インターネットを国や公的機関が利用していた次代を第一世代とするなら、次のウェブやブラウザーの発明、企業や家庭に解放された世代を経て、いまやブログの出現によって個人が全面的に参加して日常的に利用する、第三世代への進化が始まったといえるだろう。 [ダン・ギルモア 2005 p.421]
アメリカにおいてブログが登場したのは“NCSA Mosaicの「What's New」と言う人もいますが、今でいうブログ的なサイトが誕生したのは、1997年に開設されたデイヴ・ワイナー氏のScripting Newsやジョーン・バージャー氏のRobot Wisdomです。”とされ、ウェブログという名称も“ジョン・バージャー氏が自分のサイトについて「リンクとそれに対するコメントで構成され、継続的に更新される個人のサイト」をwebog(ウェブログ)と名付けたころが起因” http://www.r-deux.com/tokyo/ といわれている。その後、“Blogger”の誕生などを経て、草の根メディアとしてブログは成長を遂げる。
その“ブログ”という“「個人が運営していて」、「有益な情報へのリンクが豊富で」、「エッセイや意見も盛り込んでいる」”[鈴木芳樹 2005 p.17]といった特色を持ったメディアは、2001年の9月11日の対米同時多発テロ事件を通して、日本に紹介される。
テロが発生した直後、人々は事件の真相や詳細を知ろうとCNNやニューヨーク・タイムズなどのニュースサイトに殺到しました。そのため、急激なアクセスに対応しきれずサーバーが過負荷状態となり、アクセスしづらいという事態も起きました。その時に注目されたのがブログでした。ブログの中には、自分が目にした光景や、体験を綴ったものや、現地で撮影した写真や動画をいちはやく配信するものがありました。
“これまで歴史の第一稿を決めてきた「公式な」報道機関だけが作るものではなくなっていた。今回、その第一稿のある一部は、かつての読者が書き示したのだ。 [ダン・ギルモア 2005 p.14]”
それ以前にも、ブログはオンライン雑誌“Hotwired Japan”において、2000年2月28日の記事において「人気急上昇中の『ウェブログとは?』」という翻訳記事で紹介されたのだ。その内容が著・鈴木芳樹の“スローブログ宣言!”に書かれている。
ウェブログ(略してブログ)とは、ウェブ上にある興味深いコンテンツへのリンクとその批評を記した、定期更新されているリストのこと。大半のウェブログは個人が掲載しているものなので、正確な数を知るのは難しい。しかし観測筋によれば、ウェブログはかつて(中略)ほとんどのウェブログが個人によって維持されており、それぞれのサイトが作成者の興味を反映している。ページの一番上に新しいリンクをおくなど、たいていは同じフォーマットにしたがっているものの、バラエティーは豊富だ。(中略)一番よいのは、ニュース記事のほか、新しいサイト、エッセイ、意見なども盛り込んだ、幅広いリソースを取り揃えたウェブログだ。ウェブ上にある新旧のコンテンツへの案内役として、こうしたウェブログほどありがたいものはない。(天野美保/柳沢圭子訳 http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/culture/story/3780.html )[p.17]
しかし、この記事に対する反応は、“「どうしてアメリカでは、いまさらこんな現象が騒がれているんだろう」という戸惑い気味の反応のほうが多かった”[鈴木芳樹 2005 p.17]。実際、私が“ブログ”という存在を知ったときも「なにをいまさら」という印象を持った。それは、アメリカとは違った日本ならではのインターネットのあり方にあった。
日本において、インターネットが本格的に使われるようになったのは1995年以降、と、同時に多くの“個人サイト”が誕生した。個人サイトとはその名のとおり、“個人が趣味的に作っているウェブサイト”[鈴木芳樹 2005 p.18]のことである。今、これからブログについて書こうとしている自分自身も2000年のはじめごろには“「個人が運営していて」”、それなりに“「有益な情報へのリンクが豊富で」”、“「エッセイや意見も盛り込んでいる」”ウェブサイトを持っていたし、リンク先には無数の情報があふれていた。それゆえに、ブログの初来日は特に注目されることもなかった。
再来日は、対米同時多発テロの翌年の2002年。“IT起業家の伊藤穣一氏、メディア評論家の武邑光裕氏、ゲーム作家の飯野賢治氏などを中心に、アメリカ流のブログを日本でも広めようという動きが起こった。(中略)一種の「啓蒙活動」を行っていた。”、しかし、この活動も失敗に終わる。それは、このプロジェクトが“ブログをまったく新しいメディアと捉えるか、個人サイトの延長と捉えるかにあった。”、その上で、プロジェクトのメンバーは日本のインターネットに存在したWeb日記の存在を“blogの範疇に入っておりませんでした。” [鈴木芳樹 2005 p.20]
2000年2月28日の記事でウェブブログが紹介されても、多くの人々が関心を持たなかったのは、当時日本のインターネットにおいてウェブログと機能を持ったWeb日記、レンタル日記が人気を集めていたためだ。機能的には、現在のブログからコメント、トラックバック、アフィリエート、モブログなどの機能を取り除いたものであった。しかし、この日記サイトの普及が2004年以降の爆発的なブログ人気の基礎を作ったことは明白である。