真・遠野物語2 -13ページ目

真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

長い山道が終わり、漸く足がひと息吐く。雲間から差し込む太陽の光が、暑い一日の始まりを告げていた。

 

 

 

まだ早い時間だが日差しは強い。

このあたりにいた猫たちは、この暑い中で何をしているのだろうか。

 

 

高清水に登るときにはこの場所で地上に別れを告げ、そしてまた降りて来たときにはこの場所で地上に帰れたことを喜ぶのだ。

 

 

 

 

 

幾つかの木陰を抜けると、出し抜けに放牧中の山羊が現れた。

以前附馬牛でも電柱に繋がれた山羊を見たことがあるが、遠野の人には山羊をそのへんに放牧する習慣でもあるのだろうか。

 

 

 

 

 

見たところこの山羊も、近くの木に紐で繋がれているだけで、特に整った環境の放牧地にいる訳では当然ない。道端に生えた草を好き放題に食べている。

あまり人が通ることもない場所だということで、山羊も安心出来るかたちで放牧に出されているのだろう。山羊は我々の顔を見て少し緊張した様子を見せていたが、またすぐにのんびりと草を食べ始めた。

 

 

 

さらに街に近付くと、道に色取り取りの花が見られるようになる。遠野の人は(特にこの綾織周辺では)よく花を育てるのだ。

花だけでなく、夏の野菜もすぐ手が届きそうな場所に生っている。

 

 

もう道はすっかり平坦になり、完全に山の世界を脱出した。半日以上高清水で過ごした思い出は、今や遥か彼方である。

 

 

 

綾織の街は明るく、既にじりじりとした光で地上が熱せられている。山道を歩き終えた安堵感からか、今になってどっと汗が噴き出して来た。

 

我々は朝5時過ぎに目を覚まし、のんびりと身支度をした後に朝食を摂った。

今朝は「100%ポーク!」のスパム缶と、最近では珍しくなったブドウの缶詰。朝はフルーツをいただけると嬉しい。

余談だが、迷惑メールなどを「スパム」と呼ぶ理由は、とあるレストランでスパム嫌いの婦人が「料理にスパムが入っている!許せない!」と店のシェフにクレームを入れていたところ、その様子を揶揄って周囲の客が「スパム、スパム、スパム……」と囃し立てたという伝説のコントに由来し、これから転じてハッカーたちの間で標的に只管「スパム」という文字列を送り続ける行為が流行り、何時しか「ゴミ文字列を送りまくって相手を邪魔する迷惑メール」そのもののことをスパムと呼ぶようになったのだ。

 

 

 

さて、そろそろ下山を開始する時間になるのだが、下界を見下ろしてみても濃い霧に覆われ、全く何も見えない。

何年か前に泊まったときにも、夜半に大雨が降って今と似たような状態になっていたのだが、暫く小屋で粘っているうちに晴れたのだった。今日も運が良ければ、雲海らしい景色が見られたかもしれないのだが……。

 

 

 

 

あまり長い間待っているわけにも行かないので、雲海は諦めて小屋を後にすることにした。

山頂付近の牧場も、霧に覆われて数メートル先さえ見通せない。

 

 

 

この道の先には何もなく、霧に入った途端にすとんと落ちてしまいそうな錯覚に襲われる。

 

 

牧場を抜け、森の中に入ると、幾分か霧が薄くなった気がする。霧の向こうに揺らめいていた牧場の木々とは異なり、森の木ははっきりとその輪郭が捉えられる。

 

 

 

標高が下がると、霧はすっかり何処かへ消えてしまった。

 

 

一日振りの地上が近付き、足取りも軽くなる。

足元には若い木の切り株があり、その切り口に苔たちが落ち着いていた。若い木と言っても、人間のそれよりは遥かに長い時間を此処で過ごしているのだろう。

 

 

此処まで下りて来ると、漸く下界の街もはっきり視界に捉えられるようになる。青空も見え始めている。

 

 

まだ暫くは歩かなければならないが、確実に人間の世界が近付いて来ている。

 

 

 

太陽が出て気温が上がり、早くも汗ばむ陽気である。

足元の地面から湧き出す透明な水が、見るだけでも気持ち良い。

 

 

森の切れ目でふと空を見上げると、すっかり霧は晴れて夏らしい白い雲がくっきりとセルリアンブルーとのコントラストを描き出していた。

 

 

嫁と初めて一緒に訪れた遠野旅行は、想像したものとはちょっと違っていたが、これも何年かしたら記憶のひと欠片に収まるのだろう。

今日も暑くなりそうである。

 

何も見えない下界を眺めていても状況は変わらないので、外に出て山頂の道を歩いて見た。西の空には綺麗な夕焼けと、その上空から迫る夜の澄んだ闇が広がっていた。

 

 

 

天気に怨みごとばかり言っていても仕方ないので、気持ちを切り替えて晩ごはん。今日は、まだ独り身だった頃に何処だかで買った、いちご煮うにほたての缶詰だ。

元々が高い食材をふんだんに使っている缶詰で、どちらも英世が2人前後旅立つ程度の御値段だが(幾つかのメーカから似た商品が出ている)、極めて芳醇な出汁の深みは完全に缶詰の域を超えている。釜石あたりまで行くと何処でも買えるので、少し奮発してでも是非味わってみて頂きたい。

 

 

食事を終えても状況はあまり変わらない。この間に何人かの見物人が麓から上って来たが、何も見えない下界に諦めて帰って行った。

我々はそう簡単に下山することも出来ず、不貞寝するくらいしか選択肢がない。

恐らく打ち上げ会場では、何の問題もなく綺麗な花火が見られているのだろう。それをこんな提案をして、結果的にせよ嫁に悪いことをした。

 

そんなことを考えていると、有り難いことにほんの僅かだけ霧が引き、下界の明かりと共に打ち上がる花火を数発だけ見ることが出来た。

 

 

 

 

霧の中に浮かび上がる打ち上げ花火というのも、これはこれで綺麗だ。

嫁も少しだけでも見られて良かったと言ってくれた。今回の旅も実りあるものになり、良かった、良かった……。

 

一応、その後花火大会が終わるまで下界を眺めていたが、そのうちに再び霧が濃くなり、今度こそ視界は真っ白になってしまった。何年か振りに遠野の夜景を見たかったが、こればかりは仕方が無い。

我々は山小屋に寝袋を拡げ、夜が明けるまでの短い眠りに就くのであった。

 

下界は薄紅色に染まり、人々は晩ごはんの支度を始める時間である。

今日は半日山小屋でじっとしているだけだったが、とても楽しい時間だった。こうして遠野の一日は暮れて行く。

 

 

 

 

そして、街に明かりが灯り始め、暗くなれば遂に花火が始まる時間なのだ。

しかしながら、後僅かでその瞬間が訪れようかというこのタイミングで、もくもくと沸き立った雲が遠野を囲む山々から流れ込み、盆地に溜まって行った。

 

 

 

 

バイパス周辺には既に夜の明かりが瞬いている。雲はその光をも隠さんというばかりの勢いで、遠野の街を闇に染めて行った。

 

 

 

 

 

 

夏の遠野には往々にしてある光景だが、幾ら何でも今日に限ってこれは酷過ぎる。神は俺を見放し給うたのだろうか。

ただし、まだ花火が打ち上がるまでには時間がある。いっとき霧が掛かっただけで、完全に夜になれば再び下界が見えるようになるだろう……。

しかし結論を言うと、そんな俺の一縷の望みも虚しく、この雲が晴れることは朝になるまでなかったのである。

 

日が長い夏の午後とはいえ、何時間も下界を眺めていると次第に日が傾いて来る。雲の白と空の青が原色然とし、透明な光が地上にくっきりと影を描き出す。

 

 

 

 

 

 

山の陰影は昔話の挿絵のように、夏の夕方の日差しによって殊更に強調される。

 

 

 

やがて遠野の街一帯が雲の影に入ったが、一角だけ光が差し続けている。円形に建物が立ち並び、それに囲まれるように命に満ちた田園が光を浴びている。神秘的な刹那である。

 

 

 

 

土淵方面は完全に霧に覆われている。この後の天気が心配だが……。

霧の中に、虹の片端が降りているのが僅かに確認出来る。

 

 

山の中から始まった虹は色鮮やかで、自ら困難に満ちた厚い雲の中に飛び込んでいるように見える。

 

 

 

 

 

 

虹は光と雲の移り変わりによって自身もその姿を変え、暫くして消えて行った。

 

 

隣で昼寝をしていた嫁は目を覚まし、暮れ行く遠野盆地を眺め始めた。もう少しで太陽が沈み、夜が来る。