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真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

汽車はゆっくりと峠を越え、宮守に差し掛かる。なかなか雲が晴れないが大丈夫だろうか。

 

 

遠くの山の麓に宮守分校の校舎を望む。俺は卒業生でも何でもないが、個人的にとても思い出深い場所なので、そのうちにまた訪れたい。

 

 

 

歩き慣れた吉金の交差点を通過。

 

 

宮守の市街地に差し掛かり、遠くにめがね橋の姿が見えて来た。

 

 

宮守駅で何人かの乗降があり、そしてまた汽車は峠へ向けて旅を続ける。雲は多いが、地上の街は明るい。

 

 

 

柏木平の峠を越えると、後は平坦な遠野盆地へ。見通しの良い大平原を走ること約30分、汽車は遠野駅に到着した。

 

 

この場所から俺の新しい旅が始まる。

 

 

 

跨線橋の上からは、何時もならば六角牛の雄姿が拝めるのだが、今日の雲は分厚い。

 

 

高清水方面はもう少し晴れて欲しいが。

 

 

取り敢えず改札を出て、様子を見つつ夜に向けた準備を整えることにする。

 

 

 

花火は当然だが夜に上がるので、今から高清水に登っても殆どやることがない。ということで、まずはおやつタイムを兼ね、何時も世話になっているカッパ店長に嫁を紹介しに行くことにした。

 

 

店長に嫁を紹介すると、御祝儀にとジンギスカン丼をサービスしてくれた。今食べるか、後で食べるために取っておくかで迷ったが、朝が早く小腹が減っていたため、食べて行くことにした。

 

 

また今日はSLの運行日なので、SLパフェも発注することが出来た。

チョコブラウニーで模ったSLに、車輪はリングスナック、線路はポッキーで表現されていた。カッパジョッキパフェのインパクトは別格としても、カッパ店長以前からののんのんの伝統がこのような新しい形で受け継がれている様子を見ることが出来るのは、とても嬉しい。

 

 

 

小一時間店でゆっくりし、日も高くなって来たところでいよいよ山に向けて出発することにした。

 

1月の遠野への旅から半年以上が経ち、この間に彼女は嫁になった。そして気付けばすっかり暑くなり、そろそろ久し振りにまた遠野へ旅をすることにした。

今回の目当ては、毎年8月15日に行われる早瀬川の花火大会。学生の頃に足を運んで以来だ。

ということで、朝ごはんを食べて早速出発だ。

 

 

また今回は、地上からの花火見学は嫁も俺もしたことがあるので、視点を変えて高清水の上から見てみようということにした。一応、野生動物も住んでいる山なので、クマ鈴を持参する。

 

 

今日は上野駅から朝一番の新幹線で出発。5時過ぎに本郷から歩いて天神様の坂を下り、6時前には上野駅に到着した。

 

 

新花巻駅で釜石線に乗り換えるので、乗車したのは所謂遅い新幹線だが、それでも片道半日掛けて岩手を目指していた旅と比較し、新幹線は一足飛びに北関東を越えて東北に届いてしまう。車窓に広がるのは、久しく見る懐かしい光景である。

 

 

 

 

 

この日は夜明けから雲が多かったが、目的地が近付くに連れ少しずつではあるが青空が顔を覗かせた。

 

 

 

 

 

出発から3時間半強で新花巻駅に到着。上から釜石線のホームを見下ろす機会は滅多にないので、新鮮だ。

 

 

 

遠野へ向かうときには必ず花巻駅で乗り換えていたので、今回その花巻駅と似内駅を目にすることが出来ないのは、少々残念ではあるが。

 

 

新花巻駅にはStelaro=星座という愛称が付けられている。宮沢さんの「星めぐりの歌」に因む愛称だろう。

見上げれば銀河鉄道とは似ても似付かない新幹線の高架が目に入り、片や地上のホームはその長い歴史を感じさせる。

 

 

 

元々新幹線の新花巻駅は設置の予定がなかったが、様々な紆余曲折を経て花巻市民の悲願の結実として1985年に開業した。そして同時に、現在の新花巻駅よりも花巻寄りに約500mの位置にあった矢沢駅が、新幹線との乗り換えが出来る現在の位置に移ったのだ(この話は映画化もされている程だ)。

上に「長い歴史」と書いたが、新花巻駅としての歴史は40年にも満たない。しかしその前から百年以上に渡り、地元・矢沢地区の人にとっては鉄道と共にする歴史があったのだ。

 

 

此処からは釜石線の汽車に乗り、何時ものようにのんびりした旅が始まる。

 

池之端から無縁坂を上ると、東大の裏手に出る。此処からが俺のテリトリーである文京区だ。

 

 

 

坂の途中には講安寺という小さな寺院があり、夜でも庭園を覗くことが出来る。

 

 

本堂の前には一本の桜の木が植わっており、春になると美しい花を咲かせるのだ。

 

 

 

山門に掲げられた「還愚唯黙和」の意味は様々に解釈出来そう。まあ字面通りに考えるなら、「自分の愚かさを自覚し余計なことは言うな、それが唯一の平和への道だ」といった感じだろうか。

 

 

鉄門(24時まで開いている)をくぐり、東大の中を通って菊坂の自宅へ。

医学部研究棟の前には円形の広場があるのだが、この場所で年が明けてもクリスマスツリーのイルミネーションに明かりが灯っていた。

 

 

 

派手なキラキラしたイルミネーションより、こういうのが好きだったりする。

 

 

 

赤門に続く銀杏並木を歩く人は、この時間には流石にいない。街灯の明かりが寂し気だ。

 

 

赤門はもう閉じられているが、脇の通用門は日付が変わるくらいまで通ることが出来る。

 

 

夜の赤門は昼間の表情と違い、芥川龍之介の小説に出て来そうな迫力がある。

 

 

正門も同じように、通用門は日付が変わるまで通ることが出来る。

調べてみたら龍岡門と地震研正門は終日解放されているので、敷地内に閉じ込められてしまうということはないようだ。

 

 

本郷台地から菊坂下に下る坂は幾つかあるが、今日は新坂を歩いて見る。かなり急な坂で、上るのにも下るのにも少々苦労する。

この坂の上にはかつて蓋平館という安下宿があり、金田一京助さんや石川啄木さんが下宿していた。石川さんは蓋平館に来る前は、与謝野鉄幹さんの自宅に転がり込んだ後に赤心館というところで暮らしていたが、家賃が払えずに追い出されたらしい……。

 

 

 

ようやく菊坂下の自宅に戻った俺は、簡単に晩ごはんを用意して食べることにした。

以前岩手で貰ったいわちくのチャーシューを使った野菜炒めと、これまた貰いものの岩手県産舞茸その他を具材に煮込んだ蕎麦ひっつみ(ひっつみみたいに幅広で薄い蕎麦)を作った。どちらも俺の腕前故に見た目は微妙だが、味は非常に良い。

 

 

 

また、彼女から別れ際に岩手の菓子を貰っていたので、おやつにつまむことにした。こんな夜中に食べて、腹回りが心配だ。

 

 

このような感じで、とても長い3日間が終わった。今回は出初式の見学は独りで行ったが、彼女と一緒に宮沢さんの所縁の店で蕎麦をいただいたり、途中下車して渡り鳥に会いに行ったりと、こういうエクストリームでない旅も良いのかもしれないと感じた。

これからどんどん、彼女と一緒に遠野に足を運ぶ機会があるのだろうか……と思っていたが、彼女の実家や岩手県外の知人を訪ねる機会もあったりで、次に一緒に遠野に足を運ぶのは、すっかり暑い季節になってからなのであった。

 

花巻から汽車に乗った我々は、岩手の街に別れを告げて宮城県を目指して行った。

 

 

汽車の中では、彼女が実家の近くで買って来てくれたスイーツをいただいた。特に、盛岡キャベツという巨大なシュークリームの存在感が凄い。

 

 

 

我々は途中の新田という駅に寄り道し、駅の近くにある伊豆沼というところへ行った。此処はラムサール条約に指定されている水鳥の楽園で、厳冬期には白鳥や雁といった渡り鳥たちが大挙して飛来する。汽車の窓からも見える広大な水辺に憧れ、ずっと来て見たかった場所だった……。

 

 

 

 

僅かな時間だがたくさんの水鳥たちに出会うことが出来、気付けばすっかり日が暮れていた。

我々は仙台まで汽車を乗り継ぎ、仙台からは新幹線に乗ることにした。

 

 

 

訪遠時には寄り道している間に汽車が止まり、泣く泣く新幹線に乗らざるを得なかったが、今日は何の問題もなく新幹線に乗り込み、上野に向けて出発した。

 

 

 

 

長旅の疲れか新幹線の中では寝てしまい、景色など楽しむ余裕もなかったが、上野駅が近付くとしっかりと目を覚ました。

彼女は此処からさらに地下鉄に乗り換え、当時の住処である西新井に帰って行った。

 

 

俺も歩いて本郷の自宅へ帰る。

 

 

独りに戻り、駅ビルの煌びやかなネオンが何故だか虚しく見えた。

何となく真っ直ぐ帰るのが寂しく、上野公園に立ち寄ってみると、木々がライトアップされていた。暫くそれを眺めていた。木は目まぐるしく光の装いを変え、足早に去り行く人を健気に呼び止めているかのようであった。

 

 

 

 

 

 

そのまま不忍池に抜け、対岸のあの静かに光る街を目指す。

 

 

 

コンクリートジャングルにおける人工の光とはいえ、俺は夜景を見るのは好きだ。特に派手でキラキラしている光景よりも、あの明かりひとつひとつが人の営みの明かりなのだと感じられる、静かな夜景が特に良い。そして今から、あの明かりの中のひとつに戻って行くのだと思うと、何だか胸が少しだけ暖かくなる気がする。

 

花巻駅の近くには藤木大明神という小さな神社がある。

 

 

小ぢんまりとした境内に、藤木大明神と妙見菩薩堂とのふたつの御社が並んで立っている。

 

 

 

御神木は榎の木で、何と樹齢450年程も経ているらしい。北松斎(きた・しょうさい)という、花巻の街を整備した謂わば花巻の開祖ともいえる人がこの場所に植えたということだ。

 

 

 

由緒には元々、裏にある雄山寺の鎮守として勧請された神社であるが、花巻駅が開業して駅前の集落が整備された際に、改めて駅前の鎮守として整備された、ということが書かれている。

 

 

境内の片隅には、1945年8月10日にこの場所に爆弾が投下されたことを示す石柱が立っている。由来など何も書いていないことが、出来事の凄惨さを際立てている。

 

 

裏手には、雄山寺と花巻保育園に下る階段が。近くの砂場は今では思い出の場所だ。

 

 

御社には、花巻の他の場所でもよく見掛ける、穴が開いた小石が大量に納められている。他の場所でも稀に目にすることはあるが、見掛ける頻度は圧倒的に花巻が高い。いったいどのような理由がある行為なのかが謎だ。

 

 

 

境内は崖の上にあるため、花巻の街が一望出来る。今日は少し雲が多いが、晴れた日には早池峰まで見晴らせる。

この場所から眺めている一帯が、花巻の街の中でも一番早く整備されたあたりらしい。

 

 

 

 

 

 

汽車の待ち合わせの間にふらりと立ち寄れるので、意外に良い場所だ。夜に来ることがあれば、夜景なども綺麗かもしれない。

 

 

神社で楽しんでいたら、そろそろ汽車が来る時間。岩手を離れる時間である。