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浦佐毘沙門堂裸押し合い大祭

神社仏閣と言えば頭に浮かぶ事は、お祭りやお参りだと思います。
昨今では各地の神社仏閣でいろいろな催しが行われており、きっと皆さんも何らかの形で参加したりお参りしたりしている事と思います。
中には霊など信じないと言ってらっしゃる方々も、そのような行事には参加している事でしょう。

今日は「浦佐毘沙門堂裸押し合い大祭」と言うタイトルを付けましたが、「結界」について少しだけお話しを致しましょう。
「結界」と言う言葉は、けしてアニメや漫画の世界だけでの話しではありません。
結界自体には大きく分けて、「対人結界」と「対霊結界」があります。
特に神社仏閣などは、この両者に対して準備をする必要があります。
それを怠ったり、或いは結界が古くなって途切れてしまったような場合には、神社仏閣と言えども火災や事故、如いては殺人などと言った現象に見舞われます。
また結界の規模自体は、その場所によって異なりますが、仮に一般的な家庭であれば土地の四隅、建物の周囲、そして寝室と言ったように三重結界で充分でしょう。
しかし人の出入りがあるようなお店や施設であれば、やはり対人結界と対霊結界の両方を考える必要があります。
それは善人ばかりが出入りするとは限らないからです。
ましてや神社仏閣となれば、死者を始め多くの悲しみを背負った遺族達、或いはお祓いを希望する者達など、それなりに背負い込んだ人達を迎える場所な訳ですから、厳格な結界が求められるのは当然なのです。

この写真は、2011年3月に行われた、「浦佐毘沙門堂裸押し合い大祭」の様子です。
これは境内と言う事もあって、さすがに少なからず結界が利いている為、降りている霊達も花火大会や映画館等と比べ少ないのが判ります。
この事は過去の私のブログを見て頂ければ判ると思います。
普通はこれだけの人が居れば、もっと守護霊や憑依霊が降りているはずなのですが、見て判る通り写っているのは数個のオーブだけです。
本来ならお祭りですので、もっと多くの守護霊達も居るはずです。
ですがこれ程少ないのは、背後に山や森があり、何よりも毘沙門堂と言う結界の効いている場所だからです。

結界は神社仏閣のみならず、住居や職場においても、とても重要なものなのです。
もしも寝ていて夢を見やすい方などは、一度考えてみる必要があるかも知れません。 (写真は目線と著作権表示のみ行っています。)


霊眼通信

江戸川花火大会

基本的に霊達は人の楽しむ娯楽などを好みます。
この写真は2010年8月に行われた「江戸川の花火大会」の時の写真です。
丸い水玉のようなオーブが沢山写っていますが、殆どは観客の守護霊達です。
この日は好天に恵まれ、風向きも良くとても綺麗な花火と御霊が見えました。

(注:写真は露出調整と著作権表示のみ行ってあります。)


霊眼通信-花火1

霊眼通信-花火2

夜の公園

皆さんは夜の公園でペットを連れて散歩をしたり、マラソンや運動などをしたりする事がありますでしょうか?
時折、若い子達がオールナイトと称して公園で一晩過ごすと言うような話しも聞きます。
ですが夜の公園は浮遊霊や邪鬼が居ますので、そのような行動はあまりお勧めできません。
何故なら行き場を失った霊達が夜の公園には浮遊しているからです。

彼らは殆ど無害の者達も多いのですが、そのまま憑依して付いて来る者も居ます。
私は霊達と交信をしたり写真を撮ったりする為に、時折こうした公園を訪れる事がありますが、やはり憑依して付いて来る者も少なくありません。


実を言いますと、私の家にはこうして付いてきた憑依霊が数人居ます。
まだ迷いがあって成仏できないでいるのです。
霊達は言わば感情を持った一個人です。
ただ、すでに亡くなっている為、御霊が宿る個体(体)が無いだけなのです。
それと肉体維持がありませんから、本来なら欲も薄れているはずなのですが、それらを抱えて引きずっている場合があります。
憑依霊は様々で、簡単に離れて行く者もいれば、浄化するのに3~4年も掛かる場合があります。
また憑依してくる浮遊霊や邪鬼などの類は、かなり霊性が低いので、封印するしか手が無い事もしばしばあるのです。

話しがだいぶ神がかり的になって、眉つば感覚になって来たと思われるかも知れませんが事実なのです。


現在私の家には、一体の化け猫と2体の黒見霊が封印されて置いてあります。
しかし黒見霊は近い将来に封印を解除してあげようと思っています。
この化け猫は昨年の秋に、よせばいいのに三日三晩に渡ってこの私にちょっかいを出して来たので、三日目の晩に封印をさせて頂きました。

まあ、化け猫の話しをしだすと、かなり長文になってしまうので、この辺で止めておきますが・・・・・。


さて、写真は数年前に撮った夜の公園です。左端に見えるオレンジの発光体は高圧線の鉄塔の明かりですが、写真のあちこちに白っぽく見える丸いオーブが浮遊霊です。

(注:写真は著作権表示と露出調整のみしてあります。)


霊眼通信-夜の公園

ボランティア

3.11の大地震以降、いろいろな方々がボランティアとして被災地を訪れています。
またこうした被災地のボランティアに限らず、様々なボランティアを行う場合、その重要性をどこに見出すのでしょうか?
ある人は自己満足に。またある人は相手の満足に喜びを。そしてある人はそのような事は考えずに奉仕として・・・様々な思いや考えがある事と思います。
しかし見過ごしてはいけない事があります。
それはボランティアをする方も、またされる方にも守護霊達が居ると言う事です。
当然守護霊達はみんなの活動や行いを見ていますから、喜びもひとしおであると同時に、その人を一緒になって応援してくれます。
徳を積むという事は、こうして魂が洗われて行くという事なのです。
決して現世に生きる人だけの係りだけでは無いのです。
一方、被災地で泥棒などの悪事を働くような人は、本来の守護霊が離れていき、それに代わって悪霊がどんどん憑依していきます。
したがって本人の御霊もどんどん曇りがましていき、やがて真っ黒な御霊になって行きます。
心の曇りとは、まさに真っ黒になって行く御霊の事なのです。
人は生きて行く中で、このように霊性の低い御霊達にしばしば憑依される事があります。
本来はそのような時に守護霊が関与してくるのですが、本人に気づきが無い場合や、守護霊が離れて悪霊が取って代わっている時などは、まさしく悪が囁くまま道を歩んで行く事になるのです。

さて、話をボランティアに戻しますが「志は高く持つべき」なのです。
もしも何となくボランティアを行っているような事があるなら、守護霊の事を少しだけ考えてみて下さい。
きっと、見出せなかったものが形になってくるはずです。(合掌)

子供達の守護霊

少し前のお話になりますが、2008年10月29日の事でした。
この日は子供文化会館でのボランティアで、演奏会のイベントを行ったのです。
子供が50人程度に、大人がスタッフ合わせて30人程度。館内は満員です。
私はイベントの様子を撮る為に、写真機を2台とデジタルハイビジョンビデオカメラを持参いたしました。
イベントが始まると子供達はもちろん、その守護霊達も大喜びで、館内の空間にはオーブが沢山飛び交っているではないですか。勿論、オーブが見えているのは私だけの事です。
私はすかさず持参したカメラとビデオのシャッターを切り、守護霊達を撮りまくりました。
当然の如く確信をしていましたので、帰ってから撮った写真やビデオ画像を見るのが楽しみだったのは言うまでもありません。
さてさて、見てみると・・・やはり殆どの写真や動画に写っていました。
それがこれです。 (㊟写真には目線と著作権表示を入れています。)


霊眼通信-守護霊1

霊眼通信-守護霊2