”トラックバックはインターネットコミュニケーションの双方向性を実現し、インターネット大陸からの脱出を果たした”


を証明するのはどうも困難な気がする。


そもそも、トラックバックはgooリサーチによると、37.10%の人がつけたことはあると、増加傾向にあるが今回のインタビュー調査において、それを証明するにはトラックバックを受けたことがあるブロガーの存在が不可欠になる。


うーむ。


「ウェブの本質が「発信主義」から「会話主義」に向かっている」[松岡正剛の千夜千冊 『ブログ』ダン・ギルモア]ということを証明できればいいのだから、 トラックバックにこだわる必要は…うーむ。


考えてみれば、インターネット大陸からの脱出と会話は関係ないなぁ。 となると、


”トラックバックはインターネットコミュニケーションの双方向性を実現する。”


つーことになる?


問題は、日記型のウェブログを書いているブロガーのブログには、トラックバックがつきにくいという点である。となると、トラックバック受信方の”会話の証明”ではなく、トラックバック発信型の会話の証明をしたほうがよさそうである。この場合の仮説成立条件は、


”トラックバックを発信し、そのトラックバック先に関連する記事を書いたことがある”


と、いうことを証明すればいいのかな?あとは、それを”会話”と呼ぶかになりますが、このケースだと


ブログAからの情報→Bの閲覧→Bのトラックバック発信→AがブログBを見る


と、会話成立になるんだろうけど、最後の”AがブログBを見る”証明するのはえらい大変だ。インタビューたくさんとって、そのうちにひとつあればいいぐらいっぽい。


これは、会話の定義づけによるかな…

まぁ、研究の関心、序文、先行仮定と一気にアップしたわけです。


あと現段階でかけるのは問題設定-仮説である。


仮説は、”トラックバックはインターネットコミュニケーションの双方向性を実現し、インターネット大陸からの脱出を果たした”的なことを書く予定なのです。


とりあえず、明日までにこの二つを仕上げてしまおう。



まずは質問事項の原案である。


まず、質問はブログユーザーと非ブログユーザーの両者には別のものを作らなくてはいけないのだが、まずは、ブログユーザーからの質問事項を作ろうと思う。


その前に、確認。 ”トラックバックはインターネットコミュニケーションの双方向性を実現し、インターネット大陸からの脱出を果たした”


それを証明するために必要な条件は…

1.ブログを書いている
2.トラックバックを発信する、もしくは受信したことがある
3.トラックバック先の記事に目を通したことがある。
4.トラックバック先にコメント、トラックバックを書き込んだことがある
5.トラックバックをもらったブログに頻繁に訪れることがある。
6.トラックバックを書き込んだ先から、コメント・トラックバックをもらったことがある。


…うーむ、これでは、インターネット大陸からの脱出にはならない。

必要な条件は、”トラックバックを通して、自分の趣味の範囲外の知識を得ることができた。”ということが証明できればいいのか?

うーん( ̄へ ̄|||) 、とりあえず、明日教授と相談してみるか…

Ⅱ. 先行仮説 -「クルートレイン宣言」

 1999年4月にリック・レバイン、クリストファー・ロック、ドク・サールズ、そして、デビッド・ワインバーガーの4名がインターネット経済でのビジネスのやり方に関する95か条のテーゼ、「クルートレイン宣言」を発表した。[Cluetrain manifesto http://www2.gol.com/users/jheine/cluetrainj.html ]


「市場は対話である。」という一文から始まる95か条のテーゼは、「ウェブの可能性について先見性を持った文章」[ダン・ギルモア 2005 p.48]であり、「インターネットが今日強力なメディアだと分かってはいるものの、それがなぜかはっきりせず、もどかしい思いをしてきた私や多くの読者の急所を突いてきた。」[ダン・ギルモア 2005 p.49]。


 この「クルートレイン宣言」は、インターネット経済におけるテーゼとされているが、ダン・ギルモアは著書・We the Media、邦題、“ブログ 世界を変える個人メディア“ 訳・平 和博 朝日新聞社2005/08/30の中で、この「クルートレイン宣言」に触れ、また、“ジャーナリズムも会話だ”と書き示した。


 従来のインターネットは、「クルートレイン宣言」の第一章、「インターネット黙示録」において、著者の一人であるクリストファー・ロックは、

「マーケティング担当者は今なお、インターネットをトップダウン方式の放送モデルの焼き直しと思い込んでいる。彼らの目に映っているインターネットは、購入ボタン付きのテレビなのだ。」

[http://www.jkokuryo.com/class/nindustry2003/Levine_et_al2000.htm]

と、書いてあるように、「トップダウン方式」、少対多の形を持っていた。それは、インターネットの特徴でもあった双方向性、現在のwwwの開発者であるティム・バーナリー博士が唱えた、「Webには情報共有スペースという夢があり、そこではお互いが情報を共有しながら通信し合います。」

[http://www.ibarakiken.gr.jp/www/]に反するものであった。それは、さまざまなプログラム、コンピューターそのものの性能向上により敷居が低くなったものの、「かなり限られた特権的な一部の階層、つまりオンラインの会話に参加できるほどの教育を受けており、技術的スキルもある。そして、そのための十分な時間と設備とをもっているような人たち」[ダン・ギルモア p.28]に許された行為とされていた。その上で、「クルートレイン宣言」は、インターネット経済のテーゼとして、“市場は会話である。”から、始まる95のthemeを書き示した。そして、それは、インターネットにおける経済にとどまることなく、インターネット全体の現象としてのテーゼでもあると、私は思う。「トップダウン方式」のインターネットは終わりを告げ、対話を可能にしたインターネットが訪れる、それをもたらしたのがウェブログという存在なのだ。


   インターネットを国や公的機関が利用していた次代を第一世代とするなら、次のウェブやブラウザーの発明、企業や家庭に解放された世代を経て、いまやブログの出現によって個人が全面的に参加して日常的に利用する、第三世代への進化が始まったといえるだろう。 [ダン・ギルモア 2005 p.421]


 アメリカにおいてブログが登場したのは“NCSA Mosaicの「What's New」と言う人もいますが、今でいうブログ的なサイトが誕生したのは、1997年に開設されたデイヴ・ワイナー氏のScripting Newsやジョーン・バージャー氏のRobot Wisdomです。”とされ、ウェブログという名称も“ジョン・バージャー氏が自分のサイトについて「リンクとそれに対するコメントで構成され、継続的に更新される個人のサイト」をwebog(ウェブログ)と名付けたころが起因” http://www.r-deux.com/tokyo/ といわれている。その後、“Blogger”の誕生などを経て、草の根メディアとしてブログは成長を遂げる。


 その“ブログ”という“「個人が運営していて」、「有益な情報へのリンクが豊富で」、「エッセイや意見も盛り込んでいる」”[鈴木芳樹 2005 p.17]といった特色を持ったメディアは、2001年の9月11日の対米同時多発テロ事件を通して、日本に紹介される。


 テロが発生した直後、人々は事件の真相や詳細を知ろうとCNNやニューヨーク・タイムズなどのニュースサイトに殺到しました。そのため、急激なアクセスに対応しきれずサーバーが過負荷状態となり、アクセスしづらいという事態も起きました。その時に注目されたのがブログでした。ブログの中には、自分が目にした光景や、体験を綴ったものや、現地で撮影した写真や動画をいちはやく配信するものがありました。

http://www.r-deux.com/tokyo/


“これまで歴史の第一稿を決めてきた「公式な」報道機関だけが作るものではなくなっていた。今回、その第一稿のある一部は、かつての読者が書き示したのだ。 [ダン・ギルモア 2005 p.14]”


 それ以前にも、ブログはオンライン雑誌“Hotwired Japan”において、2000年2月28日の記事において「人気急上昇中の『ウェブログとは?』」という翻訳記事で紹介されたのだ。その内容が著・鈴木芳樹の“スローブログ宣言!”に書かれている。


 ウェブログ(略してブログ)とは、ウェブ上にある興味深いコンテンツへのリンクとその批評を記した、定期更新されているリストのこと。大半のウェブログは個人が掲載しているものなので、正確な数を知るのは難しい。しかし観測筋によれば、ウェブログはかつて(中略)ほとんどのウェブログが個人によって維持されており、それぞれのサイトが作成者の興味を反映している。ページの一番上に新しいリンクをおくなど、たいていは同じフォーマットにしたがっているものの、バラエティーは豊富だ。(中略)一番よいのは、ニュース記事のほか、新しいサイト、エッセイ、意見なども盛り込んだ、幅広いリソースを取り揃えたウェブログだ。ウェブ上にある新旧のコンテンツへの案内役として、こうしたウェブログほどありがたいものはない。(天野美保/柳沢圭子訳 http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/culture/story/3780.html )[p.17]


 しかし、この記事に対する反応は、“「どうしてアメリカでは、いまさらこんな現象が騒がれているんだろう」という戸惑い気味の反応のほうが多かった”[鈴木芳樹 2005 p.17]。実際、私が“ブログ”という存在を知ったときも「なにをいまさら」という印象を持った。それは、アメリカとは違った日本ならではのインターネットのあり方にあった。


 日本において、インターネットが本格的に使われるようになったのは1995年以降、と、同時に多くの“個人サイト”が誕生した。個人サイトとはその名のとおり、“個人が趣味的に作っているウェブサイト”[鈴木芳樹 2005 p.18]のことである。今、これからブログについて書こうとしている自分自身も2000年のはじめごろには“「個人が運営していて」”、それなりに“「有益な情報へのリンクが豊富で」”、“「エッセイや意見も盛り込んでいる」”ウェブサイトを持っていたし、リンク先には無数の情報があふれていた。それゆえに、ブログの初来日は特に注目されることもなかった。


 再来日は、対米同時多発テロの翌年の2002年。“IT起業家の伊藤穣一氏、メディア評論家の武邑光裕氏、ゲーム作家の飯野賢治氏などを中心に、アメリカ流のブログを日本でも広めようという動きが起こった。(中略)一種の「啓蒙活動」を行っていた。”、しかし、この活動も失敗に終わる。それは、このプロジェクトが“ブログをまったく新しいメディアと捉えるか、個人サイトの延長と捉えるかにあった。”、その上で、プロジェクトのメンバーは日本のインターネットに存在したWeb日記の存在を“blogの範疇に入っておりませんでした。” [鈴木芳樹 2005 p.20]


 2000年2月28日の記事でウェブブログが紹介されても、多くの人々が関心を持たなかったのは、当時日本のインターネットにおいてウェブログと機能を持ったWeb日記、レンタル日記が人気を集めていたためだ。機能的には、現在のブログからコメント、トラックバック、アフィリエート、モブログなどの機能を取り除いたものであった。しかし、この日記サイトの普及が2004年以降の爆発的なブログ人気の基礎を作ったことは明白である。


 先日、自分が制作・運営しているサークルのホームページにブログを導入してみた。反応は非常に鈍く、”掲示板とどう違うのか”という意見が多くあがった。考えてみたら、自分もウェブログ、略してブログという存在がいまいち理解していなかった。


 自分は、1998年ごろから、インターネットに触れるようになり、1999年後半から自分のホームページを作るようになった、そして、2000年11月からウェブ上で日記を書くようになり、2004年11月からウェブログを使うようになっていたのだが、その時点ではウェブログ=ウェブ日記の進化系だと思っていた。しかしながら、具体的にどこが進化してウェブログになったのかといわれるとよく分からず、せいぜい、デザインとコメント機能ぐらいだと思っていた。


 しかしながら、2001年9月11日の同時多発テロにおいて個からの情報を発信して以降、アメリカでのさまざまな成長を経て、2002年に日本に本格的に紹介される。その後、紆余曲折を経て、2004年のウェブログブームとなったわけである。


 今回の卒論でこのウェブログブームについて扱う気はない。興味があるのは、ウェブログというツール、もしくはコンテンツがインターネットにもたらした変化だ。そのためには、まず、ウェブログというものの定義をはっきりとさせることからはじめたいと思う。


 ブログとは、何か?「ウェブログはウェブ日記から発展した。(中略)ブログは名称こそ新しいが、ずっと続いていたものだった。」[松岡正剛の千夜千冊 『ブログ』ダン・ギルモア ]とあるように、ブログで扱われる内容そのものは、ブログというツール登場以前から存在していた。ウェブ日記とウェブログの違いは、トラックバック機能の有無にあると私は考える。


 ウェブログには、さまざまな機能がついている。コメント機能・テーマ機能・アーカイブ機能・モブログ機能、アフィリエイト機能、そして、トラックバック機能。しかし、トラックバック機能以外は決して新しいものではなく、ブログ特有のものでもない、コメント機能は、ある程度高性能な掲示板についている”返信”機能と同じものだし、テーマ・アーカイブ機能もウェブ日記の時点から存在していた。アフィリエイト機能は、ウェブログに導入され注目を浴びた機能であり、個人運営のサイトが収入に結びつくという意味では大きな変化ではあったが、インターネットそのものに対する影響は大きくは無いと考える。


 ウェブログが、ウェブログたる所以、ウェブ日記と一線を引くのはトラックバックという機能が存在するためである。


 では、トラックバックとは何か?


 トラックバックは、2002年の8月にMovable Type2.2*1以降に導入された機能で、「映画の現場で使われている用語で、カメラが後ろに下がりながら被写体を撮影すること」[INTERNET MAGAZINE 12月号 p.12]で、


 他の記事にその記事を話題にした記事のURLと概要を通知する機能、またその通知形式をさだめた枠組み。この通知する行為をトラックバックする、トラックバックを送るという。通知を受け取ったウェブログは普通、その言及された記事のところに通知された派生記事のURLと概要を一覧表示する。一般に、言及した本人によって送られるものとされている。


リンク元表示機能と違うのは


読者がリンクを辿ったときではなく関連記事を投稿したとき反映される、
記事の概要とタイトルも通知される、

ということ。

[はてなのダイアリー trackbackとは http://d.hatena.ne.jp/keyword/trackback ]


 つまり、自動相互リンク作成機能である。


 この機能は、インターネットに大きな影響をもたらした。トラックバックにより、「それまで「インターネット大陸」*2の狭間にあって孤立していた個人のウェブが、急速に他のウェブ郡とつながるようになったのである。」」[INTERNET MAGAZINE 12月号 p.13]


 トラックバック登場以前のインターネットは、「現実には、すべてのウェブページがお互いに連結されているわけではないのだ。どのページから出発しても、到達できるのは全ドキュメントのわずか二十四パーセントほどに過ぎず、残りのページにはネットサーフィンによってはたどりつけないのである。[新ネットワーク思考-世界の仕組みを読み解く(NHK出版、青木薫訳) p.237]


 なぜ、こんなことが起きてしまったのか。それは、htmlの構造的な欠陥としか言いようが無い。インターネットの最大の売りといえば、双方向性だったはずである。にもかかわらず、最も普及した言語、普及した閲覧ソフトが一方向性を内在するものだったからである。


 トラックバックは、その一方通行を打ち破る力をインターネットにもたらした。それは、従来のマスメディアに似たトップダウン方式の情報伝達から、ティム・バーナリー博士が夢見た「情報共有スペース」へ近づく一歩でもあるのだ。


*1:

フリーblog ツールの一つ。とっても高機能・多機能なウェブログ システム

Perl で作られたCGI で、ウェブログ の種々の設定、ユーザ管理からエントリー のポスト・編集 、その他もろもろまで、ほとんどの操作をブラウザ 上で行うことが出来る。

RDF Site Summary に対応し、TrackBack 機能を持っている。

フリーblog ツールの一つ。とっても高機能・多機能なウェブログ システム

Perl で作られたCGI で、ウェブログ の種々の設定、ユーザ管理からエントリー のポスト・編集 、その他もろもろまで、ほとんどの操作をブラウザ 上で行うことが出来る。

RDF Site Summary に対応し、TrackBack 機能を持っている。


*2:

 「インターネット大陸というのは、アルバート=ラズロ・バラバシが自著『新ネットワーク思考-世界の仕組みを読み解く』(NHK出版、青木薫訳)で説明したネット世界の構造のこと。詳しくは、INTERNET MAGAZINE 12月号 p.13にて。

 


こんにちは、こんばんは、はじめまして、張亮 子房です。日本人です。崖っぷち大学4年生です。


このブログは、張亮 子房の卒論制作をフォローするべく作られたものです。張亮自身の日々のブログははてなダイアリーさんのほうにあります。→ぷりんてっど すかい


今までは、そっちでもやっていたんですが、考えてみたら教授にも見せる可能性あるほうに私生活のことを書いているのはなーとおもったので。卒論執筆に当たり、すべての作業をブログに載せてみようと思っています。ダン・ギルモアの"We the Media"のような感じで。

ダン・ギルモア, 平 和博

ブログ 世界を変える個人メディア



卒論のテーマは、紹介にあるとおり”トラックバックが導く双方向性”です。



興味のある方は、ぜひ、コメントなどを入れていただけるとありがたいです。