心に空を | 月がお空を飾るとき

心に空を



ヒトは死んだらどこに逝くのだろうーーーーーー。




日常茶飯に
巡り目いている思考ではないのだが


「死」に直面する度に
様々な想いが駆け巡る。




とてもお世話になっているママ様の
十年来のお付き合いのあるイイヒトが

先日、死んだ。



余命、二ヶ月と云われたその日から

彼は一年以上と寿命を伸ばし


それはもう
目を背けたくなるくらいの

命に対して
生きる強さを
見せつけてくれた。





とても
とても

強いヒトだったんだ。



とても
とても

生きていたいヒトだったんだ。




いくら 覚悟を決めていても


やはり
訃報 という文字に


毅然となど
していられなく



分かっていても
分かっていても



動悸を呼ぶ。





苦しんだのを知っていたから
痛みに耐えながら生きたヒトなのに



それでも



貫禄さえも漂わした
ママ様のイイヒトの死に顔に


少しばかりだけど
安心と

生きる強さを現した
尊敬を


感じずにはいられなかった。





寝ている延長で息を引き取ったと
聞いた時は


息が漏れるくらいに

ホッとした。



ママ様には申し訳ないけど


ご自宅でと
聞いた時は



それより尚更


本当に良かった と思った。




頑張って
頑張って
越えて
超えて
生きて
活きて
逝きたヒト


苦しまずにいれたのだと思わさせてくれた
それが

皆への
最後の贈り物。






十年という年月を
手を取ながら歩んでも



寄り添う事の出来ないママ様

何一つ手出しをする事の出来ないママ様





あたしなら


通夜に行く事すら
出来ない。


葬式に出る事など
もっての他で




かけ寄る事さえも出来ないその立場をも
理解しながら



通夜でお見かけしたママ様
葬式に参列しただろうママ様




「走馬灯の様に巡る彼との思い出」
心の中でずっと生きているから
とし
メールのお返事をくれたママ様。






いくらそうとは云え


見えない
触れれない
聴けない
聴こえない
話せない

そんな此れからを


淋しさに埋もれていきそうな現実と


死んだら人間終わりなんだという現実の交差に


苦しみながら



あたしには
直ぐ様想い出になど
とても出来なくて。



出来ない。
出来っこない。




棺に駆け寄る事さえも出来ない立場に

さらけ出す事なども
出来ない
とても出来ない。




ママ様は
してあげる事は沢山有るのに

肝心要なところや
人間の最後の最後に


手を差し伸べる事さえも許されなかった。






きっと。

あたしなら
独りで彼を偲び
それでも
生きていかなければならない現実と

闘うのだろう。




どこをとっても
あたしに真似など出来ないママ様も



ママ様のイイヒトに似つかわしく

本当に
本当に

とても強いひと だと。








楽しむ事が上手なヒトだった



生きようとする力の強いヒトだった


自分に素直な子どもの様なヒトだった


気配りを然り気無くする賢いヒトだった


とてもとても愛情の深いヒトだった




本当にお疲れさま



ご冥福をお祈り致します。









ーーーーヒトは死んだらどこに逝くのだろう。