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真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

昼食後、汽車の時間まで少しあるので、駅に戻りながら街を歩いて見ることにした。

雪は残っているが、除雪が行き届いていて歩き難い場所は殆ど無い。

 

 

そんな街の一角に、坂本稲荷神社というところがある。

 

 

建物の間に細く急な階段があり、上った場所に小さな空間があって御社が鎮座している。

 

 

 

 

 

屋根からは氷柱が垂れ、街の片隅にまだ冬が留まっていることを実感させる。

 

 

神社には裏道もあり(実際のところどちらが表参道なのかは不明)、街の反対側に抜けられる。

 

 

 

此処に神社の由来が書いてあるから、こちら側が表参道なのかもしれない。

以前街の高台にあった寺の和尚が、街の人々から稲荷大明神を勧請して欲しいという願いを受けてこの場所に建立したのが、坂本稲荷神社の原型だったそうだ。

 

 

新しい道が出来たことで一度は寺の境内が分断されてしまったと書いてあるが、確かに神社の下の道は、小さな丘を切り崩して拓いたような形状をしていた。

 

 

 

駅近くに戻った我々は、小さな雑貨屋に立ち寄ってみた。

 

 

 

 

 

入り口に馬の頭が置いてあってかなりのインパクトだ。

 

 

雑貨だけでなく、2階にはカフェもあり、落ち着いた雰囲気の中でコーヒーがいただける。

 

 

今回は少し余った時間で立ち寄っただけなので、じっくり商品を吟味して買いものしているほどの余裕はなかったが、そのうちゆっくり来てみても良いかもしれない。

 

我々が訪れたのは、市役所の近くにあるやぶ屋総本店。一度、花巻で食事をする機会があったら訪れて見たかった店だ。

 

 

この店には、当時農学校の教員だった宮沢さんが足繁く通った。やぶ屋の創業と宮沢さんの教員着任は時期的にかなり近く、店主とも非常にウマが合ったらしい。

農学校時代の生活は、宮沢さんの生涯において最も(金銭的に)安定しており、よく同僚や貧乏をしている仲間を誘っては「BUSH(=藪)に行きませう」などと言ってやぶ屋に繰り出していたという。

宮沢さんはやぶ屋で天婦羅蕎麦と三ツ矢サイダーをいただくのが定番だったようだが(彼は下戸だったため「一杯やろう」の一杯は常にサイダーのことを指していた)、当時の彼の月給80円/賞与100円に対し、天婦羅蕎麦は15銭、サイダーは何と23銭もした。単純な比較はできないが、現代の価格に換算すると天婦羅蕎麦が約1,000円、サイダーは約1,500円に相当することになる。

一応、天婦羅蕎麦を基準とすると、宮沢さんの月給もそれなりに良かったようである。

 

 

メニューの表紙は鹿踊りの切り絵だ。宮沢さんの童話「鹿踊りの始まり」をモチーフにしているようだ。

 

 

本当は此処で宮沢さんと同じ天婦羅蕎麦を発注すべきだったのだが、ちょっと背伸びして天婦羅の盛り合わせと掛け蕎麦のセットにしてしまった……。なお当時の掛け蕎麦の価格は6銭だった。

 

 

時代が下り、宮沢さんにとってはちょっとした贅沢品だった天婦羅蕎麦が、こうして気軽にいただけるようになったことに感謝しよう。

 

 

そして、メニューには三ツ矢サイダーも当然ある。透明でシュワシュワと泡が立つ様子は、眺めているだけでワクワクする。

 

 

子供の様にいろいろなことを感性鋭く享受していた宮沢さんと、今同じものを見て同じものを食べている。

浮かんでは消える日常の中の出来事を、弾けて消えるサイダーの泡に重ねて見ていたのかもしれない。

 

峠の途中で花巻市に入り、遠野市とはこれでお別れ。

 

 

少しずつ車窓には平地が増え、僅かだが青空も顔を覗かせている。

 

 

東和の外れ、晴山の田園。背後に山が迫り、街と街の境界であることを感じる光景であり、毎回このあたりを通るのが釜石線に乗る楽しみでもある。

 

 

 

そして東和から小山田にかけて広がる棚田。これも釜石線沿線でとても好きな風景のひとつだ。

 

 

 

 

三郎堤には以前、エイスリンちゃんを探して足を運んだことがある。この季節には白鳥がたくさん飛来している筈だが、そのうちまた訪れて見ようか。

 

 

 

北上川を渡ると、花巻の市街地はもうすぐだ。

 

 

車窓に急にたくさんの家が見えるようになり、一気に山から街へ下って来たことを実感する。

 

 

 

 

花巻駅の虹の看板に出迎えられ、とても長かった気がする釜石線の旅が終わった。

 

 

 

普段は此処からさらに汽車を乗り継いで南へ下って行くのだが、今回は駅の待合で盛岡に帰省していた彼女と待ち合わせ、一緒に東京に戻ることにしていたのだ。

 

 

俺は長旅をする割には道に迷ったり、目的地に上手く辿り着くのに失敗したりするので、無事に彼女と合流出来るか心配だったが、できた。

丁度昼ごはんの時間になる頃合いだったので、ふたりで花巻のとある店を訪ねて見ることにした。

 

峠を越えると、次第に空模様は良くなって行く。幻想の中の遠野盆地が遠くになる。

 

 

 

夏の間だけ人の営みが繰り広げられる場所は、完全に雪に埋もれている。

 

 

 

やがてまた人が住む世界へ近付き、雪にまみれた宮守の街が見えて来た。

 

 

 

宮守では花巻から来る汽車とすれ違うため、数分の間停車する。昨日来たばかりだが、宮守に少しの間でも滞在出来るのは何となく嬉しい。

 

 

 

 

そのうちに向こうから汽車が来た。こうして名前も知らない人たちと一瞬の間にすれ違って行く。

 

 

 

宮守を出た汽車は、また真っ白な世界を進んで行く。少しだけ日が差し、電柱や並木が黒い影を落としている。

 

 

何もない雪原の一番奥に学校が見える。宮守に別れを告げて、汽車はまた峠を越えて旅を続ける。

 

 

 

 

今や太陽は雲の上に姿を見せ、明るく地上を照らしている。

 

 

冬でも凍らない猿ヶ石川が幽谷の間を流れ、太陽の光を受けて白く輝いている。揺らめくその光は、世界の時間が止まっていないことを示している。

 

 

峠の間に暮らす人々の中を、汽車は走って行く。

 

 

 

この峠を越えれば、もう花巻は目の前である。

 

野山は強い吹雪に見舞われ、全くと言って良い程に景色は白一色である。唯一、冬でも凍らずに流れる猿ヶ石川の黒々とした水面が、紙の上にインクを流したかのように横たわっている。

 

 

 

森も山も街も、白いカーテンに覆われてその姿を見ることは出来ない。この向こうに確かに、此処で暮らす人々、流れる川、山の鳥たちがいる筈なのだ。しかしそれは、今や現実から掻き消されてしまったかのように、確認することが出来ない。

 

 

 

 

綾織の一本木に見送られると、いよいよ寂しい雪原が姿を現す。時折見える集落も家の数は多くなく、冷たい白の向こうにいる何かを畏れながら、身を寄せ合って春を待っているかのようだ。

 

 

 

 

 

遠野盆地を離れてこれから峠に向かおうかというあたりでは、ますます雪が強まり、もうこのまま一切合切を埋め尽くして仕舞おうかという冬の空の強い意志を感じる。

 

 

 

俺はこれまで遠野の冬を題材にした作品に触れる機会が何度かあった。夕暮れの雪道、立ち並ぶ電信柱の下を歩いて帰る地元民の姿を捉えた絵葉書。木炭で描かれた冬の早池峰神社の画。そんなものたちに出会いながら、冬の遠野への憧れを強くして行った。

しかし、冬の空が少し気紛れに息を吹けば、その前で人間は無力である。