妖しい青い光を発し〝放射能という怪物〟を生み出す〝原子力という魔物〟は、
今も 原子力ムラに籍を置く 欲に塗れた人間の魂を掴んで離さない。
暴走の果てに白旗「日立」英原発「3兆円」中西会長の責任

妖しい青い光に魅入られた原子力ムラ人は、己の未熟さも顧みず、
この世に解き放ってはいけない〝放射能という怪物〟を、五重の檻に閉じ込められると過信し・・

2700度にもなる核燃料が1000度で溶ける圧力容器に・・メルトダウンは必然
【原発は、2700度まで熱くなる核燃料を1000度で溶ける鉄製の圧力容器で包んでいる装置なのです。ですから水で冷やせなくなると、核燃料が圧力容器を貫通して溶け落ちます。つまり、水が無くなったら必ずメルトダウンが起こるのです。

原発も、もしかするとこれから数々の失敗を経験し試行錯誤を重ねたら、もっと安全な装置になるかもしれません。問題は、原発はそんなふうに試行錯誤ができる装置ではないことです。

 技術が完成するより前に、地球が放射能に汚染され人が住めなくなってしまいます。原発はまだ、そのレベルの技術なのです。なのに絶対安全と言ってきた。

完成度の点でははるかに高い飛行機でさえ、絶対落ちないなどとは言っていません。】

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 東京新聞より
<薄れゆく「青い光」 JCO臨界事故20年> (下)半端な反省「ムラ」温存
【事故後、当時の所長ら六人は業務上過失致死、JCOは原子炉等規制法違反の罪などに問われ、有罪が二〇〇三年に確定。一方で判決は、管理監督の不十分さを指摘され「隠れた被告」とも呼ばれた科学技術庁(現・文部科学省)の責任を否定した。原子力安全委員会(原子力規制委員会の前身の一つ)が設置した事故調査委員会の報告書も、国に甘い内容だった。

 ウラン溶液を作る業務を発注した、現在の日本原子力研究開発機構の責任も追及されなかった。末端の民間企業に全ての罪をかぶせて幕引きした形だ。

 事故の経緯に詳しい民間シンクタンク「原子力資料情報室」(東京)共同代表の西尾漠さん(72)は「JCOが不正な作業に手を染めた背景には、発注者の無理な注文に応じようとしたことがある。不正な作業を見過ごしていた国の責任も大きい」と指摘する。

 中途半端な反省で「原子力ムラ」の安全を軽んじる体質は温存され、その後も事故は続いた。関西電力美浜原発(福井県)では〇四年、配管から蒸気が噴き出し作業員五人が死亡。〇七年には、北陸電力が志賀原発(石川県)の八年前の臨界事故を隠蔽(いんぺい)していたことが明るみに。ムラは何も変わっていなかった。

 それどころか、国や原子力業界は「原子力ルネサンス」の旗を掲げ、原発の新増設や海外輸出に狂奔。そして「3・11」を迎えた。】一部抜粋

  Yahoo!ニュースより・時事通信
「改めて心からおわび」=安全意識徹底とJCO社長-臨界事故から20年・茨城
【茨城県東海村の核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)の臨界事故から30日で20年となるのを前に、同社の桐嶋健二社長が時事通信のインタビューに応じた。

 事故について「改めて心からおわび申し上げたい」と犠牲者らに謝罪した。

 事故は、違法な作業手順が同社で恒常化していたことが背景にあった。桐嶋社長はこの点について、「安全管理が不十分で、お粗末だった。2人の方を亡くし、多くの被ばく者や風評被害も出した。起こしてはいけない事故を起こした」と話した。

 同社は事故翌年の2000年に核燃料加工の許可を取り消され、現在はウラン廃棄物の保管管理を主に行っている。重大事故の再発防止の取り組みについては、「『絶対安全、絶対無事故』という指針を事故の翌年に制定した。20年間、社員全員に話しながら(業務を)やってきた」と安全意識の徹底を図ってきたと強調。「信頼回復に努める」と語った。】