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真・遠野物語2

この街で過ごす時間は、間違いなく幸せだった。

飯豊神楽に続いて、六角牛神楽も来た。

猿田彦と旗手が先導を務め、剣を持った舞い手やゴンゲサマが続く構成は共通だが、猿田彦やゴンゲサマの出で立ち、舞い手の動きなどは、地域によって全く異なる。

 

 

 

 

 

通りを行進する団体だけでなく、沿道では門掛けも行われている。

大勢の人に囲まれる中で、頭に倭文(ひどり)神社の名を掲げた鹿が躍っている。

 

 

 

丁度門掛けが終わり、正面から写真を撮らせてくれた。

 

 

再び通りに目を向けると、婦人の手踊りの一団が来た。華やかな装いをした、様々な世代の御婦人が大勢参加している。遠野に住む人ならば誰でも演じ手になれるのが遠野まつりなのだ。

 

 

 

続いては、宮守さんさの一団が来た。御婦人たちから一転し、小学生程の年代の子供たちが初々しく踊っている。

 

 

 

 

太鼓には宮小さんさ踊りと掲げられている。学校の部活で伝統芸能を行うこともあるが、こうして親にやらされるわけでもなく、自分から好きで伝統芸能に身を投じる子供たちがいるというのはとても嬉しい話だ。

 

 

 

煌びやかな衣装に身を包む子もいる。こうした華やかさへの憧れもあるのかもしれない。

 

続いて防火神輿が来た。神輿の上には少年が陣取り、ちょっとおっかなそうにしながら餅を蒔いている。

 

 

 

こちらは鷹鳥屋獅子踊り。鷹鳥屋だが鹿頭には南部神社と銘打たれていたりする。

 

 

 

 

次は飯豊神楽。市街地に近い地域の団体というアドバンテージか、構成人数は老若男女問わずかなり多い。

 

 

 

 

扇子と刀を持って踊るのは、主に少年少女たちだ。こういう子たちが、将来大人になったときに、このときの自分たちくらいの子供たちに伝統芸能を教える立場になっていて欲しい。

 

 

 

ゴンゲサマを操るのも、まだ年端も行かない青年だ。だが、その勇壮な様は既に立派な伝統芸能の担い手である。

 

 

 

こういった行事の担い手たちを見て、あぁ若いなぁ、と思う自分が何時の間にか段々と年を取って来たことに気付き、何か少し寂しくなってしまう。自分にもこのような時代はあっただろうか。

 

 

 

 

 

 

 

ともあれ、現在伝統芸能の一線で活躍しているベテランたちにも、必ず彼らくらいの年代を過ごして来た経験がある筈だ。自分が経験して来たことを知識として伝えて行く意思を持った大人をこそ、立派な大人と呼ぶのだ。

 

遠野の友人の多くは、郷土芸能や神輿の担ぎ手として遠野まつりに“出る側”であり、何時もとは違った表情が見られる。

駅前で早速幾人かの友人と再会し、嫁の紹介と今日の激励をすることが出来た。

 

 

民話通りでは既に遠野まつりのオープニングセレモニーは終わり、郷土芸能の行列が始まっていた。

 

 

猿田彦を先頭に、遠野中から集まって来た郷土芸能団体が幟を掲げて行進する様は、圧巻だ。

 

 

 

気が早い神輿は、行列の直後にくっついて、餅を蒔きながら行進している。

 

 

 

鹿踊りの行列も来た。この紋章は、早池峰郷の鹿踊りだ。

 

 

 

 

鹿踊りはこの後にも存分に見られるので、とても楽しみだ。

その後、各地の神輿の一団がやって来た。多くの団体では神輿の上から餅を蒔いているが、最近では餅だけでなく、その団体が属する地域の特産――野菜など――を蒔いたりもするようだ。

 

 

 

 

 

 

東雲會の神輿は花で飾り付けられており、蒔いているのも餅ではなく、花だ。

俺も目の前に飛んで来た花を幾つか頂いた。とても綺麗な花だ。

 

 

 

特に何かを言われたわけでは全くないが、まるで遠野中から祝福を受けているような気になり、とても嬉しかったのだ。

 

花巻の市街地を離れ、瀬川を渡ると、見慣れた釜石線の車窓と再会出来る。

 

 

 

今回は、嫁だけでなくもうひとり旅の友がいたりする。

 

 

暫くは花巻の都市の香りが残る車窓の風景が続くが、北上川を越えると汽車はいよいよ日本の原風景に入り込んで行く。

 

 

 

新花巻から土沢に掛けては広い棚田がとても美しいが、その一部は水田ではなく、野菜類が育てられる畑だ。土が剥き出しになっている区画では、これから冬や春の野菜を育てる準備をするのだろう。

 

 

 

東和を抜けると、汽車は市境の峠道へ。釜石線の難所といえば仙人峠を越える区間だが、このあたりも山は深く、極端に危険な場所こそないものの秘境っぽさでは引けを取らない。

 

 

宮守の外れに差し掛かると、車窓には黄金色に彩られた美しい田園が見えて来た。

 

 

輝く大地と空の向こうに、分校の校舎もまだ残っている。

 

 

吉金の交差点を過ぎ、めがね橋が見えて来ると、いよいよ宮守の市街地に突入する。

 

 

 

思い出が多い宮守駅のホームを眺める時間は、釜石線に乗る際の大きな楽しみだ。

 

 

宮守駅を出てめがね橋を渡ると、汽車はまた険しい峠道に差し掛かる。何時も宮守との邂逅は一瞬だ。

 

 

 

峠の途中にも水田があり、稲穂がたわわに稔っている。周囲に人の気配はないが、はるばる街から足を運んで手入れをする農家の方がいるのだ。

 

 

柏木平から鱒沢へ、峠を下ると、いよいよ遠野盆地へ。

 

 

 

花巻から約一時間で、遠野駅に到着する。

遠野では殆どの乗客が汽車を降りた。皆、祭りが目的だろう。何時になく高揚した人間の熱気に、蜻蛉も何ごとかと様子を見に来た。

 

 

 

俺も跨線橋の階段を一歩、一歩と踏む度に気分が高まって行く。

 

2015年の4月に入籍した我々は、9月に神田の教会で式を挙げ、そして嫁の親戚に挨拶回りをするために一週間程岩手に滞在していた。その間に丁度遠野まつりの開催日が含まれるため、遠野で世話になった人たちへの挨拶も兼ね、一泊二日で遊びに行くことにしたのだ。

 

出発の日の朝ごはんは、嫁の実家で食べさせていただいた。沿岸の鮑に塩雲丹、近くの山で獲れたきのこの天婦羅の蕎麦など、非常に豪華だ。

 

 

旅のおやつに、近くのスーパーで買った南部せんべいのカレー味を持参する。

 

 

食後の後片付けなどしているうちに良い時間になったので、実家の最寄りの仙北町駅からいよいよ出発だ。

 

 

此処から30分程本線に揺られ、花巻で釜石線に乗り換えるのだ。

 

 

朝方少し曇っていたが、汽車が走り出してすぐに青空が広がった。県央の田園地帯には黄金に色付いた稲穂がたわわに稔っている。

 

 

気が早いところでは、もう稲刈りが終わっていた。遠野でも、祭りが終わるまでは刈り取りが始まらないことが多い中で、これは早い。

 

 

汽車は矢巾、紫波、日詰といった街を通過して行く。今までは遠い世界の地名だと思っていたが、何時の間にか行ったことがない街の方が少なくなって来たくらいだ。

 

 

東側の車窓には、天気が良いと早池峰の姿が見えるのだが、今日は残念ながら雲が多く、その姿は拝めそうになかった。

 

 

 

汽車は定刻どおり花巻駅に到着。今日は遠野へ向かう人が多いのかと思いきや、汽車待ちをしているのはまだ3人程度だった。

 

 

 

 

暫く待ち、我々が乗る汽車も定刻どおり到着。それに合わせるかのように、何処からともなく大勢の人が汽車の列に並び始めた。

この汽車は盛岡から来たので、車内にも既に何人もの客が乗っている。やはり年に一度の遠野まつりをひと目見ようという人が多いのだろう。

 

 

我々は早くから並んでいたおかげで、席に座ることが出来た。秋の釜石線の風景も極めて美しく、嫁と一緒に拝めるのが楽しみなのだ。