2011.3.11の東日本大震災では、津波を逃れながらも、その後に起きた福島原発事故(1号機は40年超の運転許可を得たばかりだった)で、多くの福島県民が、住まい・生業・命さえも奪われた。

原発関連死、7町村で人口1%超ー高市女史は「原発事故で死者は出ていない」と言い放ったが・・
【原発事故さえなければ、死なずに済んだ方が、人口の1%超。
コロナウイルスと原発、どちらも、人類とは共存し難い最凶の危険因子だと思うが・・

 高市女史は本気で、原発は誰も殺していないとお思いか?
原発さえなければ」と自ら命を絶たれた無念、夜叉の心には何も響かなかったか?】

自らの足では逃げられない 原発様の巨大津波への備えは不十分で、全電源喪失からメルトダウン、メルトスルーへと至り、福島原発由来の死の灰を、福島はじめ東日本の広い範囲に撒き散らす大規模環境破壊事故を起こし、11年半経った今も事故収束には至っていない。

吉田所長、東電被告3人に巨大津波想定と防潮堤の必要性〝御前会議〟で報告
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想定外のバカ=津波想定13・7mなのに、「東電が建設中の防潮堤は11m」 と、大慌て

東日本大震災の直前に防護壁の嵩上げ工事が完了し、東海第2原発は奇跡的に過酷事故を免れたが・・

東海地震の震央に位置する浜岡原発では、
浜岡原発の「張りぼて防波壁」50cm超える津波想定、中部電力2年遅れでようやく認知?



  Yahoo Japan・ウェザーニュース 11/5(土) 12:13
11月5日は「津波防災の日」 津波から身を守るために
【11月5日は「津波防災の日」です。東日本大震災発生後の2011年6月に制定された「津波対策の推進に関する法律」で定められ、さらに2015年には国連総会でも同日を「世界津波の日」と定めました。

津波防災の日の由来は江戸末期の南海地震
11月5日が津波防災の日とされたのは、江戸末期の1854年に起きた「安政南海地震」に由来します。

南海トラフ巨大地震の一つであるこの地震は、近畿や四国地方を中心に激しい揺れとなり、また、太平洋側沿岸部には大津波が押し寄せました。

この時の逸話として「稲村の火」という物語があります。村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の襲来に気づきます。村人たちに危険を知らせるため、五兵衛は刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に火をつけました。それを火事と見て消火のため高台に集まった村人たちの眼下で津波は猛威をふるい、村人たちは津波から守られたという話です。

この話は、和歌山県広川町の実業家、濱口梧陵(はまぐち・ごりょう)をモデルにしています。濱口が火をつけたのは高台に建つ神社近くの稲むらで、暗闇のなかで村人たちはその火を頼りに九死に一生を得たのです。

その日が11月5日(旧暦)だったのです。

津波から命を守る方法は「とにかく逃げる」こと
海の深さと津波の速さ

津波防災の日が制定されるきっかけとなった2011年の東日本大震災では、震災関連死を除く亡くなった方のうち約90%が津波が原因と推定されています。

津波は、迫ってくる速度がとにかく速いという危険な特徴があります。図のとおり、海が深い沖合を進む段階では時速数百kmに達し、沿岸に近づき速度が遅くなった場合でも時速数十kmはあります。

海岸で津波を目撃してから逃げるのでは間に合わない可能性が高く、海岸で揺れを感じた場合は、まず逃げるのが最も重要です。】一部抜粋