Ⅱ. 先行仮説 -「クルートレイン宣言」

 1999年4月にリック・レバイン、クリストファー・ロック、ドク・サールズ、そして、デビッド・ワインバーガーの4名がインターネット経済でのビジネスのやり方に関する95か条のテーゼ、「クルートレイン宣言」を発表した。[Cluetrain manifesto http://www2.gol.com/users/jheine/cluetrainj.html ]


「市場は対話である。」という一文から始まる95か条のテーゼは、「ウェブの可能性について先見性を持った文章」[ダン・ギルモア 2005 p.48]であり、「インターネットが今日強力なメディアだと分かってはいるものの、それがなぜかはっきりせず、もどかしい思いをしてきた私や多くの読者の急所を突いてきた。」[ダン・ギルモア 2005 p.49]。


 この「クルートレイン宣言」は、インターネット経済におけるテーゼとされているが、ダン・ギルモアは著書・We the Media、邦題、“ブログ 世界を変える個人メディア“ 訳・平 和博 朝日新聞社2005/08/30の中で、この「クルートレイン宣言」に触れ、また、“ジャーナリズムも会話だ”と書き示した。


 従来のインターネットは、「クルートレイン宣言」の第一章、「インターネット黙示録」において、著者の一人であるクリストファー・ロックは、

「マーケティング担当者は今なお、インターネットをトップダウン方式の放送モデルの焼き直しと思い込んでいる。彼らの目に映っているインターネットは、購入ボタン付きのテレビなのだ。」

[http://www.jkokuryo.com/class/nindustry2003/Levine_et_al2000.htm]

と、書いてあるように、「トップダウン方式」、少対多の形を持っていた。それは、インターネットの特徴でもあった双方向性、現在のwwwの開発者であるティム・バーナリー博士が唱えた、「Webには情報共有スペースという夢があり、そこではお互いが情報を共有しながら通信し合います。」

[http://www.ibarakiken.gr.jp/www/]に反するものであった。それは、さまざまなプログラム、コンピューターそのものの性能向上により敷居が低くなったものの、「かなり限られた特権的な一部の階層、つまりオンラインの会話に参加できるほどの教育を受けており、技術的スキルもある。そして、そのための十分な時間と設備とをもっているような人たち」[ダン・ギルモア p.28]に許された行為とされていた。その上で、「クルートレイン宣言」は、インターネット経済のテーゼとして、“市場は会話である。”から、始まる95のthemeを書き示した。そして、それは、インターネットにおける経済にとどまることなく、インターネット全体の現象としてのテーゼでもあると、私は思う。「トップダウン方式」のインターネットは終わりを告げ、対話を可能にしたインターネットが訪れる、それをもたらしたのがウェブログという存在なのだ。