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真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

花巻の外れ、東和は晴山に差し掛かる。このあたりも山が近いが、大地は広く命の稲穂に覆われ、光は溢れている。

 

 

 

駅の桜並木、また花が咲く季節に来て見たい。

 

 

この先に険しい峠道はなく、東和の中心である土沢まで穏やかな風景が続く。

 

 

 

土沢から花巻の中心街までは、少しだけアップダウンがある道が続く。旅から旅へ、俺が好きな風景のひとつである。

 

 

土沢の外れにある、街のシンボルのような小さなめがね橋をくぐる。街外れの森を抜けると、美しい棚田の風景が車窓に見えて来る。

 

 

 

天高くまで聳える入道雲が、地上に影を落としている。

 

 

季節の移ろい、生命の移ろいを感じられ、そしてその中に命のひとつひとつとして人々が生きている。

これ以上に美しい景色はそう多くないと思うのである。

 

 

 

 

 

 

以前独りで来たことがある三郎堤と小山田駅。緑に包まれた小さな駅は、釜石線の中でも指折りの好きな駅だったりする。

 

 

シロとエイスリンちゃんがいた、堤へ上る小さな階段も、溢れる緑に覆われて汽車からではその姿を確認出来ない。

 

 

似内駅を過ぎると、いよいよ花巻の市街地が近付いて来る。瀬川を渡ると、急に視界に近代的な街並みが飛び込んで来る。

 

 

間も無く釜石線の旅が終点を迎える。

 

 

 

東北本線の鉄路に出迎えられ、花巻駅に到着。

 

 

釜石線に別れを告げると、何だか旅が終わってしまったような寂しい気持ちになる。勿論まだまだこの先には長い旅路が待ち受けているのだが。

 

宮守を出ると、また車窓には青、白、緑のコントラストが広がる。少しずつ、遠野で過ごした時間が背後に遠ざかって消えて行く。

 

 

三方を山に囲まれた田園の、一番奥に分校の校舎が見えた。巨大な夏の雲が地上に光と影を落とし、そしてその景色も背後に流れて行った。

 

 

 

 

汽車は宮守から岩根橋へ向け、峠の上り坂に差し掛かる。俺は花巻から汽車に乗るとき、この峠を越えて宮守の街に下る車窓の景色を眺めるのが大好きなのだが、今日は逆に、宮守に別れを告げて峠を上る車窓を眺めている。

 

 

 

 

宮守の外れの人家に見送られ、線路を跨ぐ古い石の橋をくぐる。この橋が峠と宮守を隔てる結界のような存在である。

 

 

橋を過ぎてすぐに、汽車はトンネルに入る。暗く寂しいトンネルも、汽車はあっという間に走り抜けて行く。

 

 

 

トンネルを抜けた先にあるのは、森の茂みと岩肌を剥き出しにした山々。岩根橋、宮守、そして達曽部へと至る道が、この峠で交錯する。

 

 

やがて岩根橋の集落が見えて来た。

 

 

駅周辺にはそこそこの数の人家があるが、その先は再びの険しい峠道である。さらに猿ヶ石川の対岸には、峠と共に暮らす人々の家があるが、汽車の窓からは一瞬しかその姿を見ることが出来ない。

 

 

 

やがて昔の宮守村の境界も越え、旅は花巻に突入する。次のトンネルを抜けると峠道は終わり、晴山駅の桜並木が汽車を待ち構えている。

 

 

咽ぶ様な濃い緑に覆われた旅も、もう少しでひと区切りである。

 

汽車は眩いばかりの光を集める遠野盆地を離れ、山に向かって走って行く。

 

 

 

荒谷前、鱒沢といったあたりはもう昔の宮守村の領域で、遠野城下の人たちにとっては近いようで遠い世界だった。

普通はこうした“境界線”というのは、山や峠といったものによって自然と引かれることが多い。しかし宮守村は、峠を越えて遠野盆地の東端までその領域を広げていた。旧鱒沢村が、遠野方ではなく宮守との合併を選んだということになろうが、峠を挟んででも伴侶に宮守を選んだ理由は何なのだろうか。

 

 

 

 

 

汽車は遠野盆地に別れを告げる峠に差し掛かり、鬱蒼とした木々の間を抜けて走って行く。空には何時の間にか、灰色の雲が広がり始めている。

 

 

何となく雨の気配が忍び寄るのを感じながら、車窓に映る宮守の景色を眺めていた。山間の平地に広がる水田も、青々とした稲の葉を伸ばし放題に伸ばしている。

 

 

 

人の営みは間違いなくあるのに、目に映るのは山ばかりで、何処となく寂しい風景にも見える。

やがて無事に山を越えた汽車の窓に、宮守の街が映り込んで来た。

 

 

 

雲は多いが日差しは明るく、宮守の山も川も活気に満ちている。

 

 

 

此処で、漸く釜石線の旅の半分である。

 

綾織駅の入り口は集落の中にあるので、駅の姿は見えども中々辿り着かない。

遠くに笠通山(かさのかようやま)を望みながら、広い水田の中に延びる一本道を歩く。

 

 

笠通山には、伝説の女妖怪キャシャが住んでいて、葬式があると何処からともなく現れて亡骸を盗んで行くらしい。

遠野博物館にある駄賃付け双六にも、綾織でキャシャに襲われるイベントが設定されている。

 

 

遠野三山の一角である石上は、さらにこの奥である。

 

 

暫く歩き、漸く綾織駅の待合が正面に見えて来た。だが、まだ駅の入り口は遠い。

 

 

砂子沢の踏切があるあたりが、綾織の集落の中心で家も多い。

 

 

 

 

踏切を渡り、今はすっかり緑の葉が生い茂った桜並木を進むと、ようやく綾織駅の入り口だ。

 

 

今日は自転車が3台も停まっている。朝方に此処から出掛けて行った人がいるらしい。

 

 

 

ようやくひと息吐くことが出来、後は汽車に乗って帰るだけだと安堵する。

夏の盛りの綾織はとても暑いのだが、遮るものが何もない田園の中にある駅のホームには時折涼しい風が吹き、幾分か救われる。

 

 

 

遠くに今までいた山を拝み、その背後から夏らしい白い雲が沸き立つ。何度も見た光景だが、今日は一緒に見ている人がいると思うと感慨深い。

 

 

十分程度待ち、遠野からやって来た汽車に乗った。

 

 

今回の遠野の旅もあっという間に終わってしまった気がするが、まだ此処から半日の汽車の旅が残っている。

 

暑い夏の光が山に囲まれた綾織の街に溜まり、我々は広い道をぽてぽてと歩いている。

 

 

 

長松寺の枝垂れ栗も、夏の盛りに枝葉を伸ばし、元気に育っている。

 

 

砂子沢から鵢崎(みさざき)へ下り、道は古い遠野街道に合流する。

 

 

 

 

初めて遠野に来たときに、この綾織あたりを歩いたが、広い田園の中にぽつんと立つ郵便局の白い建物がやけに印象に残ったものだ。

 

 

山も空も遥か遠くに見え、ただ眩しい光を浴びて青い稲穂だけが輝いている。

 

 

 

石上神社の一の鳥居を過ぎ、綾織の跨線橋を渡る。一本だけ立つあの木も、青々とした葉を茂らせて元気いっぱいだ。

 

 

反対側には綾織駅が見える。

 

 

バイパスと釜石街道の交差点に差し掛かり、漸く少し賑やかな雰囲気が出て来る。

今の時刻は午前9時過ぎ。帰りの汽車まで小一時間あるので、交差点のコンビニでトイレを借りたり、飲みものを買ったりする。

 

 

コンビニの裏道を下ると、遮断機も何もない小さな踏切がある。これを渡り、綾織駅へ向かう。

 

 

此処から綾織駅まで歩いて10分くらい。丁度帰りの汽車に間に合うだろう。