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真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

午後になり、少しずつ日差しがじりじりと、遠野盆地全体を透明な熱で包み始めた。上空の雲は晴れ、下界に影はなくなっている。

 

 

 

 

田園の鮮やかな緑が、夏の西日に照らされて僅かに揺らいで見える。

 

 

 

 

また暫くすると、北東の山の向こうから暗い雲が近付いて来るのが見えた。遠野の夏らしいと言えば夏らしい空模様で、夜になると天候が不安定になる傾向があるが今日は大丈夫だろうか。

 

 

 

地上に再び黒い影が落ち、その僅かな場所にだけ差す太陽の光が絶えず形を変え続ける。

 

 

 

 

 

白望山を望む空は霞に覆われ、山の稜線すらはっきりとは見えなくなっている。そしてその霞を切り裂くように、ひと筋の虹が雲に向かって延びている。

 

 

 

 

 

 

頼りなげに見える七色の光が、荒れ狂う雲の中に身を投じる姿を見て、日常とは違う場所に来たことを実感する。

 

昼ごはんには、独り身の頃からときどき旅先で食べているスープの缶詰を、ごはんと一緒にいただいた。本来牛乳で伸ばして食べるものだが、ごはんと食べるとドリアのような感じになり、これはこれで美味い。

 

 

他に、一時期流行っていたアジア料理の缶詰も食べた。麻婆豆腐やタンドリーチキンといったエスニック料理が詰まった缶詰で、結構好きだったのだがこれ以降見掛ける機会はない……。

 

 

午後になると、遠野の上空に雲が掛かり、太陽の光を隠してしまった。唯一、八幡から土淵に抜けるあたりの一角だけが、スポットライトを浴びているかのように明るい光に照らされている。

 

 

 

土淵の奥にも、一ヶ所陽だまりのように明るいところがある。あの場所からこちらを見上げるとき、其処にはどのような景色が映って見えるのだろうか。

 

 

 

綾織方面は明るいようで、また山小屋がある高清水の山頂付近にも、暖かい日差しが届いている。

 

 

 

 

暫く地上を眺めていると、漸く雲が遠野の上空から移動し始めたか、土淵のほんの一画だけに当たっていた光が次第に大きくなって行った。

 

 

バイパスの遥か先、青笹から上郷に掛けても、薄っすらと明るくなっているのがわかる。

 

 

パラパラと起こっていた拍手がやがて大きなうねりになり、遠野盆地という舞台の隅々まで広がり行くように、頼りなく見えていた光は次第に大きな束になって遠野に集まりつつある。

 

 

光はどんどん大きくなり、土淵一帯はほぼ晴れ上がった。

 

 

遠野の中心街にも次第に光が広がりつつあり、そのうちに完全に晴れ上がることも期待出来るだろう。

 

 

さっき昼ごはんを食べたばかりだというのに、山の上で過ごす時間はとてもエキサイティングで、すぐに小腹が減る。俺はリュックに詰めて持って来たおやつを取り出し、嫁と分けて食べることにした。

 

 

そしておやつを食べ終えると、嫁は昼寝を始めた。俺もやることはないので、暫くのんびりと遠野に降り注ぐ光の移り変わりを眺めることにした。

 

綾織から山頂への道は、牧場地帯に差し掛かるとほぼ全面的に視界が開け、下界の景色を含め実に広大な空間に放り出されたかのような感覚を味わうことが出来る。

 

 

 

 

 

高清水が好きだという人も、大半は特にこの綾織側の景色が気に入っており、アプローチするルートもこちらであることが殆どではないだろうか。

 

 

 

 

 

それでは松崎側の道はというと、綾織側と打って変わって森が深く、路面があまり良くないうえに距離も長いので、通る人は殆どいない。そのぶん、山頂に到達して一気に視界が開けた瞬間の喜びは大きいのだが。

 

 

牧場地帯に入れば確かに視界は開けるのだが、山の斜面からは離れた位置に道が敷かれているため、道すがら下界の景色を眺めるということは出来ないのだ。天気が崩れると霧が掛かり易く、道中心許無いというのも敬遠されがちな理由だろうか。尤も、そのような天候で鬱蒼とした森を歩くのも俺は好きなのだが。

 

 

もう山頂付近で歩ける場所は歩いてしまったので、小屋に戻ってゆっくり過ごすことにする。

 

 

 

雲は相変わらず多いものの、天気が大きく崩れる心配はなさそうだ。

俺は基本的に長い間同じ場所でじっとしていることが出来ない人間なのだが、遠野の景色はどれだけ長い間でも見ていられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

小一時間程ぼーっと過ごしていたら、お腹が減って来たので、そろそろ昼ごはんにする。

 

日が高いうちに小屋を出て、少し歩いて見ることにした。

 

 

綾織から約6.5km、以前はパティと一緒に登ったりしていた。当時から何かが変わっただろうか。

 

 

小屋からはバイパスから北側しか見えないが、少し歩くと山陰に隠れた綾織方面の景色も見ることが出来る。

 

 

 

途中で下りの斜面に入れる道がある。と言ってもすぐに道は終わってしまい、斜面はそのまま牧草地に続いているため先に進むことも出来ないが、綾織の街を見下ろすならこの場所が良い。

 

 

 

 

土淵方面と同様に、道沿いに家々が寄り集まっているのみで他は田圃と山ばかり。空は呆れる程に遠く、目に見える小さな世界は光輝いている。

 

 

 

遠野に来て初めて歩いたのが、千葉家を目指す綾織の道だった。そんなことを思い出しながら、夏にしては涼しい山の上の風を感じながら歩いた。

 

 

 

高清水は高々800mにも満たない山だが、それでも山頂から見上げる空はとても近く、手を伸ばせばあの雲が掴めそうに感じる。

 

 

 

上空には少し雲が増えて来た。夏の遠野らしい空模様だ。

 

 

一度小屋に戻り、ひと息吐く。今度は小屋の向こう側の道にも足を延ばして見ることにした。

 

昼が近くなり、我々は街で車をチャーターし(つまりTAXI)高清水へ向かった。本当ならばハイキングのように歩いて登りたいところだったが、今日はまだ先が長い。今はまだ体力を取っておくところだ。

 

 

久し振りに訪れた高清水の展望台は空が近く、何処までも歩いて行けるような雲と山々が広がっていた。突き抜けるような青空も良いが、こうして山すらをも軽く凌駕する夏の雲を見上げ、自分の存在の小ささを実感する時間がとても有り難い。

 

 

 

 

 

展望台からは綾織方面、市街地から青笹方面、土淵の奥の方まで見渡せる。太陽の光が雲に遮られ、地上に影を落としている。雲が風に揺れ、地上の影の形も目まぐるしく変わって行く。

 

 

 

バイパス周辺に多くの建物が密集している以外は、大部分を緑の田園が占めている。土淵方面に目を遣ると、もう人知など疾うに及ばない世界でちっぽけな人間たちが暮らしていることがよくわかる。

 

 

 

地上は光と生命に溢れている。とても静かで、風が止むと本当に無音に近い時間が訪れる。そのとき眼下に耳を澄ますと、街で暮らす人々の声が聞こえて来るのだ。目を凝らせばその様子さえ見えることもある。

 

 

 

 

遠野は小さな盆地に形成された街で、周囲は何処までも山に囲まれている。山を挟んで遠くの街が見える……ということもなく、この街以外は地の果てまで山しかないのではないかと思うくらい、山は深く人々の街は小さい。

 

 

 

 

土淵の一番奥には、白望山が鎮座している。遠野の果ての果てであり、地上からその姿を拝める場所は殆ど無い。その人を寄せ付けない場所のさらに奥に、マヨヒガがあると伝わっている。まるで手が届かなさそうな場所に、俺が知らない世界がまだまだたくさんある……考えるだけで気が遠くなるような景色だ。