
生きていかなければならない現実と

闘うのだろう。




どこをとっても
あたしに真似など出来ないママ様も



ママ様のイイヒトに似つかわしく

本当に
本当に

とても強いひと だと。








楽しむ事が上手なヒトだった



生きようとする力の強いヒトだった


自分に素直な子どもの様なヒトだった


気配りを然り気無くする賢いヒトだった


とてもとても愛情の深いヒトだった




本当にお疲れさま



ご冥福をお祈り致します。









ーーーーヒトは死んだらどこに逝くのだろう。



 

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