「原発事故の罪がいかに重いか・・」そして、「原発を造った罪がいかに重いか・・」、「原子力が如何に罪深いものか・・」

 原発事故の罪の重さを想えば、軽々に早期再稼動など言い出せない筈だが・・

 福島の惨状を知りながら、事故が起きれば真っ先に被ばくする福井・青森など、原発のお膝元の住民たちが原発再稼動を請い願い、自ら進んで被害者になる道を選ぶ異常さ・・

 規制委が認めた、“安全な原発”?の基準に適えば、本当に再稼動させて良いのか?
住民たちの判断力を、原発マネー依存症で奪い、断層上の危険な原発さえ押し付けてきた原子力ムラ・・
彼らに安全思想を植え付けない限り、例え“安全な原発”でも、重大事故を起こす危険は無くならないのでは?

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 福島民報より
田中原子力規制委員長が訓示 「原点を振り返る日」
【東京電力福島第1原発事故から2年の11日、原子力規制委員会の田中俊一委員長は事務局の原子力規制庁職員に訓示し「事故の反省に立って新設された規制委、規制庁の原点を振り返る日。重い責任に誇りを持ち、国民から信頼される組織を目指して最善を尽くすことを、事故の被災者に約束したい」と述べた。

 田中氏は訓示の中で、福島県浪江町の浪江小学校校長から届いたメールを紹介。メールには「周囲が以前の日常を取り戻す中、浪江の人々は奇妙な小康状態の中にいる」とつづられていたといい「こういう話を聞くたび、原発事故の罪がいかに重いかを、あらためて感じざるを得ない」と指摘した。】