五重の防護壁に守られている?放射能という猛獣を閉じ込める檻・原子炉。
5重の壁の要・圧力容器が破裂?檻から逃亡した猛獣は・・250キロ先・東京の水道水まで汚染。
※ 都が乳児のいる家庭に水配布へ 水道水から放射性ヨウ素
  IT関係者は、原発事故から何を学ぶべきか・自己矛盾を抱えた発電プラントのコンセプト

 3月15日午前6時10分、設計圧力を越えた2号機圧力容器が破裂、大量の放射性水蒸気を放出。2 
その後2週間余りで全体の75%を占める大量の放出が続き・・

15日の夕方から深夜にかけて起きた大量放出で、
今も帰還困難区域となっている原発周辺の汚染が深刻化。

20日の夜から翌日にかけての放出が関東地方など広範囲に
広がり、一部の水道水の汚染などにつながったとみられ・・

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 NHKスペシャル 12月21日 メルトダウンFile.5 知られざる大量放出


 Wikipediaより
福島第一原子力発電所事故の経緯
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 NHKニュースWEBより
危機後の大量放出で汚染深刻化
【事故が起きてから放出がおおむね収まった3月末までに放出された放射性物質の量は47万テラベクレルと推定され、このうち、核燃料のメルトダウンや水素爆発が相次いだ3月15日の午前中までの4日間の放出量は全体の25%で、むしろ、その後の2週間余りで全体の75%を占める大量の放出が続いていたことが分かりました。

さらに、当時の気象条件を基に拡散の状況を解析したところ、15日の夕方から深夜にかけて起きた大量放出で、今も帰還困難区域となっている原発周辺の汚染が深刻化していたほか、20日の夜から翌日にかけての放出が関東地方など広範囲に広がり、一部の水道水の汚染などにつながったとみられることが分かりました。

今回の分析結果は、事故の進展を食い止められず危機的状態とされた当初の4日間のあとも放射性物質の大量放出を抑え込めていなかったことを示していますが、政府などによる事故調査は当初の4日間に重点が置かれ、その後の放出の原因については解明されていません。

「完全にやり残してしまった」

しかし、いずれも核燃料のメルトダウンや水素爆発が相次いだ3月15日の午前中までに調査の重点が置かれていて、今回、放射性物質の大量放出が明らかになった15日午後以降に何が起きていたのかは、ほとんど触れられていません。

政府の事故調査・検証委員会の委員長代理を務めた作家の柳田邦男さんは、「15日以前のことに圧倒的に重点が置かれていて、15日以降については、付随して起こったことくらいの意識しかなかった。

いちばん謎の多い原子炉からの放射能漏れのような点は、さらに継続して調査するという点では、完全にやり残してしまった」と期間がおよそ1年に限られた当時の調査を悔やんでいます。】一部抜粋